第5話 黒猫と家族 『過去』

 白昼夢を見た。具体的に白昼夢とはなんのことなのかよくわからないのだが、そんなことすら含意する白昼夢の中にいるのだ。


「ハロー、テレス。お前とこうして真正面から話すのは、これが初めてだったか」


 そこに鎮座していたのは魔女の父親、西田クリスチャンだった。

 摩訶不思議なこともあるものだと、思った。私は死者と対峙しているらしい。しかし、魔法じみた薬効さえ作り出せる世界なのだ。一周忌の今日、昼間に垣間見る夢で死者と繋がるなんてことはよくあるのだろう。それに、なんたって私は猫なのだ。猫が霊視できるだなんて、創作じゃテンプレートじゃないか。


「……こんにちは、クリスチャン。こうしてお話ができて光栄です」


「……ははは。お前は心にも無いことを話すことが得意な猫なのか」


「……猫に心なんてものがあれば、きっとそうなのでしょうね」

 

 ははは、と控えめに笑う父親。控えめとは言えども、ここまで朗らかに笑っている彼を私は初めて見たかもしれない。

 だから、彼の気分がいい間に、一年間蟠り続けた事実の確認作業をしておくべきだろうと思った。


「昨年の今日の事故、あれは貴方が一家心中を計ったって理解でよかったでしょうか?」


 私も臆面もなくそう言ってやった。父親は意表を突かれて目を丸くしている様子だったが、驚くのも束の間、すぐに相合を崩す。「……ははは、どうしてそう思ったんだ?」って具合に。笑う父親を見たのも珍しいのだろうが、笑って誤魔化す父親はもっと珍しいと思った。


「もっとも、これは私の一年掛かりの推論でしかありません」


 ただ、と私は言葉を付け加える。


「……貴方と母親、そしてお腹の子供が世を逝去して、アリスだけが生き残ったので、そう思い至りました」


 父親の表情が曇る。ともすれば、父親自身、その因果を把握していないのかもしれない。

 私も一年間、ただ呆然と過ごしていたわけではない。『麻薬』事件なるものもあったが、その間もずっと頭の隅にあった『不慮の事故』の存在が掻き消せなかったのだ。後悔とは別種のリビドー。それが、こうして亡き父親と対談できる機会がやってきたというのは、終止符を打て、そう神が仰られているのかもしれないと思った。極めて非論理的な思考に囚われているようだが、死者との談話だなんて現象そのものが到底論理的ではないので仕方ない。


「……わからない。わからないな。なぜ、アリスの話が出てくるんだ?」


「だったら、いい機会です。私は是非とも、両親二人の馴れ初め話を聞きたいのです。きっと、貴方達の過去に全ての『起承転』が詰まっているでしょうから。そこに全てがあって、最後の『結』だけが日本の片田舎の家にて締め括られた。その慎ましやかな地獄を、私は観覧者として眺めていた」


 おそらく、当事者の貴方にはよくわからないことだろう。けれども、世界は予定調和に成り立っている。

 そして、一年前、私は分岐することのなかった運命の終着点を見届けた。ここはエピローグも最後、あとがきにも載らない後日談である。だから、私が原初たるオープニングを知りたいと考えたって、不思議じゃ無いだろう。


「……いいよ。話そう。あまり、面白い話では無いけれど」

 

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 僕の実家はドイツのフランクフルトにある旧市街の一角にあってね、ドイツの景観は僕にとってそう大きく見えるものではなかった。

 それなりに裕福な家庭だったもので、ねだっても断られる時の理由も大抵の場合は金銭以外の理由だった。本当に何不自由ない暮らしで、悩みの種と言えば地元のサッカーチームの勝敗ぐらいだったかな。今も昔も憎いほどに強いバイエルン・ミュンヘンとの試合なんかは、いつも観戦に行っていたね。

