星合残夜

ソラノリル

   斬るほどに ほまれと命 たまわれど

   つるぎの名さへ 今は知らずや




 激しく叩きつける雨飛沫しぶきが、岩場を白く煙らせている。星も月も覆い隠す黒雲は、朝の遠さをまざまざと見せつけるようだった。

 積み重なる巨石を濡らししたたり落ちるのは、雨垂れだけではない。夜闇の下で黒く沈む、おびただしい血だ。死者こそまだいないものの、時間の問題なのは明らかだった。これ以上、長引けば、全滅しかねない。

「援軍は来ないのか」

 将を務める男が唇を噛む。にらみつける先には、巨大な影がとぐろを巻き、ざわざわとうごめいている。無数のむしの集合にも見えるそれは形を定めず、捉えることが難しい。

 舌打ちし、男は視線を影に注いだまま、声を張った。

「動ける者は、私に続け!」

 つるぎを構え、軸足に力を込める。呼応するように、剣身が白い光を帯びた。

 蠢く影が形を変える。くるりと小さく丸まると、海胆うにのような無数のとげを出す。それは瞬時に長く伸び、四方八方を突き刺しにかかる。目に映る実体は曖昧なのに、その棘が触れた岩はたちまち裂け、砕けていく。

「……駄目だ。近づけない……」

 襲いかかる棘を斬り払い、将の男が唇を噛んだときだった。

 ひらり。視界の端を、白い光がぎった。右上だ。振りあおいだ男の瞳が、大きく見開かれる。

 白藍しらあいの衣をまとった少年だった。軽やかに岩場を蹴り、こちらに身を躍らせている。

 頭の後ろで高く結い、背中を流れる長い髪は、月の光を集めたような銀色。白い額にかかる前髪のもとには、曇りなく磨かれたぎょくのような、金の瞳がきらめいている。

 少年の小さな手が、すっと、影に向けられる。白い指先が、いささかの迷いもなく、いんを結ぶ。


――かごめ、華蓋かがい


 瞬間、影の真上に、大きな赤い光のつぼみが現れる。それは、たちまち下に向かってり返るように花弁を広げ、影から伸びるとげを封じ込めた。

 少年の指が、流れるように、また別の印を結ぶ。静かに、冷ややかに。


――引き裂け、てんろう


 指先を、ぐように振る。その軌跡から、青白い光がほとばしった。その光は、無数の牙のように影に向かい、まるで煙を散らすように、影を霧散させていく。やがて影の姿は完全に消え、降り注ぐ雨だけが残った。

 とん、と少年の爪先つまさきが、軽やかに岩場に降り立つ。ここに飛び降りてくるまでの僅かな間に、全てを片付けたのだ。ひとりで。一瞬で。

「……信じられない……」

 将の男が、呆然と少年を見つめる。将の部下たちも、同じ表情を浮かべていた。驚愕、安堵、そして、畏敬。

「……君は……いや、貴方様は、本家の……」

 その場にいる全員が、少年を知っていた。

 だからこそ、この場に少年がいることが、信じがたくもあった。少年のよわいは、まだ十二であったはず。任を受けるには早すぎる。――ここまで術を使いこなすのも。

「そのとしで……華蓋かがい天狼てんろうも使えるのか……あの威力で……」

 見開かれた大人たちの瞳の中で、少年は淡く微笑み、敬礼した。

「本日、援軍の命にて初陣をつかまつりました。てんほう一族が本家の嫡男、柊哉しゅうやです」

 死者が出る前に間に合って良かった。

 そう言って少年は笑った。煙るような土砂降りの雨の中、まるで少年の周りだけ陽が射し、澄んだ風の吹くような、透き通った微笑だった。

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