第34話 卒業前日
明けて月曜日は、2月最終日、次の日はいよいよ卒業式だ。
この日はその予行となっている。
朝、クラスは久しぶりの全員集合、そして明日はもうお別れ、大学や専門学校の受験で初志貫徹した者、未だ合否が分からない者、すでに浪人が決定している者などが入り乱れて、まさにカオスといった様子だった。
そんななか、美咲は幸太が登校するとすぐ、色紙を手に近寄ってきて、
「たぬきちや
大きめの色紙にはすでに、学級委員の田沼や伊東らのコメントが書かれている。
美咲のメッセージはこうだ。
「大切な人との出会いと思い出。ずっとずっと宝物」
美咲らしい言葉だ、と思った。
だが、その言葉が特に幸太を念頭に置いているというのが分かるだけに、彼はうれしくもなった。
幸太は少し考え、美咲の右隣にぴったりとくっつけて、メッセージを書き記した。
「自分らしく生きる。後悔は残さない」
その言葉をのぞき込んで、美咲は淡い微笑みを見せる。
「コータらしい」
と言ってくれた。
卒業生は240人もいるのだからずいぶんと大変な話ではあるが、本番ではその全員に卒業証書を手渡すことになる。
無論、予行ではそこまではしない。各クラスの代表者が壇上まで上がって証書を受け取るまでを演習する。そのあと、校長や
くだらない。
まったく学校の儀式というのは驚くほどにくだらない。ひとりよがりで、権威主義的で、しかも目的さえもない。なまじ伝統があるからと、
とは思うものの、学校の側も、卒業というイベントをほかのやり方でどう格好をつけるのかが分からないのだろう。
(明日で卒業か……)
ぼんやり、美咲の姿を
美咲は、本当に美しい。
ただ、制服姿の美咲は、いつも大人びたファッションを好む私服姿の美咲よりは、どちらかというと学園の美少女といったイメージだ。つまり、どこかに幼さがある。
そのわずかな幼さも含めて、幸太にとっては初恋の人のあこがれの姿であった。
それが見られなくなるのは、
教室に戻り、頬づえをつき、口を開けて美咲の姿を目で追い続ける幸太に、中川が声をかけた。
「おい、どうした、そんな物欲しそうな顔をして」
「なんだよ、それ」
「お前はこの一年、松永のことばっか考えてたよな。正直、松永を好きってのは高望みしすぎだと思ってたけど、射止められてよかったな」
「お前いいやつだな」
「別々の大学に進んだら、彼女に変な虫が寄ってくるかもしんないから、気ぃつけろよ」
「俺以外に、美咲を幸せにできるやつがいるかよ。俺は12年、美咲を愛してんだ。昨日今日、美咲に
しまった、と幸太は冷や汗をかいた。
思ったことがつい、口に出てしまった。
「12年? お前ついに松永のこと好きすぎて時空まで
「……言い間違いだよ。お前も、大学でいい人見つかるといいな」
「まぁ、無限の可能性にでも期待すっか!」
中川はもともと成績上位組というほどではなかったが、今回はだいぶ頑張って、〇央大学の理工学部に進学を決めている。Take1ではそのレベルよりもワンランク下の大学だったから、彼ももしかしたら幸太に何かしら触発されたところがあったのかもしれない。
ほかのクラスメイトでは、大野がこの日、幸太に話しかけてきた。
「早川君、今話しかけてもいい?」
「もちろん。話そうよ」
「明日にはお別れだから、話したいなって思って。1年間、長いようで短かったけど、ありがとう」
「俺は別に、君のためになにもしてないよ」
「でも、ケガした私を助けてくれたでしょ。もう忘れちゃった?」
「クラスメイトが倒れたら、助けるのは当たり前で、特別なことじゃないよ」
この言い方まずかったかな、と幸太は不安になった。
幸太は別に、相手が大野だから、彼女を抱き上げて保健室に連れていったわけではない。だがそう言えば、あるいはそう伝われば、今さらになって彼女を傷つけてしまいかねない。卒業式の前日に、そのような思いをさせてしまうのは幸太も本意ではない。
