第3話 魔女と黒猫 『魔女狩り』

 ひどい雨風だ。今年何度目かの記録的な台風云々号が本土に直撃したらしく、叩きつけるような雨粒と吹き飛ばされそうな強風にはほとほと参る思いだ。テレビのニュース特番では行方不明者の捜索が報道され、政府関連の災害対策の粗に目を光らせている。いい飯の種だと蔑む反面、すこし自嘲的にもなる。

 時刻は日暮前の夕暮れ。場所は小高い丘の上。私は古びた小屋のような家の前でにゃーと鳴く。

 それは家主の耳にも届いたようで、ガチャリ、とドアが開く。


「……はいはい。あら、あらあらあらあら」


 そこから出てきたのは、先日のおばあさんだった。


「どうしたの?君、アリスちゃんところの黒猫ちゃんじゃない?嵐の中で迷子にでもなっちゃったの?」


 私の目線に近づくために腰を屈めるおばあさん。先日の魔女と接するような態度で私にも接してくれる。私は黒猫だ。人間ではない。そんな私相手にも愛想良く対応してくれているのは、きっと魔女の功労によるところだろう。おばあさんは元気であった。魔女は確かに一人の人間をその手で救ったのだ。


「あらあら、ずぶ濡れじゃない。うちのタオルでよかったら拭いてあげるわ、ちょっとお古だけど」


 そう言い、おばあさんは木の材質の箪笥からタオルを取り出し、そのまま私を包んだ。

 世話焼きな人のようで、私のために木皿に水を注ぎ、暖炉の用意までしてくれた。私は水は貰わず暖をとる。そんな機微もよく見ており、「ミルクにしてあげた方が喜んでくれたのかしら?」なんて思案しながら木の椅子に座り紅茶を飲んでいる。飲み終えたところを見計らい、私は机の上に飛び乗った。

 机上に座る。行儀は些か悪いが、ともかくおばあさんの目線と合わせたかったのだ。

 それでやっと、対等な対話が叶う。

 

「こんにちは、おばあさん。お元気そうでなによりです」


「……あら、あらあらあら。珍しいこともあるものね。猫ちゃんが喋ったわ」


「今まで黙っていたことのご無礼、ここにてお詫び申し上げます。ですが、こうして話さずにはいられない事情がありまして、勝手ながら談話の機会を設けさせていただきました。魔女に支える黒猫は言葉を操るというのが創作でもテンプレートです。ここは素直に話を聞いていただけると助かります」


「ふふ、丁寧なお言葉。これじゃ、『猫ちゃん』じゃなくって『黒猫さん』って呼ばなくちゃね」

 

「どうお呼びいただいても構いません」


「では黒猫さん。お話、伺おうかしら」


「既にご存知のことかとは思います。貴方の悪行を咎めに参りました」


 さて、これからは敬語は抜きだ。私とおばあさんの間柄に敬意も尊敬も尊重もない。

 なぜならば、もう既に私とおばあさんの目線は同じ位置にあるのだから。


「私の悪行?はて、なんのことやらさっぱり」


「とぼけるのですか。意外です。貴方のことですからてっきりおおぴろに自白するものかと思っていましたが、まだ警察にも目を付けられていないようですし欲でも出てきてしまいましたか?」


「ふふふ、そうね、せっかくです。世にも珍しい話せる黒猫さんのお話を伺いたいわ」


 おばあさんは、穏やかに笑う口を手で隠す。

 彼女にとって、これはただの道楽に過ぎないのだろう。柔和な笑みを浮かべて私の推理待つ彼女にとって、これは限りある余生を飾る道楽。そうでもなければ、もっと狡猾に、悪辣に、証拠の隠蔽を行なっていただろう。けれども、彼女はそれをしなかった。

 ともすれば、『バレることまでが計画のうち』だったのかもしれない。

 だから、私は彼女の悪行を確信を持って断定できるのだ。


「はじめに紹介しておきます。山内優希くん。ご存知ではありませんか?貴方の愚行によって昏倒状態にいる子どもの名前です。うちのアリスよりもすこしだけ年上の少年で、風説に聞くところによれば市内でも有名なサッカー少年であったそうです。優希くんの所属する少年チームは強豪とは行かないまでも有名なサッカー団体のようで、彼はその団体の中でも居残り練習を欠かさずしていたそうです。そんな未来ある子供が、今は起きることなく眠ったままです」


