第8話 魔女と学校と七不思議

 今日の夕焼けは妙に眩しく、目の前の“アリエナイ”存在を幻影のように錯覚させる。

 市立田上中学校。田舎も田舎、過疎も過疎、ひと学年にひとクラスの我が校の臨時一年生教室にて、十二人の在籍する我々生徒は、僕を含めて“アリエナイ”存在の言葉を傾聴するほかなかった。


「……さて、みなさん。魔女裁判の時間です。始めましょうか」


 一匹の黒猫は、十人の生徒を前に教団の上に座り、魔女裁判の開廷を宣告した。

 以後、黒猫は語る。事件の全貌と、犯人の正体を。滔々と、飄々と、訳もなく。

 人の心などないのだろう。当たり前か、猫なのだから。しかし、むかし興味本位で手に取ったミステリー小説のネタバラシのような爽快感など微塵もなく、埋め尽くさんばかりの怒号と嗚咽は、なるほど、魔女裁判とはかくあるべきだと思わされる。

 さて、さてさて、魔女は誰なのだろうか。

 拍動の高鳴りが僕を急かしてくる。

 それは夕暮れごろ、校庭の隅にあるプールが濁り始める十月三十一日の出来事である。


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 日がな一日、茶の間の座椅子にのっかる座布団でうたた寝を決め込んでいた私だったのだが、ふと、強烈な身体的不快感を覚える。

 身体的不快感、というと、それはもう、これまでに味わったことのない不快感であり、それは“異質”と言い換えても良い。「……う、うぅ」と漏れ出る咽びも歪んだ声帯から出ているようだ。それに、全身バケツをひっくり返したかのような濡れた感覚で、、、

 

「……なんじゃあ、これ?」


 なにがどうして確実に“変”である。その証左と言わんばかりに、ドアの合間からひょっこりひっそりとこちらを覗く魔女の姿が。魔女はニマニマと頬を緩ませ、さも(……うまくいった、うまくいった)と言わんばかりにほくそ笑んでいる。アリスめ、また妙なイタズラをしやがったな、と睥睨してみせるも、それすらも勝手が違うような気がする。なんと言い表せばいいのか。まるで、自分の身体の規格が異なっているかのような、、、

 ……身体、そうだ、身体だ。

 私は寝床の座布団から這いずり、立て掛けの鏡の前に自分を視認する。


「……なんじゃ、……なんじゃあ、こりゃぁ」


 寝起きの一言、開口一番ってのは、疑問とか喫驚であってはいいはずがないのだが。

 磨かれた鏡には、困ったように眉を寄せてこちらを伺う“誰か”の姿があった。少なくとも、自分ではない、自分のわけがない、その確信だけはあった。

 その“誰か”の容姿は、まるで墨汁を垂らしたかのような黒目、黒髪。

 私は鏡に映る“誰か”の眼を、まるで“猫眼”のようだ、なんて思った。本当に機微に富んだ皮肉なことだ。それはもう、心までもが私を猫として認識していないような物言いなのだから。


「……なんで私、“人間”の女の子みたいな容姿になってるの?」


 毛むくじゃらの前脚が見る影なくしなやかな手になっているのだから、鏡の自分が四つ足なのはひどく滑稽に見えた。

 観賞用に植えているポトスの蔓と背比べすればとんとんだろう体躯であることから推察するに、人間の尺度で換算すれば魔女と同じぐらい、思春期真っ盛りの中学生といったところか。元が猫なのだから、当然に衣類を身につけているわけもなく。おかげでズボラで淫らで無頓着な人間のように鏡が映し出す様はいささか癪だったが、まずは今し方、私の怒気を機敏に察知し、扉越しに身を隠した人影の主に物申さなくてはなるまい。

 不審者や変質者が我が家に不法侵入でもしていない限り、二人暮らしの家庭なのだ。あの人影は彼女の他にいまい。


「……アリス、話があります。そこに座りなさい」


 私は不慣れな指先をどうにか操り、ぽんぽん、とさっきまでいびきをかいていた座布団を叩く。

 

「……アリスは現在留守にしております。ぴーっという音に続けて、ご用件と怒らないことの約束をどうぞ」


「……怒られることをわかっているのか。……はぁ。ダメです。正座です。さっさとそこに座りなさい。どうせ100%のボルテージで叱られるか、逃げたことを加算された120%で叱られるかの違いなのです。素直に投降しなさい。私の激おこメーターがぴーっと鳴り出さないうちに」


 ビクッと肩を振るわせる魔女であったが、咄嗟のリスク計算の結果、げんなりした顔で私の指定した座椅子に正座することを選んだ。

 さて、この娘は確信犯である。どこから叱ればいいのやら。しかし、私も鬼ではない。猫である。何故か人間のなりをしているが。弁明と謝罪次第では斟酌してやるくらいの度量を見せてやろう、と魔女が自供するのを待っていると、、、


「え、えー、なになに?あれあれー?テ、テレスー、どうして女の子の身体になっているのー??」


 こいつ、しらばっくれやがった。


「……だったらなんで初見で黒猫の姿ではない私がテレスだってわかるの。私、まだ名乗ってないんですけど」


 ……うっ、と声を詰まらせる魔女。私が検察官ないし警察官ならば、これほど自供のさせがいのある犯人もそういまい。だが、残念。私は被害者だ。だから反省の色のない加害者相手に情け容赦もしないし、司法取引でちょっぴり刑を優しくしてやる気もさらさらない。示談などもってのほかである。

 徹底追求、徹底解明、徹底懲罰、被害者の特権である。


「……アリス、また勝手に薬を作ったね。やめろ、って言わなかったっけ」


「……違うもん。テレスが思っているようなものじゃないもん」


 頰を膨らませ、ぶーたれる魔女。年相応の可愛げがあることは結構だが、可愛けりゃ許されると思われるのも癪だし教育上良くない。

 抗議の視線を送ってこられる以上、私からも粛々とした態度で問い返す。

 

「……で、何が違うの?」


「……いろいろと違うもん。だって今度のは、その、危なくないやつだし。実験だって、試飲だって、譲渡だって人間相手には使っていないし。あ、でも、安全性のテストはちゃんとクリアしてあるから、そこは、……ほんと、大丈夫なやつだから。……だって、寂しかったんだもん。私、一人、中学生だなんて」


 中学生。義務教育課程における後半の学生身分。今年の春から魔女は近隣の私立中学校に通っている。

 魔女の出自の関係上、彼女の戸籍云々は怪しいところであった。加えて小学生時分はついつい絆され甘やかして義務教育の機会を放棄してしまっていたが、彼女の情操教育上、学校機関を挟むことの重要さは理解せざるを得なかった。手続きは知人の頼みを断れないお医者様の手を借りた経緯があるのだが、割愛するとして。ともかく、他の子供達と比肩するまでもなく、魔女にとって教育機関に在籍することには価値があるように思えた。