が、大野には特に悪く受け取られた様子はなかった。
「早川君のそういうとこ、好きだったよ。私の好きな人でいてくれてありがとう」
大野が告白してくれたとき、彼女は緊張と
彼女の成長、と言っていいのか、変化に幸太は驚き、少し胸を打たれた。そして
幸太も以前は同じ気持ちを美咲に対して抱いていた。自分が本当に、心から好きになれた相手というのは、見返りなしに、ただ好きになれたというだけで感謝できるものだ。それは、その人を愛せただけで幸せな気持ちになれるからだろう。
自分に出会ってくれてありがとうと、そんな気持ちになれる。
大野の気持ちはありがたいしうれしいが、一方でもちろん幸太の美咲に対する愛情には1ミクロンの揺らぎもない。
だから、言えることは限られていた。
「俺の方こそ、好きになってくれてありがとう」
大野はうれしいような、さびしいような笑顔を浮かべ、離れていった。
好きな人の好きな人が、自分の友達というのは、どれほどつらい気持ちだったのだろう。そして、そのふたりが自分の前でどんどん仲を深めていって、幸せな表情を重ね合わせているのを、どのような想いで見ていたのだろうか。
それを憎むどころか、むしろ彼らを支える側に回ってくれた彼女には、感謝しかない。幸太にとっても、美咲にとっても、大切で、特別な人だ。
いつか、なにかのかたちでお返しができたらいい。
入れ替わるようにして、伊東が小走りで近寄ってくる。
「早川君、今年は色々ありがとね。お世話になりました」
「いや、こちらこそ。俺が美咲と付き合えるようになったのも、きっかけをくれたのは君だから、本当にありがたく思ってるよ」
「ううん、私もそれ以上に早川君に協力してもらったし」
「お互い好きな人と一緒になれたから取引関係はなくなったけど、これからも美咲のことよろしく。俺も、彼女のことは全力で守るつもりではいるけど、力が及ばないこともあるかもしれないから」
「早川君、美咲のことほんとに好きだよね。なんかちょっと、うらやましいかも。応援してるね」
伊東と最後、同志としての握手を交わすと、それをたまたま見たのか、あとで美咲がその意味を尋ねた。美咲は嫉妬心や
「伊東は君の一番の親友だからさ。これからも美咲のことよろしくってお願いしたんだよ」
「あははっ、コータは私の親みたいだね。いつも私のこと、気にしてくれてありがとう」
幸太の言葉を無条件で信じる美咲がいじらしく、また彼女に隠し事をしていることが後ろめたくもあって、幸太の胸は切ない痛みを覚えた。
伊東との取引の件は、いずれ伊東に許可を得た上で、美咲に話した方がいいかもしれない。
愛するひととのあいだに、できれば隠し事は少ない方がいい。
まして、彼と美咲とのあいだには、より重大で、より深刻な秘密が横たわっているのだから。
そうとも知らず、美咲はまじりけのない純真な瞳で、幸太を見てくれる。
ホームルームのあと、美咲は伊東たちと一緒に帰ると言いつつ、どうしても幸太と話したいことがあるらしく、彼を中庭まで呼び出した。
「コータ、あさってって、何か用事ある?」
「あさっては、特にないかな。デートする?」
「うん……よかったら、また
「またお
「ううん……」
「ん?」
「その日、パパもママもいないの。ふたりきり……」
幸太には、美咲の言わんとすることが分かった。
すべてが、分かる。
美咲は微笑を消し、上目遣いで少し不安そうに彼の目をのぞき込んでいる。
「コータ、分かるよね……」
「分かるよ、美咲の気持ち」
「嫌いにならない?」
「嫌いにならないよ。美咲のことがいとおしい」
「うん、ありがとう。私もコータのことがいとおしい」
そう言って、はにかみつつ笑顔を見せた美咲に、幸太は口づけをしようとし、ふとここが学校であることを思い出して、そっと頬にキスをした。
弾力のある、みずみずしい頬だった。
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