第十五話 暗殺者とぬいぐるみ

 満月の夜――。

 月光の下でただ一人佇む美しい女性――。

 恋愛の女神天城比咩神アマギヒメノカミ――その表情はいつになく曇っていた。


「……司郎君。あなたの完了した試練はすでに五つ。おそらく……次の第六の試練が大きな転換点となる……」


 月光をその目にとらえ、星の運行を読み――、その少年の未来に意識を集中する。

 ソレによって得られた結果は――。


「司郎君……どのような未来を読もうと、私はあなたを信じる……。その強い意志なら悪い未来すら覆すと信じる……」


 彼女は女神という地位ゆえに、彼に一定以上の助力をすることが許されていない。

 だからこそ祈る――、

 少年の未来に幸あれかし――と。

 星読みで見た襲い来る悪しき未来――、その無限に分岐する結末の中の僅かな希望――。

 その小さなともしびが見える限り――。



 ◆◇◆◇◆

 


 今から一年前――、高円寺晃はミリアムと初めて出会った。

 高円寺晃はその道では有名な経営者であり資産家――。それゆえに、その財産を狙う多くのとの暗闘を行ってきた。

 そしてその日も、敵対する勢力より送り込まれた暗殺者に命を狙われ、そしてそれを撃退する――。それは、夫人にとってはいつもの事――。

 そんな時に出会ったのがミリアムだった。

 ミリアムを自分の娘として受け入れた夫人は、彼女を側に置き、彼女が笑って生きられる事を――、彼女が彼女らしい夢を持ち夢をかなえることを望んだ。

 しかし――、

 ミリアムはある理由から心が壊れていた――。

 夫人の語る「自分自身の夢を持ちなさい――」という言葉の意味が彼女には理解できなかった――。

 ――ただ、彼女の望みは夫人の側にいる事だけだった。

 夫人は彼女の心を癒すべく一つの策を練る。

 それこそ、日本の高校生――、思春期の少年少女と交流させることであった。


 

 ◆◇◆◇◆



 夫人がうちの理事長になってすでに二週間が経っている。

 夫人のミリアムちゃんも理事長と同じ日に転校――、なんと俺のクラスメイトになっていた。

 とりあえず、俺は彼女と親交を深めるべく何度もアタックしているのだが――。


「……司郎、また玉砕?」


 かなめがそう言って苦笑いを俺に向けてくる。

 うるさい、――実際その通りだが。


「むう――」


 俺は、どうしたもんだか――、と考える。

 別に俺が彼女に無視されるのはいい。しかしミリアムちゃんの場合、クラスの全員を無視するような言動を繰り返している。

 始めは、目新しくてミリアムちゃんの周りに集まっていたクラスメイト達は、すでに彼女の周りにはおらず、彼女の冷たい言動を聞いて一歩引いた目で見るようになっていた。

 理事長の娘という事で、さすがにいじめには発展していないが、クラスメイトとの間には大きな壁が存在している事だけは確かで――、

 俺自身、初めは美少女という事で――、欲望のままに声をかけていただけだったが、今では本気で彼女の将来を心配するまでになっていた。


「何とかならんかな? かなめ」

「私もそれなりに声をかけているんだけど――」


 たいていの場合、彼女は「ごめんなさい――」と言って、そのまま自分の世界に入ってしまう。――今まで一度でも話が続いたためしがない。


「このままじゃ不味いよね――」


 そのかなめの言葉に俺は同調する。

 現状、ミリアムちゃんの行動は、学校に来て――授業を受けて――一人で昼を食べて――授業を受けて――家に帰る。というのを機械的にこなすだけで、その間に他者と言葉も交わさないし、そもそも彼女の笑顔すら見たことが無い。

 このままではクラスで孤立したまま、誰とも仲良くなれずに孤独に学校生活を送ることになりかねない。


(何とかしたいが――、う~~~ん)


 俺がそう考え込んでいると、そこに風紀委員の香澄がやってきた。

 

「……ミリアムちゃん。別に感情がないってわけでもないみたいよ」

「え?」

 

 香澄のその言葉に俺は疑問符を飛ばす。

 ――香澄はそれに答えて。


「彼女――、天城商店街のデパートで、猫のぬいぐるみを嬉しそうに眺めてたって、クラスの牛田が言ってたし」

「ふむ――、ぬいぐるみ、か」


俺はそれを聞いて、一つの策を思いつく。


「ぬいぐるみが好きなんだったら……、その線から攻略してみるか?」

「うまくいくかな?」


 かなめはいまいち心配そうに呟くが、そんな事やってみなけりゃわからない!

 当たって砕けてみよう――、俺はそう考えていた。



 ◆◇◆◇◆



 ――翌朝。

 俺は学校に大きな紙袋を持って登校した。

 その中身は当然――、


「ミリアムちゃん!」


 俺はいつものごとく彼女に突撃する。

 それに対する反応も、当然いつものごとく――、


「ごめんなさい――」


 彼女はただその一言で、関心を失ったかのようにそっぽを向く。

 いつもなら引き下がるが、今日はそうはいかない!


