第16話 淑女の力

 異世界についての熱弁を奮った琢磨がスッキリした顔で帰って行った。


「終わったわね」

「それで琢磨君の異世界話は参考になったの?」

「全然聞いてなかったわ。聞いている風を装うのは淑女の嗜みね」と笑い、「目的は『異世界林檎を食べてもらうこと』と『異世界教を作ったということを知ってもらうこと』だけだから」とウンウン頷いた。


 友人を騙したようで心苦しい。


「食べたからって体に害を及ぼすわけじゃないし、みんなの夢や希望を叶えながら光輝と結衣を助けられるのよ。私たち良いことをしているの」


「本当に良いのかなぁ」


 肩を落す。


「不思議な力に対抗するためには正攻法だけじゃダメなの」


 彼女の言葉に強く肯定した。一生懸命に友達を助けようとする沙羅を見習って頑張っていきたい。


「今日からここが異世界教の支部よ。朔弥はいつでもここを使ってね。でも、私のことを襲っちゃだめよ」と沙羅は冗談交じりにウィンクした。

「え……だって、ここって沙羅の別宅なんでしょ……それに……本部じゃないの?」

「やっぱり宗教の本部と言ったら富士山のふもとよね。そっちの方は私がなんとかするから当面はここを活動拠点にしましょう」


 光輝と結衣を助ける手段が何も浮かばない……異世界林檎を生み出すことしか出来ないもどかしさ、全ての事を沙羅に頼ることしか出来なかった。


「明日、相田君が異世界教に入りたいと言ってくるわ。彼の話しは絶対にここで聞きなさい。今後は異世界教の話しをこの場所ここ以外でするのは禁止」

「琢磨くんが異世界教に? あんだけ拒絶してたけど」

「大丈夫よ。朔弥はこれから異世界林檎を採ることだけを考えて。あとは私が全部やるから安心して。ただ教祖であることは内緒、あくまで架空の人物モイセスが教祖、私たちはその指示の元で動いている設定だけは忘れないで」


 沙羅の力強い言葉に大きく頷いた。


「これから入信希望者からお布施を募るわ。しかし強制は一切しない」

「お金を……?」

「そうよ。異世界林檎が採れたらお布施が一番多い人に与えるの」

「お布施って聞くと一気に胡散臭くならない?」

「だから払わなくても良いのよ。異世界教に価値を見出した人が払えばいいの。そのための異世界林檎なんだから。集まったお金は全部朔弥のものだからね」


 全部? 心の中に罪悪感が芽生える。


「いーい朔弥、私は光輝と結衣を助けたいの。なんとしても仲良くしてくれたふたりを助けたい。また4人で遊びたいのよ……だから一緒に頑張って……お願い」


 沙羅の言葉、光輝と結衣を助けるためだけに他人ひとを巻き込んで良いものか。


 そんなモヤモヤする心を『人助け』という大義名分が一本の蜘蛛の糸として救ってくれていた。沙羅の決意が蜘蛛の糸を鋼の糸に変えてくれた瞬間だった。



▷ ▶ ▷ ▶


 ”リーン、リーン……”


 けたたましく鳴り響く黒電話の音、スマホが着信の合図を一生懸命に報せる。やかましい音に眠い目を擦りながら画面を見ると琢磨の文字。


「朔弥くん、直ぐに異世界教に入りたいんだ。俺に異世界林檎を普及させる手伝いをさせてくれ」


 彼の変わり身に驚く、昨日は絶対に入らない口ぶりだったのに……沙羅の言った通りだ。


「ちょっと落ち着いて……、いきなりどうしたのさ」

「直ぐにでも話しを聞いて欲しいんだ。誰かに喋りたくって仕方がない……こんなことは君たちにしか言えない。今からそっちに向かってもいいかい」


 時計の針は6時を回ったばかり、あまりにも興奮した口調と尋常じゃない早口に眠気はすっかり吹き飛んでいた。


「分かった。じゃあ昨日話しをした家で待ち合わせしよう。あそこなら学校も近いから」


 沙羅に言われた通り支部を指定した。布団を跳ね上げ急いで着替えると食事もせずに家を飛び出した。

 