 そんな満ち満ちた暮らしに満足出来なくなったのは、きっと学生身分特有の若気の至りだったんだろう。


「……両親に、自律した人間になれるよう海外留学をしてきます、なんて書き置き残して家を出て。あれは大学入学前のことだったから、十八歳だったのか。あれから一度も実家に顔を見せていないと思うと、我ながら取り返しのつかない親不孝者になってしまったと思うのだよ、僕は」


「……貴方の言う自律とは、なんのことですか?」


「……さぁ、ね。僕は哲学的な学問はからっきし興味の湧かない類の人種でね。ただの方便だったと思うよ。家出のためのね。実際は、あの時、親の保護下でのんびりと時間という資源を浪費している僕と世間様を比肩してしまったのかもしれない。そしたら居ても立ってもいられなく、ってところかな」


 おいしい水が飲める地域までは公共交通機関で済んだよ。その後はヒッチハイクの連続。野宿も数回と言わず経験したね。


「……そんなこんなで、僕はアジア圏に辿り着いた。とりあえず、僕はインドを目指した」

 

 とにかく食い物が腹に合わないことを思い知らされたよ。水はもちろん、食料品も碌に揃えられない。

 不幸中の幸いだったのは、家出前に両親の通帳から金銭をくすねたことぐらいか。とはいえ、両替一つでも治安が悪ければリスクなのだから、気を抜けば底をつく。ぼったくりも常習的に行われる国々で、拙いながら語学も駆使して頑張ったものだよ。相場を知っている今思うと、勉強代にしては高い額を持っていかれたんだけどね。ともかく、僕の意外な貧乏性のおかげで無事にインドまで到着できたんだ。


「……ただ、文化には馴染めなかった。元々は西欧暮らしのお坊ちゃん育ちだ。だから、少しでも馴染みのある西欧の教会に転がり込むのは必然だったのかもしれない。信心深い教徒の邪魔にならないよう礼拝堂の隅の長椅子に座っていたのだが、そこの小さな教会での出来事が、お前の聞きたがっていることだよ」


「……そこで、あの人と出会ったのですか?」


「……あぁ。アリスの母親だ。当時は名前が無かったそうだがね。聞けば、彼女は宣教師の付添人で、仰々しいシスター服の女性に手を引かれている彼女の姿を見て、虜になってしまったような気分だった。恋は盲目だと風説に聞くが、彼女のそれは本物だった。幼い時分に、何も見えていなかったそうだ」


 彼女は盲目の徒でありながら、貧民街の貧しい信徒に祈りを捧げ、神の言葉を説教していた。

 そんな謙信な姿に惹かれて、僕は彼女にプロポーズをした。ただ、教会の規律がどうの、と一悶着あったんだけどね。駆け落ち同然に同じアジア圏の日本に流れ着いた。これが僕と彼女の馴れ初めだ。西田の姓は通称名、彼女の名は戸籍の関係でかなり手間取ったけど『ツボミ』の名を授けた。髪色も元は明るかったが落ち着かせた色にして、とにかく彼女、西田ツボミにとって如才ない暮らしを提供したかった。


「……そうして、アリスが産まれた。出産には当然に立ち会いたかったけど、僕もジャーナリストとしての職務に精を出し始めていた頃合いだったもので彼女の妊娠さえ認知していなかった。まったく、父親以前に人間失格だ。だが、振り返れば、この時分で既に気付くべきだったのだろう」


 彼女は、魔女だったのだから。

 狡猾な魔女で、

 獰猛な魔女で、

 血の通っていない彼女の悪辣な事件を僕は阻止することが出来なかったのだから。


「……疑い自体、恥ずかしい話で、性行為期間と懐妊期間に齟齬があったことに気付いた段階にはあった。加えて、何の因果か僕の取材先は彼女の所属していた教会でね。黒い噂が立っていたんだ。人身売買の噂、そして臓器売買の噂だ。結局、教会は黒、お前もテレビで見ていただろう。あの事件は僕の手柄だ。だから、あそこの隠し名簿を外部の人間ではじめに目を通したのも僕だ。その名簿の途中に、あろうことか、彼女の顔写真があった」


