毒ニンジンを呷る、ソクラテスは死ぬ。

容疑者Y

魔女

第1話 魔女と黒猫 『序章』

 某所、赤蜻蛉が紅葉に寛ぐ季節、小高い丘の頂上の一軒家を訊ねるために私達は歩いていた。

 まだまだ幼い顔立ちを残している魔女は、私に、はにかみながら語りかける。


「もう少しだから、頑張ろー、おー!!」


 だから、私は答える。


「なんでそんなに元気なの。どうせなら背負っていってよ」


 魔女の名はアリス。齢にして九つの魔女である。ぶかぶかのローブを羽織りながら、魔女らしい魔女を演じている少女だ。

 本人からすれば大真面目も大真面目だろうし、私はその心意気を尊重したいからこそ黙ってはいるが、彼女のソレはコスプレイヤーのソレである。悲しいかな、彼女には貫禄と風格と年齢がどうしたって足りない。だが、彼女は彼女の敬愛する母親のようになりたいと研鑽を積む姿は、この先遠くない未来、憧憬の姿になるのではないかと思わせてくれる日々だ。


「……はぁ、この山道、猫の足じゃしんどいよ」

 

 私の名はテレス。魔女の従属下にある黒猫だ。ペットとも、愛猫とも言える立場である。

 魔女のお供に黒猫なのだから、いかにもなテンプレートである。独創性や面白みがないとも言える。ただのしがない魔女の黒猫である。だから、人間の言葉に耳を傾けられるし、文字を目に追えるし、お話だってできる。人前だと滅多なことがない限り披露などしないが。

 なぜそんな事が出来るのかって、なぜならば私は魔女に支える黒猫だからである。

 目的地までの道のりは本当にもうすぐなようで、屋根先の瓦が見え始める。

 じきに見えたきたのは古い木造建築の一軒家だ。

 玄関先にて、こんこんこん、と魔女はドアをノックする。


「こんにちはー!おばあさん、居ますか?」


 すると、ドアは開く。出てきたのは人の良さそうなおばあさんだった。


「はいはい。……あら、あらあらあら、来てくれたのね〜」


「はい!いつものお薬を持ってきました!」


「あら、いつもありがとうね。さ、おはいり。ほら、猫ちゃんも」


「ありがとうございます!では、お言葉に甘えまして、」


 お邪魔します。と魔女。私は人前で、しかも心臓の悪そうなおばあさんの前で徐に挨拶をする訳にもいかないので、にゃーと鳴いておくこととする。古臭い建築であることもそうだが、俗世離れをしているというか、文字通りの隠居生活なのだろう。ここだけ人間社会から隔絶されているようだ。私はおばあさんの家への来訪は数えて三度目なのだが、時代錯誤的な井戸や、小高い丘をほんの少し降ってみれば山奥にポツリと見える野菜畑に未だギョッとする。

 おばあさんに昨今の経済のデフレーションについて話そうとも理解してもらえないだろう。

 そんなことよりも野菜畑や隣にある鶏小屋の管理方法について、聞けば廃棄物のほとんどを肥料として再利用している、なんて小話の方が盛り上がれる。

 ともすれば、おばあさんはお金など持ち合わせはないのだろう。魔女も私も金銭の話などしないので定かではないが。今日の来訪だって近所付き合い、否、隣人付き合いの一環に過ぎないのだ。隣人といえども歩いて三十分の遠足の末なのだが、それを話せば私と魔女の家も相応なのでここまでとしよう。


「なにもないところだけど、ゆっくりしていきなさいな。紅茶でいいかしら?」


「はい、ありがとうございます。あの、差し出がましいのですが、ミルクなどはありますか?」


「ふふ、猫ちゃんのかしら?ええ、あるわよ。ちょっと待っていなさいな」


 そう言い、おばあさんは紅茶を淹れるついでに、私に木彫りのお椀に注がれたミルクを差し出してくれた。

 そういえば紅茶の水は井戸の水なのだろうな、なんて思いながら、ありがたくミルクを頂く。この身にしてみればかなりの道程だったせいか、とても身体に沁みた。「はいどうぞ。実は紅茶もミルクも貰い物なの」と魔女にティーカップを差し出すおばあさん。交流が広いようは見えないが、誰からなのだろう。

 椅子に腰掛ける魔女は「ありがとうございます」と礼を述べる。


「……ふー。これ、美味しいです。甘くって」


「ふふふ、それなら封を切った甲斐があったわ。喜んでもらってなによりよ」


 魔女は椅子の下で足をブラブラさせながらティータイムを楽しんでいる。

 椅子には丸太の面影があった。間取りというほどの広さもない家屋であるが、荒削りのテーブルに椅子、日差し避けのすだれに木器の食器。他にも自作なのだろう、まるで時代を一昔、二昔とトリップしたような感覚にまどろむが、以前聞く話によれば古屋を買い取ったのはいいものの散々な管理状態だったそうで、気合を入れて手入れをしだしてからというもの、止まらなくなってしまって今のこの有り様らしい。本人曰く、暇を持て余していた者の末路だそうだが、ここしばらくは身体も不自由で動かせなくなってきた齢であったことからも外の屋根の瓦の手入れもままならないと嘆いていた。

 魔女と私がおばあさんの元へ訪れたのはそんな折であった。

 一苦労あったが瓦の修繕は魔女と私で行い、それなりの見栄えになったと自負している。

 その後も魔女はおばあさんの腰痛の介護まで請け負ってしまった。「しまった」などと言うと、私の印象がより悪くなるかもしれない。しかし、聞けばおばあさん、魔女の氏姓を聞くなり魔女の母親に世話になった過去を告白したのだ。ちょうど魔女も母の足跡を辿り始めていた時分、その話はいたく関心を引くものであって、そもそもここに来たことも魔女の生業である薬草の売り込み活動であったこともあり快諾。魔女の魔女たらしめる第一歩であったわけだ。

