第11話 ウォーロック

 彼女は、瘴気は聖女にしか消せないと言った。だが、僕は聖女ではないのに瘴気を消してしまったのだ。この時点でもうおかしい。説明が矛盾している。

 僕はニグレドと契約したことで魔法を使えるようになってしまったらしく、その力でドラゴンはおろか瘴気さえ消滅させてしまった――らしい。まぁだからこそ聖女だと勘違いされてしまっているんだろうというのは理解できたが……でも、それなら聖女じゃなくても瘴気は消せるということにならないか? だって僕は聖女どころかそもそも男だし。

 なのにどうしてそれが聖女にしかできないと思われているのだろう?

 ……ひとまず、もう少し情報を引き出してみるか。

「ええと、それなら以前の聖女はどうなったんです? 5年前まではちゃんといたんですよね?」

「それはその……」

 ミルカは言い淀んだ。

 何やら言いづらそうな気配だった。

 ……なんだ? もしかして、何か言いづらいような死に方でもしたのか? ドラゴンと壮絶な戦いを繰り広げた挙げ句に食われて死んだとか……?

 あれこれ想像していると、代わりにシーレが答えた。

「先代の聖女様は、五年前に老衰で亡くなられました」

「え? ろ、老衰? 何歳だったんですか?」

「ちょうど一〇〇歳のお誕生日の日に、ぽっくりと……」

「長!? いやめちゃくちゃ長生きですね!?」

「前日まで奇声を発しながら、森を全速力で駆け抜けてドラゴン狩りをしておられたのですが……急に倒れてそのままスヤァとお眠りになるように……」

「いやすごいな!? ていうか怖いな!? どんだけ元気なお婆ちゃんだったんですか!?」

 それはもう聖女というか妖怪の類いではないだろうか……?

「まぁそういう訳でして、5年前から我が国では聖女様が不在のままだったのです」

 シーレが話を締めて、ミルカがこう続けた。

「ですが、本来なら前の聖女様が持っておられた〝浄化の力〟は、誰か他のフェアリーに継承されるはずだったのです」

「継承、ですか?」

「はい。〝浄化の力〟は国に一つ与えられており、国内にいるフェアリーの誰かに必ず受け継がれます。そうやって〝浄化の力〟は現代まで継承されてきたのです。聖女という存在は、国に必ず一人は常に存在していなければならないものなのです」

「国に一人……? 二人になったりすることはないんですか?」

「それは〝盟約〟によってそうならないようになっています」

「盟約?」

「アルベド様が定めた、人の法を超える〝神の法〟です。現在の国境線も全てアルベド様が千年前にお決めになったもので、全ての国の形はそれ以来変わっていません。国境線を勝手に変えることは盟約に反しますから。我々はその盟約を守って生きているのです」

「それって破ったらどうなるんです?」

「盟約を破るなど恐れ多いことです。万が一、アルベド様の慈悲が失われたら国は立ちゆかなくなりますから。なのでわたしたちはこれまでずっと、盟約を守って生きてきました。それは他の国も同様です」

「ふむ……」

「盟約により、国には必ず一つ〝浄化の力〟が与えられています。それは国の中で巡り、どこかに消え去ることはありません。必ず同じ国にいるフェアリーの誰かが継承します。選定の基準は我々では決められません。アルベド様の御心に適った者が受け継ぐのです。ですから、つねに聖女は存在し続けてきたのです」

「でも、今回は誰にも継承されなかった――と?」

「……はい。そのようなことは初めてだったので、どうしていいのかまるで分からず途方にくれていたのです」

「ははあ……まぁ何となく事情は分かりましたけど、

「……え?」

「いや、だってさっきから〝聖女〟がどうこう言ってますけど……男の人に〝浄化の力〟が継承されることはないんですか? 男の人でも魔法が使える人はいますよね? 別にその人に継承されてもいいのでは?」

「……」

「……」

 ミルカとシーレは黙ってしまった。

 ……あれ?

 なんか……二人の様子が明らかにおかしかった。

 お互いに顔を見合わせてしまっている。

 どうやらかなり困惑しているようだ。

 ……あれ? 僕っていまそんなに変なこと聞いたの?

 そう思っていると、ミルカが真面目な顔で僕を振り返った。

「男性に〝浄化の力〟が宿ることはありません。まず基本的に〝魔法〟は女性にしか扱えませんから」

「……え? 男の人は魔法が使えないんですか?」

 どういうことだ? と思った。

 なら僕が使った〝力〟はいったい何なんだ? 魔法なんじゃなかったのか?