 彼女の実親は彼女を二束三文で売ったらしい。そして教会は得意先に、彼女の目と臓器を車両代金とほぼ同額で売り捌いた。


「……資料によれば、目と、腎臓と、あとは子宮を売られた、との記述あった」


 目を疑った。ならば、アリスは何なのだ、と。子宮のない彼女から子供が産まれるものなのか、と。

 しかし、実際には彼女は妊娠した。次第にお腹が大きくなっていく過程をちゃんと見送った。だから、杞憂に終わったと思ったよ。あの名簿の情報は誤植か何かで、彼女から子宮は奪われなかったのだと。だって、妊娠しているんだぞ。魔女の薬も、聞けば堕胎の薬はあるそうだが、妊娠する薬はないそうだ。

 だから、僕は心の奥底から彼女に陳謝した。疑ったことが許せなくて、謝った。


「……でも、人間、業が深いものでね。疑いを払拭しきれなかった僕は、僕とアリスのDNA情報を機密で調べて貰ったんだ」


「……貴方の事故現場近くにある病院の、断ることがめっぽう苦手なご老人の医者にでも頼んだのですか?」


「……あぁ。お前も知り合いだったのか」


「……知り合いという程でもないですが」


「……その鑑定書には、はっきりと、僕とアリスの遺伝子情報の不一致が印刷されてあった」


 これはどういうことなのか、必死になって考えた。それが僕の命日の前日の出来事だ。

 そうして一つ、思い立った。命日の三日前の出来事、実はお前と話した後、お前が何処で何をしているのかが気になって後ろを付けて歩いていてね、その時にあの作業小屋にも入った。あそこ、ツボミのよく出入りする作業小屋だ。血みどろだった。その時は動物を使った実験を考えたが、ハッとしたよ。


「……ツボミは、やっちゃいけないことをしてしまったのだ、と」


 市内の新聞を読んだ。僕の死ぬ三ヶ月前にも川辺で事件があったそうじゃないか。現地のカメラマンがサボったせいで写真を見そびれたが、あんなところで人が死んでいて、作業小屋には目を覆いたくなるような血みどろ。ここが現場だったのだと、ジャーナリストでなくとも判別が付く。

 子宮を摘出する手術。子宮を腹の中に収める手術。魔女の彼女には可能だったろう。

 その後、僕は右も左もわからなくなるような激しい責任感と義務感に襲われた。


「……そうだ。僕がツボミを殺した。ツボミの腹の子を殺した。それが、真相だ」


「…………」


「……アリスだけは、殺せなかった。アリスには罪がない。そして、僕のかけがえのない娘なのだから」


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 猫は物思いに耽るのだ。嘘とは、嘘の作法に準拠しなくてはならないものだ、と。

 満遍なく糊塗された嘘つきの嘘は、一見して包括的であるが、いずれ劣化したペンキが剥がれるが如くピリピリと赤色の嘘が露呈してしまうのが常である。だから、そのような露呈しそうな箇所を適度に修繕する具合に、嘘っていうのは留めておくべきなのかもしれない。それが最もバレにくい嘘の吐き方であり、嘘を吐く場合の作法である、と思うのだ。嘘はバレてはならないから嘘なのである。故に、嘘を吐く作法は固く守られるべきだと思う。

 そうはしないから、無作法者には真実という刃が突き立てられる羽目となる。

 

「……これは、これは嘘だと思われるかもしれませんが、……私は貴方に感謝しているのです」


「……なんの話だ。僕は一家心中を計った。そして、実行した。これは許されざる人間の業だ」


「……そうですね。そうかもしれません。ただ、私は猫ですから。人間の業などわかりません」


 私の戯言に訝しげな視線を送る父親。しかし、そちらの方がずっと彼らしい表情だった。妙に取り繕ったような笑顔は似合わないと思っていたところだから話しやすくなったまである。私から父親への感謝の弁は、ふざけているようにでも捉えられただろうか。

