第3話 ライバル出現?

 希一の優しさを再認識した一方、悠衣は林田哀奈という存在に脅威を感じていた。


 あんな優しさを見せつけられて、惚れない女性はいない。少なくても側から見ていた私ですら惚れ直してしまった。きっと林田哀奈も惚れたに違いない。

 

「これはすぐに対処すべき案件ね」


 そう呟くと同時に、希一の腕を引っ張って教室の外へと連れ出した。


「え、え?」


 何が起きたのか分からず頭の中が真っ白になっていた。


 机に座っていたはずなのに、どうして廊下に出ているんだ? まって、どこに向かってる?


 確かなのは腕を掴む力。その先にあるのは迷いなく真っ直ぐに進む悠衣の後ろ姿だった。


「悠衣さん、待って! もうすぐ授業が始まるのに!」


 だが聞く耳持たずに、ひたすら前に進み続けた。所詮は女性の力、振りほどくのは簡単だけれども、こんなことをする理由を希一は知りたかった。


「どうしたんだよ、どこが具合が悪いの? それとも傷が痛む? それなら一緒に保健室へ行こう?」


 やっと声が届いたのか、足早だった速度が緩やかになり、次第に止まってくれた。


「───しい」

「え?」


「希一さま、なんてお優しい……! 私なんかの心配をしてくれるなんて! もうアナタの全てが愛しくて堪らないです!!」


 とろける表情に潤んだ瞳、そして緩んだ口元で振り向いた悠衣は、その勢いのまま強く抱きついてきた。


「好き好き、もう我慢できない! 希一さま、今すぐ空き教室で愛し合いましょう? 悠衣はアナタのことを考えてただけで身体の芯が火照って、トロトロになっちゃいます」


 と、トロトロ?

 一瞬、モザイク事案が脳裏を過ったが、ダメだ! 付き合ってもいない女子の在らぬ姿なんて想像するなんて失礼だ。


 大体、好き好きって連呼するけれど、彼女は僕のこと何一つ分かっていやしないんだから。

 昨日、チカンから守っただけで、勝手に妄想を膨らませて勘違いしているだけなんだ。


 悠衣さんが好きなのは僕じゃなくて、理想の僕なんだから。


「悠衣さん、気持ちは嬉しいけど───!?」


 好意を断ろうと決意した瞬間、口を塞がれ咥内に柔らかい快感が走った。舌が、予測不可能な動きをして……身体中に電気が走ったような衝撃を覚えた。


「ん、んン……、っハァ……っ、ン」


 他の生徒は授業を受けている最中だと言うのに、僕らは廊下でディープキス悪いことをして、背徳的な出来事に自己嫌悪に陥った。


 けれどそれよりももっと許しがたかったのが、この快感をもっと味わいたいと思ってしまっていることだ。


「こんなのハジメテ……、やっぱり希一さまは私の運命の人なのね」


 スカートのひだを摘んで、裾が少しずと上がっていく。真っ白な禁止区域が露わになる。


「だ、ダメだって!」


 それ以上はダメだ! こんなの間違っている……!


「き、希一さま?」

「ダメだよ、こんなの間違ってる」


 彼女の気持ちは嬉しい。こんな美人で可愛い人が自分のような人間に好意を寄せてくれる機会なんて、もう二度とないかもしれない。


 だが、同時に虚しいんだ。

 彼女の視線の先に映っているのが、自分ではなくその先を見ていると分かっていたから。


「僕はこういうことは、好きな人とすることだと思っているんだ」

「希一さま……?」


「悠衣さんは、僕のことなんて何も知らないくせに、無責任なことを言わないで。迷惑だよ」


 想定外の言葉に固まった悠衣を突き放し、希一は教室へと戻り始めた。


「本当に困るんだよ……。悠衣さんみたいな高嶺の花に迫られて、勘違いしない男なんていやしないんだから」


 でも本気になった途端、夢から醒めて離れられたら、きっと僕は立ち直れなくなる。

 先程の唇の熱や感触を思い出し、身体が熱くなり、その場に蹲った。


▲ ▽ ▲ ▽


 その後、気分が滅入った希一は保健室で休み、昼食前に教室へと戻った。


 気まずいな、絶対に注目の的だろうな。

 ついこの間までモブだった僕が、まさかこんな状況になるなんて、誰が想像しただろう?


 ドアを開けると、案の定大勢の視線が一気に集まった。この重圧、耐え難い……!


「え、あれ? 東さんは? 高橋くん一人?」


 一人? そう聞かれ、希一は周りを見渡した。数時間前に別れた悠衣の姿が見当たらなかった。

 まさか、ずっとあのまま───?


