第88話 その拳の力

  男はクラリッサを愛していた。

 だがその愛が決して叶う事が無い事も理解していた。

 店の経営が命である彼女に少しでも近づこうと、雑用係として店の一員となった。

 しかし、いつの間にか見てるだけでは耐えられなくなってしまった。

 男は必死になって覚えた魔法を使い、彼女が踊り子時代に使用していた衣装を盗み出した。

 せめて形あるものが欲しかったのである。

 あえて内部犯を匂わせれば、クラリッサは大きな事件にするのを避けると見込んで。


 男にとって唯一不運だったのは、与人たちが店に立ち寄った事であろう。

 その結果として、彼はリットトの裏路地を走り続けていた。

 昨日今日来たばかりの旅人と、生まれてから今まで過ごしてきた自分。

 余裕で振り切れる……はずであった。


「く、くそ!」


 息が段々と荒くなる中で男が後ろを振り返ると、リルが付かず離れずの距離を保っている。

 地の利が男にあろうと、それを上回る鼻と身体能力が生んだ結果であった。


「ちくしょう!」


 男は必死になりながら、右へ左へ曲がり続ける。

 するといつの間にか、リルの気配が消えていた。


「よ、よし!」


 振り切ったと判断した男は、当初の目的地に向かう。

 その後ろを追跡する視線に気づかずに。


「はぁ……はぁ……」


 そして男は裏路地の外れにある空き家に、息を切らせながら入っていく。

 随分前に持ち主が亡くなった、知る者もほとんど居ない男の隠れ家であった。

 男は家の中に入ると息を整えるよりもまず、鍵を掛けていた箱を手元に引き寄せる。

 その中には当然、店から盗んだクラリッサの衣装が大事に仕舞われていた。


「に、逃げないと……!」


 事がバレた以上、このリットトに残るという選択肢は男には無かった。

 クラリッサの顔が見られなくなるのは辛かったが、この衣装を思い出に生きるつもりであった。

 国境近くの町まで行けば追跡も躱せるはず、と算段を付けていた。

 そう決めると、男は念のために用意していた最低限の荷物をまとめて男は家を出る。


「おや? もうお出かけですか? もう少しゆっくりされても良かったのですよ?」


 だが家の外に待ち構えていたのは、現実という壁であった。



「……少しばかり向こうに同情するよ」


 呆然とする男の表情を見ながら、与人はそう言葉を漏らす。

 助かったと思ったのも束の間、すぐさま逃げられない現実を叩きつけられた男にほんの僅かであるが同情していた。


「人の服を盗むような変態に同情してるんじゃないわよ」


 隣にいたライアが呆れたように与人に文句を言う。

 拳を鳴らしながら男を睨みつけているところから、与人にもその本気度がうかがえた。


「ご主人……僕、頑張った」


 その一方で、リルは役目が終わったと言わんばかりに与人に頭を撫でるのを要求している。

 実際、与人たちが追い付くまでスピードを調整しながら追跡し続けたリルはストラに続く功労者であろう。

 与人がリルの頭を優しく撫でるのを放置しながら、ここまでの流れを読んでいたストラが絶望の顔をしている男に話しかける。


「さて、状況を整理しましょうか。アナタには逃げ場はありませんし、実力の差は先ほどの追いかけっこと現状で理解できるはず。素直にその大事に持っている衣装を返せば、痛い思いをしませんよ」

「う、うるさい! うるさい! うるさい!」

「……まあ、こうなるとは思いましたが。あとは任せます、ライア殿」


 逆上しながら魔力を高める男を見てため息を吐きながら、ストラはライアに後を任せ下がる。

 ライアは頷き、ゆっくりと歩き男との距離を詰めていく。


「な、舐めやがって!」


 余裕たっぷりといったその様子に、男はさらに苛立ちを募らせる。

 そして怒りのままに、風の魔法をライアに向けて放つ。

 魔法名風の剣

 文字通り風圧の刃で相手を切りつける、どちらかと言えば初級な魔法である。

 だが、武器を身に着けていないライアを倒すには十分だと男は考えていた。

 ……その発想自体が、間違いである事を知らずに。


「……」


 ライアは迫り来る風圧の刃を目の前にしても歩みを止めずに、その魔法を。


「ふっ!」


 拳で掻き消した。


「……は?」


 男はその光景に思わず間抜けな声を出してしまう。

 余程の事が無い限り拳で魔法を相殺、それも無傷でなんて事はあり得ない。

 素手と魔法ならば、魔法が有利である何て事は『ルーンベル』においては子どもでも知っている。

 当然これには男との実力差も関係しているが、ライアの能力も関係していた。


「くそぉ! くそぉ!」


 男は半狂乱になりつつ、《風の剣》を連発する。

 だがライアはその足を一切止める事無く、その全てを叩き落とす。

 彼女の元となっているバンテージには対魔力のコーティングがされている。

 これにより魔力が無くともスライムのような魔法生物にも致命打を与える事ができ、触れた魔法を消す事も出来るのである。

 その性質を受け継いだライアにも、当然それは受け継がれている。


「ライア殿は対魔法、とくに今の《風の剣》のような直接的攻撃には有利。それに加え初見でそれを見破る事は困難。確かこのような事を初見殺しと言うのでしたね」

「うん。やっぱり、強いよね」


 未だリルの頭を撫でながら、素直にライアに感心する与人。

 その様子に笑みを浮かべながら、ストラは苦言を呈する。


「強い事は認めますが、精神面では問題ありと言わざるをえませんね」

「? ……どういう事?」


 リルがそう疑問を口にすると、ストラは例え話をする。


「例えばリル殿が自分あるいは与人殿に敵の確保を頼まれた際、どうしますか?」

「殴って気絶させる」

「……過程はどうあれ素早く事を成そうとするでしょう。ですが、同じ事が出来るにも関わらずライア殿はしない。それが問題です」

「見逃せない?」

「あの程度ならともかく、追い詰められた者ほど秘めた力を発揮するものです。今後も続くようであれば忠告しなければなりませんね。……っと、チェックメイトのようですね」


 そのような事を話している内に、すでにライアの拳は男の腹に突き刺さっていた。

 男は悲鳴を上げる事もなく気絶する。

 そして男と箱を引きずりながら、ライアは三人の元に戻る。


「終わったわよ」

「ご苦労様ですライア殿」


 何事も無かったように報告するライアから箱を受け取ったストラは、男から鍵を取ると中を確認する。


「間違いなく踊り子の衣装です。これにて一件落着のようですね」

「よし。じゃあ早くクラリッサさんに返そうか」

「ええ。すみませんがライア殿とこの男を拘束するので、少し箱を預かってもらえますか?」

「ん、分かった」


 そう言って与人が箱を預かった瞬間であった。


「それに……触るなぁぁ!!」


 男が目を覚まし、《風の剣》で与人を攻撃してきたのであった。


「「「「!!」」」」


 その瞬間、与人は……。




 あとがき

 今回はここまでとなります。

 ライアの力が明かされた今回、如何でしたか?

 果たして与人はどうなったのか?

 その結末は次回で明かされます。

 では、またお会いしましょう。


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