 しかし、私は猫であり、猫は嘘をつかない。なぜならば、猫は人間ではないからだ。


「私から貴方への弔いです。墓標の裏に隠した嘘は暴かず、そのまま土を被せてやっていい」


「……お前は何を言っているんだ?……僕が、この後に及んで嘘を吐くはずないだろう」


「いいえ、貴方は嘘で塗れています。嘘塗れです。それに、事実をも隠匿しようとしている」


「……どこを、僕が隠そうしているとお前は言うのだ?」


「……それを、貴方に、話してしまっていいのですか?」

 

「……あぁ。この機会だ。これは、神が僕に与えたもうた贖罪の機会なのだ。僕の罪を、お前に曝け出そう」


 瞑目する父親。ふぅーと深く息を吐くと、彼の命日、霊安室で見た翡翠色の眼を私に向ける。

 そうか。貴方は貴方自身に向き合うのか。死後でありながらも、取り憑かれるように『善』を問い直すのか。

 ならば、せめて私が彼のソクラテスを務めよう。彼の人生を賭して編んだ虚構と欺瞞と、そうまでして守り抜こうとした無垢な尊厳を、私のソクラテスで形而上の善に基づき捻り潰そう。これが、善なのだ。これが善であり、徳であり、人の道なのだ。

 あぁ、これは私が猫だからか知らないが、どうしようもなく、


「……どうしようもなく、虫唾が走りますね。ほんと、どうしようもなく」


 合理と論理と倫理による尊厳の破壊行為を、『贖罪』と呼ばれる美徳と褒め称えられるこれを善と宣うならば。

 そうであるのならば、人間の『善』は美しく狂っている。

 

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 白昼夢は影を落とさない。四方八方を明るさに包まれ、それは腹の底をレントゲンで透写されているようだった。

 ふと、私はここを懺悔室のようだと思った。どうしてそう思ったのか、わかることはなかったが。

  

「……西田ツボミさん。彼女は目の見えない盲目であったと聞きます。実は不躾ながら、貴方の仰っていた人身売買や臓器売買の資料のコピー、あれは既に貴方の書斎戸棚で発見しておりました。故に、彼女の盲目であることに誤謬はないと言えるでしょう。彼女は目も見えず、子宮も無かった。だから、子供を産めるはずがなかった。けれども、アリスという子供を授かり、あまつさえ新たな生命を妊娠までした。疑り深い貴方は、こう思ったはずだ。魔女の魔法ような不思議な力で、何処かの誰かの子供を攫ってきたのではないか、と。それか、何処かの誰かの子宮を取り上げて母体を殺してしまったのではないか、と」


「……あぁ、そうだ。彼女は魔女だった。だから、そんな所業をしてしまった」


「……ですが、この仮説が成立すると考えた時、こうも思ったのです。彼女が不便にしていた盲目も、眼球を移植してしまえば完治できたのではないか、と。貴方の資料に基けば、彼女の盲目の原因は臓器売買時における眼球の摘出にあるのでしょう。だったらば、無理な話でもなかったのではないでしょうか」


「……盲目の彼女にとって、眼球の移植は困難を極めたからではないのか」


「……いいえ、それをいうなら、貴方の仮説の子宮移植だってそうですよ」


 それに、実を言えば、あの人の手術で私は去勢させられているのだ。猫と人間の臓器配列なんかは比べようもないだろうが、盲目の状態での手術といった真似事が片方可能であるならば、もう片方も可能であっても特段不思議ではないだろう。そして、臓器が可能だったのだ。眼球だって可能性があるのも道理だ。

