第2話 死にたがっている君へ。
こんな話をするはずではなかったのだが。
たまたま見た、怖い話が、日本らしい、ものに心は宿るのだ、と言う話だったので、ほんとうの恐怖を、見せてあげたいと思う。
これは、地球の、日本と呼ばれる国家の、関東地方にある、茨城県、水戸市、水戸駅から徒歩10分ほどにある、進学校で体験した話である。
三、二、一。
これを地元の人でわかる人間も少ないだろう。
三の丸小学校。
水戸第二中学校。
水戸第一高等学校。
この順番に学校に通うと言う事は、かつてはエリートコースを意味したらしい。
とは言え、土地も土地なので、本来であれば霊的体験もたくさんあっただろう、と思い込むだろうが、確かに私は霊感は強いが、本当の意味での恐怖体験を感じたのは、高校になってからである。
怪談話で生計を立てられるんじゃないかなって言う位怖い話だ。
ある日のことだ。
旧校舎、というのがある。大体の漫画の中では、新校舎と旧校舎はバラバラになっているものだが、奇妙なことに、この高校は、新校舎と旧校舎をつないであった。
ある日のことだ。
この学校には、だいぶ大きな木がある。
最初は、見間違いだと思ったのだ。
絶対これは私が見た幻想であり、幻覚であり、私の病気も、ここまで進行したかって感じである。
が、2回も同じ体験をすると、あれは実際にあったことであり、これは警告なんだなとわたしは気づいた。
死ぬな。
俺たちみたいに死ぬな。
もうあれから何年も経つが、まだ苦しみの中に俺たちはいる。
わたしはこう聞いた。
水戸一高校内で自殺があったのは、記録には存在しないと言うことであった。そう、水戸一高では、という話である。
旧制、水戸中学。
自殺者が相次いだのは、芥川龍之介が、ただぼんやりとした不安でなくなった頃である。
つまり、あの者たちは、私がいたのは2002年4月から2005年3月だから、たまたまそのままストレートに入学してストレートに卒業できたが、彼らの魂は、いまだに、あそこにあるのだろうか。
もしもそうならば。
私はなぜか、家庭の事情に振り回されており、実は、最初に入学した小学校は、幼稚園卒園後に入れるはずだった、小学校とは違っている。
私が最初に私が入った小学校は、北方領土近くの、北海道の、釧路市立日進小学校である。
その前に入った幼稚園は、関東地方、茨城県、水戸市、に存在する、聖母幼稚園である。
その前にいた幼稚園は、山形にあるかつては、聖母幼稚園と呼ばれていた、と記憶している、幼稚園である。
残念ながら、山形から水戸に至るまでに、様々な事情により、私は幼稚園に通っていない。
それはコンプレックスであり、まともな人生を途中から歩んでない、と感じている。
不登校ではない。仕方なくである。
でも母親は独占できたと言う事は個人的には良かったと思う。
翻って考えてみれば、子供の頃に2回死にかけたことで、身の回りにいり幽霊たちからすれば、いつ死んでもおかしくない状態だったらしい。
知らない人に、腕だけの人にそでをつかまれて、我にかえったことは何度もある。
死ぬな、とは言わない。
でも、たとえ生きてる人間が、あなたのことを何とも思わなくても、死者幽霊はどうだろうか?
あなたが見守ってくれた精霊は、本当にそれを望んでいるだろうか。
別にこの世に救いを求めなくても、側に神様はいるのだ。
犬を神様と求めても構わない。
猫を神様と求めても構わない。
最後は、信仰ではなく、信じる強い気持ちが、死からあなたを遠ざけてくれると思う。最後は、信仰ではなく、信じる強い気持ちが、死、からあなたを遠ざけてくれると思う。
わたしは、こう聞いた。
死にたいのは止めないよと私は聞いた。
ここまで日本人は、自殺に追い込まれるのは、もともとの遺伝的影響が大きいと。
要するに、君を死に走らせるものは、決して君自身の意志ではないと、君自身の問題でないと、わたしはいいたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます