第2話 魔女と黒猫 『昏倒』

 おばあさんの家へと訪問してから数日後。

 場末も場末、田舎の道外れにある我が家に来客とは珍しいこともあるもんで、近所住まいの者と語る三十路ぐらいの女性が魔女を訪ねてきた。だが、ホームパーティーにでも誘うような陽気な雰囲気はまるで無く、頰がこけ憔悴し切っている様子は傍から見ても痛々しいばかりであった。

 魔女はお客さんにお茶を差し出す。虚な目のお客さんも「ありがとう」と力の無い声で魔女に礼を述べてそれを貰った。

 

「……あの、ここって薬草とかを売っているんですよね?」


「は、はい。売っています。いろいろと」


「……失礼なようだけど、お母さんはおられないの?若い女性の店主さんが居られたって話を聞いて来たのだけど、」


「あ、その、ごめんなさい。私は両親ともに既に他界しておりまして。店の切り盛りは私が担っています」


「そ、そうなの?ごめんなさい。本当に失礼でしたね」


「いえ、大丈夫です。……あの、要件を伺っても宜しいでしょうか?私もただ店番をしているだけではありませんから」


 もっとも、強がりの言葉だ。魔女の力量はどう贔屓目に見ようともまだ一人前の魔女などとは到底言えない域であり、せいぜいお手伝いが関の山だろう。それは魔女の母の姿を知っているだけに、余計にそんな風に思えてしまう。それもそのはず、魔女はまだ九歳で、子供で、幼い。

 しかし、お客さんも藁に縋る思いなのだろう。

 九歳の子供相手に、真剣な面持ちで事情を話し始める。


「……私にはね、貴方よりもすこしだけ年上の子どもがいるの。優希って言うんだけど。その子がね、……その子が、ずっと目を覚まさなくって」


 話途中で言葉を詰まらせ涙を目尻に浮かべるお客さん。目を覚まさない、そんなもの私たちにどうしろというのか。そんな私の腹の内など知る由もないお客さんは堰き止めていた水が溢れんばかりに話を続ける。整理のつかない言葉の端々をまとめれば、それは曰く、医者にも聞いたが外傷によるショックが大きく目を覚ますかどうかは判断しかねるとのことだった。あらゆる手段を尽くしたとのことだった。それこそ迷信に取り憑かれ、数珠を肌身から離せないほどに。


「お医者様もダメで、神様にも見離されて、……挙げ句の果てのオカルトでいらない借金までこさえてしまって。冷静になる時分には夫も私に愛想を尽かして出ていってしまいました。……それでもすべきことだと思ったことはすべて尽くしました。やれることはなんでもやりました。……それでも、どうしようもっ」


 これだけ苦しそうな由縁は偏に『諦め』の二文字が彼女の脳裏に過っているからだろう。

 言葉はどこまでも残酷だ。言葉は他人とのコミュニケーション手段であると同時に、自分へのコミュニケーション手段でもある。そして自分が自分の一番の理解でもあるのだ。言葉はぐしゃぐしゃのままの方が幾分かマシだった感情に整理をつけてしまう。すると、理解者である自分が、こんなことを言うのだ。

 ……諦めろ。もう無理だ。するだけ無駄だ。っと。


「……くわしく、優希くんの状況を教えてもらってもいいですか?なんでそんなことになったのか、とか」


「……理由は、私にもわかりません。四ヶ月ぐらい前、優希はよくアザを作って帰ってくる子だったのですけど、その日はすごく異様な様子で帰ってきたのを今でも鮮明に憶えています。なんと言いますか、異様だったのです。まるで何かに取り憑かれてしまったみたいに血走った眼をしていて、服も身体もボロボロだったものですから、私も「どうしたの?」とすぐに聞きました。すると優希は「取られちゃった」とだけ言い残して、そのまま意識を失うように……」


「……優希くんは、今でも眠っていらっしゃるのですか?」


「……ええ。ずっと、眠っています。もちろん警察にもこのことを事細かにお話しさせて頂いたのですが、容疑者の特定も遅々として進んでいないようで。……ごめんなさい。貴方にこんなことを愚痴ってしまっても仕方がないですね。……それで、その、優希が回復する何かを売っていないかと思って、……」


 これは、しかし、残念だが断る他にない。

 もっとも、お客さんも断られることをわかったうえでの来店だろう。居ても立ってもいられず、「諦め」からの逃避の為にここに来たのだろう。やるべきことをやらないといけない、それは謂わば悪あがきの類だ。だったらば、ここで余計な期待を持たせてはならない。キッパリと断らなければならない。

 さもなくば、この人は本当に狂ってしまう。

 だけれども、魔女の結論は違っていた。


「わかりました。出来る限りのご支援をさせていただければと思います」


 一瞬目を丸くしたお客さん。だが、それでも正気を保てているか怪しいとはいえ、子どもの親なのだ。口だけ弓形に笑顔を取り繕い、心意気だけ貰います、ありがとう、と最終的には気分を落ち着かせるハーブと芳香植物を購入し、魔女宅を後にした。

 閑散とした時間が魔女宅に取り残される。


「出来ないことを出来ないと言わないのは、無責任だよ。アリス」


「……でも、……でも、あの人はあんなにも!!」


「でもじゃない。頭を冷やしなさい。貴方はここの店主でしょう?」


 魔女は目尻に涙を溜めている。決壊させていないのは店主としての強がりだろう。こうなると私はめっぽう弱い。だが、叱らなければならない時は、叱らなければならないのだ。それが魔女の付き添いである黒猫の宿命と、魔女のパートナーである私の使命だ。


「私は貴女の為に生きているけれど、この店の店主を名乗る以上、貴女の為に貴方の顧客を慮らならければならない。それが回り回って貴方のためになると信じているから。……そして今日の顧客、……あのお客さんは、貴方の一言で無意味に傷ついてしまうかもしれないってこともわかるね」


「……わかる。ごめんなさい」


 あんまりわかっていなさそうな顔ではあるが、よしとしよう。しかし、私は店主としての魔女には責任が孕むと思うが、普段の魔女には私が責任を肩代わりしてやろうとも思っている。だから、しばらくは魔女の好きにさせようと思うのだ。どうせ、一人で優希くんを助ける手段がないか考え込むだろうから。

 そのため、とりあえずは外出することとした。

 丁度、私もやりたいことがあったのだ。そのついでだ。


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 実を言えば、あのお客さんと会うのは初めてではないのだ。

 どこかで見覚えのある顔だな、なんて思っていたのだが、そう言えば以前に街中であのお客さんとそのお子さんに頭を撫でられた記憶が朧げながらある。子供は無邪気で無遠慮なものだからヤンチャな手つきで私を撫でまわし、そこに当時のお客さんは、こら、やめなさい、と子供の手をはたき諌め、ごめんなさいね、と次は優しい手つきで撫でてもらったものだ。見た目も雰囲気も一転した様相であったために咄嗟にはわからなかったが、そうか、と私は振り返る。

 当時の彼女はとても聡明そうな印象で、美人な人であった。当時の魔女の母と見比べて溜息をつくほどに。

 今に思えば、あれも数年前の話。あれから引っ越していなければ、お客さんは今もあのあたりに在住だろう。

 日曜日の昼間、世間的には休日とも会って、街中の様子は賑やかであった。休日だというのに汗水垂らして働くサラリーマンは疲れた顔で時計を睨みつけ、乳母車を押すお母さんは泣き喚く赤子を胸に抱き寄せ、瓶を大事そうに抱える少女は往来をとっとこ走り、太陽が眩しいせいか俯いて微動だにしないおじさんはベンチに座っている。人間社会はせせこましいものだ、と黒猫である私は達観しながらも、自分もそう変わらないと自嘲する。

 ここいらのはずだったのだが、なんて他人の敷地の石塀の上を歩いていると、


「――――――ほんと、やだわねぇ、物騒な世の中になってきたわ〜」


「――――――そうそう、ほんと。そういえば、そこの家の山内さん宅のお子さんも昏倒状態らしいわ」


 恒例のおばさん同士の井戸端会議だ。井戸端会議などというのだから井戸の近くでひっそりとしておいて欲しいものだが、昏倒状態のお子さんの話であれば私もちょうど興味のあった話なのだ。是非もなく、私はおばさんの会合に小耳を挟むことにする。


「やだわねぇ、やだわねぇ。あれ、ほんとは虐待なんじゃないの?ほら、あそこの奥さん、ちょっと教育的な感じの人だったから。それに旦那さんも、このあいだお子さんに手を上げていらっしゃったそうじゃない?」


「私も旦那さんがお子さんに怒鳴っているのを聞いちゃって、いや〜ね、ほんと、こう言っちゃなんだけど自業自得かもしれないわね〜」


「それでねぇ、今は駅前で怪しい広告を配っている宗教にハマっちゃったみたいでね〜。人間、あーなったら終わりねぇ」


 身振り手振りで自分の話がいかに面白いかをアピールする二人組。

 他人の不幸は蜜の味というが、嬉々として他人の不幸話に花を咲かせるおばさん達には平凡な日常には欠かせないピリッと効いたスパイスなのだろう。私にはいざ我が身に不幸が降りかかればと思うと他人の悪口など決して口には出せないのだけれども、それは私の倫理に過ぎない。倫理を口にして他人をどうこうしようって方が幾分もタチが悪いのだ。だから私は黒猫らしく、おばさん達の井戸端会議に耳をぴくぴくさせるに留める。

 しかし、虐待、とな。お客さんの夫は家を出たと聞くが、この昏倒状態の理由に彼は何か噛んでいるのだろうか。


「自業自得で思い出したんだけど、近頃は山内さん宅以外にも子供達の素行が悪いって回覧板が回ってきていたわよね〜。あれでしょ?家に帰らない子も沢山いるんだとか。やだわねぇ、最近の子はませちゃって。私たちの時代なんかとは大違いよ。親もちゃんと教育しないといけないわ〜」


「グレているのよ〜。ほんと、私たちの時代とは大違い。ははは」


 そこから先は昔日の話であった。「私の学生時代は〜」から始まり、「これだからうちの旦那は〜」で話が締め括られたかと思えば、「そう言えばあのお宅は〜」と話が一周する。おばさんの話は思った通り随分とつまらないもので、あくびが五回ほど出たタイミングで私は石塀の上を後にした。


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 流石に家の中にまでは入れなかったが、住所は特定できた。思った通りの辺りの場所で、お客さんの姿が窓越しに見えていた。

 井戸端会議に登場した山内さんという名はその通りであったそうで、すると近くのベットで眠っている子供が優希くんなのだろう。山内さんは寝たっきりの優希くんの身体をタオルで拭いたり、ストレッチに足や腕を動かしている様子だったが、その合間、合間、とめどない涙を頬に伝わせていた。

 来客がったようで、山内さんは作業を一旦止め、来客をリビングに招く。

 来客はスーツ姿の男女の二人組で、祈るようなポーズをしている。遠目でわかった。あれは宗教家だ。二人組は何かの偶像を山内さんに渡し、山内さんはその対価として金銭を払っている。十中八九、あれは詐欺だ。山内さんも、そんなことは薄々気付いているのだろう。だが、やめられないのだ。心を込めて祈れば、心ばかりの金銭を払えば、全てのリソースを投げ出せば、奇跡が舞い込むかもしれない。そんな蝕まれた精神の元のお布施なのだろう。

 私はその間に山内さん宅の窓辺に近づく。黒猫なもんで、誰も妖しみなんてしない。

 窓辺には家族の写真立てが置かれており、その写真でピースをする子供はそこで眠っていた。彼が優希くんだろう。外傷そのものは四ヶ月も前のことだから治っているようで目立った傷はないものの、昏倒状態の彼をどうにかできるようには見えない。奥を見るとさっき魔女宅で購入したばかりの芳香剤を利用しているようだった。


「山内優希くん、彼が我らが神のご慈悲があらんことを」


 リビングの方から微かに談合が聞こえる。耳をすませば、小さいながらハッキリと言葉が聞き取れた。


「……うちの子は、目を覚ますと思いますか?」


「もちろん。だから我らは我らが神に祈るのです。我らの神は決して信徒を見放しません。なんせ、我々の系譜を辿れば、かのキ○○ト教直系の教えを引き継いでいるのですから。由緒正しき我らの教えは一部の県議員、国会議員も信徒なほどです。先日地方選に当選された議員も、我らの祈りと共に祈った結果、危篤にあった親御さんの復調が見込めたほどなのです。貴方は非常に運がいい。我らの神は貴方を非常に気に入っていらっしゃる。私や他の代表は神の代弁者として、貴方と優希くんに幸があらんことを祈ります」


