第15話 ミルカ

 食事が終わって、メイドの人たちが食器を片付け、二人だけのささやかな夕食会は終わった。

「それではセイヤ様、お部屋に戻りましょう」

 ミルカがごく自然に、まるでそうするのが当然のように僕をエスコートしてくれた。

「あ、はい。ありがとうございます」

 ぐい、とミルカが椅子から僕を立たせてくれた。

 その際、やっぱり「お?」となった。

 これまでも何度か思ったけど……ミルカは顔や見た目に似合わず、明らかに力が強い。シーレもそうだ。見た目は細腕でどちらも華奢な印象なのに、ふとした拍子に見せる腕力がそれと見合っていないのだ。

 この世界では、もしかして女の子は力が強いものなのか……? それとも、彼女たちが〝フェアリー〟というやつであることと、何か関係があるのだろうか?

 そんなことを考えながら、横を歩くミルカの顔をちらっと盗み見た。その横顔は可憐な美少女そのものだ。

 ……顔立ちだけ見ればそう年齢は変わらないと思うんだけど……何かミルカってすごい大人っぽい雰囲気だよな。

 何となく、じっと彼女の横顔を眺めてしまった。

「どうかされましたか?」

 僕の視線に気付いたミルカが小首を傾げた。

 慌てて愛想笑いを浮かべた。

「い、いえ、何でもありません」

「そうですか? 何かあったら、遠慮なく仰ってくださいね」

 にこり、とミルカは微笑んだ。

 真正面から向けられた屈託のない笑顔に、ついドキリとしてしまった。ふわりと笑った彼女から大人っぽさが消えて、急に年相応な雰囲気になった。

 そのギャップに、ますます視線が吸い込まれてしまった。

 そこでふと、僕はとあることに気が付いた。

 ミルカの顔にはけっこうな疲労が浮かんでいたのだ。こうして近くで彼女の顔を見ると、それがよく分かった。

 ……そう言えば、ドラゴンと戦ってた時も急に倒れ込んでたよな。

 しかも、ミルカはあれからほとんど休んでないと思う。そんな暇はまったくなかったはずだ。

「……あの、ミルカさん」

「はい、何でしょう?」

「もしかしてですけど……かなりお疲れなのでは?」

 僕が訊ねると、ミルカは少しだけ目を瞬いたが……すぐに小さな笑みを浮かべた。

「いいえ、全然そんなことありませんよ?」

「でも、そんな感じの顔してますけど……」

「大丈夫です。これくらいで疲れたなどと言っていては、女王は務まりません。それにみなも頑張ってくれているのですから。わたしがそんな弱音を吐いていては示しがつきませんから」

 と、ミルカはあくまでも気丈に振る舞った。

 その言葉は絶対に嘘だと分かったが、彼女の浮かべる小さな笑みは、決してその本音を相手に見せようとはしなかった。

 彼女もまた、笑顔という仮面で本音を隠しているのだろう。

 でもそれは決して嘘を吐いているとか、相手を騙そうとしているとか、そういう類いのものではない。

 相手に心配させないための……相手をのことを気遣っている時の笑顔だ。

 同じ笑顔ではあるが、それは他人を欺くための笑顔ばかり浮かべている僕のそれとは、根本的に違うものだった。

「それに、わたしは女王であると共にフェアリーの一人でもありますから。今のこの状況でフェアリーは一人とて遊んでいる暇はありません。それはもちろん、わたしも例外ではないのです」

「……でも、いくらドラゴンと戦える力があると言っても、ミルカさんは女王様なわけですよね? さすがに前線に出るのはまずいのでは?」

「ええ、最初はみなに止められました。でも、今は本当にそうも言っていられない状況なのです。我が国のフェアリーたちはいま、国内に発生している大きな瘴気の周りに展開し、そこから這い出してくるドラゴンと日夜戦い続けています。人手はどこも足りていません。どこも、本当にギリギリのところで何とかしているのです。わたしには女王としての公務もありますけれど、現状で優先されるべきは何よりも人命です。公務は代わりの者でもできます。公務をするのに魔法が使えなくとも支障はありませんから。ですが……ドラゴンと戦うことは、魔法を使うことのできるフェアリーにしか出来ません。これは決して自慢ではないのですが……こう見えてわたし、フェアリーとしては強い方ですから。それなりに戦力にはなってるんですよ?」