「あら、それは可哀想なこともあるものね。けれど、人間は脆い生き物だもの。私の夫もそうだった。そんな災難の一つに、その山内優希くんも巻き込まれてしまったのね。……私はその子のことを知らないけれど、親御さんもきっと辛い立場におられるのでしょう。心中を察するわ」


「やはり、ご存知ではありませんでしたか」


「ええ、残念だけど、知らない子ね」


「そうでしょうね。だって、彼は貴方の『多数いる被害者のうちの一人』でしかないわけですから」


 おばあさんは困ったように眉を八の字に顰める。実際には相好を崩さないようにしているだけなのかもしれないが、これは優希くんだけの事件などでは決してない。下手をすれば、街全体を覆う大事件である。いまだに表面化していないところを見るに、警察がよほど慎重に事を運んでいるのだろう。

 そう思えば当然なのだ。当然、優希くんの事件について警察の動きが遅々として進まないわけだ。

 被害の実態は、おばあさんの加害の実態は、目を覆いたくなるほどの最悪で塗り固められている。

 おそらく、この街の少なくない子供達が既に手遅れだ。


「貴方は、アリスから貰った軟膏の薬を、そのまま子供達に横流ししていましたね」 


 そう、あの『麻薬』を、彼女はばら撒いていたのだ。


「……ふふふ。いったい、何のことかしら。私は処方された通りに軟膏を利用しているわ。アリスちゃんのお陰で元気いっぱいよ?」


「よほど楽しくて仕方がなかったのでしょう。それこそ、『麻薬』になど手を出す暇がなかったくらいに。そもそも、貴方が本当にアリスの母親から世話を受けていたというのも疑わしい。アリスの母親は碌な人ではありませんでしたが、子供が大変な時期に縋り付かれるくらいには名の売れた人だったようです。ですので、ご隠居されて久しい貴方でも、私達の店は隣人でしたし、ご存知でもおかしくありません」


「……つまり、なにが言いたいの?」

 

「新しく『麻薬』を貰ったってことなら、依存していないのも不思議はないということですよ」


「……ふふふ。推論の上を推論で固めるなんて、貴方が探偵なら聴衆の笑いものね」


「だったら、もっと証拠を提示したほうがいいですか?」


「ええ、もちろん。だって、言いがかり甚だしいですもの」


 嫌味を溢しながらも、表情は穏やかさを保っている。きっと、容疑者気分でも楽しんでいるのだろう。その証左に、彼女はレコードを起動させる。「ベートーベンの『月光(ソナタ)第1楽章』よ。私、この曲が好きなの」と。まるで、さて、くだらないミステリーでも解いてくれ、と言わんばかりだ。

 もっとも、こんなもんはミステリーでもなんでもない。事象と事象の偶発的な連なりである。


「証拠が必要ですか。では三つほどありますので、まずは状況証拠から」


「……ふふふ。ふふふ、楽しわね。人と話すのは楽しいわ。いえ、貴方は猫だったわね」


「……まず一つ目、先日のことです。私達はここからの帰路にて、子供達を発見したした。こんな山腹の奥地、隣人の私も一苦労な場所に、です。今にして思えばすごく不自然だ。あの時、実は子供達は待っていたのではありませんか?私達の帰宅を。そして、貴方からの『奉公』を」


 あの時、手を振っていたのは他の子への合図だったのではないか。

 あの時、戯れ合っていたように見えた行為は取り合いだったのではないか。

 ……だとすれば、悍ましい事、この上ない。


「……『奉公』?」


「ええ。だって、おかしいですよ。世間から隔絶されて、金銭すら持ち合わせているのか怪しい貴方がミルクや紅茶を仕入れているのですから。とすれば、誰から、となるのは当然の疑問です。ですが、貴方から『お薬』と評される『麻薬』を受け取る『御恩』に報いるものであれば、現物支給は理に叶う」


「つまり、私が飲んでいるこの紅茶もミルクも、子供達から物々交換したものだと?」


「ええ、その通りです。違うのですか?」


「……ふふふ、黒猫さん、それはちょっと暴論が過ぎるのではないかしら?私だって人間ですのよ?文化的な営みとして、最低限度の交流、それこそ紅茶やミルクを調達するルートぐらい確保していてしかるべきとは考えられませんか?」


