5
「もういいかーい」
僕は腕で目隠ししながら叫んだ。
初夏の涼しい空気が肌に心地いい。公園では遊んでいる子どもや親はおらず、僕と姉の二人だった。
かくれんぼをしているのだ。
一度目は姉があっさり僕を見つけ、今度は僕が鬼になると、確かにそう言った。
姉は、私おっきいから尊みたいに上手く隠れられないよと言っていたけれど、僕がわがままを言って。
僕も探したいと。
言った。
そう言った記憶はあるが。
やはりおかしい。
何かが猛烈におかしい。
背後では、カサカサ音を立てながら葉っぱが転がっていく。
なんだか、妙な疎外感がある。
涼しいのも、明るいのも、全部心地よいのに。
何か夢でも見ている気分がする。
あるいは妄想でもしているみたいな。
畳の部屋。
畳の部屋も、この季節には涼しい。
ベランダも。
僕たちの寝ているソファのある部屋も。
何か、重大な見落としがある気がする。
真っ昼間から、寝て起きたら夜になっていたような「やってしまった」感がある。
頭を巡らせる。
僕は何か見落としている、
僕は姉の「もういいよ」を待たずして走った。
姉が、泣いていた。
いつだったか、覚えていないけれど。
姉が泣いていた。
そのイメージだけがこびりついている。
うずくまって泣く姉に、僕は途方に暮れて。
それで。
それでどうしたんだっけ。
僕は多分、どうも出来なかったのだ。
大切な姉が泣いているのに、決まり悪そうに立っていることしかできなかったんだ。
確か姉が何か悪さをして、両親に怒られた時だと思う。慰めればよかったのに、寄り添ってぎゅうと抱きしめればよかったのに。
僕は、姉が大好きだったのに。
いや。
これは。
これは言うべきじゃなかった。
とにかく姉を見つけなくてはいけない。
児童公園で、大の大人が隠れられる場所なんて大体わかる。
それに姉は僕を子ども扱いしているからそんなに本格的に隠れるわけがない。
遊具の中を探していく。
結構広い公園で、遊具もたくさんある。
滑り台の後ろにはいない。
ドーム城の遊具の中にもいない。
女子トイレには……流石に隠れないだろう。大人気ない。
風が吹いている。
木々がざわざわ揺れて、外の道路をトラックが走り抜けてゆく。
僕は丸太を並べたような階段を上って公園の少し高くなっているところに走る。大きな木がたくさん生えていて、そんなに広いわけでもないのに鬱蒼として見える空間がある。
背筋に、寒気が走る。
姉が、死ぬ気がする。
また、姉が死ぬ気がする。
いや。
またってなんだよ。
姉が死んだことなんて一度もないはずで、でも網膜に張り付いたように姉の死に様が延々とリフレインされる。気持ち悪い。姉さんが死ぬわけないよ。
かくれんぼの途中に、急に一人が寂しくなって、妙な妄想に取り憑かれただけだよ。
この歳になって、馬鹿みたいだ。あまりにも幼児じみている。
あれ。
そもそも僕は、何歳だっけ。
姉とかくれんぼをして遊んでいると言うことは、小学生だろうか?幼稚園児?
いや、そもそもその年頃の子どもがこんなふうにリアルタイムで自分の年齢を考えたりしないよ。
現実に起こっていることなのに、まるで記憶を掘り起こしているみたいだ。
いや、違うよ。僕は中学生。
中学生だよ。
多分、いい歳して、急に姉とかくれんぼがしたくなって。
姉さんなら、付き合ってくれるはずだもん。
いつも優しい姉さんは、僕を子ども扱いしてる姉さんは。
変だ。
絶対おかしい。
なんでこんなことをいちいち再確認しているんだ僕は。
姉の死に様を想像する。したくないのに、想像する。
車に轢かれて死んで、舌を噛みちぎって死んで、飛び降りて死んで、眠るように死んで。
姉の死体が、ぐるぐると巡っていく。
だから。
姉さんが死ぬわけないよ。
網目城のフェンスで住宅地と区切られていて、向こう側には古びた家があった。
家の塀から、くねった松の枝が伸びている。
まるで飛び降りた姉の手足のような曲線。
いや。
姉は飛び降りてなんていない。
なんだこの記憶は。気持ち悪い。
足に力を入れてダーっと走る。
靴の裏から地面の凹凸を感じる。
木が何本も生えていて、少しくらい。
木漏れ日が靴の上を揺れる。
大きな木に目をつける。
あの木、あんな形してたっけ。
その曲がりくねっていて、根本から二本の大きな枝が伸びている双子のような木は、僕の胴体くらいある枝をいくつも伸ばしている。
その先端から細い枝があって、葉っぱが無数に生えて、チラチラ木漏れ日が。
木漏れ日に照らされて、何かがぶら下がっていた。
走る。
とにかく走る。
走る走る走る走る走る走る。
猛烈に、猛烈に嫌な予感がする。
走る走る走る走る走る走る走る走る。
息を切らしながら、ああ嫌な予感がする。
ああ。
嫌な、予感が。
走っても、走っても追いつかない。
あの大きな木に、猛烈に嫌な予感が。
おい、つかない。
なんで、おかしい。
そんなに広い空間ではないはずなのに。
なんでこんなにたどり着けない。
ぜぇぜぇと浅く息をしながら、木にたどり着いた。
ぼこぼこと蛸の足のように広がる根っこに、四つの姉の死体が寝転んでいる。何度も想起した、網膜に張り付いた姉の死に様。
すり潰された姉、舌先のない姉、首の折れた姉、眠るように死んでいる姉。
すり潰された姉の内臓が花束みたいに飛び散って、他の三人の姉の下腹部に血溜まりを作っている。
みんな、木の枝のように手足を伸ばして、その先の細い指を伸ばして。
チラチラチラチラ、木漏れ日が揺れる。
木漏れ日と一緒に、何かが揺れている。
だめだ。
早く。
でも。
どうやって。
僕が見上げると、大きな木の枝に縄を引っ掛けて、姉がぶら下がっていた。
下ろそう、ではなく、持ち上げなきゃ、と僕は思って。
僕は姉を抱きしめて持ち上げようとしたけれど。
僕は、小さくて、全然だめで。
おかしい。
僕は中学生じゃなかったっけ。
手が、小さい。
背も低い。
これじゃまるで、幼稚園児だ。
いや。
そりゃ、そうだよね。
いくらなんでも中学生でかくれんぼなんかするわけない。
姉さんが、言ってたじゃん。
私はおっきいから尊みたいに上手く隠れられないって。そうだよ。僕は小さいんだ。
僕はまだ、小さな子どもなんだ。
通りで公園が広かったわけだ。
ああ、こんな小さいうちに、姉の死に様なんて見たらきっとトラウマになる。
一生治らないよ。大好きな姉さんなんだもん。
僕はやっぱりどこか変で、そんなふうに客観的に考えている。
客観的に考えながら、縋り付いて泣きそうになっている。
姉さん。
姉さん。
姉さん。
死なないで。お願いだから僕を置いて死なないで。
って。
姉の膝のあたりにまとわりつく僕の顔に、ぴしゃりとしょっぱい体液が撒き散らされて。
姉は。
「
と声を上げた。
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