 ここまで無責任なことを言える職業も、下手をすれば大変かもしれない。

 良心が痛まないのだろうか、なんて思うが、二人組も口ぶりからして二人組も心底ナニかに拘泥しているのだろう。自由と平等とは崇高であるとの現代宗教の背景には、自由と平等に喰われた敗者もいる。縛り付けられなければ生きていけない敗者は、ときに犯罪を、ときに差別を、ときに自殺を、そしてときに宗教に囚われる。二人組の腹のうちなど一切わからない。中には金の亡者もいるかもしれない。高額なお布施で私腹を肥やすクズがいるかもしれない。

 けれども、山内さんに安心を与えられるのは、彼女の夫でも魔女でも私でも警察でもなく、妄言を語れる宗教家だけなのだ。


「……気味が悪い。……もう、見てられない」

 

 私は再び分厚い封筒を差し出す山内さんから目を逸らし、私はそこを後にした。


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 舗装されていない山道を通る。この辺であれば獰猛な猛獣もいないだろうし、むしろ街中の方が車両事故なんかに巻き込まれやすいことを考えれば安全まであるのだが、蛇や猪との遭遇はけっこうマズイのでさっさと帰ることとしよう。しかし、いつもの山道だというのに妙にゴミが多いように思える。


「……プラごみに瓶ごみ、それに街中の電柱に貼付されていたビラまで散乱しているじゃないか」


 ビラなんて、どれも顔写真入りの不審者情報のものだ。そのせいでより一層不気味に思えてくる。

 まるで誰かが最近までここに住んでいる、ないし、今なおここに住んでいるようじゃないか。わざわざ人目を憚るような山中でそんな生活をしているのであれば、そんなもの野蛮人もいいところである。私はそれらの散乱するゴミを避けて歩いていると、


「……せっかくの自然なんだから、汚さないでほし――――――」


 ――――――私の足は空中に取られた。スカした感覚だ。つまり、あるはずの地面がそこにはなかった。

 私はなすすべなく、そのまま回転しながら転げ落ちた。


「……イッテテ。……なんだ、ここ。洞窟?洞穴?くそう、底に水が張っていて見づらいし、」


 それに、肉球がジンジンと痛む。これは水底のガラスの破片にでも切ったか。

 ……いや、よく見てみればガラスの破片は私の肉球を切ったものだけではなく、木漏れ日を乱反射する勢いで散らばっている。相当な量だ。てっきり水面の反射だと思っていたものだから油断したが、すでに目が痛い。ガラスの破片を踏んだ手前、目を擦るわけにもいかないし、さっさと離脱しなければ。

 それに、ここはなんだか気分が悪くなる。水を少し飲んだせいか。なんだ、この水。

 ……ふらふらとする。まるで神経の糸が解けていくように、理性が砕けていく感覚。


「……ダメだ。ここ。くそう。なんか悪い物質でも投棄したんじゃないだろうな。頭がおかしくなりそうだ」

 

 私はすぐにその場を後にした。だから、私はその場にあった散乱した靴跡のサイズにまで気が回らなかったのだ。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 帰宅してみれば、本と本と本ってな具合で本が乱雑に広がっていた玄関があった。

 魔女だ。魔女の悪い癖である。魔女は一度調べ物を始めると没頭する癖があるのだが、そこまではご愛嬌というか、勉強熱心なんだと割り切れる。だが魔女はその上でタチが悪い。というのも、ここにある本を片付けるのは私なのだ。猫の手は肉球であり、今日なんかは怪我もしているのに、これらを片付けられると魔女は本気で思っているのだ。本を本棚に片付ける魔法なんてものはないのだから、魔女は散らかした後の段取りまで考えた上で散らかして欲しいものだ。

 もっともはじめから散らかして欲しくなどないけれど。


「まったく、猫使いが荒い主人なこと、……ん?」


 これ、『軟膏のレシピ』って、あれか。魔女がおばあさんに渡していた瓶詰の。

 整理整頓中に読み物とは最悪の相性であることは承知済みなのだが、ちょっとばかりどんな内容なのかを確認するぐらいであればそう時間も取られないだろう。どうせ私は薬学知識などからっきしなのだ。だから読めると言っても一部だけだろうし、そもそも人間の言葉そのものが時たま危ないと思うのだ。