 それは偏に、人間的な善悪の感覚の育成である。


「……薬草の危険性について、まだお説教が足りなかったのかな」


「……だから、危なくないやつで――――――」


「……危ないかどうかの判断を勝手にするな、と言っているの」


 自分の抗議の途中に水を注されより不満顔を露わにする魔女。彼女も早いもので中学生、分別も以前よりかはついているのだろう。もっとも、その分別は物事の良し悪しというより、私に怒られるか否かのさじ加減のようにも思えるが。

 麻薬軟膏の事件以降、事実だけを伏せ、薬草の危険性を魔女に伝え続けている。

 伝えている、というには、伝わっていないのかもしれない。ただ頭ごなしに叱っているだけなのだから。

 私自身、人間尺度の善悪の指標を言語化できるほど、“正義”を知っていない。

 

「……テレスの意地悪。私は、ただ、テレスと一緒に学校に行きたいだけなのに」


 しかし、それでも魔女が“魔女”でいるままでは、いずれ現代的な磔刑に処せられてしまう。

 魔女は、“魔女”として、社会の倫理と道理を基に謗られ、裁かれ、そして殺されてしまう。

 このまま、というわけにはいかない。


「……一人で学校に行くのが寂しくって、心細かったから、だから私を人間の身体にしてしまえって思ったの?」


「……うん。……ほんとのほんとに、危ない原料とか手順は使ってない。昔、お母さんの使っていた工房でね、本も参考にしながらテレスを人間にする薬を作ったの。原料は裏山の野草。……だって、教室のみんな、よくわかんないんだもん。ときおり怖いし、すごく、息苦しいし。何考えているのか、わかんない」


 理解の壁。世間は理解することを強要する。理解に乏しいものは容赦なく罰する。

 いじめは典型だ。だが、いじめなんかよりも陰湿で、タチが悪いのが同調圧力だ。明文化されていない“空気”という絶対的な法律を読み解き、それに従わない構成員は当然の報いとして不利益を食わされる。表面的なものはともかく、日々の営みの中でそれを悪いと思う人間はごく少数だ。

 なぜならば、“みんな”、なんて呼ばれる部類の人種は大抵空気を読めるのだから。

 猫が高説を垂れ流せる立場にはないだろうが、魔女は空気を読めてないのだろう。

 その辛さは、長年の彼女の側にいる身として汲み取るに、言語化とは縁遠い類の苦しみのはずだ。


「……人間になったからって、手続きとかもいっぱいあるし。行けない、ないし、行かない、とは考えなかったの?」


「……それは、……その、」


 ほら、ほら、見たことか。唇を噛む魔女は涙目で私を睨むのだ。これじゃ、まるで私が悪者だ。

 しかし、皮肉かな、これがどうしようもなく効果的であるのだから、私もつくづく、と何度となし内省したことをまた繰り返す。

 しかし、今回ばかりは毅然とした対応をすべきなのだ。

 わかってはいる。頭では、わかってはいる、の、だが。

 ……ぐぬぬ。

 ……。

 ……はぁあ。


「……あー、もう。わかった。わかりました。……今回だけだかんね」


「……え、え!!ほんと!?」


 瞬間、しゅんとしていた態度が一転、くりっとした目を輝かせ飛び跳ねる魔女。「テレス大好き!!」と人間の身体の私に抱きつく始末だ。

 調子のいい娘だ。この手に何度も誑かされる私も大概であるが。しかし、そうなると私も素っ裸で寝坊けている場合ではない。行政手続き然り、書類然り、入り用の文房具等の調達準備然り。西田家二人目の学生なのだから慣れたものだが、節約もしないと、、、

 いや、待て、待て。それよりも前にすべきこともあるじゃないか。

 私も不肖ながら保護者。ずっと甘い言葉に転がされるわけにはいくまい。


「……ごほん。それはそうとして、アリス、貴方にはお仕置きが必要です」


「……ええー。もー、いいじゃん。水に流してくれたって」


 あいにく、水らしい水が流れていた覚えもないので、それは無理って話だ。

 それにしても、私、保護者としては些かナメられ過ぎているのではないか。このままでは私の脛はしゃぶり尽くされ甘味の染み込んだ棒っきれになるのも時間の問題である。威厳が足りないのである。威厳を集めるためには尊敬が足りない。尊敬を集めるためには決断が足りない。

 だから、まず、私は決断を下すことにする。


「……アリス、私は西田の名前を捨てます」


 これが八月下旬、つくつくぼうしが森林にこだまする、残暑を匂わせ始める時期の話です。


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 とばして九月上旬、恭しく物腰が柔らかくなる稲穂の、厳冬の蓄えを急かす時期の話です。


「さて、転入生の初登校ですね。改めまして、担任の東郷です。よろしく」


「……はい。よろしくお願いします。……改めまして、“山田“テレスです」


 山田、山田、山田……、うーむ、やはりぼやっとする。

 この『山田』は例の医者の苗字である。とはいえ山田家の養子に迎え入れられたのではなく、あくまでも戸籍では『西田テレス』で通した。

 理由を聞かれれば、これは魔女の為を思って、である。仮に私が『西田』の名で編入しようものなら、きっと魔女は親族関係をいいことに私にばかり絡んでくるだろう。結果、教育機関に放り込んだ目的が成就されるどころか、むしろ妨げになりかねない。それでは本末転倒だ。

 だから、私は魔女の赤の他人を演じることとした。

 それはもうひどい癇癪にあったが、通してみせた。

 しかし、そもそもこれは罰なのだ。私は心を鬼にして山田の姓を名乗る。


「どうです、もうすぐ始業時間ですので、歩きながら簡単な学校紹介でもしましょうか」


 私たちは冷房の効いた職員室から出て、湿りっ気のある廊下へと出る。

 二階の職員室前の廊下の窓ガラスから同じ高さで見える樹木が、暗い緑色の影を落としている。


「うちのクラスの生徒は君を加えると十二人になります。真面目な性格のもの、陽気で明るい性格もの、気弱な性格もの、無骨な性格のもの、十人十色といますが、根が悪い子はいないと思っています。だから変に肩肘を張らず、子供らしく、クラスの輪に溶け込みなさい。ホームルーム前に君の自己紹介をしてしまいましょうか」


 東郷先生は“大人”な印象の男性の教師である。

 成人年齢などとっくに過ぎているだろうから当然なのだが、改めてこう思うのは、きっと彼が“こども”の対極にあるからだろう。肉体的にも精神的にも不安定で不自由で、しかし放埒な子ども。その対義に属する彼に抱く印象は、ひどく安定的で自律している、理性の囚人のように思えた。

