11.変態咲ちゃん。

「俺の部屋に行って着替えを持って来てほしい」


 咲はトオルに言われた言葉に赤面し、ぼうっとしていた。



(私が、トオル君の部屋に行き、着替えをを用意して……)


 そして浮かぶあの言葉。



 ――お嫁さんじゃん!!


 トオルがポケットの中から家の鍵を取り出しテーブルの上に置く。


「これ鍵な。俺の部屋知ってるだろ? 入ってすぐにあるクローゼットの中に全部入ってるから適当に持って来てくれ」


 少しだけ落ち着きを取り戻した咲が尋ねる。



「トオル君、私が行っちゃっていいの……?」


「なんで?」


 意味が分からないトオルが不思議そうに言う。咲が恥ずかしそうに言う。



「いや、だって私、女の子だし。その……、着替えって、下着とかもあるでしょ……」


 もぞもぞと最後は小声になって言う咲にトオルが答える。


「え? 幼なじみだろ? いいじゃんそんなの」



(え?)


 逆に『え?』である。

 子供の頃ならいざ知らず、これだけ成長して体はお互い大人になった今、『幼なじみ』で済まされないことはたくさんあるはず。


(トオル君はどこかねじが一本抜けちゃっているところがあるわよね……)


 そう思いつつも、咲にとってもう何年も訪れていないトオルの部屋に行ってみたいという欲望の方が強く働く。



「分かったわ。着替え取って来る。お風呂はすぐに沸くから音が鳴ったら入っててね」


「ああ、悪いな」


 そう言ってトオルは手にしたタオルでズボンを拭き始める。

 咲はすぐに風呂を沸かし、その足で玄関へと向かい隣にあるトオルの家へと足を運んだ。




(随分久しぶりだなあ、トオル君の家……)


 隣にあり毎日目にするその家。

 子供の頃はそれこそ毎日のように通っていた家だが、成長し、咲がトオルのことを異性だと意識するようになってからは自然と足が遠のくようになっていた。

 だが決して興味が無い訳ではない。無意識でも好きだと思っていた相手の家。数年ぶりに訪れる彼の部屋に、咲はさながら小さな冒険心のようなものを感じていた。




 カチャ


 鍵を開けドアを開いて中に入る。


(この匂い、変わらないわ……)


 鼻につく昔懐かしい香り。

 子供の頃自分の家のように毎日嗅いでいた匂い。まるで長年帰宅していない実家に帰って来たような気持になる。



「さて、それよりも……」


 咲は慣れた感じで二階にあるトオルの部屋へと階段を上がる。



 カチャ


 ドアを開け、暗かった部屋の電気をつける。

 一瞬で蛍光灯の明かりが暗かった室内を明るく照らし出す。



「意外ときれいにしているんだね」


 整然と整理された部屋。

 青いシーツのベッドにマンガや小説などが入った書棚。机の上には教科書が数冊置かれている。もっと汚い部屋をイメージしていた咲にとって小綺麗なトオルの部屋は意外なものであった。



「ああ、トオル君の匂いがする……」


 咲は全身に感じるトオル臭に浸り、体の奥から幸せの波が押し寄せてくる。ダメと思いながらも置いてあったベッドのシーツに顔を擦り付け匂いを嗅ぐ。


「トオル君の匂いだ……」


 咲は枕を抱きしめ何度も顔を擦り付ける。



「そうだわ」


 咲は悪いと思いつつも自分の髪の毛を一本抜き、トオルの枕のチャックを開けその中に入れ込む。



(これで私は毎晩トオル君に抱かれて眠るわけ。くくくっ……)


 もはや犯罪まがいの行為も平然と行うようになった咲。悪いことをしているという背徳感が更に彼女を興奮させる。枕を戻すとそのまま何のためらいもなくトオルの布団の中へと潜り込んだ。



「ああ、なんかトオル君に抱かれているみたい……」


 トオルの匂いが染みついた布団。

 それに包まることでまるで彼に抱かれているかのような感覚になる。咲はあまりの幸せに暫く布団から動けなくなった。



(幸せ、幸せ、ああ、幸せだわ……)