 もっとも、もっと現実的で、非人道的な手法そのものはあるのだ。

 だが、可能と実行の間には乖離がある。聞かれていないのだから、答える義理もない。


「……それに、破損させる作業ならば、そう厄介なものでもないでしょう。素人意見ではありますが、」


「……破損させる作業?……なんの話だ。話が見えてこない」


「……これは、あくまでも私の推理の範疇ですが。西田ツボミさんは一度、視力が回復しているのではないですか?」


「……視力が回復していた、だと?」


 思い至ったのには経緯がある。まず私の愛読している哲学書だ。父親は自ら哲学には興味がないと述べており、実際に読んでいる姿など一度だって見たことがない。しかし、盲目の母親が活字の本を読むわけがない。だったらば、あれら哲学書は誰が何の目的で購入したというのだろうか。

 書籍といえば、魔女が母親にねだる魔女の薬学の知識本だって、点字の書籍を購入していれば二度手間を取らずに済んだだろう。

 そんなちっぽけな疑問、否、疑問とも呼べない些細な歪が日々の中で蓄積されていた。

 そして、ある日、確信に至った。証拠もある。けれども、それを話すには順序が必要だった。


「……的外れだよ。彼女は目を奪われて以来、一度だって視覚を有したことはない」


「……証拠はあとでまとめて出します。ですので、推論を続けさせていただきます。西田ツボミさんの視力が回復していたとして、それが可能な機関とはなんなのでしょうか。寡聞な私ではありますが、一つ思い当たる機関があります。人身売買や臓器売買を手掛けていた教会です。貴方は教会でドナーを募ったのではありませんか?……幸いなことに、貴方にはお金があったようですし。それに、貴方が教会の闇を知っていたならば、いろいろと筋道が立つのですよ」


「……創作話だ。それも、ひどく不愉快な類のね」


「……いいえ、創作話ではなありません。証拠もありますから」


「……証拠だと?」


「……ええ、証拠です。我ながら、確信的な証拠すぎて喫驚を禁じられませんが。貴方もご存知かと思いますが、ある筋の方への依頼でDNA鑑定をしてもらいました。いくつかのパターンを網羅的に。まず、貴方とアリスは不一致でした。貴方と西田ツボミさんも不一致。ここまでは思った通りでした」


「……なぜ、それが思った通りなんだ。それだと、」


「……いいえ、思った通りでした。そのあと、このパターンも鑑定してもらったのです。西田ツボミさん本人と、西田ツボミさんの眼球です。彼女は一度眼球をくり抜かれているのですから、鑑定の結果は当然に不一致でした。そしてもう一つのパターン、貴方と西田ツボミさんの眼球のDNA鑑定です」


「……一致でもしたのか?」


「……いいえ、別人でした。しかし、近親のDNAだとの鑑定結果です」


 つまり、母親に埋まっていた翡翠色の眼球の本来の持ち主は、父親の近親であったということだ。

 眼球のDNA鑑定の結果、父親の近親であったとの結果、そして、教会の人身売買加えて臓器売買事件の関与。

 

「……貴方は裕福な家庭だと聞きます。そんな裕福な近親が、臓器売買のドナーになるわけがない。しかし、逆なら有り得る話ではあるのです。例えば、裕福な家庭であった彼らが、人身売買の売却者側ではなく、購入者側であれば、その限りではない。そうではありませんか、西田クリスチャンさん」


「……なにが、言いたい?」

 

「……貴方自身、人身売買で売られた子供だったんじゃないのですか?」


「…………」


 眉を顰める父親だったが、しかし、彼はいよいよ口を紡いでしまう。

 わざわざ眼球と本人のDNA鑑定の依頼を出してのは、なにも勘頼りの偶然ではない。父親と母親の眼球の色はどちらも翠緑色。一方、娘の魔女は碧眼。ここの不一致、ここに意味が介在しないわけがないのだ。もっとも、魔女は二人の血縁の娘ではないのだから一見して当然のようにも思える。

 しかし、だったらば、父親の疑うタイミングが娘の眼球の色を確認した段階でなければ道理ではないはずだ。


「……貴方はきっと、鑑定結果を既にご存じだったはずです。されども、それでも、嘘偽りの無いの豪語したその口で公然と嘘を宣った。並々ならぬ理由があったはずです。それこそ、死後土を被せられた今になっても隠したい事柄で、二人の家族を殺した以上に隠蔽したい事柄なのでしょう」


