7.咲ちゃん、大失態!?

 その日の夜、咲はひとり静かな家で食事をとっていた。

 両親が医師の彼女。ひとりでの毎晩の食事も寂しさはあるが慣れている。特に今日はそんなことを感じる暇もないぐらい、トオルのことを想いドキドキが止まらなかった。



(ふふっ、トオル君はやっぱり私のことをとして見ていた訳ね)


 咲はトオルが『女として見ている』といった言葉が嬉しすぎて頭から離れない。そして食器棚のガラスに映った自分の顔を見て思う。



(そりゃこんなに可愛いんだもん。絶対女として意識するわよね!)


「むふふふっ……」


 ニタニタと不気味な笑みを浮かべながらご飯を食べる咲。食事を終えるとすぐに自分の部屋へと向かった。




「さて……」


 咲は部屋に置かれた全身鏡を見つめながら言う。



「明日はラブコメ採用率8割【※咲調べ】を超える『あの作戦』を実行するわ! 絶対失敗は許されない。さあ、練習よ!!」


 咲は鏡を見ながらその作戦を想像し、ひとり顔を真っ赤に染めた。





「お、おはよ。トオル君」


 翌朝、家の前で待っていてくれたトオルに咲がぎこちない声で挨拶する。トオルはポケットに手を入れながら寒そうな声で答える。


「おはよ。じゃ、行くか」


 そう言ってひとり歩き出すトオル。咲は心臓がバクバク鳴るのを隠しながらその後を歩く。



(だ、だめだわ。緊張して来た。昨夜あれだけ練習したのに……)


 前を歩くトオルの後姿を見て心臓の鳴る音がどんどんと大きくなっていく。



『転倒胸鷲づかみ作戦』


 古来より多くのラブコメに採用されてきたこのアクシデント。男女どちらかが転び、それに巻き込まれた相手と一緒に倒れ、ヒロインの胸を鷲掴みにするという何ともおいしいアクシデント。

 咲は恥ずかしいとは思いながらも成功した『お色気作戦』同様、この作戦も上手く行くと確信していた。



(ト、トオル君に触られるなんて……)


 これまで誰にも触らせたことのない胸。大きくはないがその禁忌に触れるような行為に咲の心臓は激しく鼓動する。

 昨晩何度も鏡の前で転び、トオルの手を自然に掴んで自分の胸に押し当てる練習をした咲。イメージトレーニングは完璧である。



(さ、さあ、あとは実戦のみ!!!!)


 咲が気合を入れて前を歩くトオルに声を掛ける。



「ト、トオル君」


 そう言って彼に近付く咲。相手が振り向いたところで咲が滑り、後ろに倒れ、慌てて手を出したトオルを引っ張って一緒に倒れる。……はずだった。




「え?」


 咲は前に出した足先がもつれ、逆にトオルの方へと倒れて行く。


「ん!?」


 振り返ろうとしたトオルが自分の方へ倒れて来る咲に驚き、声を上げる。



「咲っ!?」


 しかし振りむいている途中に咲が倒れてきたので、不安定な状態のトオルにそれを支える余裕はない。



「わっ!!」

「きゃっ!!」


 ドン!!!



 倒れた。

 ふたり一緒に倒れた。


 それは良かった。作戦通り。

 しかし咲はその作戦通りではなかった『ある事』に気付いて顔面蒼白になる。



(えっ、え、え……、私の手、何かを掴んで……)



「!!!!!」


 咲は倒れたと同時に、トオルの『股間』を鷲掴みにしていた。



(えええーーーーーーーっ!!!! わ、私、一体何を掴んでっ!!??)


 転倒のアクシデントに、予想もつかない自分の行動に頭がパニックになる咲。温かくて柔らかい。その触れたことのない物に触れて咲の頭が真っ白になる。



「いってえ……、おい、咲、大丈夫か……、ってお前どこ触ってんだよ!!」


 仰向けのトオルが自分の上に倒れて、股間を掴んで固まっている咲に言う。



「きゃっ、きゃ、きゃあああああああ!!!!!!」



 咲が飛び跳ねるように起き上がり両手を口に当てて絶叫する。


(な、な、な、何やってるのよ、私ィィィィ!!! こともあろうに、私が掴んじゃうとは。それも、股間って!!!!)


