3-2



フィーネが知らない世界はたくさんある。

その1つが貴族社会だ。

かつてナターリヤが空挺部隊で功績を挙げた時、見返りに爵位を与える話が上がったがナターリヤは断っていた。

故に貴族の内情に触れることがあったのはテイラー邸に薬を売りに行った時くらいだった。

ルカが言うには貴族の中にも自分のために力を奮う者、民や国のためにその力を奮う者、何も分かっていない者がいるそうだ。

その話にティムが苦笑いをしていたので事実なのだろう。

ルカはペリオン辺境伯一族の末娘として生まれた。

そんなルカは幼い頃から厳しい指導の元、育てられた。

武力、知力、貴族作法、全てを叩き込まれた。

ペリオン家は代々国境を守り続けていた。

領民を帝国を守るために心を鬼にして。



それがペリオン家が国王から信頼される所以であり、目の敵にされる原因でもあった。

ペリオン家が功績を挙げれば挙げるほど妬む貴族も増えた。

野蛮人や鬼の辺境伯などと心のない呼び名が裏では囁かれ、強い力に縋る者は便乗していく。

その余波は愛情を沢山受けて育ったルカにも襲いかかる。

社交界デビューの日には遠巻きにされ、ルカや辺境伯を侮辱した子息を引っ張叩いたこともあった。

ルカの両親は子供たちに自分を信用してくれている者の声を聞け、と教えた。

兄達は頷き、割り切っていたがルカにはできない話だった。



「私がもっと大人になれば気にすることも無くなるのかもしれない。でも私はお父様やお母様、お兄様を尊敬しているの。家族を馬鹿にされることが私は嫌だわ…」



ティムもその言葉には思うことがあったのか、ルカから少しだけ目を逸らした。

フィーネもまた分からない話ではなかった。

かつてのナターリヤも庶民から実力だけで出世した。

爵位を断ったのは興味がなかったのもあるが貴族の反感を買わないため。

そして自身のせいで子供達に危害が加えられたくないため。

だからナターリヤは多くの人にハロルドやフィーネのことを話さなかったし貴族と積極的に関わろうとしなかったらしい。

小さく息を吐き、ルカの手を握った。

フィーネもちゃんと新聞を読んでいたり、外の世界に興味を持っていたらペリオンの名前に気づけたのかもしれない。

だが気づいていたらそれこそ、ルカへの見る目は少し異なっていただろう。



「ルカはそれでいいと思う。確かにルカのお父様は気にするなって言うだろうけど。でも大切な家族の悲しい顔を見たくないとか困らせたくないとか、思うのは大切なことだと思う」

「フィーネ…」

「私は何も出来ないままで終わっちゃったから。兄さんは私の助けなんていらないだろうし」



脳裏でハロルドの背中が見える。

正直な話、フィーネとハロルドはもう何年も会っていない。

ハロルドが3年生の頃に1度だけ、帰省したきりだった。

かつてハロルドはフィーネに卒業したら王都に一緒に住まないか、と持ちかけた。

だがフィーネは断ったのだ。

父を亡くした傷が癒えないまま、あまり覚えてもいない王都に行くのは怖かった。

むしろその時期は森から出ることさえ嫌だった時期であった。



(いつか迎えに来るって言ってたけど…)



