第16話 過去のこと
「……あの、シーレさん。ミルカさんは大丈夫なんですか?」
恐る恐る訊ねると、シーレはこちらを振り返り、僕を安心させるように少しだけ笑って見せた。
「疲労していたところに、魔力の使いすぎが重なったせいでしょう。ですが、命に別状があるような状態ではありませんのでご安心ください」
「そ、そうですか……それは良かったです」
ほっと一息吐いた。
ここはミルカの部屋だった。
……さっき突然、廊下でミルカが倒れて、僕がどうしていいのか分からず彼女の身体を抱えていたら、どこからともなくシーレが現れて彼女をここまで運んでくれたのだ。
ひとまず大変な状況ではないと分かったので、さすがにほっとしていた。
基本的に他人のことなんてどうでもいいと思っているのは心からの本心だが、さすがに目の前で死なれたら後味が悪いからな。死ぬなら僕のあずかり知らぬところで存分に死んで欲しいものだ。
……おや?
ふとシーレに目を向けると、いつの間にか険しい顔になっていた。
寝息を立てているミルカのことを、何も言わずじっと見ているのだ。
思わず話しかけていた。
「……どうしたんですか、シーレさん? 随分険しい顔してますけど……やっぱりミルカさんの体調が良くないんですか?」
「あ、いえ、そういうわけではありません」
シーレは少し慌てたような顔をしてから、
「ただ……自分の不甲斐なさが悔しかったのです」
と言った。
「悔しい、ですか?」
「はい。これまで状況が状況だったとは言え、ミルカ様にこれほど無理を強いたことを悔やんでいたのです。本当なら、こうなる前にわたしがミルカ様をお支えしなければならなかったというのに……これでは、クリスティアン様とセイヤ様に顔向けができません」
と、彼女は見ていて分かるほどの悔しさを顔ににじませていた。
クリスティアンというのは初めて聞く名前だが……たぶん、それがミルカのお父さんの名前なんだろう。セイヤはもちろん僕のことではなく、彼女のお母さんのことに違いない。
僕はミルカの寝顔に少し視線を向けてから、もう一度シーレを見やった。
「……あの、これは聞いていいことかどうか分からないんですけど……ミルカさんのご両親はは3年前に亡くなったんですよね? どうして亡くなったんですか?」
「……お二人が死んでしまったのは、このわたしのせいなのです」
「シーレさんの……? どういうことです?」
彼女は一度深く目を瞑ってから、再び開いた。
そこには深い後悔が浮かび上がっているように見えた。
「お二方が隣国へ向かっている最中、大型級のドラゴンに襲撃されたのです。大型級のドラゴンなど、本当に滅多に出るものではありません。わたしを含め、護衛のフェアリーが数人いましたが……それでも、お二人のことを守り切ることはかないませんでした。最終的にドラゴンは何とか倒しましたが、その時にはもう、生きているのはわたし一人だけでした」
「それは……シーレさんのせいではないのでは? だって襲ってきたのはどうしようもないくらい強いドラゴンだったんですよね?」
「いえ、それは違います。わたしはお二人の護衛だったのです。そのわたしが守り切ることができなかったのですから、全ての責任はこのわたしにあります。もちろん、部下が死んでしまった責任も」
そう言いつつ、シーレは自分の顔にある大きな傷に触れていた。恐らく無意識だろう。だが、それで何となく察した。あの傷は恐らく、その時に出来たものなんだろう――と。
部屋の雰囲気が一気に重苦しくなるのを感じた。
……な、なんか完全に聞いちゃいけないこと聞いちゃったな。
僕は慌てて質問の矛先を変えた。
「その、どうして王様は隣国に行こうとしたんですか?」
「それはもちろん、隣国の聖女様のお力をお借りするためです」
「わざわざ王様が自分で向かったんですか? 別に手紙とかでも良かったんじゃ……」
「隣国の聖女様のお力を借りるというのは、本当によほどの事態ですから。盟約に反することではありませんが、やはり王である自分が直接頼まねばと、クリスティアン様はそう仰っていました。それにセイヤ様もご同行したのですが……隣国にたどり着く前に、国内でドラゴンに襲われました」
「……」
「ですが、ミルカ様には泣いている暇もありませんでした。すぐに自らが王位を継いで、公務にあたったのです」
