13.最後の作戦

『北川トオルは悪い奴だ』


 そんな噂が学校に広がり始めたのは、12月中旬に差し掛かった頃だった。メールや掲示板による書き込みが主な原因だったが、内容はトオルが幼馴染みである天才美少女の宮崎咲に対して何やら酷いことをしているとのこと。


 この『らしい』と言うのがポイントだった。

 具体的にトオルが咲に対して何をしたのかは何も分からない。噂では暴言を吐いたとか殴ったとか、噂が噂を呼ぶようになっていた。



「咲、北川に何かされたの?」


 クラス、いや学校中に支持者がいる咲。

 彼女を心配して親しい者は気遣って声をかけてくれる。そして咲は決まってこう答える。



「何にもないよ。大丈夫……」


 咲はいつも意味深な笑みを浮かべてそれをやんわり答えていた。その反応が更に噂となる。

 最初はトオルに対しても微妙な空気が流れているだけだったが、次第にそれはあからさまにクラス中の敵意となって表面化してきた。



 クラスで孤立するトオル。

 いつの間にか昼食もひとり寂しく食べるようになっていた。



「咲は私達が守ってあげるからね」


 いつの間にか周りにできた『宮崎咲護衛隊』。頼んでもいないのに咲をトオルから守るために集まって来ている。



「ありがと。でも、そんなんじゃないから……」


 咲は痛々しい笑顔で皆に応えた。





(ごめんね、ごめんね、トオル君。辛いよね、辛いよね、もうちょっとの辛抱だよ……)


 家に帰った咲はPCに映し出された学校の裏掲示板を見つめる。

 そこには様々な学校の噂と共に、『北川トオル』と言うスレッドが立っている。内容は先にもあったような『彼が咲に酷いことをした』といったものだ。咲が笑みを浮かべなら言う。



「ごめんね、トオル君。でももうちょっとであなたは私のものになるの。もうちょっと我慢してね……」




『トオル孤立作戦』


 それが咲が最終作戦として選択したものであった。

 まずメールや掲示板に匿名でトオルの悪口を書き込む。被害者は自分。具体的なことはあえて一切書かず、抽象的に『酷いことをしている』とだけ記す。クラスや学校でも支持者が多い咲にはすぐに味方がつき、トオルに対する風が強くなる。


 予定通り彼はあっという間に孤立した。




「トオル君……」


 学校の教室。

 ひとり座っていたトオルに咲が声をかける。



(私が、癒してあげる……)


 そして孤立し落ち込んだトオルに、幼馴染みである咲が優しく接する。どんな状況になろうとトオルの味方をする咲に、彼は心奪われ一瞬で落ちるはず。

 咲はクリスマスに向けて、自分以外のことを一切考えない過激な作戦に出ていた。トオルが暗い顔をして答える。



「咲……、今は俺と話さない方がいい。何か色々誤解されているみたいだし……」


 そう言ってトオルはふらっと立ち上がるとひとり教室を出て行った。そんなふたりに向けられる奇異の目。クリスマスを控え、教室は突如巻き起こった新たな騒動に誰もが無関心ではいられなかった。




(もう少し待つのよ。もう少し。トオル君の心が沈み込むまで。私が、救ってあげるから……)


 咲は手のひらで転がる大好きなトオルを見て慈悲の笑みを送る。

 自分が彼を支配し、思い通りにさせる。クリスマスを前に咲の作戦はここまでは順調であった。しかしあることから歯車がずれ始める。






「咲さん、俺と付き合って欲しい!!」


 体育の授業が終わったお昼過ぎ、他のクラスの男子数名に呼ばれやって来た体育館裏。告白にはお決まりの場所であり、モテる咲にはその行動も予想できた。

 告白したのは別のクラスのイケメン男子。

 学年一のモテ男であり、二年生ながらバスケ部でレギュラーを務めるスポーツもできる男。真面目そうな黒髪に甘いマスク。高身長に優しい声。モテない方が不思議なくらいの逸材である。


 彼の友人、そして咲の取り巻きもその様子を陰から見守った。

 誰にも落ちなかった咲。唯一その例外が幼馴染みであるトオル。ただその幼馴染みが『酷いことをした』と言う噂が流れ、この目の前のイケメンも今がチャンスと踏んで告白にやって来ていた。



「ごめんなさい。じゃあ」


 トオル以外の男に全く興味のない咲。いつも通りに彼の求愛を断ると背を向けて歩き出す。イケメンが言う。



「さ、咲さん。どうして? 僕のどこが……」


 学年一のイケメンが泣きそうな顔になって尋ねる。咲がちらりと見てから答える。


「興味ないの。ごめんね」


 そう言ってそのまま咲は立ち去って行った。



「嘘だ……」


 両膝を地面につきがっくりするイケメン。目にはうっすらと涙が溜まっている。




(何あれ……)


 その様子を咲と同じクラスのとある女生徒が見ていた。彼女は握りしめた拳に力を入れ思う。



(何なの、あれ。許せない……)


 彼女はそのイケメンの大ファンで、違うクラスながらも密かに恋心を抱いていた。そしてその大好きな彼を簡単に、無様に振る咲に対して怒りがふつふつと湧き上がる。



(宮崎咲、調子に乗るなよ。天才だか美少女だか知らないけど、私が潰す!!)


 クラスでもカースト上位にいる彼女。

 のちに得意だったバスケでも精彩を欠くようになるイケメンを見て、その憎しみを咲にぶつけるようになる。




『宮崎咲の自作自演だった』


 女は掲示板での咲への反撃を開始した。そしてカースト上位と言う立場を利用し取り巻きへの洗脳、下の者への同意の強制など怒りをエネルギーとした咲への攻撃を続ける。

 普段は香織ぐらいしか付き合いのいない咲。支持する者こそ多かったが、カート上位の幹部たちによる『咲締め付け令』には関わらぬよう距離を置くようになっていた。



「私は何もしていない!!」


 咲も掲示板で必死に弁解を試みるが、怒りに狂った女の取り巻き達によってすぐに数の力で抹殺される。




 ――策士策に溺れる


 咲はようやく自分が行った最も下らない作戦に気付き、反省するようになった。対照的にトオルの周りにはこれまで避けていた人たちが戻りつつあった。



「北川、悪かったな」


 これまで通りにトオルに接近してくるクラスメート。しかし彼にとってそんなことはどうでも良かった。



(咲……)


 トオルは教室の一番後ろの席でひとり寂しく座る咲の姿を見て、辛い気持ちになった。トオルはゆっくり立ち上がり、彼女の方へと歩き出した。

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