 それを、父親自身、否定したかったのかもしれない。それこそ、私の前に化けて出てくるくらいには。

 だから敢えて私をソクラテス役に徹しさせ、尋問役のソクラテスを納得させたかった。

 ソクラテスとは、彼にとっての自分自身の良心の呵責だ。

 ソクラテスを黙らせたかった。自分の心を騙したかった。


「……つまり、僕が人身売買で身売りされた子供であったことを隠匿したいがための殺人であったと、そうとでもいいたいのか?」


「……動機は別にあるように思えるのですが。ともかく、貴方が人身売買された子供だったらば、筋が通り過ぎるのです。貴方がわざわざアジア圏へ足を向けたのだって、本当の血縁の家族を探す旅だったならば理解できる。教会の悪事を知っていたのだって、貴方自身が当事者だったから。なんだったら西田ツボミさんと懇意の仲になったのだって、彼女の為のドナーを募ったのだって、ドナーを通じて教会の暗部に介入し自分の家族探しに役立てられると思ったから、」


「……違う。……僕は、そんなつもりじゃ、」 


「……いいえ、違いません。貴方は臓器売買のルートを掴み、そこからドナーを割り出す算段だった。その地の料理に腹が合わないぐらいには貴方の知り得る土地ではなかったでしょうから、より必死になって教会の闇を知る人間との接点が欲しかったことでしょう。だから西田ツボミさんを垂らし込み、彼女を利用した。ボンボンの慈悲であれば怪しまれないから。しかし、天文学的な偶然に遭遇してしまった。まさか貴方もいきなりヒットするとは夢にも思っていなかったことでしょう。貴方の購入した眼球は、貴方を売り飛ばした身内の眼球だった。だから西田ツボミさんの眼球と貴方のDNA鑑定は近親という結果が出た」


「……お前の言っている言葉は全て虚実の出鱈目だ。根拠がない。……根拠がない!」


「……いいえ、これは事実です。事実として貴方と西田ツボミさんの眼球との鑑定結果は近親と出た。以上の仮説が事実ならば、西田ツボミさんが失明したのだって、眼球をくり抜かず保持し続けたのだって頷ける。貴方の心情は途方もなく膨れ上がる虚空で埋め尽くされたことでしょう。その様子を視力の戻った彼女は視認してしまった。貴方の探し求めていた近親の眼で、です。だから失明し直した。貴方の悲しむ顔を文字通り見たくなかったのでしょう。だけれども、自分を救ってくれたのも眼球だった。眼球の障害が無ければ、貴方との接点さえもなかった。だから嵌めたままにしておいた」


「……もういい、もういい、やめろッ!!」


「……彼女にとってそれは、結婚指輪と同義出会ったからではないですか?」


 怒号が轟く。それは、血塊を噛み砕くような怒号であり、ここが白昼夢であることを忘れさせるほどであった。

 父親の大きく低い声は、私の臓器の底にまで響いた。彼にとって、ここからは踏み入るべきではない境地だったのだろう。けれども、土の付着した肉球で踏み入ってくれと招いたのも彼自身だ。きっと、父親本人からしても、この奥の見窄らしい悪夢をもう閉じ込めきれなかったのだろう。

 これは、消せども消えぬ悪夢だ。腹の底に忍び、隙を見せれば喉仏に飛び掛からんとする悪夢。

 ソクラテスは、虚栄を暴く。彼の死は、断じて事故などではなく、さりとて贖罪の心中でもない。

 もはや、これは推論の域にすらない断言である。

 

「……貴方の一家心中の本当の動機は、魔女狩りではなく、心中そのものだったのではないですか?」


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「……惨めだと笑ってくれ。僕は屍人になりながらも、僕の心に辱められているのだから」

 