「……そうですね。そういえば最近、紙幣の刷新があって福沢諭吉から別の方に変わったそうです。どなたでしたっけね?」


「……ふふふ、黒猫さんは知らない方よ」


 ……いいえ、おばあさん、それはない。なぜならば、紙幣の刷新はまだだからだ。

 それさえ知らないのだ。であれば、やはり彼女は金銭での購入などしてない。


「では、二つ目。何故警察が優希くんの事件を追えていないのか。優希くんの母親から話を聞くに優希くんはボロボロの姿で帰宅したようです。「取られちゃた」とも言い残していたそうです。いったい、誰がボロボロにしたのでしょうか。動機はなんだったのでしょう。まず考えられるのは、容疑者にも入らなさそうな人物による犯行の可能性。それも複数人での犯行ともなれば口裏も合わせやすかったでしょう。さて、そんなグループはいったい何処の誰でしょうか」


「……貴方は、その容疑者が子供達だって言いたいのかしら?


「そうです。子供達がこぞって優希くんに暴力を振るった。それこそ気を失わせるまで、何度も、何度も。貴方の横流しした『麻薬』もあれば動機は十分ではないでしょうか。優希くんが『麻薬』を独占しようとしていたならば、またその意図の疑いがあれば、グループに結束だって生まれるでしょう。あの時にやりすぎたのは優希くんが悪いんだって。それも『麻薬』で頭がやられている中での話し合いだ。まともな判断はできない」


「……加えて子供達の犯行だなんて警察も思わない、と?」


「貴方が『麻薬』を配っていたと考えると、いろいろと辻褄が合ってきます」


「ふふふ、そうね。いろいろと辻褄は合うわね。それで、私に直接繋がる証拠はまだかしら?」


「三つ目ですが、街中で瓶を大事そうに持っている女の子を見かけました。そういえば、貴方にアリスが渡していた『麻薬』の容器も瓶でしたね」


「……その瓶を確認した、と?それとも、瓶の出処を貴方の得意な話術で引き出した、とか?」


「……そろそろ認めてくれませんか。実を言うと、私は貴方と話すことが億劫なのです。なんせ、猫ですから」


「……ふふふ、そうね。そうよ。私が配ったの。貴方の推論通り」


 おばあさんは三度紅茶に口をつける。無駄な悪あがきなどはせず、それどこかひどくあっさりとした自白であった。その口で飲む紅茶は格別に美味なようで、紅茶を見つめて頬を緩ませている。そこに映る自分の姿に語りかけるように、おばあさんは経緯を語る。

 そうよ、私がやったの、という口上で始まった。


「面白かったわ。だって、こぞって子供達が群がるのだもの。一度配れば、後は入れ食い状態。よく今の今まで警察の来訪がなかったと驚くぐらいに沢山来たわ。きっと最近の子は小知恵が回るのでしょう。そのせいか、あの子達、おかしいものでね、私の軟膏をタダで貰おうとはしないのよ。何かの報酬という形で貰いたがってね、牛乳だったり、野菜だったり、野菜の種だったり、私がレコードが好きだと知っていた子はレコードを持ってきたわ。きっと両親の書斎からでも盗んできたのでしょう。私、一度だって「何かが欲しい」なんて言ってないのに馬鹿な子達だな〜って思ったものよ」


 ふふふ、と、おばあさんは嬉々として自分の成果を話す。

 まるで、はじめから誰かに聞いて欲しくて仕方がなかったみたいに。


「何人の子達に配ったのかしら。もう憶えてすらいないわ。でも、ヒエラルキーはあったみたいでね、私から直接受け取る子が上位、その上位から手渡しされるのが中位、そこから薬に染め上げられて搾取されるのが下位。上位は賢い子が多くてね、自分は薬に手を出さなかったの。逆に下位の子はすごく馬鹿。何人かの下位っぽい子供達が私の元に直接来て軟膏を欲しがるの。そしたら上位の子がボッコボコ。ふふふ、それを上位の子は他の下位の子にもやらせるの」


 だから、貴方の推理は半分当たりだわ、と私に微笑みかける。


「そうして共犯意識を持たせ、よりヒエラルキーを浸透させる。上位の子の一部は私の襲撃も考えていたみたいだけど、そうすると私から軟膏がもらえなくなる。ふふふ、おっかしいの、私、そんなことで怒らないんだけどね、上位の子達は一部の襲撃を考えていた子をボコボコにして引きずってきたかと思ったら、私に懇願しだすのよ。「ごめんなさい」「取引は中止しないでください」って。……はぁ、まるで、私が神様になった気分だったわ」


