参-4
燃え盛る炎が、
楓真が
「……一体、何が……」
分からない。わからない。焦燥と混乱が、楓真の胸に、潮のように渦巻く。
「……私だけ……何も知らなかった……?」
頭上から響いた轟音に、楓真は、
全てが燃えていた。街路に飾られた笹も、楓真の作った笹飾りも。
「っ、兄上……!」
やっと、邸の門が見えてきた。楓真は、さらに足を速め、門を
邸は既に炎の中だ。
「兄上! 母上! 父上!」
呼びながら、庭へと走る。
楓真の背丈よりも高い
「……兄上……?」
燃え盛る邸の前に
「……母上……?」
楓真の声が、震えながら落ちていく。
血溜まりの中に立つ兄が、ゆっくりと振り返る。
「……楓真」
兄の瞳は、硝子のように透明だった。何の感情も浮かべず、表情も宿さず、楓真を無機質に映していた。
「……嘘です……」
震える足で、楓真は兄へと歩いていく。
「これは夢です……こんなの、悪い夢です……」
兄は答えない。表情も変わらない。楓真は必死で、兄を見つめる。
「……嘘ですよね、兄上……夢ですよね……兄上が、こんなこと……するはずないですから……」
手を伸ばす。兄の袖を、掴もうとして――
「っ、あ……」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。気づいたときには、楓真は、兄から数歩離れた地面に倒れていた。一拍遅れて
「……兄……上……?」
苦痛に顔を
父だった。いや、父だけじゃない。楓真の前に、折り重なるように倒れた人々が、燃えていた。
ひた、と兄が血溜まりを抜け、近づいてくる。楓真は必死で身を起こし、けれど立つこともできずに、
「……い……やだ……」
かちかちと、歯が音を立てる。兄の影が、楓真にかかる。手足を縮め、楓真は、ぎゅっと目を
「……っ、殺さないで……!」
「殺さないよ」
静かな声が、降る。
楓真は、そっと目を開け、兄を見上げた。
氷でできた刃のように、兄の瞳は冷たく鋭い。
「力も開花していない、お前など、殺す価値もない」
そして
「……どうしてです……兄上……」
楓真の唇から、問いかけが
「……どうして……?」
楓真を見下ろす兄の瞳に、ふっと表情が浮かぶ。
ぞっとするほど透き通った、それは冷笑だった。
「この一族は、私という存在の使い道を誤ったのだ。下らない……実に、下らない……この程度の分際で、私を使おうとするなんて」
知らない、と楓真は思った。兄は、こんな笑い方をしない。こんなことも、言わない。こんな兄は、知らない。
「……何を……言って……」
これは、誰だ?
目の前にいるのは。
確かに、兄の姿をしているのに。
「……お前は……誰だ……?」
「誰?」
兄の姿をしたものが、くくっ、と笑う。
「お前の兄だよ、楓真。
楓真の心を見透かしたように、それは笑みを深める。
「私との兄弟ごっこは楽しかったか? 私は退屈で仕方がなかったが……親も親で面倒だったな。従順な子どもを演じるなんて、私は、とっくに飽いていたのに……これで、やっと清々した」
どくん。楓真の中で、何かが鎌首を
「お前には聞こえないか? 身に宿る
「……黙れ」
顔を伏せ、楓真は遮った。もう充分だ。もう沢山だ。これ以上、兄の姿で
足に力を込め、楓真は立ち上がった。体の震えは、もう止まり、剣の先は、狂いなく真直ぐに、見据える相手を定めていた。
「私を裁くか、楓真」
くすくすと、そいつは笑う。息を詰め、楓真は地面を蹴った。
けれど、そんな幼い刃が、
相手は
「私が憎いか? 楓真」
声が降る。兄の声で。……記憶に灯る、優しい兄と、同じ声で。
「私を裁きたいか? 楓真」
やめろ。やめろ……その声で、名を呼ぶな。
耳を塞ぎたいのに、封じられた腕では、それは叶わない。
「なぁ? 楓真」
畳みかけるように、そいつは呼ぶ。
楓真の中で、星のように瞬く兄の光を、黒く潰していくように。
「私を斬って」
「殺したいか? 楓真」
ふっ、と、楓真の腕を踏みつけていた足が離れた。身構える間もなく蹴られた、腹と胸。広がる痛みに、楓真は立ち上がることさえできなかった。それでも唯一、動かせる瞳で、相手を
「それで良い……楓真。もっと私を
言葉の最後は、鳴り響く雷に掻き消され、楓真には聞こえなかった。ぽつり、と雨の雫が、楓真の頬に落ちる。黒雲に覆われた空から、大粒の雨が降り出した。
さらり、と、白藍の衣が揺れる。静かに返される
+
蓮太が柊哉の
「っ、おい……!」
邸の庭に、小さな体を見つけた。血
「……お前……その髪……眼も……」
駆け寄った蓮太の足が、思わず止まる。黒かった楓真の髪が、闇夜の底でも輝く、
雨に打たれ、泥に
「おい……」
抱き起こそうと、蓮太が手を伸ばす。楓真の肩に触れた瞬間、ぱしん、と、その手が
「……て……やる……」
降りしきる雨の向こうを睨みつけながら、楓真は
繰り返し、繰り返し……呪いのように。
「……裁いてやる……殺してやる……私が……この手で……」
ふっ、と、
気を失った楓真の体を、蓮太は、そっと抱き上げた。
兄と同じ色に変わった弟の体は、まるで最初からそう定めて作られたように、何もかもが等しく似ていた。
五年という歳の差を、兄の生きた時間を、ひたすらに追いかけていくように。
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