8.咲ちゃん、涙する!!

(よし、誰もいないわね)


 文化祭も終わり、一段と冬の気配が強くなった11月上旬の早朝。

 咲は玄関の近くに誰もいないことを確認してからひとり、学校へ向かった。



「寒くなったわね……」


 文化祭中は生徒会会長として忙しくてほとんどトオルに会っていなかったのだが、文化祭終了後も咲は彼を避けるように生活をしていた。



『距離置きます作戦』


 咲が新たに発動した『幼馴染み攻略作戦』。

 内容はいつも一緒に居たふたりが急に長い時間会えなくなることで、相手の大切さに気付き恋しくさせる戦法。文化祭のトオルと一宮との熱い共演を見た咲は迷わずこの作戦を採用した。



(もう結構長い時間ちゃんと会っていないよな、トオル君と……)


 クラスは同じでも席は遠い場所。

 教室内ではこれまでもほとんど会話はしないし、お昼だって一緒に食べたことはない。



(私、幼馴染みでしょ!! どうしてちっとも誘ってくれないのよ!!)


 幼馴染みからの卒業を目指し、そして今は意図的に距離を取っているはずなのに咲は矛盾した怒りを抱える。

 部活の朝練などで早朝から開いている学校。咲はいつも通り誰もいない教室にやって来てひとり自分の席に座り読書を始める。



(トオル君……)


 咲はまだ冷える誰もいない教室の、主のいない幼馴染みの席を見つめる。

 小さな頃から見続けて来たその背中。いつの間にか自分よりも大きくなって見上げるようになっていた。



(トオル君、私、寂しいよ……)


 咲が開いていた本の上にぽたりと涙が一粒こぼれた。






「咲、ねえ、咲ってば」


 咲の友人、江藤香織は電車の中でぼうっとする咲に向かって声をかけた。


「え、ああ、香織……」


「香織、じゃないでしょ。どうしたのぼうっとして? もうすぐ着くよ」


「うん……」


 休日、ふたりは高校の全国模試を受けるために電車で移動していた。来年は高校三年。受験を控え否が応でも受験のムードが高まって来る。



(トオル君……)


 幼馴染みのトオルとほとんど会話をしなくなって数週間。最初は一向に連絡がない彼に怒りを感じていた咲だったが、最近は怒りではなく深い悲しみが彼女を覆うようになっていた。



「咲、なんか最近元気ないよね。どうしたの?」


「うん……」


 香織の言葉も意味を成して頭に入って来ない。

 食欲はなくなり夜は眠れず、ここ最近みるみる体重が減って来ていた。外見でも分かる変化に香織は友人として心配していた。咲が答える。



「大丈夫。私が決めた事だから……」


「??」


 もはやうまく会話も成り立たない。香織は友人の体調を心から心配した。




「始めっ」


 模試は予定通り開始された。

 静まり返る受験会場。多くの学生たちが未来の自分の為に必死に問題に挑む。



(トオル君。どこにいるの……)


 目も虚ろな咲。

 問題をちらっと見るだけで自然と手が勝手に問題を解いていくが、それはいつもの自信あふれる咲とはまるで別ものであった。



「はい、終了」


 気がつけばすべての科目の試験が終わっていた。

 がやがやと退室する学生たち。咲だけがいつまでも席から動こうとしない。



「もうテストは終わりましたよ。退室お願いします」


 そう係の人に促されてようやく咲が立ち上がり外へ向かって歩き出す。



「咲っ!! 大丈夫だった!?」


 咲を心配して友人の香織がやって来る。



(香織……)


 バタン!!


 急に咲がその場に倒れ込む。



「え? 咲! 咲っ!!!」


 香織は床に倒れた咲を抱き上げその名前を何度も呼んだ。





「……咲? 気が付いたか?」


 見慣れぬ天井。

 真新しい白いシーツに薬品の香り。

 