 和やかに笑い話をするおばあさん。彼女は罪人だ。それも、どうしようもなく不愉快で、下劣で、人類の悪を煎じ詰めたような罪人。

 そう、世が世なら、彼女はこう呼ばれていただろう。『魔女』と。


「……でも、一番面白いのはね、全ての原因がアリスちゃんにあるってこと。だから、私の罪状はバレたってよかったの。警察に突き出されてもいい。そこで私はこう証言するわ。「山の麓の薬草屋さんから麻薬を買い取りました」と。そしたらアリスちゃんは大罪人よ。それも多くの子供達を麻薬狂いにした最低最悪の魔女として裁かれる。きっと少年法が彼女を守るだろうけど、彼女の心は絶対に壊れる。壊れて、壊れて、壊れて、修復不可になる」


 老婆の魔女は、私にこう呟く。


「全てが自分の罪であるとアリスちゃんには自覚して欲しい。それが、私の最終目標。だから、バレてもいいの」

 

 私は人間ではない。黒猫である。だから人間の高尚な倫理観など無い。だから私は人を咎める権利はない。正義の所在もわからないし、おばあさんの愚行を愚行と断ずる指標もない。それらを思案せずにおばあさんを一方的に辛辣な行為で裁く行為は、そのまま中世の魔女狩りなのだろう。それは人類史の大罪だ。

 しかし、本当に正義などこの世にあるのだろうか。人が人を裁く権利など、あるのだろうか。

 それは、何処ぞの誰かの高説に則れば達成され得るものなのだろうか。

 私は猫だから、人間の立派な理屈はわからない。だが、このままでは、アリスの心が殺される。

 だったらば、それだけの正義で十分だと考える。なんたって、私は黒猫で、彼女は魔女だから。

 ……だから、これでいい。


「……う、……ううっ!」


 おばあさんは徐に紅茶のカップを落とす。

 パリンと割れたカップに飲みかけの紅茶が溢れており、私はそこに近づかないよう努めた。

 

「美味しそうでなによりです。毒の味は如何でしたか?」


「……なにを、した、の?」


「ドクニンジンです。アリスの農園から拝借しました。井戸のバケツの底に軟膏状にしたドクニンジンを塗っておいたのです。雨の日ですからバケツを裏向きに置いてありましたので、気づかなかったのも無理はないと思います。わざわざバケツ裏を確認することもないですもんね。変な味がしなくてよかったです」


 おばあさんは苦しそうに悶えている。呼吸が苦しそうに首元を掻き、血走る眼で私を睨んでいる。


「ドクニンジンの毒性はとても強力なようで、初期症状は身体の硬直、次に足の方からじわじわと麻痺していきます。そして最後には呼吸困難で死に至る。この毒の最も恐れられる理由の一つは、その間、ずっと意識ははっきりしたまなことのそうです。よかったですね。まだ後少しの間、お話を続けられますよ」


「……あ、ああ」


「すみません。さっきは話の途中で切ってしまって。実は貴方が犯人であると思った証拠は別にあるのです。空の瓶なのですが、貴方は軟膏を受け取る際、先日分の空の瓶を返却されなかった。普通、瓶なんかは使い終われば生産者に返すと聞きます。瓶なんて処分に困りますし、再利用も可能ですからね。しかし貴方は返却しなかった。それなのに、処分先が何処にも見当たらない。生ゴミや燃えるゴミは下の畑にでも肥料として使えるそうですが、瓶だとそれも難しい」


 もっとも、確信を得たのは別である。

 私は、彼女ではない、『他の人物』による空の瓶の処分現場に心当たりがあったのだ。

 その空の瓶にへばり付いて軟膏の残骸を取って調べてみれば、まだ一人にしか配ったことのない『麻薬』の成分が検出されたというわけだ。とはいえ、成分の検出というと理知的なように思えるが、その確認作業だけは魔女に託した。絶対に魔女に事を悟られないよう、細心の注意を払って確認をとった。


「……あと、貴方の目論見はこれから全て頓挫します。手始めに、私は魔女に命令しておきました。「農園ごと薬草を燃やし尽くせ」と。アリスが私の言うことを素直に聞いてくれていれば、今頃ビニールハウス内の農園は火の海でしょう。煙や延焼も嵐のおかげでなんとかなりそうです」