 別に貶そうってわけじゃない。ただ、働く大人とは楽しくなさそうだ、と思っただけだ。


「山田さん、君に一つ、担任教師からのアドバイスを送りましょう。研鑽半ばの人生ではありますが、僕の確固たる数少ない持論です」


「……その歳で持論が固まっていらっしゃるなんて羨ましい限りですね。私なら、……いえ、失礼しました。なんでしょうか」


 茶化そうとしたわけではなかったのだ。だが、話の腰を折るタイミングでもなかったから、軽口を閉じた。

 東郷先生は見上げる私を一瞥すると、もったいつけたかと思えば、次にはあっけらかんと冗談っぽく語る。


「……まあ、なんです。期待されるほど、大したことではありません。……ただ、僕のような教師にだけは、人生相談なんぞ持ちかけるもんじゃないぞ、と言いたいだけなのです」


「……それ、教師のセリフですか?」


「教師だから、ですよ。僕たちは職業柄、悪癖と換言してもいい、現在よりも将来のことばかり見据えてしまう。君達子どもの意志とは裏腹にね。特に僕の個人的な経験則に基づけば、どうにも煮え切らない思いをしてしまったこともあります。だから、なるべく、生徒個人の将来に立ち入りたくないのです。教師失格でしょうが、僕ないし教師への人生相談は、君達の個性の喜捨であると心得なさい」


 個性、個性、個性、ね、……と話半分に聞き流し「わかりました。以後の人生相談は知人にでも頼みます」と返答した。

 存外、そうした意図があったのかもしない、と思ったのは、東郷先生が思いの外「ええ、それがいいです」と私の気のない返答に真摯な肯定を示した為である。もしかすれば、我がクラスには人生に困り果てている生徒が在籍していて、教師ではない君が自分の答えで助けてやれ、とでも言いたげである。

 もしそうならば、丁重にお断りさせて頂こう。


「……東郷先生、貴方が私の個性とやらを尊重してくださるのであれば、私は私の理念と哲学に則り、人生相談になど乗りませんよ。私の知見と見聞を礎とするのであれば、人様の人生なんて肯定も否定もしてやれませんから。それに私、こう見えても“人”としての歴が浅いんです。……役者不足ってやつですよ」


 なんなら、私は“個性”という言葉が苦手だ。猫の私が、人の心に共感し得るのだ。あってないようなものだろう、と思えてしまう。

 個性、個性、個性、と“個性”を持て囃す日本社会であるが、いざ個性が芽生えようにも社会は折を見計らって個性の方向性を定めてくる。その定まった方向に個性が伸びなければ、それを社会は『異端児』、『犯罪者』、『異常者』あるいは『魔女』と蔑む。ここのどこに“個性”の肯定があるのか。


(……もっとも、その『個性』を間引かなければアリスは、……皮肉だな。個性の剪定者が私とは)


 自由と平等のエデンのために、誰にでもわかる多様性を謳うのは結構なことだ。

 だが、自由と平等を毀損する自由と平等もまた裏表にあることを忘れてはならない。

 早晩、社会は“拒絶”について深く考えなければならない。

 口当たりのいいことだけでは行き詰まる。猫でもわかる。


「……満点の答えをする生徒ですね、君は。……その調子であれば、うちの生徒とも上手くやれそうです」


「……買い被りですよ。どうやら先生は人を見る目がないようです」


 なんたって、私は人に飼われる猫なのだから。

 気が付けば、私は一階にある一年生の教室の前にいた。クラス分けはない。だから、自動的に私と魔女は同じ教室で授業を受けることとなる。

 入室後は問答無用の自己紹介タイムである。当たり障りなく済ますか、あえてウケを狙うか。魔女も見ている。不用意なことはできん。


「……仕方がない。ここは無難にウケだな。よし、脱ぐか」


 脱がねばウケは狙えぬ。日本人は笑いにシビアだからな。テレス100%、動きます。

 さていざ、教室へ。


「よし、席に着いていますね。これから転入生を紹介し――――――」


 ――――――意気込む私を背後に、東郷先生は不意に立ち止まる。

 私は先生の身体に鼻をぶつける。

 二重の意味で出鼻を挫かれる形となった私だが、何事か、と静止する東郷先生の脇の下から教室を見やった。ざわめく教室内の生徒諸君。若干一名、私の登場に鼻息を荒くする白髪の少女もいたが、今日は赤の他人のため視野から外すとして。本日初登校の私でさえ、教室の“異質”を感じ取れた。

 東郷先生はずっと黒板に視線を向けている。

 だから、私も黒板へと視線を流されたのだ。そこに特段の意味など無かった。

 しかし、結果、私の心臓は喉元まで飛び出んばかりに跳ね上がることとなる。


『 魔 女 参 上 !!!』


 血の気が引く感覚を、私は人間の身体で否応なく堪能した。


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『 魔 女 参 上 !!!』


 魔女、魔女、魔女。予期しようが無い衝撃。これほど悪趣味な催し事で歓迎されようとは。

 なんらかの暗号か。それとも面白半分の遊びか。ともすれば、脅迫、か。まさかとは思うが、魔女の魔女たる所業がバレたのではあるまいな。あの麻薬軟膏事件や一家心中事件にまつわる事柄であれば、この『イタズラ』の犯人を早急に見つけ出し、追い詰め、口を縫い合わせなければならない。なんとしても。

 なんとしても。

 なんとしても。


「東郷先生、これは今朝方からあったものです。消すべきかとは思いましたが、一応、先生の判断も扇ぎたくて残しました」


 最悪の場合を想定していると、一人の真面目そうな風体の少女が東郷先生に事情を説明する。

 胸元の名札には『阿武隈』とある。黒縁の太いめがねを両手でクイっと持ち上げる仕草の後、


「他にも教壇に宛名の無い手紙が置かれてありました。読み上げます」


 またも黒縁めがねをクイっと持ち上げ良い塩梅に鼻根に載せると、次は一枚の紙切れを目の高さに拾い上げる。


「……えーっと、『我は田上中学校一年生の善良な生徒である!!!』、『我は我の存在と共に七つの不思議を校内に散りばめた!!!』、『我は貴君の悪行を知っているぞ!!!』、『善良で公平な生徒諸君は六つの不思議を解明し、七つの目の“魔女”の正体を炙り出せ!!!』、……以上です」


