第9話 先輩、知りたいです

 土曜日、先輩に勉強を教えてもらうと約束した日だ。

 …それ自体は別に良い、先輩と二人というのは多少緊張するところはあるが勉強の方に集中すればそれも今まで一緒に居た時間が長いしなんとか緊張は誤魔化せるだろう、問題なのは。


「その勉強場所が俺の家ってことだな…」


 なんで俺は先輩のことを家に誘ってしまったんだ…静かに勉強したいってだけならもっと他にもあっただろ…!

 だが、過去に戻ってやり直すなんていうことはできないため今与えられた状況に対して前向きに考えるしかない。


「先輩には俺の住所は伝えてあるけど…そろそろ先輩が家に来る時間だし、家の前でわかりやすく待っておいた方がいいな」


 俺は特に何も持たずに家の前に出る。

 俺が家の前に出ると、もうすでにそこには先輩の姿があった。


「え、先輩?もう来てたんですか?」


「あ、新くん!おはよー!ううん、ちょうど今来たとこだから」


「なら良かったです」


 俺は先輩のことを家に上げる。

 玄関に入ると、先輩が周りを見渡して言った。


「うわぁ、新くんの匂いがする〜!」


「俺の家ですからね」


「今日ご両親とかは〜?」


「俺以外はみんな外出してます、多分夜くらいまで帰ってこないと思うので勉強するのに差し支えはないです」


「そうなんだ〜!」


 先輩は心なしか嬉しそうにしている。

 そんなに俺に勉強を教えるのを楽しみにしてくれていたんだろうか。


「どうぞ上がってください、俺の部屋は二階です」


「う、うん!」


 先輩は綺麗に靴を並べると俺の後ろをついてきた。

 …先輩が家に居るのが、なんだか不思議だ。

 先輩は家の中で勉強をするだけなのにかなりオシャレな格好をしてきているからか、俺も変に緊張してしまいそうだ。

 …先輩にとってはオシャレじゃなく普通なのかもしれないが。


「ここです」


「わぁ〜!」


 先輩は俺の部屋を見渡す。


「新くんはここで起きて、呼吸して、生活して、勉強して、読書して、遊んで、眠ってるんだね〜!」


「そ、そうですね」


 もうちょっと他に表現は無かったのかと思ったが言わないようにしよう。


「机は二つあるみたいだけど、どっちの机で勉強する?」


 二つの机というのは部屋の角にある本格的な勉強机と、テレビとかを見る時ように軽く飲み物とかお菓子をおける低い机だ。

 普段は勉強机で勉強しているが…


「二人だとこっちの低い方が勉強しやすいと思うので、こっちにしましょう、そのまま床に座ってもらって大丈夫です」


「はーい」


 俺と先輩は床に座ると、勉強に必要なものを一式机の上に揃えた。


「じゃあ、今から問題集を解くので、わからないところがあったら教えていただくって形でも大丈夫ですか?」


「……」


「先輩…?」


「えっ!?あっ!うん!平気!」


 平気と言ってはいるがあまりそうは見えない…よく見てみるとそわそわしているような、緊張しているように見える。

 先輩のことだから男子の部屋なんて何度でも行ったことあるだろうに…もしかすると後輩の男子の部屋、というのは初めてなんだろうか。


「一応確認なんですけど、先輩は男子の部屋って何回くらい行ったことあるんですか?答えたく無かったら良いんですけど」


 俺は先輩に過去に行った男子の部屋のことを想起させて、俺の部屋なんて緊張するに値しないということをわかってもらおうとしたが、これは失策だった。

 何故なら…


「…初めて」


「…え?」


「初めて!男の子の部屋なんて今まで来たことないよ!」


 衝撃の事実。

 おそらく俺が無意識的に先輩のことを家に呼んでしまったのは、先輩なら色々と経験豊富で別に俺の家くらいなら誘ってもいいか、と思っていたところもあったが、先輩は男子の部屋に来たことがないらしい。

 …待てよ。


「じゃあ…もしかして、今が初めて、ってことですか?」


「うん…!」


 そんな…俺はなんだか申し訳なさが込み上げてきた。


「すみませんそんな大事な機会を奪ってしまって、でもそれなら断ってくれれば…って、心優しい先輩がそんなことできるはずないですもんね」


 勉強を教えてくれと後輩に頼まれて承諾し、場所をこっちから提示したのにそれをどんな形でも断れない優しさを持っているのが先輩だ。


「…ううん、違うよ、私は新くんが思ってるほど優しくないよ、もしこれが新くん以外の男の子からのお誘いだったら断ってるから」


 先輩はあっさりとそう言い放った。

 …先輩が誘いを断ってるところなんてなかなか想像できないが、これは俺に気を遣わせないために言ってくれてるんだろうか。


「お気遣いありがとうございます」


「気なんて遣ってないよ!私は本当のことしか言ってないの!さっきも言ったけど私は新くんが思ってるほど優しくないよ?どんな人にでもこんな風に親しく接するわけじゃないから!」