 だから精力的に魔女は働く。とすれば、働く魔女を支える立場の私も相応の苦労を買わねばならない。

 これで無給なのだから、溜め息の一つでも溢したくなるのが人情、もとい猫情なのだ。


「アリスちゃん、いつもありがとうね。おばあちゃん、助かっているわ〜」


「いえいえ、お礼なんて。私も名を売るためです。お気になさらないでください」


「そんなこと言わないで。貴方の親切心にはいつも助けられているのだから。ほら、三日前だって畑仕事を手伝ってくれたばかりじゃない。土壌を耕すのは私ではもう腰も腕も限界だったから、とってもありがたかったのよ。おかげで今年は良い白菜が採れそうね〜」


 なに、それは初耳だぞ。もちろん白菜のことではない。三日前、魔女がおばあさんの家に邪魔になっていたことだ。私は魔女に尋問の眼差しを送る。それを受け取ってオドオドとする魔女であったが、そんな言外の問答を知る由もないおばあさんは立て続けに「その前も〜」「あの時も〜」と私の知らない事実をポンポンと投下してくれる。三回どころではない。これじゃあ、週一のペースで来訪していることになるじゃないか。


(アリスちゃん。あとでお話がありますからね)


(違うのテレス!えっと、そう!お手伝い!お手伝いで来ていただけだから!)


(どっちにしたって、一人でこんなところにまで来ていたことはお説教案件です。約束だったでしょう。一人では考えない、一人では行動をしない、一人では決めない。私は貴方の父から貴方を託された身なのだから、貴方が一人前の魔女になるまでは約束を破っちゃダメです)


(……ぶー)


 可愛らしく膨れてもダメなものはダメだ。だが、はやる気持ちもわからんではない。

 彼女は両親共に既に他界している。母親の妊娠中の出来事であり、父親の運転中での出来事である。そんな出来事もはやいもので半年前。しかし、半年の間は九歳の女の子には耐え難い日々であった。私も途方に暮れている日々であった。そんななか、立ち直る契機となったのが母親の生業である魔女であった。薬草関連の管理が主な仕事であり、近所の住民からの頼られることの多かった母親の面影を追うために、魔女は立ち上がれたのだ。


(テレスのいけず。ばーか)


(なんとでも言いなされ)


 こそこそと言い合いをする私達の一方、おばあさんは子供が黒猫と戯れているのだと思っているのだろう朗らかな笑みを浮かべていたものの、心配そうに愁眉を寄せてもいるのだ。一見して複雑そうな心境であることがわかるのだが、それに魔女も気が付いたらしく「どうかしたのですか?」とおばあさんに問う。


「あぁ、ごめんなさいねアリスちゃん。そうね、こんなにたくさん助けてもらっているけど、しばらくはやめておいた方がいいのかも」


「え、な、なんでですか?わ、私、なにかおばあさんにご無礼なことでも!?」


「いいえ、違うのよアリスちゃん。実はここ最近ね、ここいらに不審者が出没するって噂が立っているの。黒づくめの男の人で、三十代ぐらいって話。そんな人にもしアリスちゃんが襲われでもしたら、……ごめんなさいね。変な話をしちゃって。私には子供がいないぶん、心配性になっているのかも」


「……そうですね、わかりました。すこし、控えます。でも、おばあさんがお手伝い必要ないつでも!」


「ありがとうね。でも、大丈夫よ。それに、今日貴方が私の家に来たのはお手伝いのためじゃないでしょ?」


「……あ、忘れてた、」


 魔女はショルダーポーチから瓶を取り出す。瓶の中身は軟膏だろうか。魔女の秘蔵レシピらしく私も内容物の効力含めよくわかっていないが、おばあさんの腰の痛み止めだったりするのだろうか。それをおばあさんに渡した。


「いつも届けてくれてありがとうね。ほんと、ダメね。アリスちゃんにいろんなことをさせてしまっているわ」


「そんな、やめてください。私もやりたくてやっているだけですから」


 魔女はおばあさんの自虐に抗言を呈するが、おばあさんは首を横に振る。しかし、自分の言動が魔女の心に言い表しようのない不快感を与えてしまったと思ったのだろう、おばあさんは家の隅に置かれたレトロな蓄音機に近づきクラシック音楽を流し始めた。名曲であることは知っている気がするが、私は猫だからよくわからない。しかし魔女は人間だ。「ショパンですか?」と尋ねると、おばあさんは「そうよ。『夜想曲(ノクターン)第2番』」と返す。


「落ち着きたい時にかける曲なの。このレコードはね、私の夫の形見。だいぶ昔に亡くなってしまったけれど、悔いが多い夫婦生活だったわ。その中でも子供が作れなかったことはずっと心残りだったの。だからねアリスちゃん、貴方が初めて来てくれたとき、おばさん、年甲斐もなく心が熱くなっちゃってね」


 こんなの変よね、とおばあさんが自分の発言に苦笑する。


「……いいえ、変じゃありません。変じゃありませんよ」


 魔女は椅子から立ち上がり、「紅茶、とても美味しかったです。また来ます」と言う。別れの挨拶だ。

 だから私も魔女の後に続くことにする。玄関先まで見送ってくれたおばあさんも「また来てね」と残す。

 外に出た時、山奥だってのにわんぱくそうな子供達が取っ組み合いのように戯れあっていた。そのうちの一人が手を振っている。つられて魔女も手を振り返したが、よく見てみればその子は仲間内に手を振っていたことに気づき、魔女は頬を赤く染め上げ手をしまった。

 こんな時に猫ができることなんて限られる。

 だから、にゃー、と呑気に鳴いてみるのだ。

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