 手加減な苦手の性分なのだろう、迫真の朗読に喉が耐えきれず、けほん、けほん、と咳き込む阿武隈さん。

 七つの不思議、悪行、魔女、そして主犯と思われる人物はクラスメイト。この珍事件に生徒諸君が落ち着きを払えるわけもなく、それぞれ各々生徒は思い思いにざわついている。

 だが、異口同音とでも言おうか。賛否も悲喜も交々ある教室内で唯一の統一見解があるようだった。


「……これって、『学校の七不思議』ってやつかな。『魔女』バージョンの」


「……ウケるwwwなんで『魔女』なんだろ」


「……アホなやつもいたもんだな。『魔女』って、漫画やゲームじゃあるまいし」


 降って湧いた『七不思議』なるイベント。三年間の中学生活、その中でもとりわけ田舎町で、小説並みの奇天烈が眼前にあるのだ。健全な生徒であればちょっとしたお祭り騒ぎである。

 かたや、私は気が気ではいられなかった。『悪行』に続いて『魔女』、これ以上に私の胸中を掻き立てるワードもないだろう。

 早急に、可及的速やかに、秘密裏に、犯人と犯人の真意を突き止めなければならない。

 さもなくては、私の最も大事なあの子の、なんでもない『日常』に傷がつきかねない。


 (……それだけは、阻止しなければならない)


 私含め、上下問わず生徒達のテンションに拍車がかかる中、大人である東郷先生は「君たち、落ち着きなさい」と静止に入る。


「誰のイタズラかは知りませんが、下手な詮索ごっこはよしなさい。イタズラの犯人の思う壺です。これは今を以て、無かったこととします。ほら、ホームルームを始めましょう。今日は転入生もいるのです。さっさと自己紹介をしてもらわないことには、進むことも進められませんから」


 東郷先生は言葉を濁すことなく、生徒が『七不思議』に関わることを禁じた。

 学校機関、ひいては教室内における教師なる大人の権力とは絶大にして絶対である。特に中学生身分であれば顕著な上下関係だ。その証左に、教室内は潮が引いたかのようにシーンと静まる。無論、そのような空気での自己紹介が成功しようはずもなく、また私の心境も嵐を孕む濁流の如く荒れていたために、私の自己紹介はひどく味気ないものとなった。

 私の自己紹介を挟めども定刻通りにホームルームは終わり、「それでは、このまま授業も始めてしまいましょう」と東郷先生は教師用の教科書を取り出す。

 折が良く、ともすれば折が悪く、国語の授業、国語担当らしい東郷先生の授業がホームルームから地続きで始まった。きっと、このまま七不思議のイタズラ騒動をなかったことにでもしたいのだろう。どこまでも、東郷先生は“大人”であり、“大人”な対応を選ぶ。

 だが、得てして、“大人”の思惑に“こども”の謀略とは相性が悪いのだ。 


「あれー、せんせー、その指し棒って、」


「……え、……なっ、」


 そう、既に『七不思議』は始まっていたらしい。

 校則のアウトラインぎりぎりを攻めているような制服の着崩し方をしているギャルっぽい女の子、名札曰く『五十鈴』は、機能性を捨てた派手めのシャーペンのペン先をくるくる教壇に向けて回しながら、ニマニマと東郷先生にみやる。


「おー、せんせーマジパリピじゃーんwwwそれ、ユニバにある“魔女”の杖っしょー、マジウケるwww」


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 初めての学校生活、初めのホームルーム、初めての授業、初めての休み時間、そして初めての帰りの挨拶。

 日直当番であった阿武隈はトレードマークの黒縁めがねをくいっと両手の中指で押し上げ、「起立」、「礼」とクラスを代表して号令をかける。生徒はそれに倣う。すると生徒らは規則の糸から解かれるように各々が個々人の自由を堪能し、とうの阿武隈も飾りっ気のない鞄に教科書を入れ始める。

 東郷先生も「ふっ」と息を吐き、改めて持ってきた指し棒を教壇の引き出しにしまった。ガチャリ、と厳重に鍵をかけて。


「あれれー、せんせー、そこ鍵掛けてたっけー?」、ギャルの五十鈴は東郷先生に砕けた言葉遣いで問いかける。


「ええ。また盗られちゃたまったもんじゃありませんから」、東郷先生も気にすることなく問いかけに答える。


 現代的な教師と生徒の距離感に頭の固い私は(そんなものなのか?)と呆けた視線を送る。

 これは敬意や礼に無頓着というのとは別種なのだろう。そこには確実な教師と生徒との壁があり、お互い近づきすぎない努力を怠らない勤勉さがある。これを“大人”の権威の失墜と嘆くべきなのか、いやむしろ“大人”の複雑怪奇な人間関係に構築されている社会に早くも“こども”が片足を突っ込んでいることを危惧すべきなのだろうか。

 利口が過ぎる。身内の少女を引き合いに出すと、つくづくそう思う。


「ねぇ、ねぇ、ねぇ、転校生ちゃん、転校生ちゃん!」


 そんな完全に気を抜き帰り支度をしていた折、私の机に勢いよく乗り出す狼藉者が現れる。

 おかげで「あえ、あ、はい」などと腑抜けた生返事で恥を晒すわけだが、私の人生、もとい猫生における生き様は一貫して恥の上塗りであるからして不服ながらも目を瞑ろう。しかし、私の思案に横槍を入れてきた狼藉者、『吹雪』は、濡烏色の長く滑らかな髪を私に押し付け、謝罪の弁もなくあまつさえ好奇心に満ち溢れた眼を向けてくるのだから手に負えない。「ねぇ、ねぇ!」と、何事もなかったかのように質問を続ける。


「転校生ちゃんは何処の子だったの?ここらへんの子?」


「……どの範囲のことを言っているのかわからないけど、住所なら海のある県からの移動だよ。今は山辺の住宅街」


 もっとも、これは『山田』の設定上の話である。実際は引越しなどしていないが、事実を話せば魔女との接点を勘繰られかねないために虚偽を並べる。

 吹雪も「へぇ、そうなんだ!」と何を納得したのかわからないがこくりと頷くと、「で、趣味は?」「得意教科は?「休日は何をしているの?」「ミステリー作家だと誰が好き?」などと矢継ぎ早に質問を連投してくる。挙げ句「僕は東野圭吾!」と聞いてもないことを答える始末。

 好奇心いっぱいの眼をしている割には私の心を斟酌しようとしない吹雪という人間。

 なんだ、この小蝿のように鬱陶しい輩は。温和で知られる私でなければ今頃アースジェットでぶしゅーだぞ。


「あ、そういえばさ、今朝の『七不思議』事件、僕的にはすっごくホットな話題なんだ!」


 いつから事件になったのかね、と聞き返すのは野暮だろうし億劫だからしない。隣のホームズ気取りは芝居がかった仕草でエアキャップを人差し指で押し上げるが、さながら探偵の真似事だろうから、だったらばエアキャップの正体は鹿撃ち帽子、ディアストーカーってやつだろうか、なんて推理してみる。