 なんせ、自他ともに認める山の麓の僻地である。気付かれるリスクは極限に少ない。

 それに、仮にバレたとしても、薬草さえ燃やせていれば言い逃れなんていくらでも出来る。


「……楽に死ねるとは思わないでくださいね。貴方には私の隠蔽工作の責任を全て担ってもらいます」


 返事を待たず、私は持参した軟膏のレシピの薬草をおばあさんの家のキッチンや箪笥に仕込む。

 

「……な、なにを」


「今から来訪者が来ます。警察なんかじゃありませんよ。もっとおっかない人です。貴方が仰っていた不審者さんなのですが、どうやら彼は優希くんのお父さんだったようで、ずっと優希くんを苦しめた『麻薬』の販売元を探していたそうです。彼、思えば『麻薬』の存在を知っていて、それで優希くんを叱るために手を上げていたのでしょう。母親にも心労を慮って黙っていたようですし、出来た父親です。もっとも後半は私の推論でしかありませんが、前半は事実です」


 そう、『麻薬』の瓶を処理していたのは優希くんの父親である。処理場所は山地の水の溜まった洞穴。私も落ちてしまったところだ。

 プラスチックごみなどを見るに井戸端会議で失踪の噂のあった少年少女がねぐらにでも使っていたのだろう。優希くんの父親は、その子たちから『麻薬』を奪うついでにその場から少年少女を追い出し、手元にあった『麻薬』は不審者情報が出回っている街中ではおいそれと捨てられずに洞穴に処分したのだろう。

 証拠だってある。足跡だ。子供達の足跡が散乱する中で、一人分の大人の足跡が混ざっていた。その大人の足跡だけが、洞穴に向かっていた。

 そんな経緯があり、私はあの洞穴の中に溜まった水には異様な感覚に溺れかけたのだ。

 私が街中にまで確認しに行ったのは、不審者のビラの顔写真の特徴が誰かに似ていると思ったからで、もう一度優希くんの部屋の写真たてを覗くとビラの顔写真にいた男性が写真の中にも居たのだ。優希くんの母親がこれを知らないのは、父親が街中の不審者のビラを回収していたからだろう。

 きっと気付かれるのも時間の問題だっただろうが、優希くんが気を失ってから四ヶ月、彼は自由に行動できた。


「……その人が、ここに、来るの?」


「ええ、おそらく。さっき、呼びましたから。あいにく『麻薬』の入っていた瓶が沢山捨ててあった場所には心当たりがありましたので、瓶の中に「貴方の復讐相手は山奥の古屋にいます」って手紙と地図を入れておいたのです。飛んで駆け付けて来るのではないでしょうか」


「……ふふ、ふふふ」


「それと、もう一つ。貴方の野菜畑を荒らしておきました。ちょうど、猪にでも掘り返された具合に。そこに『麻薬』の材料も含ませておきましたし、鶏にも餌として与えてみたので、思考ロックが掛かった方ぐらいなら貴方が生産者だって騙せるのではないでしょうか。……それに、今日は嵐の日です。優希くんの父親が冷静な対処をされたとしても、私が貴方を事故死に見せつけます。嵐の日にご老人が畑の様子を見に行って、なんて、よくある話じゃないですか」

  

 そうでなくとも、私がさっき仕込んだ『麻薬』の材料だってある。それを出汁にけし掛ける事だって可能だ。

 つまり、どう足掻いたって、おばあさんがここから生き残る術などない。『犯人』という肩書きと共に死んで貰う。


「……そうして、この事件は人知れず幕を閉じる」


「……ふふふ、あはははは」


「まぁ、貴方の行先なんてどうでもいいのです。結果、私達に疑いの目が向けられなければ、それでいいのです」


「……私『達』じゃないでしょ。アリスちゃん、彼女が無事なら貴方はそれでいいと思っている」


「そうですね。私は私のこと大事に思っていますが、二の次に大事なだけですから。私の一番大事なものを助けるためなら、人だって殺します」


「……ふふふ、楽しいわ、黒猫さん。遺言、聞いてくれるかしら?」


「……どうぞ。お好きに」


「……ふふふ、私はね、子供が憎くて仕方がなかったの。自分で子供を産めなかったから。沢山同情されたわ。でも、同情だなんて酷いわよね。だって、貴方が惨めですって言われているようなものじゃない。どうせだったら嫌味ったらしく罵られた方がよっぽど健全な嫉妬が湧いたものよ。でも、同情っていう立て付けの悪い正義の心が私の心を壊した。だから、もう何も煩悶しないように、余生を隠れて過ごすことにしたの。夫はすぐに死んだけど、それなりに楽しかったわ。人間はね、これを『快楽主義』って呼ぶの。ここはエピクロスの園では無いけれど、激情のない、穏やかな心は保たれていたわ」