未だにハロルドはフィーネの前に現れていない。

森に訪れることない。手紙が届くこともない。

今では去っていった背中しか思い出せないほどだ。

それなのに世間はハロルドの妹と面白がる。

フィーネにとってハロルドの存在はもはや呪いになりかけていた。

するとルカは泣き出し、思い切りフィーネに抱きつく。

非力なフィーネだったがなんとかルカを受け止めた。



「私、フィーネに出会えて良かった! 大好きよ、フィーネ!」

「うっ、うんっ。ああありがとう」

「もしどうしよもなくなったら私の家に来るといいわ。なんなら家族になってもいいほどよ!」



初めて素直にぶつけられた大好きにフィーネはしどろもどろになる。

顔は熱くなり、ルカの顔が上手く見れない。

瞬間、ティムがフィーネとルカを笑顔で引き剥がした。

いつの間にかフィーネの背後に立っていたようだ。



「時間は有限だよ。フィーネ、日記のこと聞いてもいいかい?」



驚きのあまり、小さく「はい…」と答える。

顔に集まった熱が一瞬で放散してしまった。

フィーネを見下ろす目が怖く、ちゃんと見上げることができない。

気に食わなかったのか、ルカは頬を膨らませた。



「私、騎士サマのそういうところ嫌いだわ。小さい男は嫌われてよ?」

「僕はまだ成長の余地があるから問題無いよ。むしろその頃にはルカには入る余地はないから覚悟しておいた方がいいんじゃないかい?」

「あら? 未来が変わることもあると思うけど? 随分せっかちなのね、なーんにもできないくせに」



先程の感動的な空気はどこへ行ってしまったのだろうか。

今すぐにでもこの天体室から逃げ出したくなったが、フィーネは争う二人の間でわざとらしく咳払いをした。

ティムの言う通り、時間は有限なのだ。



「日記のことも私のことも話すから、ティム様もルカも止まってほしいんだけど…」



2人は互いを無言で見合った後、それぞれ使われていないイスに腰をかけた。

腑に落ちないようだが分かってもらえたようだ。

フィーネも近くの机に腰を掛け、思考を巡らせる。

いざ自分のことを他人に話すのは説明は難しい。

しかも制限付きになると尚更だ。



「まず日記のことなんだけど」



ナターリヤの日記には特質した内容は書かれてはいない。

書かれていることは学生時代のことから空挺部隊に就任した時のことまで。

ハロルドが産まれてからは忙しくなったのか、日記が書かれることはなかったようだ。

だから日記を盗んだとして危険なことが起きることはないがフィーネにとって母の形見でもあるので取り返したい。

何よりフィーネの知らない両親の一面が見られる代物なのだ。

次にフィーネが何故、初期試験まで偽名を使ったりと他人のフリをしたのか。

これに関しては2人は気づいていたようだ。

ティムはハロルドと会ったこともあるのでしょうがないよ、と慰めの言葉をくれた。

ルカもまたフィーネの試験結果を見て納得したようだった。

だからこそ、あの裏庭事件は自分自身を許せなかったのだろう。

フィーネが話している間、苦悶の顔を浮かべていた。


最後にこれからどうするかを話した。

日記が盗まれてからフィーネは何も考えていなかったわけではなかった。

裏庭の事件、盗難事件、これらは恐らく故意に起きたことなのだろう。

それを確かめるためにもそばかす男子達に話を聞かなくちゃいけない。

何故、フィーネ・ブラックと分かったのか。

同じ寮内のものならいざ知らず、彼らの中にアクリス寮の先輩はいなかった。

だとしたら第三者から聞いたのだろう。

そしてどうやって犯人はフィーネの部屋に入ったのか。

人の目を掻い潜って寮内に忍び込むのは難しい。



「それってもしかして同じ寮の人か、それ以外なら変身薬じゃないかしら」



ルカが丁寧に挙手をして発言をする。

それに対してフィーネは頷いたが、顔は険しくなった。



「変身薬は高価なものだし、第一副作用が強い。薬草さえ揃えれば作れなくは無いけど…」

「確か分量を間違えたり、ちょっとでも精製に失敗すれば効果があっても副作用はより強くなる、だったわよね?」

「副作用は数日間、高熱が出て目眩を起こして歩けなくなるらしいから、盗まれた日から寝込んだ生徒を探そうと思うんだけど」



その提案にルカもティムも渋い顔をした。

フィーネもまた難しいだろうとは思っていた。

言ってしまえば容疑者はこの学校にいる生徒だ。

一々、確認するなんて途方もない。



「あんまりしてほしくないけど、あの時の上級生に話を聞くほうが早いだろうね。チェンバレン先生に言えばそれくらいは取り計らってくれるとは思う」

「ですよね…」

「ところでフィーネ。日記のことは誰かに話したかい?」

「いえそれは無いです。ルカは知っていたけど…」



フィーネはルカの方を見ると不服そうに首を振った。

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