 だから、流し読み程度で済ませようと本を開いた。


「……なんだ、これ」


 しかし、その内容は到底看過できるようなものではなかった。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 私はそれを読み終えると、魔女の元へと直行した。居場所はわかっている。同じ屋根の下でもう数年間も一緒に暮らしているのだから。だから、きっと分厚い本でも携えビニールハウス内の農園に籠っているだろうし、難しい顔をしながらも私の顔を見つけるや否や出掛け前のいざこざなど忘れてケロッと笑いかけてくるだろうことだって手に取るように分かるのだ。実際に魔女はビニールハウス内に居たし、そこでの魔女は呑気なものだった。

 

「あ、テレス。おかえり。いまね、すっごい薬草の組み合わせを考えていてね!」


 私はそれらの一切を無視して魔女に問い詰める。「これは、なんだ?」と。

 私はさっきまで読んでいた本を魔女の前に投げ出す。

 

『魔女の軟膏のレシピ①』

『ドクムギ』「麦角菌に寄生された麦や小麦などの稲科植物を使用。麦角のアルカロイドにより、多量の摂取は麦角中毒を起こし、めまい吐き気、幻覚、痙攣を引き起こす。だが、子宮収縮作用が強く、子宮収縮剤や分娩促進剤としても用いられる。」

『ヒヨス』「ナス科のヒヨスを使用。ヒヨスのアルカロイドのヒヨスチアミンやアトロピン、スコポラミンが副交感神経や中枢神経に作用し、重量感を喪失させ、宙を浮かぶような感覚になる。酩酊感や幻覚症状が見られる。一方、手術時に筋肉を弛緩刺せたり乗り物酔い止めの効果もある。」

『ドクニンジン』「セリ科のドクニンジンを使用。」

『赤と黒のケシ』「ケシ科のケシを使用。万能鎮痛剤として用いられる。代用可能。」

『スベリヒユ』『レタス』『魔女の生き血』

 それぞれを0,0648グラム用いる。中枢神経を抑制する作用があり、乱用すると精神的、身体的依存性を生じやすく、急性中毒の場合では死に至る場合もある。常用により慢性中毒症状を起こし脱力感、倦怠感を感じるようになり、やがては精神錯乱を伴う衰弱状態に至る。だが一方、一時的な多幸感が期待でき、適量であれば抗不安作用や筋肉弛緩作用、鎮静作用など効果が確認されている。――――――


 私は黒猫だ。だから、これを十分に把握出来る知識もなければ、それの施す作用を予見するだけの思考力もない。私は魔女に支える一匹の黒猫だ。だから、人間の持つご立派で確固たる倫理観があるわけでもなければ、それらを取り締まる法規の存在を理解できているわけでもない。

 しかし、私は魔女のこれを問い詰めなければならない。

 なぜならば、この効能は『麻薬』なのだから。


「……これは、なに?こんな内容のもの、配っているの?」


「……え、なにって、ただのレシピだよ。ほら、テレスも一緒にお手伝いに行ってあげたおばあさんに渡した軟膏の。まだ私が配ってあげられたのはおばあさんだけだけど、おばあさん、私達が訪問した時はすっごくやつれていて、辛そうだったじゃん。誰かがなんとかしなくちゃいけなかったじゃん。だからお母さんの頃から配っていたらしい軟膏をあげたんだよ?だからさ、だからさ、おばあさん、今じゃすっかり元気で、私、すっごくよかったーって思ってるんだ!」


 魔女の興奮はヒートアップする。捲し立てるように、魔女は自分の手柄を私に嬉しそうに話すのだ。

 そこに介在する悪意など微塵もない。魔女の純真無垢な眼に、一点の曇りもなかった。


「そうだ、テレス!私ね、さっき来てくださったお客さんにも軟膏をあげよっかなって思ってるんだ!だってね、すっごく疲れた顔をしていたもん。優希くんの件、すっごく落ち込んでるみたいだった。だからね、だからね、あの軟膏をお客さんにも、……あ、でも、採算が取れないね。でも、なんとかするから!」


 ……違う。違うんだ。そうじゃないんだ。

 アリス、それは、やっちゃいけないことなんだ。


「……アリスは、あの軟膏の効能を知っているの?」


「もちろん。精神向上剤だよ!副作用の依存性が難点だけど、私は魔女だから適量のコントロールさえミスがなければ大丈夫!実際におばあさんも元気だし。けど、ちゃんと経過は見ていないとって思って、実は一人でおばあさんの所に行ってたんだ。心配させちゃダメだなって思ったから黙ってたの」