 でも、でもね、とおばあさんは掠れた声で私に話す。


「そんな折にアリスちゃんが来たの。数十年ぶりの来客よ。そしたらね、私、心が爆発するのがわかったの!そう、人生観が変わるくらいに!」


 頰を紅潮させ、興奮を露わにするおばあさん。

 そう、彼女の人生は、たった一人の魔女によって狂わされた。


「私は、なんて下らない人生を送ってきたのだろう、って絶望したわ!そして、希望が生まれた!パトスに掻き乱されたの!アリスちゃんは、すごく可愛い子だった。すぐに好きになったわ。でも、私の子じゃない。だって血が繋がっていないのだもの。だから、可愛らしい子だったから、愛らしい子だったから、私の逃げて逃げて逃げ続けたグジャグジャの感情を押し付けたくなったの!それも、出来る限り多くの子供を巻き込んで、大事件にしてやりたかった!」


 彼女にとって、我が子とは愛する対象だったのだろう。

 彼女にとって、他の子とは憎む対象だったのだろう。

 人間の人間による人間のための正義は、そんな彼女の価値観を許さなかった。断罪してきた。圧迫してきた。その歪が少しずつ、時間をかけて、膿んでいった。きっと触れなければそのまま死んでいくはずだった感情の扉のドアのぶに手をかけてしまったのが、魔女だったのだ。

 そして、魔女は道具と機会を与えた。

 魔女が、おばあさんの背中を押した。

 そう、後戻りの出来ない、非人道の世界へと。 

 

「今はね、沢山の子供達や親が不幸になった反面、世界中の誰よりも私が幸せ者だと思うの。そんなものでしか幸せを感じられない私のたった一つの幸せ。魔女のような私だけにしか理解できない幸せ。でもね、社会が悪いんじゃないの。私が悪のよ。それでも、はぁ、楽しかった」


「……そこまで、狂っていく子供達を見るのは楽しかったのですか?」


「……うふふ。そうね。でも、貴方や子供の父親が私を殺してくれることが、……いえ、なんでもないわ。それよりも、貴方はそろそろ目を覚ますべきよ。貴方のためにも、アリスちゃんのためにも。あの子はきっと、とても惨たらしい魔女になる。きっと、私なんて到底足元にも及ばないような魔女になるわ。あの子には倫理観が無い。『麻薬』を私に渡せば幸せになるって本気で思っている子よ。それを止めない貴方は、夢遊病者を見ているようだわ」


「…………」


「ねぇ、黒猫さん。貴方は、あの魔女を殺すべきよ」


 ガンガンガン、無骨な叩扉音が古屋の中に響いた。来訪者だ。誰かは見ずともわかった。

 だから私は古屋を窓から退避した。その際、おばあさんは私のことを横目で見ていたが、すぐにそこには血溜まりができることとなる。来訪者はとっくに冷静さなど失っていたのだ。無惨にも、十回、二十回、三十回、と殴打を繰り返した。傍目でもすでにそれが骸であることはわかった。

 それらを見届けて、私は古屋から去った。もう二度と、ここに来ることはないだろう。

 私は、おばあさんから正義を問われた。

 正義は、魔女を殺すことにあると言った。

 けれども、しばらく、私はその事を心の隅に追いやったのだ。

 なぜならば、正義を問う我がソクラテスは、もう既にドクニンジンの杯を呷っていたのだから。


 参照・引用

 西村裕子『魔女の薬草箱』 脳科学辞典『麻薬』(wiki)【『魔女の軟膏のレシピ』にて、引用・参照。これら薬効はフィクションであり、実際の使用等を推進するものではないことをここに付す。】 出口治明『哲学と宗教全史』【ソクラテスやエピクロス等の哲学者について、参照。】

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