 心配になり踵を返して教室を出ようとしたが、野次馬たちがそれを許してくれなかった。


「なぁ、どうやって東を落としたんだ? お前みたいな普通な男モブにデレデレするなんて、ありえないだろう?」

「けどよく見たら希一くんって可愛い顔をしてるよね! もっと早く気づけばよかったー」

「ところで今まで何をしてたんだ? 二人でエッチなことをしてたのかい?」


 申し訳ないが、それどころじゃない。

 こんな質問に悠々と応えている場合じゃない。今すぐにでも彼女のところに戻らないと、もしかしたら今頃───……。


 ふと、手首の包帯を思い出した。


『これは希一さまに会えない寂しさから、ちょっとリストカット切ってしまいまして……』


 もしかして拒まれたショックで、また切ってたら───!


 いても立ってもいられず、野次馬たちを振り解いて悠衣の元へと急いだ。


 ダメだ、悠衣さんを傷つけたら何をしでかすか分からない。


「これ以上、悠衣さんが傷つくところなんて見たくないんだ!」


 何の為にチカンから守ったんだ? 自分が傷つけたら、意味がないじゃないか!


 本当の自分を見てもらえないか虚しい? 知られた後に肩透かしされたら悲しい?

 そんなの仕方ない、知ってもらった後は彼女の自由だ!


「逃げてばかりじゃダメだ。僕もちゃんと悠衣さんに向き合わないと!」


 そう気持ちを決めたのに、思っていたいた場所に悠衣はいなかった。しん……と静まり返った無人の廊下で、希一は不安に急かされた。


「嘘、何で? 僕が拒んだから?」


 もしかして、もう手遅れ───?

 最悪な事態を想像し、急いで屋上へと向かった。だが、そこにいたのは昼食時間ランチタイムを和気あいあいと楽しんでいる生徒だけだった。


 次は……刃物がある家庭調理室? 理科室? 準備室?


「いない、いない! いない!! 悠衣さん、どこにいるんだ!?」


 どこを探しても見当たらない。気づけば時刻はお昼が過ぎ、午後の授業も終わり、空が茜色に落ち始めていた。


「こんなに探しても見つからないってことは、もしかして家に帰ったのかな……?」


 いや、そんなはずはない。彼女はまだ学校に残っているはずだ。どこにもない根拠だけれど、直感がそう言っているんだ。


「校内は全部探した。ってことは、後は……」


 来季取り壊し予定の旧校舎。

 古くなって立ち入り禁止になっている場所だが、もしかしたら。


 通電も断たれて薄暗い場所だが、もしここに隠れているのなら、行かない訳には行かない。行く手を塞ぐように張っている蜘蛛の巣を払いながら、奥へと進んだ。


 今にも幽霊が現れそうな場所にいるとは思えないのだが……手前の今にも崩れそうな教室を見てみると、部屋の隅に薄暗い人影が目に入り───!?


 不健康そうな青白い肌と長くて黒い髪が垂れて、いかにもな雰囲気を醸し出していた。


「ぎゃぁぁああッ! 出た、出た!」


 嘘だろ、幽霊なんて初めて見た!! 霊感なんてないと思っていたのに、嘘だ!


「き、希一さま? どうしてここに?」

「え、え? 悠衣さん?」


 よく見れば幽霊ではなく、探していた彼女だった。良かった……幽霊じゃなくて、本当に良かった。


 だが安心したのは束の間、すっかり元気を失った彼女を見て、酷く胸が傷んだ。


 もしかして自分の言葉のせいで?

 それによく見ると、巻いていた包帯が赤く染っていた。


「それ……どうしたの?」


 希一に聞かれて慌てて腕を背後に隠したが、遅かった。彼女の前まで距離を詰めて、ゆっくりと手を掴んだ。


 痛々しい傷が、抉られるように掻きむされていた。


「これは、その……!」

「───ごめんね、悠衣さん。僕、自分のことばかりで」

「え、希一さま?」


 困惑する彼女の身体を包むように、そのまま胸元に顔を押し付けて抱き締めた。


「き、き、希一さま! どうなさったんですか!?」

「僕は……怖かったんだ。美化して描いた悠衣さんの理想と現実の僕を比べて、幻滅されるんじゃないかって……。でも、それよりも僕は君を傷つけたことの方が何倍も悲しかったって気付いたんだ。本当にゴメン」


 震える肩、そして悠衣の頬に落ちた涙を感じ、そっと慰めるように手を回した。


「私の方こそ……先走ってごめんなさい。でも希一さま、心配しないで? アナタは本当に素敵な人だから、幻滅することなんて有り得ない。きっと昨日よりも、今日よりも、どんどん愛しいが積もり積もると確信できます」

「そんな……僕のこと、何も知らないのに」


「知らないということは、好きになる要素がまだまだあるってことですから。私は楽しみです。まだ知らない希一さまを見るのが……」


 いつの間にか空に浮かんでいた月明かりが、彼女の横顔を優しく照らしていた。


 なんか、もう、いいや。彼女が喜んでくれるなら、もう流されよう。彼女の頭を優しく撫でながら、再び強く抱き締め合った。

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