 父親は、掌で顔を覆う。髪を掻き上げ、しかし口元は自身への嘲笑に汚れる。

 ははは、と乾いた笑いが痛々しく耳朶を打つ。父親は沈黙の末に「あぁ、騙せないものなのだな」と。彼の言葉にならなかったグジャグジャの感情は、きっと暴れながらも心の箪笥の奥深くに閉じ込められていたのだろう。けれども、彼はソクラテスに尋ねてしまった。

 だから、とうとう言語化されてしまった。言葉が紡がれ、感情は屹立する。すると、懺悔の二文字が浮かぶのだ。

 

「……僕の赤子の頃の話だ。ドイツの両親は裕福ではあったが、不妊に頭を悩ませていたようでね。それはもう、悪どい教会に多額のお布施を支払って、僕という恩恵を授かるほどには。僕の旧姓、教会の人身売買の記録にもあったよ。もう資料を見ている段階では確信を得ていたから驚かなかったけど」


「……どうやって、自分が人身売買された赤子だって知ったのですか?」


「……知ったきっかけは、つまらないものでね、些細な親子喧嘩だった。喧嘩の内容さえ思い出せない程度にはどうだっていい喧嘩。相手は父さんでね、父さんは捨て台詞にこんなのを残したんだ。「本当の息子でも無いくせに」って。けれども、それを口走った父親はハッとして、一転、僕に謝ってきたんだ。それはもう潔い身の翻しで、「今のは言い過ぎた」「言葉の綾だ」「忘れてくれ」「すまなかった」ってな具合で。僕は何のことだかわからず呆然としたよ」


 懐古する父親の表情は、激昂した後だというのに妙に穏やかで、まるで憑き物でも取れたかのように無気力だった。

 時には微笑を浮かべながらも、自身の母の話も始める。「母さんなんて、父さんとの喧嘩を知った時、父さんをぶったんだよ。初めて見たね。母さんが人に手をあげるところ」なんて、たわいもない話をするかのように、無邪気に私に語りかける。

 私は、ただ、彼の積年の告白を頷くわけでもなく、聴いた。


「……こんなことされちゃ、ボンクラな僕でもわかってしまう。何か、やましい事があるって。幸い、ジャーナリズムの才能があったようで、案外楽に証拠を揃えられたよ。僕が両親の血縁上の子供では無いってこと。……するとね、両親は口を揃えて「お前を愛している」「お前だけが私と母さんの息子だ」「お前だけ私と父さんの家族だ」「腹を痛めて産んだ子では無いけれど、それでも、繋がりはあるんだ」ってね。実際、その通りだと思うよ。僕は血液博士でも無いんだから、血縁に拘泥する理由だってない。家系図を紐解けば、僕の地位は紛れもなく両親の線の間に位置する。……愛はあったよ。そこに、愛はあった」


「…………」西田クリスチャンは、愛はあったと嘯く。


「……でも、詭弁じゃ僕の心は納得しなかった。血縁関係だけが、本当の家族たり得た」


「…………」西田クリスチャンは、されども愛を希求する。


「……綺麗事を綺麗事で脚色し、実子以外の子供も愛せよと神や社会が強制する。そこに異議は差し込まれてはならないんだ。けれども、心だけはどうしようもない。僕も、僕の血縁のない家族もそう思っていたのだろうな。心の何処かでシコリが疼いていて、けれどもそれを爆発させることは非難轟轟の社会悪だからと心を捏造した。……結果、不完全燃焼の爆弾が心に巣を作った。焼き払おうと思えば引火してしまう、危険な巣だった」


 だから、と父親は続ける。自分の血縁の家族を探しにアジア圏に旅立ったこと。インドに辿り着いたこと。教会の懐に探りを入れたこと。西田ツボミに会ったこと。そして、血縁関係にある近親を探り当てられたこと。

