第4話 有常、鍛錬に励むこと
二
西行が目をさましたのは日の出前であったが、すでに有常は起きだし、星あかりの下に墨を磨り、手跡の稽古をはじめていた。
それが終ると
朝飯、それに鉢一杯の乳を呑みほすと、すぐに畑へ出て、
草を抜く。
日が高くなると例の葛野に行って弓馬の稽古をはじめ、夕方には裏庭で、千鶴丸の弓矢の稽古を見てやる。
翌日には泥田に入り、卑賤の者に入り混じり、ふんどし一丁、全身泥にまみれながら、台風に破壊された水路の、修繕作業に携わっている。
頬に十字傷のある鬼のように恐ろしげな親方が采配をふるっている。
気も言葉も荒い人足たちのなかにあっても、有常はたわいのない冗談を交わしながら、汗水垂らして力仕事に励んでいる。
作業は夕暮れまでつづいた。
「いつもこのようなことを?」
「いえ、こんな作業はたまにしかありません。人数が足りないときは、手伝いにゆくのです」
「あのような荒々しい連中に紛れてのぅ」
「私も最初は、おそろしい、鬼のような者たちかと思いました。すぐにケンカ腰になるし、すこぶる口も悪い。しかしつきあってみれば、
有常は笑いながら言った。
「農作もやりなさるとはのう」
「ええ、大おじ上の言いつけで……。田畑のことを知っておくべきだと……それに、体を鍛えるもとになりますし、自分で作った野菜は、格別においしうございます」
にっこりと笑った有常に、西行は感心し、おもしろく思った。
(体ばかりでなく、心も鍛えられような)
罪人という名目上、前後には
その道の途中、里の女たちの一団に出くわした。
「あ、みお」
有常は手巾を返そうとしたが、ふと、動きを止めた。
すぐ近くに、みおの祖母がいたからだ。
こっそりとまばたきで合図したみおに、有常も視線を返し、ふたりは知らぬ風で通りすぎた。
そんなふたりの様子を見て、西行はおもしろそうに尋ねた。
「なぜ知らぬふりを?」
有常はすこしばかり憂い顔になって、説明した。
「みおは父親を先の治承の戦で亡くしました。私と同じです。それで似たものどうし、惹かれあって、互いを好きあうようになりました。でも、みおの家の者たちは、私とみおが会うのが気に入らないのです。わからなくもありません。私は罪人なのですから……」
「そういうことであったか。さてさて、どうしたものか……」
わがことのように腕組みした西行に、有常はあわてて、悩みなどないとばかりに明るいふうを装った。
「いいのです。みおと仲良くなる必要なんか、ないんです。
西行は、じっと、有常を見つめた。
「しかし和殿、みおのこと、好きなのであろう?」
「……」
有常は黙り込んだ。
「人生は短いぞ。恋に遠慮なぞ、後悔の種じゃ。あの鹿を見てもみよ。思いもまっすぐに妻を呼ばわっておる」
緑の野辺には、気の早い牡鹿が草を蹴り、恋の相手を追っていた。
常に恋するは
空には
野辺には山鳥、秋は
流れの
西行はおどけたように
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