第8話 不可避

[俺達を、変えた張本人

 その彼女の名前は

 敷辺ゆかり…]


〔…………………〕

『……………』

〈………………〉



[な?

 本当は、あの女の名前すら

 出したくないんだ…

 いつもこうやって、皆暗くー…]


〔!〕



〔え…〕

『しおりん!』


[……………あの馬鹿…………]


〔……………………〕

〔詩織…

 行ってくれる…?〕



[…………あぁ…]




〔………ごめんなさい…

 いつも…貴女ばっかり…〕


[おいおい、

 ちぃ姉が謝んなよ…

 謝るのは灯だ

 トチりやがって…]

 

[おい、お前、

 悪いな、話の続きは後でだ

 は?どこに行くか?って…

 そんなの…今しがた

 ここが暗くなっただろ?

 この意味は、教えたはずだぜ?]


〈………………………!〉


『あっ、

 望来ちゃん!』


[おっと…

 望来、

 どうした?]


〈…………………………!〉


[え?……

 そんな顔しなくても大丈夫だ…

 いつも通り、俺は

 ちゃんと帰って来るから…

 それに、こんなん

 いつもの事だろ?]


〈…!………〉


[あぁ、ありがとう…

 気を付けるから

 だから、望来は

 ちぃ姉や華と待っててな]


〈……!…………!?〉


[あぁ、約束だ

 俺が約束を破った事ないだろ?]


『しおりん…気をつけてね…』


[あぁ、華も

 分かってる…

 二人とも、望来を頼んだぞ]


『…………うん』


[じゃあ…、

 ちょっと行ってくるわ…]