 思う存分自分の匂いをトオルの布団に擦り付けた咲は、ようやく本来の目的である着替えをとりに来たことを思い出す。




「そう言えば着替えは……」


 名残惜しさを感じつつも布団を出た咲が、部屋にあるクローゼットへ向かう。ドアを開け、中にある衣装ケースの引き出しに手をかける。



(何かとってもいけないものを探している気持ちだわ……)


 男の子の部屋を漁る。

 咲は新たな興奮に包まれていた。



(え、えっちな本とか出て来たらどうしよう?? それとも私の写真とか出て来たら、なんてトオル君に言えばいいのかしら!!??)


 有り得ない妄想ばかりして興奮する咲。そして衣装ケースを引き出す。



(……ない、わね)


 目的の着替えはあった。

 しかし自分の写真がないことに咲は深い悲しみに包まれる。


(どうして私の写真がないの!? 男の子って、こういうところに好きな女の子の写真とか隠してるんじゃないの!!??)


 もう誰にも止められない咲の妄想。暴走した歯車が、トオルの部屋という燃料を得て激しく回り始める。



(そ、そうだわ。私の下着を一緒に入れておこうかしら? 下着は下着同士仲良くしなくちゃね。それなら違和感ない)


 そう言って咲は履いている下着に手をかける。



「……」


 そして止まる手。考え直す。



(や、やっぱりそれは良くないか。うぶなトオル君はきっと洗濯していない私の下着の匂いを嗅いだら卒倒しちゃうよね)


 寸でのところで犯罪行為が止められる。



(せめて……)


 咲はきちんと並べられたトオルの下着を取り出し、鼻に当て匂いを嗅ぎ始める。



「ああ、トオル君……」


 そしてそのすべてを取り出し匂いを嗅ぎ、顔に擦り付ける。



「トオル君、好き……」


 咲は心底トオルの部屋を満喫してから、名残惜しそうに部屋を出た。





 カチャ


 自分の家に戻った咲は、顔を背けながら浴室前の脱衣場のドアをゆっくりと開けた。そして中でお風呂に入っているだろうトオルに声を掛ける。


「ト、トオル君。着替え持って来たからここに置いておくね」


 見たい欲望を抑え、顔を逸らして言う。



(ん?)


 返事がない。

 気がつけば浴室の明かりも消えている。



「あれ?」


 少しだけ感じる湿気を伴った空気。暗い脱衣所だが少し前まだ間違いなく誰かがいたことが分かる。



(あれ? もう出ちゃったのかしら?)


 そう思っていた咲の後ろから声が掛かった。



「あ、咲。どこ行ってたんだよ?」



(え?)


 そう言って振り返った咲の目に、腰にタオル一枚巻いて仁王立ちするトオルの姿が映った。



(えっ、え、えええええええええっ!!!???)


 ほぼ全裸のトオル。

 意外と筋肉質で無駄な肉がない均整の取れた体。少しだけ石鹸のいい香りがするトオルが近付きながら咲に言う。



「どこ行っちゃったのかと思って探したんだぞ。それ、着替え? ありがとな」


 そう言ってトオルは咲の目の前までやって来て手にしていた着替えを受け取る。

 生暖かく、いい香りのする空気が咲を包み込む。半分濡れた髪、お風呂を出たての男がこんなに色っぽいものだと咲は初めて知った。



「あ、ああ、うん……」


 嬉しさでぼうっとする咲を横に、トオルはバスタオル一枚で着替えを持って脱衣所に入って行く。ドアが閉められると、咲はへなへなとその場に座り込んでしまった。



(いい、いいわ。いいわ、いい!!! もうすべてがいいの!!!)


 目で、鼻で、そのすべてでトオルを感じ幸せの絶頂となる咲。



(トオル君は私のもの。そう、私だけのもの……)


 咲の心にこれまでにないほどの強いトオルへの独占欲が形成され始める。そしてこれが後に心から後悔するへと繋がっていくこととなる。

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