 正解かどうかは聞き返さない。野暮だろうし、億劫だから。


「それでね、転校生ちゃん。耳寄りの情報なんだけど、実はね、魔女の犯行は『交換された杖』事件が初犯じゃないんだ!」


「……初犯じゃない?」


 ……ああ、しまった、つい聞き返してしまった。案の定というべきか、吹雪もしてやったり顔で「おー、興味がおありのようですな、転校生ちゃん!」と鬱陶しさ二倍増しで口を弓形にほくそ笑む。しかし、腹立たしいが、確かに耳寄りの情報ではある。

 彼女の言う『交換された杖』事件とやらは今朝の東郷先生の一件だろう。“指し棒“と“魔法使いの杖“の入れ替え。

 どっちにしたって、私には『七不思議』を放置する選択肢などなかった。私の大事な子との日常を守るためにも。

 だから“こども”の遊びに付き合う暇などなかったし、すぐにでも行動を起こす手筈は授業中の思索で済ませているほどであったためにさっさと話を切り上げる予定だったのだが、私に有用な情報を落としてくれると言うのであればみすみす無視もできまい。


「……で、なに、その初犯って?」


 恥を忍んで、小蝿との会話に飛び込む。


「えー、でもタダってのもなー」


 ニマニマと形勢逆転の機を逃さずに掴む吹雪。こ、こいつ、私の恥をなんだと思っているんだ。せっかく忍んでくれていた恥くんの気持ちも考えてやれよ。申し訳なく思わないのか。

 しかし、恥の気持ちも私の気持ちも汲めぬ国語力赤点の吹雪は私の繊細な心事情など露知らず、


「じゃー、転校生ちゃん、条件があります」と人差し指をピンっと立てる。


「……条件って?」自然と眉間が寄っていることを自覚しながら問い返す。


「僕と魔女探しを手伝ってよ。僕の知っている情報は全て転入生ちゃんに渡す。だから、転校生ちゃんも、知っている情報、または知り得そうな情報は漏らさずきちんと僕に教える。どうかな。お互いの知的好奇心を満たせるWin-Winな関係だと思うけど?」


 蟹の手のように中指と人指し指を交差させ、「Win-Win!」を強調させる吹雪。

 こいつのWin-Winを聞くと、何故か無性に敗けた気分になるのが癪に障るが、なるほど、悪くはない提案かもしれない。

 人海戦術が問題解決の有効打たり得るのは世の常であり常識である。私一匹、もとい一人では調査の幅も限られるだろうから協力者の存在は不可欠だろう。それでなくとも転校生という身分なのだ。人脈が欲しい。私が自分ではなく赤の他人との会話に興じていることに不貞腐れて早々に帰って行ったあのホワイトブロンズ髪のお嬢様は役に立たない前提として、私は私の身の振り方を考えねばならない。


(……だったら最良の手は、最小限の情報提供と、最大限の情報の授受、かな)


 のうのうと情報をくれてやる必要もない。なんたって、『魔女』の『悪行』とやらを広められては元も子もない。時に協力、時に撹乱、そんな関係性を構築できるのであれば、確かに形の上でのWin-Winは成り立つであろう。

 とはいえ、これでは“こいつ”の利が図れない。


「……面白そうな取引だね。でも、君の捜査動機がわからない。何故、私なのかも」


「そんなもの、どっちも興味本位以外に何があるってのさ!!『事件』は『事件』であるがために解明されねばならない。ミステリの大鉄則だよ。たぶん。知らんけど。それに、相棒役に転校生ちゃんを選んだのも、こんな微妙な時期にやってきた『転校生ちゃん』、だからさ。どっちも謎で、どっちも解きたい。まさに君達は垂涎もののミステリ因子だね。だから、なのさ!……つまり、特段の意味はなかったりする!!」


 なるほど、それは確かにWin(事件の解明)-Win(私の正体)だ。私の利益は含まれてない気がするが。

 だったら、もう恥を忍ぶ必要もない。堂々と、威勢よく、「いいよ、乗った」と答えてやる。こんなことにいちいち忍ばされる恥の気持ちを考えてやってのことだ。


「……ところで、どうして『僕』呼び?」


「そりゃー、僕が男の子だからだよ。見てわかるでしょ?」


「……あー、うん、そっか。納得。どうりで全然可愛くないわけだ、君」


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「例の事件、仮称『七不思議事件』、その初犯はここ!!化学室で起こったのさ!!」


 ただの鬱陶しい小蝿から協力関係にある鬱陶しい小蝿に進化した男の子、吹雪が、いやに仰々しく両手を広げて紹介するのは校舎一階にある化学室である。日暮まではまだ時間があるようだが、遠く山嶺が俯くように暗くなる時刻、ツーンっと薬品が香る化学室は窓枠の影伸びる斜光を浴びていた。

 おそらくは上級生と思われる生徒が数人、加えて、さっきまで同じ授業を受けていた同級生もいるようだった。


「どうやら彼ら彼女らは今という時間を全力で部活動に勤しんでいるようだね。活動内容は右から順に、宿題、宿題、宿題、おしゃべり、おしゃべり、スマホゲーム、、、うん、うん、すっごい有意義で活発的な活動だ。これぞ、生徒個々人が主体となって文化的・歴史的・伝統的な活動規則に囚われない多様で自由で平等な現代的な社会の理想の縮図ってもんだよ。ふっふっふ、ようこそ、化学部へ!!歓迎するね!!」


「……吹雪は化学部員なの?」


「ううん、帰宅部。あとで一緒に帰ろうねー」


「……え、あ、うん、嫌だけど。割とマジで」


 何かの含みを持たせたわけではなく、ただ純粋に嫌だった。嫌悪と言っても差し支えがない。

 つい反射的に誘いを拒む私だったが、吹雪は「たはは、フラれたー!!」と冗談混じりに額に手を当てている。いかん、いかん。反射的にとはいえ、棘のある言動はうちのお嬢様の教育的にもよろしくない。まず隗より始めよと言うではないか。ダメだぞ、私。この後にでもちゃんと綺麗な言葉で念入りに改めてしっかり断っておかねば。

 ところで、さっきからヒソヒソと化学室のドア付近にたむろする私達に向けられる視線がちらほら散見されるのだが。


(……見たまんま、暇そうだな)


 ……なら、ちょうどいいかな。


「……部活中にごめんね。聞きたいことがあるんだけど今って時間があったりする?」見覚えのある女子生徒に声を掛ける。


「ええ、すっごく持て余しているわ。退屈で、退屈で、こんな退屈から駆け足で校庭に逃げ出したくなるくらいには、ね」


 ニヒルな笑みを浮かべる彼女は『暁』。この女の子が一年生のクラスメイトであることは化学室に来たその時にわかった。

 私の記憶力が特別秀でているなどというわけではない。彼女は車椅子ユーザーだったのだ。それでなくとも端正な顔立ちに線の細さも相まって、猫ながらに印象的な人物である。車椅子ユーザーが駆け足、とは。反応に困るジョークだ。

