第24話 小公爵様、デートしましょう(3)

 

 ロベリアははっとし、彼の顔を見た。驚くほど冷静で、真剣な様子で彼が続ける。


「君といると、本来の自分でいられる。初めは、自由すぎる君に振り回されることがただ楽しかったんだ。けれど、君の読めない心に調子が狂うようになって……。戸惑えば戸惑うほど、君に対する愛情を自覚していった」

「……ユーリ様……」

「こんなに誰にも渡したくないと思ったのは、初めてなんだ。たぶん僕は今……君にとても――恋焦がれてる」

「…………!」

「ロベリアは、僕のことをどう思っているんだ?」


 ロベリアは言葉を失った。なんとなく、彼の好意には薄々気づいていたものの、まさかこんなにすぐに告げられることになるとは思いもしなかった。そもそも、ユーリ・ローズブレイドに自分が恋をされる展開など予想外だ。


「わ、私は…………」


 同情と義理でユーリを救うことを一念発起し、彼に近づいた。実際に関わってみると、彼はロベリアにとって波長が合う人だった。関われば関わるほど、失いたくないと思うようになった。――守りたいという思いが強くなった。


 こういう気持ちを、世間ではきっと――。


「私は――」


 鼓動が波打つ。緊張でいっぱいになり、喉の奥が乾く。彼は沈黙して、ロベリアの言葉を待っていた。いつ見ても息を飲むほど美しい深碧の瞳が、こちらを見据えていて。


「私も、ユーリ様のことが好きです。大好きです」

「……!」


 そのとき、彼の瞳が大きく見開かれた。そして、子どものようなくしゃっとした無邪気な笑みを浮かべる。


「そっか。……そうだといいなって、思っていたんだ。嬉しいな」


 彼の柔らかな笑顔に、きゅうと胸の奥が甘く締め付けられた。

 しかし。――現実は時に残酷だ。ロベリアは気がつくと、涙を流していた。


「……ユーリ、様……。お願いだから、どこにも行かないでください。ずっと、ずっと健やかで、幸せに……っ」

「ロベリア……? どうして泣く?  何がそんなに君の心を苦しめているんだ? 前もそうやって君は……泣いていた」

「……嫌です、私……っ。いなく……ならないで……っ。私、ユーリ様がいなくなったらもう、生きていけないです」


 俯きながらほろほろと涙を流した。ユーリはそんなロベリアの様子に当惑している。


「ロベリア、落ち着いて。僕はここにいるじゃないか。どこにも行ったりしないよ。だから泣くのをやめてくれ」

「…………」


 ロベリアは悲痛に顔を歪めながら、顔を横に振った。


(言わなくては。きっと今なら、信じて聞いてくれる。……全てお話しなくては。彼の未来のために)


 必死に息を整えて、言った。


「……ユーリ様に、言わなくてはならないことがあるの。聞いてくれる?」

「ああ。君の話ならなんでも聞くよ」


 ロベリアはそっと、ユーリの腹部に――ツンと指を指した。


「――この辺り」

「……?」

「ユーリ様は、卒業式後の夜会で、ここを刺されて……亡くなるの」



 ◇◇◇



 ロベリアは、前世の記憶だということも含め、知りうる情報を洗いざらい打ち明けた。ユーリはあまりに突拍子もない告白にしばらく戸惑っていたが、疑いもせずに聞いてくれた。


「……そう。アリーシャが僕を……」

「信じてくださるの?」

「君の言葉を疑ったりはしない。……それに、リアルな話だと思ったんだ。彼女は精神的に脆い一面があるから」

「まだ、お会いしたことはないのよね?」

「うん。でも、ナターシャやご夫妻からよく話を聞いているよ」


 ユーリは、公爵代理として、公爵家と縁深いエヴァンズ家に頻繁に出入りしている。

 ロベリアは悲しそうに眉をひそめていると、彼が苦笑した。


「大丈夫。手の打ちようはいくらでもある。そう思い詰めなくていい」

「でも……」

「僕は死なないし、防刃チョッキもいらない。僕は分かっていてただでやられるような人間ではないよ」


 ユーリは続ける。


「その……小説の中では、僕がアリーシャを都市の屋敷に迎えるよう夫妻に助言するんだよね?」

「ええ。そうよ。アリーシャは田舎の孤独な暮らしから解放されて、あなたに強い恩を感じる。……その恩は、次第に恋心に変わり――最後には執着になる」


 片田舎の小さな屋敷で療養生活を送るアリーシャは、無為の時間を持て余し、日々不満を感じていた。そんな彼女を思い、本邸で家族と共に過ごさせてはどうかと提案したユーリは彼女にとって救世主のように見えたのだった。