「……え? すぐに、ですか? でも、その時のミルカさんって、まだ子供だったんじゃ……?」
僕とそう変わらないなら16歳ぐらいだとして、その時は13歳だ。中学一年生くらいの年齢だ。
「そうですね。本当なら、今もミルカ様は〝子供〟だったと思います。ですが……ミルカ様が〝子供〟のままでいられる時間は、3年前に終わってしまったのです」
「……」
何となく、僕はミルカの顔を眺めていた。
こうして眠っていると、本当にただの女の子だ。
「……それで、結局隣国の力は借りられたんですか?」
「いえ、それは叶いませんでした」
「え?」
再びシーレに目を向けると、彼女は歯がゆそうに顔を歪めていた。
「お二方が亡くなった後、ミルカ様が代わりにすぐ隣国を回ったのですが……どこの国も、我々には手を貸してくれませんでした」
「どうしてですか?」
「実は隣国でも瘴気が発生していて、どこも国内の対応で手一杯だったのです。どの国の聖女様も、他の国に手を貸しているような余裕はありませんでした。いくら聖女という存在が偉大な慈悲深き力を持っていても、一人で救える命の数は限られていますから」
「……」
ま、そりゃそうだよな。
他人のことよりはまず自分のことだ。
自分が飢えて死にそうなのに、隣で飢えている人間に食べ物を譲る馬鹿はいない。その場合、むしろ起こるのは譲り合いではなく――命を懸けた殺し合いだろう。
例えそれほど切羽詰まった状況じゃなくても、他人のことまで助けてる余裕がないのは、どこでも同じ事だ。世界が変わろうがそれは変わらない。
誰だって自分のことで精一杯だ。
だから、いくら助けてくれと泣いて叫んだところで、何の意味もないのだ。
きっとミルカもこう思ったことだろうな。
〝誰か〟助けてくれって。
その気持ちはよく分かる。
でも、そんな都合のいい〝誰か〟なんてどこにもいないんだよ。
君だっていつか、そのことに気が付くだろう。
なに、それまでの辛抱だ。
期待するから苦しいのだ。
だったら最初から期待なんてしなければいい。
そうやって生きるのが最も楽で、そして賢い生き方なのだ。
「――ん」
そんなことを思いながらぼんやり彼女の顔を眺めていると、その目がうっすらと開かれた。
シーレが慌てて呼びかけていた。
「ミルカ様、お目覚めになりましたか」
「……あれ? ここは? わたしはいったい……?」
ミルカはゆっくりと身体を起こし、首を傾げながら周囲を見回していた。どうやら少し混乱している様子だ。
「ミルカさん、大丈夫ですか?」
僕が話しかけると、ミルカは少し驚いた顔をしてから、すぐにまた首を傾げた。
「セイヤ様……? あの、わたしはいったいどうしたんでしょう?」
「さっき、急に廊下で倒れたんですよ。覚えてないですか?」
「え? た、倒れたんですか? すいません、それはセイヤ様にご迷惑を……」
「いえ、僕は何もしてませんから。ここまでミルカさんを運んでくれたのはシーレさんですし」
「そうでしたか……ごめんなさい、シーレ。あなたにはいつも迷惑かけてしまって……」
「ミルカ様、お気になさらないでください。それより、今日はこのままお休みください」
「いえ、しかしまだ公務が残っているから……」
「いいから、お休みください。本当にお体を壊しますよ」
シーレはぐいぐいとミルカをベッドに寝かせた。
これまではミルカの方がシーレに強く言う場面が多かった気がするが、今は逆だった。ここぞとばかりに、シーレが強く出ていた。
「もう、シーレってば。少し強引よ」
「これくらいしないと、ミルカ様は大人しく寝てくださらないですからね」
ミルカは少しふくれっ面をしたが、そんな彼女に、シーレは優しくシーツをかけた。
傍から見ていると……二人はまるで仲の良い姉妹のようにも見えた。
「……」
その様子を、僕はとても遠くの景色を見るみたいに眺めていたと思う。
もしかしたら、ちょっと羨ましそうに二人を見ていたかもしれない。
すぐにハッとした。
……くそ。
何となく心の中で舌打ちしてから、すぐに立ち上がった。
「では、ミルカさんも無事のようですし、僕は部屋に戻りますね」
「え? セイヤ様――」
ミルカが何か言いかけたが、それよりも早く僕は彼女の部屋を出た。
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