異世界転生したモブの裏話

@rariso

馬鹿を理解するのは天才でも出来ない(某国の天才談)

 突然だけど、陽キャってネット小説で書かれてるほど性格悪くない事が多い。


 ネットでは陽キャが性格終わってるような書き方がされることが多いけど、現実問題、性格の根本として陰キャの方が性格悪いことが多いと思ってる。


 もちろん、人によるのは当たり前。

 でも、比率というか、全体的に見て陽キャと呼ばれる分類と陰キャと呼ばれる分類の中で比較して割合を考えると陰キャの方が性格が悪い人が多い。


 そう思った理由はいくつもあるけど、一番単純で簡単な理由は、笑顔が多いからとかだろう。


 本当に単純で簡単な話だが、笑う事はストレス解消になる。しかも結構馬鹿にならないくらい。


 陽キャは馬鹿なことが好きだ。

 そして、馬鹿なこと本人達の笑顔を生む。

 そこで周りの迷惑とかもあるだろうが、それは性格の問題では無く、頭の問題だからこの話とは少しズレるから置いておくとして。


 逆に陰キャを考えてみよう。心の中ではどんな感じかは人それぞれだが、ほとんどの人が控えめだ。常に仲間と一緒にいれば話は別けど、一人でいる空間が陽キャより多くなる傾向が多い陰キャは笑顔の数が少なくなりがちだ。


 ストレスは人を悪い方向へ変える大きな要因だから、そこだけでもかなり変わる。


 暴論にも見えるが、そういう小さな要因が積み重なって、ストレスを解消できる笑いが少ない陰キャは性格が悪くなることが多い傾向になる。



 持論はまだまだ続くよ。

 次は顔だ。


 顔が整っている人間の方が、性格がよくなる傾向がある。

 これの理由も簡単で愛されやすいから。


 愛されることはストレスの解消だけでなく、いろんな理由で人を良くする方向へ持っていくことが多い傾向がある。

 恋愛することは大きくストレスを動かす。ただ、恋愛は人を大きく成長させ、成長した人は落ち着きを得る。

 もちろん、歪んだ愛も存在するが、それは例外だ。

例外を含めて、傾向としてみても、圧倒的に良い方向へ持っていく愛の方が多い。


 人から愛されるからこそ、人を愛する方法が分かる。

 親から愛されなかった人が、子供に対して愛のある接し方が分からない事が多い傾向があるのも、ここから来るはず。


 だからこそ、人から愛される容姿を持った人は、人に対して愛を持って接する事が比率的にも多い。



 容姿が良いと人が集まる。

 人が集まると、愛の量が増え、人を愛し、また人を集める。


 ロマンチックな言い方だが、理論としては変ではない。


 もちろん、愛を貰うことが当たり前になり、人を愛する事をしない人もいる。


 ただ、容姿だけで見ると、人から愛される容姿を持った人間と、愛されない容姿を持った人間を比較したら、圧倒的に愛に囲まれる容姿を持つ人間の性格が良い事が多い。



 そして、自然と培われたコミュニケーション能力があれば、勝手に陽キャの分類に入る。


 そんな愛されている人を身近に置くことで、擬似的な愛され方を出来る陽キャもまた、ストレス解消になる。



 だけど、陰キャはそういったことができない。


 出来て妄想の中で物語の主人公を擬似的に自分を移し込んで、仮想の愛を手に入れるくらいか。


 持たざるものと纏められるのも悲しいが、世の中そんなものだ。




 性格が悪いと言える理由は他にも色々あるが、僕が一番陰キャの方が性格が悪いと思える行動は、人との比較とそのやり方だ。

 

 人と比較する。というのは、人がよくやる、性格を悪くする思考だと思っている。

 もちろん、人と比較することで良い方向へ持っていくことも出来るが、多くの人はそれができない。


 これが言える有名な説の一つで、親が子育てをする上で、子供にする発言の一つに、子どもを誰かと比較すると子どもはグレやすい。という話がある。


 例えば、「お兄ちゃんは出来たのだからあなたも」

 例えば、「〇〇さんの子はとてもいい子でうちのことは大違い」


 こういった発言は、子どもの心を強く傷つける。

 心を悪い方向へ持っていく。


 それを、陰キャも陽キャも関係なく、人は当たり前のようにしてしまう。


 ただ、傾向として言えば、陽キャは自分より上の存在を上げて自分を下げることが多く、陰キャは上を下げて自分を上げる傾向がある。


 もちろん、その逆も消して少なくはない。

 そして、人は他の存在が自分より下の存在だと認識すれば、残虐になる。それは人という存在の特性だ。

 ただ、その上でさっきの陰キャと陽キャの比較傾向傾向が多いと言えることの理由としては、周りの環境だ。


 陽キャ。と言われる人達は、何もしない。というのが出来ない人がそこそこ多い。


 行動力があるのだ。もちろんそれは、いい意味もあるし、悪い意味もある。


 だけど、自分に憧れた何かを求める行動力がある。いい意味での行動力を発揮することができたら、それは努力をする人になる。


 そして、努力をする人は、総じてカッコいいのだ。

 だからこそ、そのカッコいい人に近付きたくなる。自分も努力をしようと思える。


 そうなれば、良い比較の使い方になる。

 そしてそれが出来た人は、人をリスペクトすることができる。

 人を上げて、自分も上げれる人の性格が、悪いとは言わないだろう。


 何度も保険みたいに言うのはクドいけど、もちろんそれが理想であってそうでない人も沢山いる。


 逆に、陰キャは行動力が陽キャと比べて無い。そして、努力して苦労するよりも、擬似的に行動をしてくれる物語と近い人達が多いからだ。


 自分で何かしなくても、何かをしてくれる物語が近くにある。というのは、何かをしていなくても擬似的に経験を得た気になる。


 だからこそ、何もしていないのに出来る気になって、プライドだけが高くなる人が多いのだ。

 それはイキリ陽キャが「俺カラテしてたから喧嘩つえぇよ!」とは大きな違いがある。


 もちろん、陰キャと言われる人達にも自分の好きな事を見つけ努力する人もいる。


 ただ、人との関わりが多い分、努力するきっかけが陰キャと陽キャだと差があるのだ。



 ここまで話してようやく本題だ。

 そう、ここまでたくさん話して何が言いたいかというと。




 僕は性格が悪い。


 ただこれだけを伝えるために語った。


 そう言える理由もたくさんあるけど、今回語った中だけで話すと、僕は一人でいる事が多く、笑うことが本当に少ない。


 僕の容姿はあまり良くない。

 だから、容姿で周りに褒められた事はないし、陰キャ上等、容姿を良くしようという努力もしていない。


 僕は人を比較して生きている。

 この語りを見たら分かるだろうけど、最初から最後まで比較している。

 親にもたくさん比較されてきた。母は優秀な兄を可愛がり、父は育児に興味が無く、手頃に褒めれる兄を褒めて僕はほとんど視野に入っていない。



 そんなスレた人間の僕は、今日転生した事に気付いた。


前世で見た、デカデカとした広告のお陰で主人公だけは見たことあるから、この世界がゲームの世界だと言うことにも気付いたけど、物語があるゲームは苦手だった僕はこの世界の事を全然知らない。


どうすりゃええんや…

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