 ユーリに殺意が向いたのも、姉への嫉妬や他人への異常なまでの劣等感で崩壊した心で、かつて助けてくれたユーリに縋っていたことが大きい。


 そして、手に入らぬのなら――死んでしまえばいい、そんな恐ろしい考えに至ったのだ。


「でもね、アリーシャを都市に連れ戻すことには賛成してるの。あのまま窮屈な暮らしを続けていても、次第に心は枯れてしまうわ」

「そうだね。でもどうする? 僕はこの件に関与しない」

「……私が、エヴァンズ夫妻に進言するわ。同性なら、恋愛沙汰にはならないだろうし……」

「駄目だ。万が一アリーシャの怒りの矛先が君に向いたらどうする?」

「でも……そうする他思いつかないわ。私……アリーシャのことも救いたいの。放っておけない」


 ユーリは息を吐いた。


「君は困った人だ。どうせ僕が何を言っても聞く気はないんだろ? ……いいよ、君のやりたいようにやってみるといい。でも万が一、アリーシャの精神状態がおかしくなることがあったら、施設に入るよう強制する。誰かを傷つけて犯罪を犯すより、ずっといいだろう」

「…………」

「僕のことを冷酷だと思ったならそれでいい。でも、そうならないように力を尽くすつもりだ」

「冷酷だなんて、思わないわ。仕方がないことだってその時は私も受け入れる」


 ロベリアは彼に全てを打ち明けて、肩の力がやっと抜けた。そして、きまり悪そうに笑う。


「私、一人でどうにかしようと思って右往左往していたけれど、駄目だったわね。だって私……器用じゃないから。いつも空回りしてばっかり」

「不器用だけどまっすぐひたむきなところが、君のいいところさ。……君がアリーシャを助けたい気持ちは分かった。僕たちは、僕たちなりに誠意を尽くそう。後は彼女次第だ」

「ええ。……そうね」


 すると、彼がおもむろに手を伸ばしてきて、芝生の上に置かれたロベリアの手を取る。マメが潰れて皮膚が固くなったたなごころを確かめながら言う。


「体術を学んでいたのは、僕のためかい?」

「……そ、うよ。できることはなんでもやっておこうと思って」

「ばかロベリア。刃物を持った相手に立ち向かおうなんて、無謀にも程がある」

「…………ファビウスにも同じことを言われたわ」


 ユーリは、ロベリアの手をぎゅうと握り締めて囁いた。


「綺麗な手がこんなになるまで、僕のことを守ろうとしてくれたんだね。君が愛おしくてどうにかなってしまいそうだ」


 困ったように笑う彼。


「ありがとう。……でもさ、僕にも君を守らせて」

「…………!」

「ロベリアが僕やナターシャを守ろうとしてくれたように、僕らも君の力になりたいと思ってる。約束してほしい。決して無茶はしないと。せっかくできた大切な人なんだ。もっと自分の身を考えて行動してほしい」

「分かったわ。ユーリ様も……約束を。いつまでも元気でいて、ご自身を大切にすると」

「うん、約束する」


 ロベリアはそっと、片方の手の小指を立ててかざした。


「……何?」


 彼が不思議そうに首を傾げる。ロベリアが「あなたもやって」と促すと、彼も真似て小指を立てた。ロベリアは、自分の指と彼の指を絡めて腕ごと揺すった。


「嘘ついたら針千本飲ーますっ!」

「……ず、随分物騒なことを言うね」

「ふふ、前世の私の国では、約束を交わすときこうするのよ」

「過激な風習のある国なんだね?」


 ロベリアが指を離すと、ユーリはそのまま全ての指を絡ませて手を繋いできた。自分よりも大きくてしなやかな手。彼の温もりが皮膚に伝わり、顔が熱くなった。


「きゃ――」


 ユーリは、ロベリアの手をそのまま引いて、腕の中に抱き寄せた。彼は、細くすらっとした見た目の割に、胸板は厚くて固くてよく鍛えられている。ロベリアはユーリの胸の中で再び鼓動を早めた。


(……あれ? ユーリ様も、緊張なさってる……?)


 耳を胸に添えると、彼の心臓が普通より早く音を立てていた。彼の心臓の律動に耳を傾けていると、上から呟きが聞こえた。


「君は意外と小さいんだね。細くて……壊れてしまいそうだ」

「ユーリ様が無駄に大きいだけでは」

「はは、そうかも。ああもう……本当に幸せだ。ずっとこうしていたいくらい」

「…………」


 ロベリアはユーリの背中に手を回した。抱き合い、互いの温もりを感じるこの瞬間ほど心地よいときはない。心が安らいで、幸福感に満ちていく。


(今この瞬間が、永遠に続いたらいいのに)


 ロベリアは愛おしさが溢れ出して、少しだけ泣きそうになった。

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