 

「……それ、怪我?」


「いいえ、産まれつき」


「……そっか。大変だね」


「ええ、すっごくね」


 会話に配慮を滲ませてやるべきか一考したが、開口一番からジョークをかませる子なのだ。だったらば、私ばかりが気を張っているのも逆に失礼ってもんだろう。猫ならニャーやらゴロゴロやらで擦り寄れば万事解決なのだが、人間社会は複雑怪奇な上に面倒なことこと上ないから疲れて仕方がない。


「……ヤマダ、サン、デスカ?」


「……ヤマダサン?……ああ、私か。私が山田か。……うん。山田。山田テレス。テレスって呼んでいいよ」


 こちらの片言日本語ボーイは『金剛』。いわゆるアフリカ系、黒人の男子生徒だ。

 見ての通り、聞いての通り、留学生なのだろう。しかし、『金剛』。彼の親族や近親が日系人だったりするのだろうか。


「ふっふっふ、金剛くんの名前が気になるようだね、転入生ちゃん、改め、テレスちゃん!!」


「慎みなさいよ吹雪くん。ファーストネーム呼びなんてついつい君のことを友達だと勘違いしてしまいそうになるじゃないか」


「なら問題ないじゃないか、テレスちゃん、改め、無二の親友よ!!解説するとね、彼、『金剛』くんは国籍も育ちもイギリス人なんだ。ブライトンってとこ出身らしいけど、機会があって春から我が校田上中学校においでくださったのですよ。留学ってやつだね。で、で、で、英名が『コンゴウ』ってもんだから、当て字で『金剛』!!日本人よりもイカつい彼の日本の通名になったってわけさ、無二の親友!!」


「……どうもありがとう。もういいよ。ばいばい」


 まあ、帰るわけもなく彼は得意げに居座るわけだが。ともかく、金剛は「ニホンノマンガ、ダイスキ、デス。ヨ、ヨロシク、オネガイシマス、デス、テレスサン」と辿々しいながらも健気な日本語の挨拶をしてくるもんだから、「うん。ナイストゥーミーチュー、金剛くん」と対抗してボロボロの英語で応戦しておいた。


「私も暁でいいよ。よろしく、テレス。で、そっちでポケモンやってるのが響。見たまんま、オタクだよ」


 彼もクラスメイトなのだろうか。突然紹介された響は急だったもんだからか肩をビクッと跳ね上げ、私の方に「ど、どうも」と吃りながら小さく会釈する。「よろしく、響くん。私、テレスって言うんだ」と返すが、「あ、あ、うん。自己紹介で聞いたから、知ってる」で締まる。上手に会話が繋げられなかった。

 初対面だが苦手意識を持たれてしまったのだろうか、とも思ったが、そう言うわけではないらしく。

 

「……うー、あー、もう!暁さんがオタクなんて紹介の仕方するせいで変な奴だと思われるじゃないか!やめてくれよ!僕はオタクじゃない!!」


「えー、オタクだよー。私がポケモンのこと、ピカチュウしか知らないのにテキトーに好き好きって言ったら若干ピキってたじゃん」


「キレてない!キレてないよ!……で、でもさ、話題作りっていうか、にわかがその場その場で好き好きっていうの、違う気がして」


 オタクやんけ。……いや、オタクやんけ!

 これは、あれか、フリか?フリなのか?フリならばツッコむが?


「あはははは!!響くん、それ、厄介なオタクそのままだよ!!」


 吹雪この野郎!!私の、私のための、私だけのツッコミが!!


「……いや、違う違う違う。そうじゃない。……聞きたいんだけど、『七不思議』初めの事件現場ってここなの?」


 閑話休題、本題を切り込む。


「……事件?……あはは!テレスは面白いことを言うんだね」思わぬカウンターを放ってくる暁。


「ジケン?Accident?……ソレ、ジンタイモケイ、Witch?」そして、思い当たる節のある金剛。


「……そ、それってさ、そこにある人体模型に魔女のコスプレ衣装を着させられていたヤツだよね?三日前ぐらいの。あれは事件っていうよりも、イタズラっぽい感じだったけど。……あ、で、でも、思い返せば『七不思議』の犯人の仕業かもしれない!だ、だって、あれも“魔女”だったし!」


 金剛の意を汲む響。しかし、イタズラ、七不思議、魔女のコスプレ衣装。それに“魔女”、か。

 節々の単語にズキンと電流が刺すような動悸を打つ。狂う呼吸を悟られぬよう化学部員に「詳細、教えてくれる?」と問うと、暁は「いいよ、暇だし。それにちょっぴり変な“事件“でもあったから相談したかったの」といやに『事件』を強調しながらも快諾してくれる。


「あれ、三日前だっけ。三日前は夏休み最終日だったけど、私達一年生だけで化学室に集合して残りの宿題をみんなで消化しようってなったの。思い出作りも兼ねてたんだけどね。響はともかく、コンゴウは近々母国に帰っちゃうらしいし。だから私が二人を集めたの。家からコンゴウに車椅子を押してもらって、学校に登校して、職員室に鍵を貰って、化学室まで来れたんだけど。そこで“事件”があったんだよ、“事件”が!」


「……わざわざ強調しなくてもよろしい」


 暁の頭にチョップを喰らわせようとしたが、金剛に止められてしまった。ジョークの通じぬ奴だ。ほんとにイギリス人か?


「……まー、“事件“と言うにはショボかったけど。そこにある人体模型、あれに“魔女”のコスプレ衣装が被せられていたんだ」


 あれ、と暁が指差す先には、胸から腹にある臓物を見せびらかす人体模型があった。

 もう既に片されたのであろう人体模型は、今は爛れた筋肉や骨を見せびらかすばかりだ。

 ぶ、不気味だよね、と呟く響。興味深いじゃないの、とニヤリと笑う暁。それを他所にグロテスクな露出魔もいるもんなんだなぁ、と真っ先に思考がよぎってしまった私。これが教養の差だろうか。まいったな。みんなには是非いろいろと学んで私のように教養を身につけて欲しいものだ。


「……それって、いつから魔女のコスプレをさせられていたかとかってわかる?」


「……うーん、わかんないかな。けど、私、補習組の響とコンゴウを揶揄うためによく学校にいたんだけど、少なくとも四日前、えーっと人体模型コスプレ事件の前日のお昼頃には特に変わったところはなかったと思うよ。たぶん。……でも、違うのかも。だって、それだとおかしなことになるもの」


