第8話 デジャヴ
4月最後の金曜日。ゴールデンウィーク前、最後の登校日である。
この日はちょっとした事件があった。
体育の時間、この時期の種目はバスケだ。
授業が始まる前、幸太は彼が最も仲良くしている中川
デジャヴだ。
ただ幸太の場合、錯覚としてのデジャヴではない。前に見たことがある気がする、ではなく、前に見た光景が実際に発生するのだ。
これは幸太がタイムリープしてからずっと考えていたことなのだが、世界というのはどうやらあらかじめ組まれたたった一本の脚本のもとに動いているわけではなく、乱数が大いに働いているらしいということだ。つまり、サイコロの目を一瞬ごと、無限に振り続けているようなランダム性、不確実性があるということだ。
そうなると、幸太の記憶や経験、あるいは世界も彼の知る歴史とは微妙にずれた、あるいはまったく違う方向に動くことがある。
ただし、当然、同じように展開することだってある。
(この体育の時間、何かが起こった気がする……)
クラスにとってわりと重大で印象的な出来事だったと思うが、何しろ12年前の話だ、思い出せない。
心に引っかかりを生じたまま、試合形式のバスケ授業は始まった。
幸太の高校では、水泳以外は男女合同で体育の授業は進める。
戦力バランスを加味したチーム分けで、幸太はチームC。対戦相手はチームDである。
ちなみに美咲はそのどちらにも入っていない。
(松永にいいとこ見せるぜ……!)
幸太はサッカーが得意で、運動神経にはそれなりに自信がある。サッカーとバスケで動き、立ち回りに違いはあるが、まぁ大きな不安はない。
相変わらず何かが引っかかる、というだけだ。
試合が始まって4分。
激しいダッシュと切り返しの連続に、特に運動が得意でないメンバーの疲労が濃くなってくる。
そしてまもなくタイムアップ、というとき、大野いずみという女子が男子に吹っ飛ばされて、コートに倒れ込んだ。
(思い出した、大野はバスケで足首を
幸太はようやく思い出した。すっきりした。
が、喜んでいられる状況ではない。
ことさらにそう指導されているわけではないが、男子は少なくとも女子に対してなるべくボディコンタクトが発生しないように注意している。とは言え、競技の特性からしても、事故はどうしても起こってしまう。
しかも体育教師の園田というのが絵に描いたようなクズで、大野が倒れて動けなくなっているのを見ても、顔色すら変えない。
「おい、大丈夫かー?」
のんびりとした口調で、突っ立っているだけだ。
幸太はすぐ近くにいたこともあり、痛みと衝撃で意識さえ飛びかけている大野に駆け寄った。
「大野、大丈夫? 足首が痛む?」
大野はわずかに首を動かしてうなずいた。
よし、と幸太は軽い気合を込めて、大野の体を持ち上げた。いわゆるお姫様抱っこ、という状態である。
この場にいる大人は、教師の園田と、幸太しかいない。大人はガキを守るものだ。園田がやらないなら、幸太が彼女を保健室に運んでやるしかない。
「松永と伊東、付き添ってやれ」
園田は指示だけ出して、無責任にもさっさと次の試合を始めてしまったらしい。
保健室には、運悪く、保健
幸太がてきぱきと処置していくあいだ、美咲はずっと、大野に声をかけていた。「大丈夫だよ」とか、「痛み、つらくない?」とか。美咲はおそらく、幸太の邪魔にならないようにしていたのだろうが、これはこれで立派な救急対応である。
氷水で足首を冷やしているあいだ、幸太と美咲は並んで大野のそばに座った。大野は痛みに耐えているのか、腕で両目を
「早川君、すごいね。私だけだったら、どうしていいか分からなくて困ってたと思う」
「俺はただ、できることをしようと思っただけだよ」
「優しいんだね」
「どうかな」
幸太が返事とともに美咲を向くと、彼女は意外なほど真剣な表情で彼を見つめていて、だがすぐその目もやや慌てたように大野の方へと向いてしまった。
そのあとすぐ、保健教諭の相川が駆けつけて、治療の状態を確認した。
「松永さん、包帯まで準備してくれて。全部あなたがやってくれたの?」
「いえ、やってくれたのは全部、早川君です」
「そう、たいしたものね、完璧よ。ありがとう。あとはアタシが面倒見るからね」
「ありがとうございます、お願いします」
「私、もう少しいずみのそばに付き添ってるから、早川君は先に戻ってて」
体育の時間が終わったあと、教室では幸太と大野のことについて持ち切りであった。話題の要点は次の二つ。
「早川君、真っ先に駆け寄ってて、保健室まで運んで、カッコよかったね」
「コータのやつは、大野のことが好きなんだよ」
前者を口にするのは女子、後者に触れるのは主に男子であった。どうやら高校生の男子という目線からすると、女を抱き上げて保健室まで連れていくのは、好きでもなければやるはずがない、ということらしい。
論評にすら値しない、くだらない話だ。
盟約を結んでいる伊東以外では、幸太の想いを知っている唯一の人物、親友の中川がわざわざ耳元まで近づいて、教えてくれた。
「お前、大野のことが好きってことになってるから」
「バカバカしい」
「だよな。どうする?」
「ほっとけばいい。そのうち
幸太にとっては、美咲以外の女子は、彼の邪魔さえしなければあとはどうでもいい。
美咲が着替えて教室に戻ってから、少し話をした。
「いずみ、骨は大丈夫そう。今日は保健室で安静にして、帰りは私が家まで送ってくる」
「ありがとう」
「ううん、全部、早川君のおかげだよ。いずみも、お礼が言いたいって」
「お礼なんて、俺は別に。それより、松永はゴールデンウィーク、大正記念公園行くの?」
「お休みのときは行かないよ。早川君は?」
「うん、俺も行かない」
「お休み中にいい写真が撮れたら、見せてね」
「いいよ」
(休み期間中は、会えないか……)
残念ではあるが、仕方ない。そもそも、毎日会えているというのが奇跡のような話なのだ。
連休は、幸太も雑務(美咲に関すること以外のすべてのタスク)をさばくことに専念しよう。
そして連休明けの木曜日。大野が幸太の席へやってきた。まだ完全には痛みなり違和感なりが引かないのか、彼女だけは革靴ではなくスニーカーで過ごしている。
「早川君……」
「あぁ、ケガ大丈夫?」
「うん……この前はありがと。もう大丈夫」
「大きなケガにならなくてよかったね。しばらくは無理しないようにしなよ」
幸太は笑顔を浮かべて言った。
大野はどういう感情の動きがあるのか、頬をりんごのように赤く染めて立ち去った。
(まずい、ちょっと社会人らしく振舞いすぎたか……?)
事故や病気、身内の不幸などで休暇明けの人がいる場合、会社では心理的安全性を担保するため、笑顔で迎え、気遣いを見せるのが当然のマナーである。だが、幸太が今いるのはそういう大人同士のコミュニケーションが浸透している世界ではない。
下手に優しくすると、思わぬ誤解を生んでしまうかもしれない。
さて、幸太が大野に
大野の方が、幸太のことを好きになってしまったらしいのである。
いや、正確には以前から気にかけてくれていたらしいのだが、体育館での一件を機に、彼女を介抱してくれた幸太に対する想いが一気に沸騰したらしい。
例の件からわずかに10日後の月曜日、幸太は大野からの告白を受けることになった。
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