第6話 まさかの逆転
きっと、この場にいる誰もが悪者を決めたがっている。けれど冷静になればなるほど深みにハマる。
そう、頭では分かっているのだ。恐らく誰も間違ってはいないと……。
だが女の涙は最強で、
「おい、高橋! 東さんに謝れ!」
ポロポロと綺麗な滴を落とす彼女を見て、一声を上げたのはクラスメイトの桃山だった。空気が読めない彼でないと、この緊迫した空気は破れなかったに違いない。
そんな彼に続いて、他の級友たちも声を上げ出した。
「そうよ、すぐに謝るべきよ! 高橋くんは東さんとお付き合いしているんでしょ?」
「彼女の初体験を奪っておきながら、何て酷い男なんだ! 男の風上にも立てないぞ!」
「見損なったわ!」
弱く分かりやすい標的を前にして、暴言が過熱していく。
そりゃ、僕だって悠衣さんの涙を前にして何とも思ってないわけじゃないのだが、そもそも何に対して謝るんだ? 別に二股をするわけでもないのに……これでは一方的で理不尽だ。
「けど、彼女がいる男に告白するのも悪いんじゃないか?」
ボソッと吐かれた言葉に、辺りが静まり返ったかと思ったら、引火した油火のように、あっという間に炎上し始めた。
「そうだよな、あれだけ仲良さそうにしてるカップルに告白するとか、略奪もいいところだよな?」
「人として有り得ないよ」
「最低だね、この寝取り女。普段から男に媚びり過ぎだと思ってたんだよね」
今度は標的が希一から哀奈に変わった。険悪な雰囲気の中、彼女は蛇に睨まれたカエルのように、たった一人で脅えて震えていた。
「わ、私はただ、気持ちを伝えたかっただけなのに……」
震える声に青ざめた白い顔。針のムシロの哀奈に同情した希一は、冷たく硬直した手を掴んで歩き出した。それも、未だに涙を流し続けていた悠衣の前で───。
「希一……さま?」
だが、怒りで周りの声を遮断していた希一に、悠衣の言葉は届かなかった。ただただ手を繋いだ二人の姿を見ることしか出来なかった。
そして無情にも閉まったドアの音が響き、目の前が真っ暗になった。
「私……振られたの?」
なんで? さっきまで回りも悠衣の味方だったし、どうみても有利な展開だったのに?
それに希一の気持ちだって、間違いなく悠衣に向いていた。互いに同じ想いと方向を向いていると確信しあったのに……。
「うそ、高橋の奴……東さんじゃなくて、林田を選んだのか?」
現実を突き付ける桃山の言葉に、悠衣は頭を抱え込んだ。
嘘だ嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! 絶対に認めない!!
他の女に奪われるくらいなら、いっそ私の手で───……その瞬間、ピキっと理性がヒビ割れたのが分かった。
▲ ▽ ▲ ▽
一方、哀奈を教室から連れ出した希一は、人がいないことを確認して止まった。
「ごめん、痛くなかった? いきなり引っ張ってゴメンね」
「う、ううん、大丈夫……!」
突然の二人きりに、哀奈も動揺が隠せなかった。掴まれていた腕に熱がこもっている。やっぱり、これって……私を選んでくれたってことだよね?
まさかの展開に、目頭が熱くなった。高橋希一が、自分のことを───……。
「林田さん、好きだと伝えてくれたことはとても嬉しかった」
やっぱり、間違いない……彼も私を───
「けど僕は、東さんに……東悠衣さんに惹かれ始めているんだ。だから勝負をされても、君の気持ちに応えることは出来ないです」
「───え?」
「ゴメン、本当にゴメンなさい」
え、あんなドラマチックに連れ出しておいて、振るの? 嘘でしょ? 有り得ない!
「まって、高橋希一は私を選んだから、ここまで連れてきたんじゃないの?」
「え、いや……だって皆の前で断られるのって嫌かなと思って……。だから人がいないところで伝えようと思ったんだけど」
優しさかよ!!
そんな優しさいらねぇよ!
でも好きって思ってしまう自分が悔しい! 彼なりに恥をかかないように気遣ってくれたんだって、分かってしまったから反論できなくなった。
「───絶対、他の人も勘違いしたと思うよ?」
「きっとそうだろうね。でも許せなかったんだ。外野が偉そうに言ってるのも」
たしかに、部外者が偉そうに決めつけるのは、聞いていていい気分はしなかった。むしろ嫌だった。
「……私のことなんて放っておけば良かったのに……」
「うん、そうかもね。でも……僕も気持ちは嬉しかったからさ。ちゃんと伝えたかったんだよ」
その結果が振る形だったけどね。
でも悪くなかった。高橋希一の優しさ、気遣いが嬉しかった。
哀奈は泣きたい気持ちを抑えて、必死に希一の背中を押した。
「私のことはもういいから、さっさと東悠衣のところに行ってあげて! きっとあの人、すごい勘違いしてると思うから!」
「あ、ありがとう!」
それから……
「───皆の前で、あんなこと言ってごめんなさい……。私、あなたの気持ちなんて考えずに暴走してしまって……」
哀奈の謝罪に苦笑を零して、笑いながら許した。
「大丈夫ですよ、暴走されるのは悠衣さんので慣れましたから」
その時の笑顔を見て、哀奈も諦めがついた。あんな行動を笑って許せるなんて、よっぽど好きじゃないと無理よ。
「敵わないなぁ……」
目尻に溢れた涙を拭いながら、哀奈は上を向いて笑った。
▲ ▽ ▲ ▽
それにしても、やっぱりやり過ぎだったかな?