 と、ミルカはちょっと悪戯っぽい表情をした。

 明らかに強がっている表情だとは思ったが、もちろんそれを指摘したりはしなかった。

 代わりに訊ねた。

「……それじゃあ、もしかしてまたドラゴンと戦うんですか?」

「はい。予定では明日から西の大森林へ向かう予定です。そこにある瘴気に活性化の兆しがあるとのことですので、その応援に」

「……」

 まったく臆した様子もなく、ミルカは当然のようにそう言った。

 こんな女の子が、またあの化け物と戦いに行くという。

 ……怖くないのか? だってあんな化け物と戦うんだぞ? 実際、さっきミルカは死にかけていた。下手をすれば、あの場所でドラゴンの群れに食い殺されていたかもしれないのだ。

 なのに、彼女はまた明日、ドラゴンと戦いに行くという。

 まるで、そうすることが当たり前だという顔だった。

「大丈夫ですよ、セイヤ様。そんなに心配なさらないでください」

 僕が何とも言えないでいると、ミルカがふわりと微笑んだ。

 ……どうして、ミルカはこの状況でこんな優しげな顔で笑っていられるんだろう?

 つまり、フェアリーって存在はただ貧乏くじを引かされた生け贄ということじゃないか。

 ドラゴンと戦える力があるから、じゃあドラゴンと戦うのが当然なのか?

 そんなはずない。僕だった絶対にイヤだ。

 もちろん、力はないよりもあった方がいい。

 でも、自分の力を使うのはあくまでも自分のためだ。他人のためにその力を使ってやる義理なんてない。

 人助けなんてのは、自分に余裕がある人間だけに許された娯楽だ。

 もし自分の身を犠牲にしてまで、誰かを助けようとしているやつがいたら……そんなのはただの馬鹿だ。 

「それより、セイヤ様の方こそお疲れでしょう。部屋に戻ったらすぐにお休みください。体調がしっかりと整うまで、ご無理だけはなさらないでくださいね」

 と、疲れているはずの彼女は、むしろ僕のことを心配するようなことを言った。

 それは嘘偽りのない表情……だと思う。

 もしこれで彼女が嘘を吐いて僕を騙しているのだとすれば、相当な役者だろう。

 本当なら、すぐにでも僕に瘴気とやらを消し去って欲しいはずだ。そうすればドラゴンは出てこなくなるのだから。

 でも、彼女は僕にそれを強要しない。本当に僕のことを気遣ってくれている。

 きっと彼女は信用できる――そう思ったが、やはり、僕はとっさに心の壁を作ってしまった。

 ……そうやって他人をすぐに信用するのは馬鹿のやることだ。もちろん僕はそんな馬鹿じゃない。

 心の壁は、そのまま上辺だけの笑顔になった。

「いえ、僕は大丈夫です。それより、部屋の場所は覚えてますから、後は一人で戻れますよ。ミルカさんこそ、早くお部屋に戻って休んでください」

「そうですか? でも……」

「いえいえ、お気になさらず。ミルカさんの方が僕なんかよりずっと忙しいんですから」

 そう言うと、ミルカは思っていたよりずっとあっさり引き下がった。僕の言葉をただの善意と受け取ったのかもしれない。

「分かりました。それではわたしは部屋に戻ります。後で誰かを向かわせますので、何かあればその者に申しつけてください。わたしとシーレは、早朝には城を出ますので」

「はい、分かりました。ありがとうございます」

 お礼を言って、ミルカに背を向けた。

 ……ま、その誰かさんが来る頃には僕はもうこの城にはいないだろうけどね。

 にしし、と笑っていると――急に後ろでドサリと大きな音がした。

「ん?」

 振り返ると……ミルカが床に倒れていた。

「……え? ミ、ミルカさん!?」

 慌てて駆け寄って、彼女の身体を抱き起こした。

 ミルカが額に玉の汗を浮かべ、苦しげに浅い呼吸を繰り返していた。呼びかけても返事はなかった。意識がまったくないような状態だ。

「ミルカさん!? ちょ、誰かー!? 誰か来てー!? ミルカさんがー!?」

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