「ミリアムちゃん? これ……」


 俺は手にした紙袋から、巨大な猫のぬいぐるみを取り出す。

 そうして、そっぽを向いているミリアムちゃんの肩に、その肉球を触れさせたのである。

 彼女は、一瞬眉をしかめて「ごめんなさい――」と再び言う。しかし――、


「……!」


 俺の方を横目で見た時、視界に入ったのだろう。

 彼女は、今までにないすごい勢いで、猫のぬいぐるみの方に振り向いたのである。


「!!!!!!!!!!!」


 その目は今まで見たことのないほど輝いている。

 そして、彼女はそのぬいぐるみと、俺を交互に見たのである。


「それ……は……」

「ほしい?」


 彼女はその俺の言葉に、激しく縦に首を振る。

 何とも可愛い――。


「――それじゃあ、ミリアムちゃんにあげる」

「!!!!!」


 彼女はその言葉に満面の笑みを浮かべる。

 それは、彼女が初めて見せる感情のある表情だった。


「……実は、俺、こういったぬいぐるみが、たくさん売ってるところを知ってるんだけど……」

「教えて!!」


 ミリアムちゃんが初めて「ごめんなさい」以外の意味ある言葉をしゃべる。

 ――あのミリアムちゃんが、ぬいぐるみ一つでここまで釣られるとは――、

 俺は少し彼女が心配になりながらも、彼女に向かって言ったのである。


「教えてあげるから――、デートしよう!」

「……」


 彼女はさすがに黙り込む。――やっぱダメかな?


「わかった……」


 なんと、彼女からOKの返事が出た!

 ――でも、ちょっと本格的に心配になった。

 この子、ぬいぐるみ一つで誘拐されかねない子だ――。


 そんな、俺の心境を知ってか知らずか、彼女は巨大な猫のぬいぐるみを抱えて、目をキラキラさせていたのである。



 ◆◇◆◇◆



「で? なんでいるの君達」


 俺はそう言って、俺の後ろにぴったりとついてきているかなめたちを見た。

 天城商店街でのミリアムちゃんと俺の放課後デート――。かなめ、日陰ちゃん(+ゴリっち)、香澄、藤香さん、かいちょー、そして多津美ちゃん――。ハーレム全員+余計な男1名、が監視するようについてくる。


「アンタと二人っきりにさせるわけないでしょ。それにこれは、ミリアムちゃんの心を開いて、友達を作るための作戦でしょう?」

「むう……」


 ちょっと残念に思いながらも、いつになく楽しそうに歩くミリアムちゃんを見てうれしくなる俺――。その腕には、昼間にあげた巨大な猫のぬいぐるみを抱えている。


「もうすぐ着くよ」


 俺がそう言うと、彼女はさらに目を輝かせて言った。


「シロウ……本当?」


 その言葉に俺は少し驚く。


「俺の名前、覚えてくれたの?」

「うん? クラスのみんな……名前……知ってる」

「え?!」


 どうやら彼女はクラス全員の名前を知っているらしい。

 彼女は一見クラスに対して無関心に見えるけど――。

 

「もしかして――、ミリアムちゃん。君って、クラスメイトとどういう会話をしていいか……わからないとか?」


 その言葉にミリアムちゃんが頷く。

 

「私……、いまいち……人にどう言ったら……、その人が喜んでくれるか……わからない」

「ソレって……」

「私……学校……通ったことが無い」

「え?!」


 ミリアムちゃんは俯いてぽつぽつと話し始める。


「私……幼いころは……、学校に通える環境じゃなかった。だから……」


 そうか、もしかして彼女は友達というモノを作ったことが無かったのか?

 でも――そんな環境って――。


「そうよ……。彼女にとっては、ボロボロの猫のぬいぐるみだけが友達だった」


 ――と、不意に何処からか女性の声が聞こえてきた。


「?!」


 ミリアムがその声にびくりとして、腕のぬいぐるみを取り落とす。

 なんだ? これって――?


 その時、明らかに周囲の雰囲気が変わっていた。

 それまで周囲にごった返していた人々がいなくなり、商店街に俺たちだけ立っている状態だったのである。


「司郎……何かおかしいぞ」


 ゴリっちがそう言って警戒態勢で周囲を伺う。


「なんだ? 何が起こってる?」


 そう言って周囲を見回す俺の腕を、不意にミリアムが触れる。


「……ごめんなさい。私……もう死んでるって……組織に伝わってるはずだった。けど……」

「え? 何を言って?」


 ミリアムのその言葉に、俺は何やら不安を感じて聞き返した。


「みんな……、巻き込んでごめんなさい」


 ミリアムは、ただ悲しげにその言葉だけを俺に伝える。

 そして、その代わりに――、


「……フフフ。かわいそうな子。せっかく名前をもらって、友達も出来そうなときに。その友達と死に別れることになるなんて」


 人のいない天城商店街に、そんな女の声が響く。


「組織を抜けようったって無駄よ? 貴方は永遠に籠の鳥――」

「誰だ?!」


 俺がそう叫ぶと――。商店街の一角――、暗い路地の陰から長身の女が現れる。

 ソレは一見すると紺のスーツを着た、年のころは20代前半の普通の日本人女性に見える。しかし――、

 

「ごめんね? 皆さん――、本来の彼女を――、F1254を取り戻すために死んでくれる?」


 そいつは感情の籠らない目でそう俺たちに告げたのである。



 ◆◇◆◇◆



 F1254――、組織の最高傑作――。

 幼き姿は仮の姿――、無音で影を走り、その刃で首を刈る――。

 しかし、ある任務で――返り討ちにあって死亡する――。

 死亡したはずだった――。


 ――でも、彼女は生きていた。

 名前を与えられて――。


 だから私に命令が与えられた――、

 F1254を奪還し――、関わった者たちを始末する――。

 

 ――おそらく彼女は抵抗するだろう――、

 だからこその私――。


 組織で唯一を持つ者――。



 ――かくして第六の試練。

 司郎の長い夜が幕を開ける――。

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