 私の推論は概ね認めていたようだったが、「ツボミは自戒の念で失明したというのは、……いや、」と言葉を濁した。


「……インドの場末の病院。そこには、血縁上の父と母、そして姉がいたよ。全員、死んだように眠っているのか、眠ったように死んでいたのかわからない状態だった。胡散臭い医者曰く、全員、脳死状態だったそうだ。経済的な理由だったそうだが、密室で練炭燃やして自殺を計ったらしい。一家心中だそうだよ」


「…………」


「……ははは。脳が壊れるかと思ったね。僕はそれを、羨ましいと思ってしまった」


「……羨ましい、ですか」


「……探し他人が植物人間状態で。でも、そこには望みが絶たれた絶望感なんてもんはなくって、なんていうかな、その時の感情や衝動は感動ってのに近かった。これが本当の家族で、家族の在り方で。絆とか、信頼とか、愛情とか、そんな曖昧なものは掻き捨てて、情愛の通わぬ運命の繋がり一つを握りしめて死ぬことを決意する。……それを、前の家族でできただろうか、と。いいや、そはきっと、ただの自殺だ、と。そう思った」


 悪辣と呼ぼうか。冷徹と呼ぼうか。私は、善悪の礎に無い、無垢な情動だと思った。

 これは、先人の築いた社会矯正に噛み合わなかったバグである。それが仮に悪ならば、人間は人間たらしめないだろう。人間の自我や個性は社会に埋没して二度と日の目を浴びることはない。それが善というのならば、かの哲学者トマス・ホッブスの説くよう、万人の万人による闘争の日々となるだろう。

 それが善ならば、西田クリスチャンは家族を殺さなかった。しかし悪と断ずるならば、さもありなん。


「……信じてくれとは今更言わない。けれども、本当に、本当なんだ。一家心中を計った動機は、決して血縁との心中の為じゃない。この狂った情動に突き動かされたのではないんだ。僕は、耐え切った。一時の気の迷いに運命を支配されずに、耐え抜いたのだ。……僕は、あの魔女を止めたかっただけなんだ。魔女の正体、お前だって知らないはずもないだろう。僕は見たんだ。僕の命日の二日前、お前はツボミと何かを話していただろう」


「……いいえ、話などしてしません。営業日でしたからね」


「……猫が僕を騙すものじゃないよ。そんなわけがない。あの日は篠突く雨の日だった。休業日だったはずだよ。よくは聞こえなかったが、だが、何かを話していたはずだ。……お前はあの日、一体、あの魔女と何を話していたというんだ?」


 私は押し黙ることしかできなかった。その通りだ。確かに、彼ら家族の命日の二日前、あの魔女との対談の機会を得ていた。雷雨轟く薄暗い日だったのを覚えている。とにかく濃度の濃い時間だった。一文字、一文字、書き起こせるぐらいには克明に記憶しているほどの時間だった。

 だが、叶うならば、これを話したくない。彼のため、彼女のため、口にすらしたくない。


「……どうして、話せないんだ」


「……話せば、貴方は本当の意味で死にますよ。話せないんじゃない。話したくないのです」


「……もう今更、何をどうやって死ねというのだ。僕は昨年、僕と僕の妻と、誰の子宮だかわからぬ子供と死んだ。もうじき、僕とお前との話の場も消え失せてしまうだろう。だから、冥土の土産とでも思って話してくれ。……僕に、本当のことを聞かせてくれ」


 私は、深くため息を吐き、コクリ、と小さな頭を縦に振るほかなかった。

 これから暴くのは作法に則った嘘である。すなわち、局所的な嘘であり、彼でさえも彼に騙されている嘘である。それを暴こうというのだ。だったらば、暴く私に罪があるのも道理だろう。暴かなければ、暴かれなかった事実なのだから。

 だが、私は彼に感謝すべきでもあるのだ。ならば、要望に応えよう。

 ……これは、私からのとっておきの礼でもあるのだから。

 

「……話しましょう。私は、本当に貴方に感謝しているのです。私の代わりに、アレを殺してくれたのですから」

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