 顔面蒼白で立ち尽くす咲。同じく起き上がったトオルが声をかける。



「おい、大丈夫か。咲?」


 トオルが青い顔をしてぼうっとしている咲を心配する。



「こ、かん……」


 もうその事しか頭にない咲は突然視界に入ったトオルを見て、先程の生暖かく柔らかい感触を思い出す。



「い、いや、私ぃ、が触るんじゃなくて、トオル君が触って……」


 トオルが呆れた顔で言う。



「何言ってんだよ。そんなことどうでもいいよ。それより怪我はなかったか?」


「え? 怪我? あ、うん、大丈夫……」


 心配してくれたトオルの言葉で少しずつ落ち着きを取り戻す咲。トオルが言う。



「全くお前は頭いいくせに、昔から時々おっちょこちょいなんだよな。まあ、そう言うところはいいんだが。さ、行くぞ」


 トオルは再びポケットに手を入れて学校へ歩き出す。



(え? ……)


 作戦は全く失敗に終わったのに、なぜか聞くことのできた『可愛い』の言葉。まったくその意味が分からない咲がひとり妄想する。



(胸を触らせてあげられなかったのに、可愛いって……。もしかしてトオル君、股間をのが好きとか……?)


 咲はふたりだけの密室で恥ずかしがるトオルの股間を触る自分を想像する。



(ど、どうしよう、そんな趣味!? で、でもトオル君が触って欲しいなら、少しだけなら……)



「おーい、咲っ!!」



 妄想する咲に前を歩いていたトオルが声をかける。


(えっ、何? ここっ!? ここで触って欲しいって言うの!!??)


 落ち着いていた咲の顔が一瞬で真っ赤になる。トオルが言う。



「早くーっ!! 何やってんだよ」



「えっ、え、あ、あ……」


 動揺する咲。しかし気持ちを固める。



(し、仕方ないわ!! トオル君が求めるなら、それくらい私が……)


 咲は沸騰したやかんの様に蒸気を顔から出しながらトオルに向かって歩いて行く。


その後、『早く行くぞ』と言いたかったトオルに訳の分からないことをしようとして、当然ながらみっちりとお叱りを受けた。






 10月下旬。トオルと咲の高校で文化祭が行われた。

 生徒会会長を務める咲はこの時期文化祭関連の業務で忙しく、早朝から夕方過ぎまで運営に関する仕事を行っていた。自然と接点が少なくなるトオル。朝もここ数週間一緒に登校で来ていない。



(それなのになんでメールも電話もしてこないのよ!!)


 咲は文化祭で各組が演じる催し物を見学しながらひとり怒っていた。

 生徒会の大切な仕事である各クラスの出し物の採点。生徒会長である咲は文化祭開催中はずっと見学と採点ばかりしなければならなかった。



(えっ、あれって……!?)


 生徒会長席に座りながら咲はそのクラスの出し物を見ながら驚いた。



(トオル君……)


 それは自分のクラスの出し物。

 生徒会の仕事が忙しくあまり内容を知らなかった咲は、自分のクラスが『恋愛劇』を行っていることをここで初めて知った。



(ト、トオル君と、あれって、一宮有希……)


 あろうことかトオルが主役を務めており、その相手のヒロインはポニーテールが可愛い一宮有希であった。舞台の上で抱き合い見つめ合うふたり。今にも唇を交わしそうになる。



(なになになになに、何あれ!? 許せないっ!! トオル君、私って言う可愛い幼馴染みが居ながら……!!!)


 幼馴染みと舞台のラブシーンは全く関係がないのだが、トオルのこととなるとまったく冷静になれない咲が激怒する。



(いいわいいわ、もう怒ったわ!! 新しい次の作戦を実行する!!! 絶対後悔させてやるんだから!!!)


 咲は会長席で持っていた鉛筆をバキっとへし折ると、トオルに復讐を込めた新たな作戦の実行を決めた。

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