 こちらの困惑をよそに、ミルカはうなずいた。

「はい。というのも、フェアリーが使っている魔法の力は、女神であるアルベド様の聖なる力が根源です。アルベド様は女性しか眷属にできませんから、その力も女性にしか宿らないのです。けれどもし仮に〝男の魔法使い〟がいたとすれば――それはすなわち邪神ニグレドの〝悪しき力〟を宿した存在――〝ウォーロック〟ということになります」 

 と、ミルカが言った。

 それは本当にとても真剣な表情だった。

「邪神……? ウォーロック……?」

「言い伝えによれば、はるか昔は男性の魔法使いであるウォーロックも、女性の魔法使いであるフェアリーと同じように当たり前の存在だったそうです。ニグレドがアルベド様を裏切り、邪神に堕ちる前は」

「裏切り、ですか?」

「アルベド様とニグレド――二柱は元々、それぞれ天から降り立った女神と男神で、人を導くためにやってきたそうです。ですがニグレドはアルベド様を裏切り、欲に溺れてこの世界を我が物にしようとしました。そして、それが叶わぬのであればいっそ滅ぼしてしまおうと……その際、ニグレドは邪神となり、彼が持っていた力も〝悪しき力〟となりました」

「……」

「アルベド様は我々人間を守るために、邪神となったニグレドと戦ってくださいました。しかし彼女はニグレドとの戦いには勝ったものの、戦いの傷が癒えずに死んでしまったのです。ですが、彼女が人間にお与えくださった〝盟約〟はそのまま残りました。そのおかげで、人間はドラゴンの脅威と今日まで戦ってこられたのです。これが我々に受け継がれてきた〝神話〟です」

 僕はあの怪しく笑う黒猫の姿を思い返していた。

 あいつはそう、自らこう名乗ったはずだ。

 ニグレド、という邪神の名を。

 ミルカは続けた。

「アルベド様のお力が女性にしか宿らないように、かつては男神だった邪神ニグレドの〝悪しき力〟もまた、男性にしか宿りません。それがウォーロックです。昔は単に男性の魔法使いという意味の言葉だったのでしょうが……今は違います。ウォーロックという言葉は〝大いなる厄災〟を意味するものになりました」

「大いなる厄災……? どうしてそんなふうに?」

「それは、ウォーロックがニグレドの生まれ変わりだからです」

「生まれ変わり……?」

「そうです。実はニグレドは完全には滅んでいなかったのです。この千年の間、およそ百年に一度、男の魔法使いウォーロックが世界のどこかで生まれ、大きな厄災をもたらしてきました。いまこの世界で魔法が使えるのは、アルベド様の眷属となれる女性だけです。ですから、もし男の魔法使いウォーロックがいれば、それは邪神ニグレドの魂が転生した存在であることを意味します。ニグレドは男性しか眷属にできませんから、生まれ変わるとしたら必ず男性として生まれる――というわけです。ニグレドは転生して復活し、再びこの世界を破滅させようとしているのです」

「……」

「現に、これまで男の魔法使いウォーロックが現れた時は必ず大きな厄災が起きたと言われています。最後に現れたのは八十年ほど前らしいのですが……その時は、国が一つ滅んだと聞いています」

「……へ? 国が滅んだ? それはまたどうして……?」

「さきほども言ったように、ドラゴンは瘴気から生まれます。ならば瘴気とはそもそも何なのかと言えば、それはかつてニグレドの朽ちた身体から生まれたものだと言われています。つまりドラゴンを生み出す瘴気とは悪しき力の片鱗なのです。そして、およそ百年に一度、ウォーロックが現れた時には必ず凄まじい瘴気が――〝大瘴気〟が世界のどこかに生まれます。ひとたび大瘴気が生まれると、そこからは夥しい数のドラゴンがあふれ出してくると言われています。国が一つ、いとも容易く滅びてしまうほどのドラゴンが――大瘴気とはそれほど恐ろしい厄災なのです」

「……」

 ……あれ?

 もしかして……ニグレドってやばいやつなんじゃないの?

 確かに胡散臭いやつだとは思っていた。けど、まさか世界を滅ぼそうとした邪神だったなどとは想像もしていなかった。

 いや、ていうか、ちょっと待って欲しいんだけど……じゃあ、

 あれあれ?

 もちろん僕はニグレドの魂が転生して生まれた人間じゃない。だが、ニグレドと契約して魔法が使えるようになった男であることには変わりない。

 ……うーん、なんか嫌な予感がするぞ。

「……えっと、もしそのウォーロックってのがまた現れたらどうするんです?」

 恐る恐る訊いた。

 ミルカは少しだけ躊躇う様子を見せたが――はっきりと言った。

「……必ず、殺さねばなりません。でなければ、大いなる厄災によって多くの人々が死ぬことになりますから」

 ミルカの顔は大真面目で、ふざけている様子はまったくなかった。

 僕は流れ出る冷や汗を止めることができなかった。

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