哀奈と別れ、教室に戻ろうたと小走りになった希一は、どう説明しようかと頭がいっぱいだった。特に悠衣にはきちんと話さなければならない。
「説明しなくても分かって欲しいなんて、自分勝手過ぎるもんな……」
階段に差し掛かり、そのまま渡り廊下まで突っ切ろうとした瞬間、突き刺さるような視線を感じて踊り場に目を落とした。
「───え?」
嘘だ、何で?
誰もいないと思っていたのに、思わず自分の目を疑ってしまった。そこにいたのはギュッと胸元を握りしめて、顔を伏せたまま黙り込んだ悠衣だった。
「悠衣さ……」
声をかけようと肩に手を伸ばしたその時、怒りと涙で歪んだ瞳が強く睨みつけ、それに続くように、硬い拳が何度も何度もぶつけられた。
「痛い、痛い痛い……悠衣さん?」
必死に塞いだが、攻撃が弱まる気配はなかった。やはりさっきの、林田さんを連れて出ていったことが原因だろうか?
「───せない」
攻撃の合間に、声が混じり出した。
「許せない、絶対に許せない!」
「ちょっと待って、話を聞いて!」
「嫌よ、聞きたくない!」
聞きたくもない。だって、もう聞いちゃったんだもん……。
自分を選んでくれなかったショックで後をつけたんだけれども、彼はちゃんとケジメをつけてくれて、誠実な対応をしてくれた。
だけれども、それでも二人が一緒に、手を掴んで……嫌だった。
こんなの、自分でも理解できない。こんな自分知らない。
正直、リストカットだって、屋上の立てこもりだって、最初は衝動的な行動だとしても、心のどこかは冷静で。最後には理性が働いてくれるんだけれども、今回は止まらない。
「私以外の人に優しくするのも嫌!」
「ゆ、悠衣さん……っ」
「私以外の人に触れるのも嫌!」
私が一番じゃないと、私の傍にいないと、私のことだけを……。
「希一さま、大好きなの……自分でも止められないくらい」
ボロボロ流れる涙は好きと一緒。止まらない、止められない。
哀奈が傷つかないようにしたのも希一の優しさ。それは頭では分かっているけれど、嫉妬も抑えられなくて、やっぱり自分の手を取ってくれなかったことが悲しかった。
どんな場面でも私を一番にして欲しいと思うのはワガママなんだろうけど、彼にだけはそれを徹底してもらいたい。
全てを委ねるように希一にもたれ掛かり、そのまま踊り場に押し倒した。
驚いた顔で仰向けに見上げる顔に、ポツリポツリと雨のように涙が落ちた。
「私の全部を受け入れて欲しいんです。ワガママも嫉妬も、好きも愛も、全部。その代わりに私の全てを捧げますから」
泣いてるのに無理して笑うから、酷い表情になっているだろう。きっと自分が思っているよりも不細工になっているに違いない。
けれど希一の腕は拒むことなく真っ直ぐに伸びて、そのまま悠衣の身体を抱き寄せてくれた。
重なる心音、そして温もりが泣けるほど愛しい。
「全部捧げなくてもいいよ。今のままで十分重いから」
「え───!」
想定外の拒否に、思わず顔を上げてしまった。しかも重いって、思っていても言わない否定言葉!
「あはは、違うよ? いや、違わなくないんだけど……そんなに全力じゃなくても、僕もできるだけ不安にさせないように頑張るから。だからそんな泣かないで?」
希一も上半身を起こし、悠衣の涙を拭った。人差し指が温かく濡れる。拭っても拭っても、それは止まらなかっった。
「僕は悠衣さんを泣かせてばかりだね。どうしたら不安にさせないで済むんだろう……」
少し首を傾げた後に、何か閃いたのか明るい表情で笑いかけてきた。
「悠衣さんが不安になったり、嫌な気分になったら、僕を噛んでいいよ?」
「え、え? か、噛む?」
想像の斜めをいく提案に、流石の悠衣も聞き返してしまった。どうしたのだろうか? あまりにも色々考えすぎて、頭がおかしくなったのだろうか?
「だって僕が不安にさせる度に、泣きたくなるくらい苦しくなるんでしょ? 悠衣さんだけが苦しいのは嫌だから、僕も同じように痛みを感じた方が気をつけるようになると思うんだ。まぁ、流石に人に見られると恥ずかしいから、見えない場所にお願いしたいけど」
本気……なのだろうか?
真っ直ぐに見てくる希一を見て、冗談では無いのは分かったが───。
「それじゃ、今回の分も……噛んでいいですか?」
すると希一は目を瞑って、「どうぞ」と身を委ねてきた。
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