「……おかしなこと?」


 尻すぼみで過去の自分の記憶に自信を失う暁に、私は問い返す。

 すると、私の問い返しに食い付いたのは響と金剛だった。「た、確かに、あの日の化学室には何にもなかった、と、思う。お、俺も、化学室、覗いて行ったから」と響。「ワタシ、ミテタ、イッショ、ヒビキ」と金剛。


「お、俺、おかしいって思ってたんだ!だって、イタズラの前日、化学室に異常は無かったはず。化学室内でなんかあったなら三人のうちの誰かが気付くはずだし!け、けど、出入り口からの侵入は出来ないはずなんだ。実際、イタズラされた日のドアと窓は全部完全に閉まっちゃってて、めっちゃ蒸し暑くなってたけど換気に手間取ったの憶えてるし。ずっと閉まってたんだと思う。でも、それだとおかしいんだ。だって、それだと鍵、誰がいつ開けたんだってなるし!」


「……Mystery、……Locked roomデス!」


「……えっと、つまり?」


「……イタズラするためには解錠が必要。でも、鍵を受け取るためには先生を経由しないとダメなんだ。鍵の管理庫の鍵を先生が持ってるからね。けど、どの先生に聞いても、夏休みの間に化学室の鍵をもらいに来た生徒は私達の他にいなかったんだって。だから、たぶん、ここの化学室には誰も入ってないし、誰も入れない。出られもしない。密室、……いわば、“密室事件”だった、って話。どう?不思議じゃない?」


 ふむふむ、なるほど、なるほど。そんなわかっているようなわかっていないような相槌を打つ吹雪をよそに、私もいまいち状況が読めていないのだが、イタズラに化学室を利用する為には“鍵のトリック”を解明せねばならないことは理解した。

 化学室の窓枠を見遣る。三日月状の鍵であった。クレセント錠というやつか。

 外からでもガタガタと揺らせば開いたりしないかと思案するが、「無理だと思うよ」と口に出していないはずの私の推理を否定する暁。


「……む。それはまた、どうして」


「あれ、古いのだからね。雨風で錆びちゃってるの。だから普通に中から開けようって時でも苦難しちゃって」


「そ、そうそう。……や、山田さん、も、開けてみるといいよ。お、俺らも、コツ掴んでいても時間食っちゃうぐらいだし」


 それならお言葉に甘えて、と窓枠にある三日月状の鍵をそれぞれ捻る。

 だが、どれもザラッとした感触の後に、どうにも引っかかった感触が伝わってくる。

 なるほど、これは解錠に苦慮するわけだ。うちのサッシも似たようなものだからよくわかる。赤錆が放置され続け腐食しきっているのだろう。内からの解錠でこれほど手間取るのだから、外からなんてよっぽど厄介なはずだ。

 すると、ここから化学室に侵入してイタズラを敢行しようってのには無理がありそうかな。


「……他の出入り口は?」


「見ての通り、前の黒板側と後ろの薬品棚側だけ。どっちも施錠はされていたし、同じ鍵が必要だから、どっちかだけってのは無いよ」


 ふむ、聞けば聞くほど“密室”状態であったことが浮き彫りになってくるじゃないか。

 ことの不思議さを興奮気味に力説する響、同調し肯定する金剛、それらをわかりやすく私たちに伝える暁。この子たちが何らかの目論見で共謀でも企んでいない限り、ここはいわば“不可能”と“事実”が混在する坩堝と言えよう。

 密室だなんていかにも縁起の悪そうな単語に興奮を隠せていない小蝿くんの鼻息はともかく、私の心中は強く波打っている。

 なんたって、これは“密室“なのだから。しかし、ここを“密室”である、と、私はそう認めてやるわけにもいかないのである。

 諾々と認めてやるわけにはいかないのだ。

 私は、“魔女”も“魔法”も知っているのだから。


「……ここの鍵って、どんな管理の方法をされているの?」

 

「お、探偵さん、なかなか食いつくね。それなら、そろそろ部活動の時間も終わるだろうし、一緒に鍵を返しに行こうよ。鍵の管理はほとんどの部活動で一年生の仕事なんだ。だから、そこで教えたげるね」


 見計らったかのように折もよく、校内にチャイムの音が鳴り響く。

 ガタガタっと他生徒が帰り支度を始める中、暁は実験台に無造作に置いてあったシリンダー錠の鍵をぐるぐると弄び、「“犯人”、いったい誰なんだろうね。転校生の探偵さん」と。夕光でそのときの目元を見損ねたが、彼女の口元は笑っているように見えた。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 我が校、田上中学校の校舎は四階建てであり、西階段は四階まで、東階段は屋上まで続いているが、どちらもバリアフリーの時代は到来していないようだ。

 秋の蝶の如くふらりふらりと浮かぶ紅葉に無邪気な赤蜻蛉。オレンジ色の匂いが鼻腔をくすぐる校舎で、「おっも!」と吐き出るような悲鳴が耳朶を打つ。


「……これは、これは。車椅子ユーザーは大変だね」


 荒い呼吸の悲鳴の主はオタクの響である。重量にして十数キログラムほどだろう車椅子を両手に抱えて階段を一段一段踏み締める。

 一方、その車椅子の所有者である暁は金剛におぶってもらっていた。これといって鍛えているようには見えない金剛に遠慮のへったくれもなくダラリともたれかかる暁であったが、金剛の表情は平素そのものだった。「重くないの?」とノンデリ質問を金剛に投げかける吹雪に、「like feather」と粋な返しをする金剛。「飛べないよー」とトンチをかます暁。


「な、なんで、車椅子の方が重く感じるんだろ。あ、暁の方が、絶対車椅子以上の体重のはずなのに」


「なにをー。私の体重はA4用紙一枚分ですー。だよねー、コンゴウ」


「ハイ!アカツキ、ワ、コメダワラ、デス!」


 背負っている暁に後頭部をしばかれる金剛。これが気の置けない仲というものなのだろうか。秋の初めに青い春が見られることは大いに結構なのだが、その間、輪に入れない私は小蝿との間を持たせなければならない苦行が発生しかねないために是が非でも会話に参入する。


「……いつもこんな感じなの?」


「……まぁ、うん。これでも悪いとは思ってるんだけどね」


 罪悪感からなのだろう、目線を仰向きに頬をぽりぽりと掻く暁だが、「そ、そんなこと言うなよ。と、友達だろ?」「ハイ。ヒビキ、タダシイ」と温もりのある言葉が返ってくる。意外にも言葉に詰まった暁は金剛の背中に顔を伏せるが、ここからだと口角が上がっているのがうっすら見えてしまう。