「先輩が誰かに対して雑に扱ってるところなんて見たことないですよ」


「それは…新くんの前だから…」


「え?」


「ほ、ほら!勉強始めよ!今日は勉強と私以外の方見たらペナルティとしてつねっちゃうからね!」


 優しいペナルティだ。

 その後俺は苦手科目の問題集を広げ、わからないところがあれば先輩に聞きつつ、解き進めた。

 そして約二時間後。


「…はぁ」


 俺の集中力が途切れた。

 ただでさえ苦手科目なのに、俺の部屋に先輩が居るというイレギュラーな状況、集中力も途切れてしまう。


「ちょっと疲れちゃった?」


「はい…」


「新くん結構頑張ってたし、休憩にしよっか!」


「そうさせてもらいます…」


 俺はペンを置いてから水を飲み、先輩と軽く雑談することにした。


「先輩は全然疲れてないように見えます」


「私は教えてるだけだから!それに、勉強は得意だからね」


 教えてるだけと言っても、わからない人にわかるように説明するのは教える側にとっても相当疲れることなはずだ。


「それでもすごいと思います」


「そうかな?ありがと…!」


「先輩は元から勉強とかは得意なんですか?」


「ううん、昔は全然、運動とかは得意だったけど勉強は大学の受験勉強まで本当にやってなくて、それから本気でやったんだ〜、それで今では最高評価をもらえるくらいにはなったよ!」


 先輩は笑顔で語っているが、その裏にはきっと果てしない努力があったんだろう…そうだ。


「この前俺の学校の心配をしてくれましたけど、先輩の方は新しい大学どうですか?」


 先輩も俺が引っ越したタイミングでこっちの方に引っ越してきていて、それに伴って大学も変わっている。

 前に俺のことを心配してくれたため俺も少し気になっていた。


「ん〜、学部はもちろん同じだから勉強は大丈夫だとして、友達は十人くらいできたよ〜?」


 俺と同じタイミングのはずなのにこの差は一体なんなんだ。


「流石先輩です、その調子だとすぐに彼氏とかできちゃうかもですね」


 俺が軽く言い放つと、場の空気が凍った。

 もちろん物理的にではないが、直感的に感じるものがある。


「……」


 先輩は口を開かない。


「あ、もしかしてもう居たりするんですか…?」


 俺はできるだけ明るい口調で喋ろうとするが、それでもやはり場の空気は重たい…もしかして聞いてはいけないことを聞いてしまったんだろうか。


「…新くんは、私に彼氏ができたらどう思う?」


「え?もちろん応援しますよ!先輩は俺の憧れであり尊敬する────」


「それ、やめて、それ言われるたびにナイフで刺された感じになるの」


「…それ?」


「憧れとか、尊敬とか」


 そこにはもうさっきまで笑顔で話していた先輩の姿はなかった。

 尊敬されるのが嫌…?尊敬なんて謙遜することはあっても拒絶することなんてそうそう無さそうなのに。


「どうして…ですか?」


「私は…新くんに尊敬なんてしてほしくないの、憧れとか尊敬なんてされてたら、私の想いは…ずっと新くんに…届かないよ…」


 先輩は涙声になると、すぐにうつ伏せになった。

 涙声になっていたから最後の方はよく聞き取れなかったが、とにかく俺に尊敬をしないでほしいらしい。


「…ごめんね、新くんは、何も悪くないんだけど…それでも、やっぱり私は新くんに尊敬なんてしてほしくないの」


 …正直それはかなり難しい。

 先輩の人格や仕事ぶりを見たら、尊敬するなと言われても難しいものがある。

 …でもどうして尊敬されたくないのかが本当にわからない。


「…俺は、先輩のことを尊敬することをやめるなんてことは────」


 俺は、突然前のバイトをやめると先輩に伝えた時のことがフラッシュバックした。


「私もずっと先輩後輩だって君に思われてるっていうのは分かってたし、新くんがそう思ってるならって我慢してたけど、いざ言われるとやっぱり我慢なんてできないね」


 …あの言葉。

 あの時は意味が全くわからなかったけど、今ならなんとなく、先輩の伝えたいことがおぼろげにだが見えるかもしれない。


「先輩、俺は先輩のことを尊敬しないなんてことはできません」


「……」


「でも、だからこそ先輩のことをもっと知りたいと思えるんです…なので、これからはもっと互いに、身近に感じられる存在になっていきたいです」


 俺が伝えると、先輩は勢いよく顔を上げた。

 その顔は、さっきとは違って何か光を見出したように晴れていた。

 今の俺にはそれがどうしてなのかはわからないけど、それもきっとこれから先輩のことを知っていけば、わかっていけるはずだ。


「…うん!今はそれで勘弁してあげる!」


 先輩は涙を拭いながら笑顔で言った。

 その後は、先輩もいつもの調子を取り戻したみたいで、また少しだけ勉強をして、たわいもない話をして、先輩を駅前まで見送った。

 …今日で、確実に何かが変わり始めるような気がする。

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