第25話 アリーシャのままならない日々(1)

 

 ナターシャの双子の妹、アリーシャは生まれつき体が弱く病気がちだった。都市の喧騒の中での暮らしより、静かな田舎でのんびり暮らした方がいいだろうという両親の計らいで、子どもの頃から十八になる現在まで田舎の屋敷での生活を強いられている。自分たちは都市で快適な暮らしをしているくせに。こちらはありがた迷惑だった。


 アリーシャは、本心を誰かに言うのが得意ではなかった。内心では田舎での暮らしを窮屈に感じていた。


 天蓋付きの寝台から身を起こし、読みかけの本に栞を挟んで、サイドテーブルに置く。寝台から立ち上がり、窓を少し開けて、窓の傍の椅子に腰を下ろした。

 窓から吹き込む爽やかな風が、アリーシャの艶やかな長い銀髪を揺らしている。アリーシャは、今朝方届いた手紙を手に取り、乱雑に封を切った。


「…………」


 送り主は、姉のナターシャ。彼女から毎週のように届く手紙には、家族や友人のこと、近況報告などが流麗な筆跡で綴られている。


(……よく飽きもせず、毎週毎週送ってくるものですね)


 ナターシャは愛情深く思いやりがある。一日中家の中に引きこもっている妹が退屈しないようにと、手紙や流行りの本、可愛らしい雑貨や服などをせっせと送ってくるのだが――。アリーシャは、彼女の気遣いを鬱陶しく思っていた。


 健康な肉体を持ち、人並みの社会生活を送り、両親や友人の近くでめいいっぱい愛情を注がれ、何不自由暮らしてきたであろう姉。そんな姉のことが、妬ましくて、憎らしくて仕方がなかった。


「全部全部、嫌味のつもりですか、お姉様。……くだらない」


 アリーシャは地を這うように低く冷たい声でそう呟き、手紙をびりびりと破り捨てた。


 ――コンコン。


 ちょうどそのとき。部屋の扉をノックする音が聞こえた。アリーシャは玲瓏な声でどうぞ、と中へ入るよう促した。


「お嬢様。旦那様がお見えです。こちらにお呼びしますか」


 中に入ってきたのは、愛想のない茶髪のメイドだった。


「お父様が? 一体なんの用事ですか?」

「そんなの知りませんよ。あなたが自分で確かめたらいいでしょう。いちいち私に聞かないでください」


 冷たく突き放され、きゅっと心臓が縮こまるような感覚がする。


「……ごめんなさい。着替えたら直接客間に行くとお伝えください」

「かしこまりました。もちろん、お支度は自分でやってください。私は手伝いませんから。では」

「……」


 彼女はバンッと強く音を立てて乱暴に扉を閉めた。屋敷に仕える使用人の中には、こうしてアリーシャに無礼な者もいる。気が弱く若いという理由で、舐められているのだ。もしナターシャのように愛想がよければ可愛がられたかもしれない。しかしアリーシャは、無口で無表情。大人たちの目にはそれが可愛げのない娘に見えた。


 アリーシャも、何を言われても大人しく全く反発しない。彼女は、そういう問題を誰かに相談するなどして解決するという術を知らず、耐え忍ぶことを覚えて育ってきたのだ。そういう精神のあり方は、健全な状態ではないだろう。


 メイドの物言いに、すっかり憂鬱な気分になりつつ、父に会うために身支度を整えた。客間では、いつもアリーシャを見下していた使用人たちが、父に対してへりくだるような態度で接待していた。


「お久しぶりです、お父様。本日はどうなさったのですか」

「体調はどうだね? お前にある提案があってな。さぁ、そんなところに突っ立っていないでこちらに座りなさい」

「体調なら、お医者様の報告がそちらにいっているはずですのでもうご存知でしょう。提案? ……またどうせ、新しい民間療法か何かですか」


 アリーシャの冷淡な態度に、父のエヴァンズ男爵は悩ましげな表情を浮かべた。そして、彼に言われた通り向かいに座る。


 両親は、アリーシャが少しでも強く健康になるようにと、異国の訳の分からない治療や民間療法を次から次へと探してきて、散々試してきた。弱い体を変えるのではなく、弱い体に折り合いを付けて、日々楽しく幸せに過ごすための努力に切り替えてくれたならどんなにか有意義だろう。……とは、控えめなアリーシャには言えないのだが。


(どうせまた、面倒な治療の話……。お父様の提案なんて、ろくでもない話ばかりです)


 体の方は、昔より安定している。季節の変わり目や、気圧の変化で普通の人より体調を崩しやすいものの、生活に特別不自由があるという訳ではないのだ。しかし、過保護な両親の配慮により、生産性のない、ただ肉体を生かすためだけの日々を生きている。


(これではまるで――鳥籠の中の鳥。でも……自分の思いをはっきりと言えない私が悪いんです。こうなったのは全部……私のせい。お父様を責めるのは間違っていると……本当は分かっています)


 父の言葉を当てにはしていなかった。しかし、彼から告げられた言葉は予想外のものだった。


「いや、そうではないんだ。お前さえよければ――都市の本邸で私たちと共に暮らしてみないか?」

「え……?」

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