第72話 王女との夜
外は既に暗くなり、寝る者もチラホラと増えて来る時間帯。
そんな時間帯の城内にて王女であるフレイヤの私室に向かう人影が三つあった。
その人影の正体はフレイヤに呼ばれた与人とその事を伝えに来たメイドであるエミリー、そして与人の護衛であるスカーレットである。
先頭を歩くエミリーに連れられるまま黙って暗い城内を歩く二人であったが、どうしても気になる事がありスカーレットが口を開く。
「あの~。フレイヤ王女はどのような要件で使い手さんを呼ばれたんです?」
「さあ? 私は王女の伝言を伝え、旦那様が承諾したら案内するように言われただけですので」
「その、旦那様と言うのは少し……」
城内に滞在して三週間ほどであるが、既にメイドや使用人などは与人の事を主人として接している者がほとんどである。
与人からすれば外堀を埋められているようで止めて欲しいが、さりげなく伝えても皆が同じ事を言うのである。
今もエミリーが呆れたように同じ言葉を与人に放つのであった。
「時間の問題だと思われますが」
その言葉を聞いて与人は思わずため息を吐く。
それが引き金かどうかは分からないが、エミリーは独白するように語り始める。
「フレイヤ王女はお生まれになってから今までほとんど執着を見せた事はありません」
「「え?」」
今までのフレイヤの行動からはピンと来ないその言葉に与人とスカーレットはそろって声を出すが、構わずエミリーの口は動く。
「過去に執着を見せたのは武芸に対してのみ。正直に言って他のモノに、ましてや異性にここまでの執着を見せるとは思いませんでした」
「……」
与人が何も言えずに黙り込んでいると、エミリーは足を止め振り返り明確に与人に向けて言葉を話す。
「……ですので王女の初めての恋が上手く行くよう、皆が祈っているのですよ。私も含めて」
そう言い切るとエミリーは何事も無かったかのように再び歩き出す。
与人は少し重くなったような気がする足を動かし、スカーレットと共に後を追うのであった。
「フレイヤ様。旦那様をお連れいたしました」
「そう、ありがとう。下がっていいわよエミリー」
フレイヤのその言葉を聞くと、エミリーは言われた通りにその場を去っていく。
「ウチはここで待機しているから、使い手さんはゆっくり王女さんとお話するとええよ」
スカーレットの見送りを受けて与人は扉の前で深く深呼吸をしてノックする。
「どうぞ、お入りになって」
王女の言葉を聞いて与人は緊張した面持ちでその扉を開ける。
室内はランプの僅かな光があるのみであり、与人がフレイヤの姿を確認するまで少し時間が掛かった。
確認すると同時に思わず大声を出しそうになる与人であったが寸前のところで口を閉じ、慌てた様子でフレイヤに問う。
「な! なんでそんな恰好をしてるんですか!?」
「自室ですもの。どのような姿であろうと自由ではなくて?」
フレイヤはレースがふんだんに取り入れられた、いわゆるベビードールと呼ばれる下着だけを身にまとった姿であった。
恥ずかしがる様子もなく、むしろ見せつけるように堂々としているフレイヤは、与人の動揺が可笑しいようでクスクスと笑い始める。
「不思議な人ね。女性に囲まれている生活を送っているはずなのに免疫が無いだなんて」
「世の中には慣れる事と慣れない事があるんですよ! 俺にとって女性関連がそうと言うだけの事です」
フレイヤが一向に衣類を着る様子が見られないので仕方なく与人は用意されていた椅子に座る。
できるだけフレイヤを視界から外しながら、与人は取り敢えず質問する。
「で? どうしてこんな夜遅くに呼び出したんです?」
「他の誰にも聞かれる事なくお話したかったから。それだけじゃダメかしら?」
「……ダメって事はないですけど。聞かれたくない話でもあるんです?」
「ええ。アナタとワタクシの将来の事について」
口調は柔らかかったが真剣さを感じる視線を感じ、思わず与人は姿勢を正す。
フレイヤはその様子に微笑みつつ説明をし始める。
「勘違いでしないで欲しいのは、ワタクシは答えを貰えていない状況に怒っている訳ではありませんわ」
「……違うのですか?」
てっきりいい加減にハッキリしろとか何とかを言われると思っていた与人はそう聞き返す。
フレイヤは微笑みを崩さずに柔らかい口調でそれを否定する。
「違いますわ。アナタが真剣にワタクシの婚約を考えているかは見てて分かります。……ですが」
そこで言葉を止めるとフレイヤは突然素早く動き、与人を抱きしめる。
「!?!?」
思わぬ柔らかな感触に、言葉にならない声を上げる与人。
そんな事はお構いなしにフレイヤは与人の耳元にささやく。
「聞こえるかしら? この胸の鼓動が。アナタの事を想うだけで戦場でも感じた事がない程に胸が高鳴るのを」
最大に緊張しながらも与人は触れているフレイヤの鼓動が早鐘のようになっているのを感じる事ができた。
「ワタクシには生まれながらに才能も美貌もあった。近づいて来る男性はいくらでもいましたわ。けれど、こんなに苦しいほどに想える事ができるのはアナタだけ。……形振り構わず手に入れたいと思ったのも、ね」
フレイヤは与人の顔を自分に向けさせると、どこまでも真剣な様子で宣言する。
「アナタはまだ心の準備ができていないのかも知れない。けれど断言しますわ。例えどんなに待たされようと、ワタクシの心が変わる事がありませんわ」
「……もしかしたらアナタを選ばないかも知れませんよ」
与人がそう聞くと、フレイヤは再び微笑む。
いや、それはむしろ不敵な笑みであった。
「でしたら気が変わるまで攻めるまでですわ。嫌われない限りですけれど、ね」
そんな事はあり得ないと言わんばかりのフレイヤの表情、それは与人の頭の中に何時までも留まり続けるのであった。
「……うーん」
次の日の朝、与人は部屋の中で一人ベットに横になって考え込んでいた。
考えているのは勿論、フレイヤとの婚約の事である。
「嫌いな訳じゃ無いんだけどな……」
そう、決してフレイヤの事を嫌っている訳では無い。
むしろ人として尊敬できるとさえ思っている。
だが婚約、さらにその後を考えれば思わず二の足を踏んでしまうのであった。
「どうしたらいいか……」
皆んなの事や旅の事、フレイヤの事が頭の中でゴチャゴチャになってしまいそうになっている与人。
すると部屋の扉が乱暴に開けられた。
「うおっ!?」
「主殿! 緊急のため失礼いたします!」
そう言って部屋に入って来たのはユフィであった。
いつもは冷静なユフィにしてはかなり焦っており、与人も顔を引き締める。
「何があった」
「端的に説明しますと城内で暴動が起きました。主犯の目的は主殿です」
この『フォルテクス』にて起こった一連の顛末。
それは意外な形で終結へと向かうのであった。
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