 

 それをわかっていて、その効能があると知っていて、君は『麻薬』を差し出したのか。


「あ、テレスの言いたいことわかった!私ね、ケシの実は使ってないよ!テレスは知ってる?あれはね、違法なんだよ、ってお母さんが言ってたの!」


「……アリス。違うんだ。私は、そんなことを言いたいんじゃない」


「だったら、なに?軟膏の内容物のことなら、確かにちょっと毒だけど、薬は毒とは表裏一体なんだよ?で、あれは薬。おかげでおばあさんはすっごく元気になったでしょ?……テレスも知ってるはずだよ。初対面の時、おばあさんは心が死んでいる状態だったでしょ?おばあさんはおじいさんに先立たれて、お子さんも産まれなくって、一人天涯孤独で山奥の古屋に篭っていた。誰も助けてなんてくれなかった。私はそんな人に笑顔をあげられたんだよ?」


 どうして、それはよくないことなの?魔女は涙を浮かべ困惑した顔で私を見ていた。

 それはね、アリス、君の軟膏で泣く人も生まれるからだよ。私がそれを口に出して魔女に伝えてやれなかったのは、偏に私の粗雑な正義心に揺らぎが生じたからだろうか。それとも、私は魔女に『泣く人』の正体を知られたくなかったからか。


「……私、なにか、悪いことをしちゃったの?」


 魔女は、浮かべていた涙をポロリと流した。

 魔女は、立ち上がったばかりなのだ。両親との訣別から半年、魔女はようやく前を向けたばかりなのだ。非情な運命を正面から受け止めて、されども魔女は勇気を心の炉に焚べ運命に抗っているのだ。そんな子供に、この取り返しのつかない『大罪』を背負わせてみろ。魔女はもう二度と再起できなくなる。それは魔女の死だ。それこそ、半年前のおばあさんのように、数時間前のお客さんのようになってしまうだろう。いや、それよりも酷いかもしれない。

 ……そんな魔女を、私はもう二度と見たくない。魔女にはずっと前だけを見て欲しい。

 ……そうだ。そうだな。私だ。これは魔女の責任ではないんだ。私の責任なんだ。


「二度と、これは配っちゃいけない。わかった?」


 だから私は、責任を持って『無責任』を演じる。


「……でも、私はすこしでも悲しむ人を減らすために!」


「他人のことを慮る暇があるなら、まずは私との約束を守りなさい。一人で考えるな、一人で行動するな、人で決めるな。アリス、君はここにある全ての約束事を破った。それはね、私への裏切りを意味するんだ。そんな人を、私は愛せないし、愛さない。一人でできるなら、一人で全てをやりなさい」


「……そんな、だって、」


「なら、もう私は要らない?」


「……いや。いやだよ!テレスが居ないと私、大丈夫じゃない!」

 

 ごめんさない!ごめんなさい!ごめんなさい!と魔女は私に泣きついて謝る。きっと、魔女が謝る理由を問えば判然とした答えは返ってこないだろう。私もその答えを提示していないのだから。私の言葉が正しいわけがない。こんなものは歪な依存関係に他ならない。しかし、私にも私の正義がもうわからない。

 功利主義的に諌めればいいのか。義務論的に心の良心に訴えればいいのか。自然権の在処を説けばいいのか。

 きっと、どの正義も私よりよっぽど優れているのだろう。そして、どっかで決定的に狂ってしまうのだ。

 なぜならば、彼女は…………。

 

「……あぁ、そうだったな。君は、『魔女』だったんだな」


 私は魔女に一つ命令を下す。


「――――――」


「……な、なんで、そんなこと?」


「なんでも。私が真面目なこと言って、外れるところってあんまり見ないでしょ?」


「…………でも、ここって、」


「これからも魔女を続けていきたいなら、私の言う通りにして。…………お願い、」


「……うん。……わかった」


 魔女は私の言葉に諾々と従った。私の『命令』は時間を要することのため、その間に今日二度目の街中へと赴くこととした。確認のためだ。外れて欲しいとこれほど願ったことのない予感の確認をしに行くためだ。その確認の最中、私はここら付近にもうすぐ台風が通過することを知った。

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