第19話 通りすがりの聖女

「ミルカ様!? ご無事ですか!?」

 ミルカの下へ一番に駆けつけたのはシーレだった。

「シーレ、いったい何があったの?」

 ミルカも、すでに着替えを済ませていた。フェアリーとして戦い慣れているのだろう。混乱はまるでない様子だった。事情が分からない段階で、すでに臨戦態勢にあるのはさすがだと、シーレは内心では感嘆した。

 シーレはすぐにミルカに駆け寄った。

「大変です、ミルカ様。ドラゴンが城を襲撃してきたようです。しかも中型級という話です」

「そんな、中型級のドラゴンが……ど、どうしていきなり……?」

「分かりません。とにかく、一刻も早く我々で対処しなければなりません。いま、王城にいるフェアリーは我々だけです」

「分かったわ」

 二人はすぐに部屋を後にしようとしたが……その途端、天井が急に崩れた。

「!? ミルカ様ッ!」

 とっさに、シーレはミルカのことを突き飛ばしていた。

 そのおかげでミルカは無事だったが、シーレは崩れてきた瓦礫を背中で受け止めることになった。

「ぐはッ!?」

「シーレ!?」

「だ、大丈夫です……問題ありません」

 冷静にそう言いつつ、シーレは力任せに瓦礫を撥ね除けた。

 常人には考えられないほどの腕力だ。というか普通の人間なら押し潰されて死んでいただろう。彼女が生きているのはフェアリーであるおかげだった。

 フェアリーは普通の人間と違って、魔力という不思議な力を持っている。その力のおかげで、普通の人間よりも圧倒的に身体能力などが優れているのだ。

 だが、それでもやはりダメージは受けたようだった。

 シーレの額から、べっとりとした血が流れ出た。

「シーレ!? 怪我したの!?」

「かすり傷です。問題ありません」

「で、でもこんなにも血が……」

 ――どろり。

 その時――血ではない何かが、ミルカの身体に垂れてきた。

「……え?」

 ミルカが頭上を見上げると、壊れた天井の向こう側からドラゴンが二人を覗き込んでいた。

 それはまるで、深淵の底からじっとこちらを見つめるかのような不気味さがあった。

「――」

 ドラゴンの行動原理は実に単純で分かりやすい。

 ――人間を殺す。

 不思議とドラゴンは他の生物にはまるで反応しない。瘴気から生まれるドラゴンという存在は、そもそも自然界の食物連鎖には組み込まれていないのである。

 だが、なぜか連中は執拗に人間だけは殺し、あるいは捕食しようとする。

 それがドラゴン――〝人を喰らうもの〟だ。

 ドラゴンが大口を開けて、容赦なく火の玉を放った。

 とっさに動けなかったミルカを、シーレが急いで自分へと引き寄せた。

 そのまま、シーレはミルカに覆い被さった。

 ドラゴンの火の玉が、部屋を丸ごと吹き飛ばした。

 一瞬、ミルカは何も聞こえず、何も見えなくなった。

 凄まじい音と閃光に、視覚と聴覚をやられてしまったのだ。

「ぐッ……」

 気が付くと、壁に叩きつけられていた。

 音と視界がゆっくりと戻ってくる感覚があった。

 幸い、大きな怪我はないようだと思ったが……すぐに彼女は気付いた。

 シーレがすぐ傍で倒れていたのだ。

「シーレ!?」

 ミルカは慌てて、彼女に駆け寄った。

 そして、すぐに息を呑んだ。

 シーレは傷だらけだった。鎧もところどころ壊れていて、そこら中から血が流れ出ていたのだ。

 特に、脇腹の傷がひどかった。そこから、どくどくと血が溢れていた。

「そ、そんな……すぐに手当を――」

 そう思ったが、背後からドラゴンの咆哮が聞こえた。

 悠長に手当をしている暇などなかった。

「シーレ、ちょっとだけ我慢してね!」

「ぐっ!」

 ミルカはシーレに肩を貸すようにして身体を支え、彼女を連れてその場からすぐに逃げ出した。


μβψ


「だ、誰か早くポーションを持ってこい! さっきの攻撃でやられたやつがいる!」

「ダメだ! 今はもうポーションがないんだ!」

「そ、そんな!? じゃあどうしろってんだ!? このままじゃ死んじまうぞ!?」

 叫び声が聞こえた。

 かなり切羽詰まった声だったので、僕はすぐにそこへ急いだ。

 もちろん、すでに聖女スタイルに着替え済みだ。

「どうしたんですか!?」

 僕が駆けつけると、その場にいたモブ騎士の人たちが驚いた顔をした。

 てっきり聖女が現れて驚いたのかと思ったが、どうやらそうではなかった。

「君、ここは危ないぞ!? 早く逃げるんだ!」

 と言われた。

 ……おや? 僕が聖女だってことに気づいてないのか?

 いや、そうか。まだ一部の人間しか僕のことを知らないのかもしれないな。

 自分から聖女などと名乗るのは気が引けるけども……まぁ仕方あるまい。そうしないと怪我人に近寄れなさそうだし。

「いえ、待ってください。僕は聖女です。ですので、お役に立てると思います」

 聖女という言葉を出した途端、騎士の人たちが大きくざわついた。

「へ? せ、聖女様? しかしいま我が国に聖女様はおられないはずでは……?」

「いや、待て。でも確かにその子が着ているのは聖女様の正装だぞ……?」

「え? じゃ、じゃあ、まさか本物の聖女様!?」

「すみませんが詳しい話は後です。それより怪我人を見せてください」

「は、はい!」

 僕は地面に寝かされていた怪我人へと近寄った。

「う、うう……おれはもうダメだ……」

 血だらけの男が息も絶え絶えの状態になっていた。

 アカーーーーン!?

 この人もう今すぐにでも死にそうなんですけど!?

 慌てて手を握った。

「ダメです! 死んではいけません!」(お前が死ぬと僕も死ぬんだよ!)

「いえ、もういいんです……おれはもう、助かりません……」

「諦めてはいけません!」(だからお前が死ぬと僕も死ぬんだっての!)

 くそ、この人かなり重傷だけど……こんな傷治せるのか?

 いや……やるしかない。

 でないと死ぬ。

 僕が。

 僕は怪我人の手をぎゅっと握って、強く念じた。

 痛いの痛いの――めちゃくちゃ飛んでけーッ!

 ピカーッ!

 ものすごく光った。

「――え? あ、あれ!? 怪我が治ったぞ!?」

 怪我人が驚いたように身体を起こした。

 服は血で汚れたままだけど、あれだけあった身体の傷は一つ残らず消え去っていた。

 ……す、すごい。マジで治ったぞ。←自分でも死ぬほど驚いているヤツ

「な、治ったぞ!? 怪我が治った!?」

「すごい、奇蹟だ!?」

「もしかして――本当に聖女様なのか!?」

 にわかに周囲が騒がしくなった。

 すると、そこへ慌てたように別のモブ騎士が走ってきた。

「大変だ! あっちにも死にかけてるやつがいるぞ!」

「早くその人の場所に連れて行ってください!」

「え!? あなたは!?」

「通りすがりの聖女です!」

 ……思った以上に怪我人がいた。

 しかも困ったことにどいつもこいつも死にかけていたので危うくこっちも死にかけたのだった。

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