 沙羅の連絡先をタップして自転車にまたがる。イヤホンから聞こえるコール音。いくら待っても沙羅は出なかった。


「ひとりで大丈夫かな」


 小さく呟く。不安でいっぱいだが向かうしかない。焦る心は視野を狭くする。必要以上に注意しながらゆっくりと急いだ。


 到着。琢磨はまだ来ていない。沙羅にも連絡がつかない……。


「おまたせ」


 琢磨は平静を装ってはいるが、その顔は喜びに満ち溢れ興奮冷めやらぬといった表情。


「沙羅と連絡が取れなかったから僕が聞かせてもらうよ」


 ドキドキする鼓動、喉から心臓が飛び出そうな程の緊張感。


 玄関扉を開くとメイドがひとり立っていた。


「朔弥様、お待ちしておりました」


 ふわりと髪をなびかせて振り返ると「こちらへどうぞ」と案内してくれた。


「昨日な、夢を見たんだよ」


 座るや否や返答する間も空けずマシンガンのように話し始める琢磨。会話の弾が早すぎて言葉を挟む余地もない。


「あのさ……夢を見てさ、ラノベで見た夢のような世界が広がっていたんだ。そこに光輝がいてな、結衣を探すんだってパーティーに誘われてよ。それからそれから、光輝に言われたんだよ。『朔弥にリンゴをもらったんだろう』って、協力する仲間を出来るだけ集めて欲しいって頼まれたよ」


 琢磨が一息ついた所で沙羅が部屋に入ってきた。


「相田くん、リンゴを食べた者は異世界と意識を共有し睡眠をキーとして記憶が切り替わり、林檎の力で潜在的な能力を得ることが出来るのよ」


 説明しながらゆっくり歩んでくる。


 琢磨が入信を希望することを当て、異世界林檎の効能まで知っている沙羅。一体どこまでえているのだろう。


「沙羅ち……いや、明智さん……確かに俺は異世界で力を得た。しかし引き換えに失ったものも有る。でも夢のような世界にいつでも行けることが何より嬉しいんだ。頑張ればいつかきっと勇者となって魔王を倒せる日がくるかもしれない」


 晴れやかな琢磨の表情。そんな雰囲気に水をさすようにメイドが顔を出し「お嬢様、そろそろ学校に行かないと遅れてしまいます」と声をかけた。


 琢磨は立ち上がって「俺はこの異世界教に入信するよ、この素晴らしさを世間に広めたい。君たちのためにも頑張るよ」と天を見上げると、「あとでルールを教えてくれよな」と去っていった。


「これで私たちは待つだけ。少しづつ種が広まっていくわ」


 この時、心には『歓びと不安』が複雑に入り混じっていた。



 放課後、琢磨のラノベ仲間3人が支部に集まっていた。怪訝な表情を浮かべている者もいるが、心の奥底にある期待を秘めているようにも見えた。


 まだ『エデン』に異世界林檎は実っていない。

 あれから何回あの場所に行っただろう。あの時に会った女性に話が聞きたくて……いつしかリンゴが採れるあの場所をエデンと名付けていた。


「異世界教へようこそ」


 沙羅が笑顔で話し始めた。


「異世界教の信仰する神はケルビン、教祖はモイセス。私と朔弥はその教えを伝える神子みこです」祈るように両手を組む沙羅、「異世界教の信仰は自由、広めたければ広め隠したければ隠しても良いのです」


 神々しい雰囲気に息を飲む。しかし、時折こちらを向いてはペロッと舌を出す姿に『うまいなぁ』という感心しかなかった。


 教えを説いていく沙羅、琢磨は目をキラキラさせて聞いているが、友人たちは眉間にしわを寄せていかにも怪しんでいる表情をしている。


「……異世界林檎はいつ賜るか分かりません。その時に一番奉納金が多い人に分け与えられるのです」


 最後に添えた一言で場の空気が変わった。


 お金の話しになると一気に胡散臭く感じるのは誰しも同じ。


 仲間のひとりは「やっぱ金かよ」と呆れ「帰ろうぜ」と促す。ひとりは同調して無言で立ち上がったが、もう一人は「僕は残る」と財布に手をかけた。


 ひとりは目を吊り上げて「琢磨、憲久のりひさ、俺たちはそんな怪しい集団に近づきたくないからな……いくぞ」と声を張り上げ、もうひとりの男の腕を掴んで家を出て行った。


 憲久は財布から5,000円札を取り出すとテーブルの上に置いた。


「僕は上杉うえすぎ 憲久のりひさ、異世界教に入らせてもらうよ」


 静かな笑顔。


 いきなり神だの異世界だの言われてお金を要求されたら逃げだす自信がある。なんで入ろうと思ったのか不思議でならない。


「憲久、俺とお前はラノベ仲間であり異世界教仲間だな」

「こういう集団って先に入った方が得なんだ。だまされている可能性もあるけど良い思いをするためにはリスクもとらないと」


 憲久はメガネをクイッと上げた。


 驚きのあまり開いた口が塞がらない。琢磨も同じ。沙羅だけは笑顔になっていた。


「上杉くん、相田くんと共に異世界教の教徒として認めます。異世界教へようこそ」


 ──ザワッ


 体に感じる違和感……これはエデンの風。もしかして……


 違和感に気づいたのか沙羅は「神からの賜り物が実ったようですね。朔弥、モイセスから異世界林檎を受け取ってきなさい」と一言、奥からメイドが姿を現し別室へと連れられた。

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