胃がひっくり返るような

猛烈な吐き気、

痛みすら覚える横隔膜の収縮に

俺は堪らずに瞼を上げる


食道の壁を強引に押し広げながら

上がってくる吐瀉物は

咽の奥、喉頭蓋を容易に突破して

口一杯に、何とも言えない

胃液特有の苦味が広がる


「ぐっ…」


俺はとっさに仰向けの体勢から

本能的に体ごと横を向く


床に倒れ伏している俺の

これが精一杯の抵抗


この体勢では

吐瀉物で灯の制服が汚れるのは

避けようがないものの

その被害を

最小限に抑える為の行為だ


そして、俺が僅かに頭をもたげた次の瞬間には

最後の防衛線たる口をも突破して

真っ黒な塊を伴った吐瀉物が

目の前の床に広がる


それが、汚い

と言った感情こそ薄い


それは、これが

灯が、これまでに取り込んだ、

【誰か】だと、

しっかり認識出来ているからだ


「ーーーー!!」


横隔膜の収縮は数度

時間にして、十数秒足らず


これまでに数回

こうして灯の身体を使っているが、

その度に、毎回、

この始まり方だ


何せ、

灯が死んだタイミングでしか

俺は表に出てこれないのだ



慣れてきていたとはいえ

回復には最低でも

こうして、十数秒は掛かる




「ーーーー!!」


その間、

俺が身動きが取れないにも関わらず

コイツは俺の頭を震える銃口で

幾度となく小突く


小突く、とは少し正確でない

抑えられない身体の震えが

腕を伝い、俺に突きつけた銃へと伝わり


震えた銃先が

俺の頭にコツコツと当たっているのだ



「ーーーー!!」


理解出来ない言語


ただ、先程から

同じ単語の繰り返しに聞こえる


正直言って

少し痛いし、この上なく鬱陶しく

何より、うるさい


俺は、そんなコイツの指示か何かを

完全に無視して

自分の身体

もとい灯の身体に目をやる


視界に写った

灯の制服には、想像した通り

何かが【通過】した

どんぐり程の穴が無造作な場所に

数ヶ所開いていて


その穴の周りは

他の場所より、濃い赤が付いている


それまでの状況が、

考えずとも、理解出来た


それはこういう事だ



灯は先程、

玄関に立つ二人へスタングレネードを放って

視界と聴覚を奪った


ここまでは、成功した


だが、次の段

相手の大腿部、その部分の防護服だけを斬り

肌を露出させようとした


その意図は、その肌に触れる事で

先程【送った】心優しき青年のもとへ、

この二人の事も

【送ろう】としたのだろう



ここで、失敗した



敢えて、

付け加えておこう



灯の【触れる】は

一般的な【殺す、死なせる】とは

全く違う


もっと、

ずっと優しいものだ


それに、

苦痛などは一切与えない



ただ、それらの事実は

まだ灯と会話が出来た頃

灯から何度か説明を受けたが


灯自身の中でも、

感覚的な物らしく

話が要領を得ない事はもとより


俺自身、体験するまで

信じる事も

理解する事も出来なかった



もしも、あの頃

信じられていたならー


もしも、

ほんの僅かでも


理解してあげられていればー



今、この瞬間が

少し変わっていた、

と、思えてならない



兎も角、と

俺は辺りの状況を正確に把握すべく

僅かに頭を上げる


「ーーーー!」


再び、理解不能の言語

同時に銃口の小突き

状況的に考えれば

「動くな!」とでも言っているのか


怯えるのも無理もないが


正直、俺が動いたのは

ほんの少しだけ

正確には数ミリ程度しか動いてない


にも、関わらず

この仕打ちである


俺自身、

自分では気は短い方じゃないと

思ってはいるけど…


流石に

イライラしてきた


まぁ…、


俺が出た以上

穏便には済まないけど


抵抗しなければ

苦しみは一瞬、なんだけどな



俺は灯とは違う



俺は一度、

静かに瞼を閉じる


そして、


少し間を置いて


瞳に力を込めたらー…


っても分からないよな

そもそも感覚でやってる事だから

詳しく説明は出来ないんだが


一、二とタイミングを計り

それから一気に身体を捻って

目の前の奴の顔を見る


顔を、と言うより

奴の防毒マスクの奥

瞳を真っ直ぐに見る


「ー!?」


視線が交差した一瞬だけ、

目の前が戸惑いの声

それからー


「ー!?ー~ー~…」


奴の瞳に俺が映り

それが白濁して、消えてゆく


その瞬間、マスクの中で奴が

戸惑いと苦悶の声を上げる

そして、それが

くぐもった呻き声に変わる


それが聞こえ、

俺は終わりを確信する



目の前の奴の震えは

完全に止まり


それにとどまらず、

辛うじて立ってはいるが

身体は完全に弛緩してしまった


「ー…ー……ー……ー…」


絶えず、呻きのような声は

漏らしている


既に人らしい何かは

完全に壊れてしまい


ただの物と成り果て


次の瞬間には

「ーー!?」


何やらの言語の後

目の前の奴の姿が照らされる


照射元は間違いなく

もう一人の方だ


大方、灯が“送った”男の

生死の確認に向かっていたのだろう



チカチカと照準が定まらないのは

そいつも震えている為に他ならない



全くー


覚悟が決まってないなら

武器を持つべきではない


まして、

見知らぬ土地の、

危険が伴うかもしれない斥候に

志願する事は、或いは命令を受ける事は

もとよりだが

他人に殺意を向けるべきでもはないのだ


私の能力は

実質は灯のものより

ある点なら有能だと

自負がある


何故なら、俺は

殺すだけじゃないからだー



「ー……ー…ー…ー……」



サーチライトの中

目の前奴がフラフラと

不自然な動作で

銃を構える


だが、

その銃は俺には向けられず

銃口は別の場所


自らを照らしているライトの

照射元へと向けられた



「ーー!?ーーー…」



二人のライトが交差する

目の前の“物”となった奴のライトの先で、

刹那

酷く戸惑った声が上がった気がした


その直後、

一切の躊躇いなどなく

銃弾が放たれる


幾度なく軽く響く銃声と、

連続される目映い閃光


こうした時、

一瞬の躊躇の差は大きい

そして、それは生死に直結する


程なくして、連射が終わる

代わりにカチカチと

引き金を空打ちする音がだけが

やけに煩く響く



それ以外の音といえば

跳弾のせいか、パラパラと

壁が剥がれ落ちる音くらい


撃たれたであろう奴の

呻き声すらしない



俺はゆっくりと顔を上げて

撃たれたであろう奴の方を確認する


そこには灯が送った彼

そのすぐそばに仰向けに倒れ伏す


奴の、

恐らくは遺体


こんな時、油断は禁物だ

不用意に近づけば


最後の力を振り絞ってー


なんて事があるかもしれない


まぁ、飛び散った血の量や

床に広がる血溜まりを見れば


その可能性は限りなく低いのだけど



俺は数秒待って立ち上がり

今尚も目の前で

空になった小銃の引き金を

カチカチと引き続けている奴の

防毒マスクを外してやる


防毒マスクの下から現れた

奴の素顔は、


やはり若かった

見た目から推測する年齢にして

俺や灯達と変わらない


次に防毒服を脱がし

装備品を剥ぎ取る


銃、弾薬、この辺は

正直言えばあまり必要じゃないが


薬関係、糧食、何より

グレネード関係


例えば、先程

灯が使ったスタングレネードなどの

身動きを奪う系の武器は

この先も必要だろう



俺は大方の装備品回収を終えて

それから、彼の顔をこちらに向け

その瞳を今一度、深く見る


すると、彼の瞳は

白濁を超えて、真っ白になる



肩から小銃が滑り落ちる



それから、踵を返すように

彼はフラフラと玄関へと歩き出し


そのまま扉を開けて

外廊下へと出ていった


俺はもう既に彼を見ていない

結末は嫌と言うほど知っている


罪悪感は極めて薄い




十数秒後




何か固い物が

地面にぶつかり割れる音

枝が折れるような音

そして、

中にある液体が飛び散るような音が





聞こえた気がした





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