 先に階段の踊り場で待つ金剛と暁、私。階段の中間で虫の息の響にニコニコと助力する吹雪。

 友情パワー炸裂とはいえ、これだとなにかと不自由するだろう。


「ほんと、大変だね」なんにも手伝うことなく他人事としてぼやく。


「ほんとだよ。いいことなんてなんにもない」しみじみと暁は呟く。


「コンゴウ。私、重いんでしょ。いいんだよ。このまま手離して、落っことしちゃっても」


 耳元の日本語を聞き取れなかったらしく金剛は「Pardon?」と疑問符を送る。しかし暁は復唱することなく「なんでもないよ」とにへらと笑う。ただ、地続きのジョーク、といったニュアンスではなかったようで、どこか遠くを見る目をする暁。不運にも彼女の言葉をはっきりと聞き取れてしまった私はどうにも居た堪れずにレスポンスを捻り出す。


「……冗談でも、そういうこと言うもんじゃないよ」


「……冗談に聞こえた?」


「……まあね。友達になる前の自虐ネタは引かれるだけだから、真に受けてやらない主義なんだ」


「……それは殊勝な主義だね。テレスはいい奴だ。なんだったら、私、友達になったげよっか?」


「……やだよ。だって君、くそめんどくさそうだし」


「ははは!確かに!私、絶対に超面倒臭い女だ!」


 女子トークは何色だかの花を開かせ、階段では謎に体力のある吹雪が響と車椅子を持ち上げる。そうしてようやく私達全員は車椅子を含めて二階廊下に辿り着き、廊下を突っ切ると、約九時間ぶりの職員室へ到着する。木々のざわめきが帰路を急かしているようで、別の部活動の一年生らしき生徒もいそいそと職員室に鍵を返しに来ていた。


「東郷先生、化学室の鍵を返却しに来ました」


 例に漏れず化学部員+αも用事をさっさと済ます算段に変わりない。

 廊下の壁に張り付き肩で呼吸をしている響と日本語が不自由な金剛に代わり、化学部員を代表して車椅子の暁が東郷先生に鍵の返却を申し出る。「はい。ご苦労さん」と来訪の用件はとっくに把握していたのであろう東郷先生は化学部員を手招きしながら、手際よくデスクの引き出しより鍵束を取り出した。


「東郷先生、山田さんに鍵の管理について教えてあげてもらってもいいですか?」


「おお、山田さんもいるのですか。もうクラスメイトと打ち解けているとは。子供はいいですね。柔軟で、溌剌だ」


「……そうですね。何事も凝り固まるといけないので。先生も風呂上がりにでもどうですか、簡単なストレッチでも」


「……ふっ。遠慮しておきます。どうしてか大人になると凝り固まるぐらいがちょうど心地良くなるもんでしてね。……それはそうと、鍵の管理だったでしょうか。部活動に参加してなくとも移動教室なんかで誰かしら職員室に教室の鍵を貰いに来て欲しいタイミングがあると思いますから、今日で手順を憶えていってください」


 東郷先生は「難しいもんじゃ無いですから」と手にある鍵束を私に持たせ、『教頭』と役職標があるデスクの横にあるロッカーに載っけられた金庫にまで案内する。金庫の大きさは縦横それぞれ足の爪先から太ももぐらいのサイズの小さなもので、当然ながら頑強そうだ。


「この鍵束のうちの赤いシールが貼付してある鍵が、ここの金庫の鍵になります。それで開けてっと、……開きましたね。見ての通り、それぞれ各教室ごとに割り振られたフックがありますから、今回だと『化学室』のフックに引っ掛けておいてください。それが終われば再び金庫を施錠し、僕か他学年の担任の先生方に鍵束を返しておいてもらえれば終了です」


 私は東郷先生の指示に頷き、言われた通り、化学室の鍵を『化学室』のラベルのあるフックに引っ掛ける。

 全て鍵はシリンダー錠。案の定、私達は本日の職員室最後の来訪者であったのだろう、化学室以外のフックはすでに全て埋まっていた。私は拳大程の幅のある重い金庫の扉を閉じ、赤いシールの貼られた鍵で施錠する。


「僕たち教師が鍵を持っているので無いとは思いますが、盗難がないよう、僕ら担当教師が不定期に金庫を開けてチェックを行います」


 だから、“悪さ”をしないように、とでも言いたげに、東郷先生は柔和な笑みで微笑む。

 化学室での魔女のコスプレの話、とっくに先生の耳には入っているのだろう。思えば当然だ。化学室の鍵を借りた人間がいないかどうかを暁たちが聞いているのだから、その話を聞くに至る経緯も東郷先生は聞いているはずである。この際、嘘でも誰か生徒に化学室の鍵を貸与したとでも言ってくれた方がずっと楽なのだが、相手は責任ある大人、痛くもない横腹を痛めたくなどないのだろう。


「……ありがとうございます。機会があれば、鍵、取りにきます」


 思案もほどほどに、もう下校時間である。「失礼しました」と頭を下げ、化学部員+αは職員室を後にする。

 職員室前の廊下、そこで一番に口を開いたのは吹雪であった。


「……うーん。金庫を蹴破るのは無理だねー。東郷先生のデスクの鍵をこっそり拝借する、ってのは、できるもんなのかなー?でも、仮に拝借できたって、不定期に職員室にいる先生方の鍵のチェックがある。……んー、運がいいと密室にできちゃう化学室、これは流石にやりすぎだと思うのですよ、僕は」

 

「……七不思議のイタズラの、おそらく一発目で、博打を打つのは得策じゃーないよねー」


 顎に手を当て小首を傾げる吹雪。それに同調する暁。「一発目が博打だったからこそ、犯人の犯行声明が後日に回されたのかも?」と自分を納得させようとする吹雪だが、「そんなもんなの?」と払拭し切れない疑念を発露する暁の言葉に閉口する。

 確かに、なんらかの強い意図の感じる犯行に浅慮や行き当たりばったりはないだろう。

 とはいえ、もう下校時刻だ。熟慮に熟慮を重ねて正しい結論に至るプロセスに注力することも吝かではないが、そろそろ見切りをつけなければ魔女ハウスで待ち惚けを喰らっているであろうお嬢様の機嫌が怖くて仕方がない。


「……ところで、なんだけどさ」


 だから、鍵の謎より疑問だったことを最後とする。


「……車椅子、ここまで持ってくる必要あったの?」


 ……別に一人ついてきてきてくれれば問題なかったのに。

 ……なんて、聞いたはいいものの、思えば無粋な質問だと後悔する。男が女の重そうな所有物を持ってやっているのだ。そんなもの、古今東西、大体似たり寄ったりの意味合いに落ち着くじゃないか。ともかく、俯く響きの傍ら、この日の化学部員の解答は暁の「ほんとだねー」に留まった。

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