 咲が目を開けると、そこには心配そうな表情で自分を見つめる両親の姿があった。同時にここが病院だと気付いた。



「パパ、ママ……」


 医師である咲の両親。

 娘が倒れ救急車で運ばれたと知り、急遽病院へ駆け付けてくれた。



「咲ぃ、大丈夫なの??」


 その横には友人の香織の姿もある。咲が答える。



「う、うん。大丈夫。少し楽になった」


 病院のベッドに横たわる咲に両親が言う。



「過度の疲労と栄養失調だそうだ。点滴も打ったし大丈夫だと思うが、何かあったのかい?」


 父親が優しい口調で尋ねる。咲は目を閉じ首を左右に振って答える。


「ううん、何でもない。大丈夫。ごめんなさい、心配かけて」


 母親が申し訳なさそうな顔で言う。



「ごめんね、咲ちゃん。私達があまりかまってあげれなくて……」


「違うよ、ママ。悪いのは私なんだから……」


 トオルと距離を取る作戦。

 そのせいで逆に咲が寂しくなり、食事も喉を通らず夜も眠れない。そんな娘の状態に気付かない両親にも非はあったのだが、咲自身やはり自分を責めていた。




「咲っ!!!」


 その時、病室のドアが勢いよく開かれた。



「えっ!? トオル君!?」


 そこに現れたのは幼馴染みの北川トオル。

 咲が会いたくて会いたくてならなかった幼馴染み。驚く咲に母親が耳元で小さく言った。



「ずっと寝言でトオル君の名前呼んでいたから、呼んでおいたのよ」



(ええっ!?)


 眠っている間、咲は小さな声で何度もトオルの名前を口にしていた。咲は恥ずかしさのあまりシーツを半分顔にかけて彼を見つめる。トオルがベッドの傍に来て言う。



「咲、大丈夫なのか!!!」


「えっ、え、ええ、うん……」


 心の準備ができないまま尋ねられる咲。曖昧な返事で返す。咲の母親が言う。



「ごめんね、トオル君。わざわざ来て貰って」


「いいんです、おばさん。それより咲は大丈夫なんですか?」


 両親はトオルに咲の説明をする。安心したトオルが先に言う。



「そうか、それは良かった。咲、最近忙しかったんだろ?」


 ずっとまともに話をしていないふたり。

 トオルは咲が文化祭やその他勉強で忙しいと知っていた。



「じゃあ、私、帰るね」


 そう言って立ち上がった香織に咲が言う。


「え、香織? どうして……」


 香織はトオルの顔をちらりと見て咲にウィンクして言う。



「私の役目はここで終わり。じゃあ、北川君、後は頼んだよ」


 そう言ってトオルの肩を叩く香織。


「え? あ、ああ……」


 トオルもそれに頷いて答える。咲の両親も立ち上がって言う。



「我々もそろそろ行くよ。トオル君、後は頼んだから」


「え? あ、はい。おじさん」


 トオルは病室を出るふたりに頭を下げて見送った。





(咲……)


 トオルはベッドの横に置かれた丸椅子に腰かけて言った。


「最近、痩せたよな。無理してたんか?」



「……」


 無言の咲。

 ベッドに半身起こしたまま頬がこけた顔に手をやる。


「俺で何か力になれることがあれば言ってくれ。何でもやるから」



(違うの……、そうじゃないの。私が悪いの、私が馬鹿なことを考えて……)


 咲の目に涙が溜まる。

 それを見たトオルが慌てて言う。



「さ、咲!? 大丈夫か?」


「ううっ、う、ううっ……」


 咲が両手を目に当ててボロボロと涙を流す。



「咲……」


 トオルは咲のベットに座り、ひとり震えてむせび泣く先を優しく抱きしめる。


「大丈夫だ。何も心配しなくても大丈夫。大丈夫……」


 トオルは咲の頭を優しく撫でながらそう声をかける。



(こんなに小さいんだ、咲って……)


 頭がよく何でもできる咲。

 完璧な幼馴染みの咲だが、彼女もひとりの女の子。肩を震わせて涙を流す咲をトオルが黙って抱きしめる。咲が涙声でトオルに言う。



「ごめんね、ごめんね、トオル君……、私が悪いの……」


「うん」


 トオルはそれに頷いて答える。咲が言う。



「私がね、私が……」



「なあ、咲」


 トオルは咲の言葉を遮るように言う。



「今度元気になってからでいいから、また飯作ってくれないか。昔みたいに」


「え?」


 涙顔の咲が顔を上げてトオルを見つめる。



「咲のご飯がまた食べたくなってさ。あ、元気になってからでいいから」


 家事も完璧にこなす咲。

 小学生の頃から不在気味だった両親に代わり料理も自分で作っていた。小学生、そして中学生になったトオルが『ハラ減った』と言って咲の家に行き一緒に食べていたのもつい最近のこと。高校に入ってからはなくなった昔の光景。咲が思い出したように言う。



「一緒に、ご飯……?」


 目を真っ赤にして尋ねる咲にトオルが答える。


「ああ、咲の作ったご飯がまた食べたい」



 ――私のご飯が、食べたい。


 止まりかけていた咲の目に再び涙が溢れる。



「ごめんね。うん、いいよ。一緒に食べよ。私、ご飯いっぱい作るから。う、ううっ……」


 咲はトオルの胸に抱かれて、止まらぬ涙を流した。

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