第2話 四季彩町 ②

玄関の鍵と

かつて母の物だった財布を手にした

灯は、まるで逃げるように

リビングを抜け出し


再び、

暗い廊下へ踏み出し


そして

次に、玄関へと足を向けた






『ここまでで、灯はどうして

 一切電灯を点けないのか?

 そう、当たり前の疑問を口にする者が

 少なからずいるかもしれないね』


『物の散乱した乱雑なリビング

 探し物をするなら

 尚の事でしょ』


『これには幾つか理由はあるけれど

 ここは敢えて、

 こう答える事にしようか』


『【危険】だから、だよ』



『え?

 「何が危険だ?」

 だって?』


『ふふん、

 それはねー…

 まだ内緒、だよ』


『…あれ?

 どこ行くの?』


『もしかして、

 怒っちゃった?』



『ごめん、ごめん

 ちょっと意地悪だったよね?』




〔こら、はな

 そんな説明じゃあ怒らせて当然でしょ?〕


『あ、ちぃちぃねぇ

 来てくれたの?』


〔あなたの説明じゃ、

 ただでさえ何も知らない【この人】が

 余計に混乱してしまいそうだったからね〕


『あー…、ははは…

 えーっと…

 怒ってらっしゃる…?』


〔んー?別に、

 “怒って”はないわよー?〕


『(あ、これ本当に怒ってるやつだ…)

 ごめんなさい∽』


〔…まぁ、でも確かに

 全てを、それも詳しく説明しろ

 って言われたら…

 それは難しいのかもしれないわね…〕


『!』

 『でしょ?でしょ?

 私、全部は間違ってないよね?』


〔調子に乗らなー…〕

[相変わらず能天気な奴め…]


『え?その声は…』


 『あ、しおりんだ!

 しおりんも私を心配して

 来てくれたの?』


[そんな訳ないだろ?

 大体、俺らが懇切丁寧に説明しなくても

 この町の状況を一目見れば

 少しは理解出来そうなものだろに

 それを今更うだうだと…]


詩織しおり…〕


[だいたい、

 華なんかに説明させるから

 余計ごちゃごちゃするんだ…]


『ヒドクナイ?』


[俺らの中で一番頭のいい

 ちぃ姉が説明すればいいんだ

 それか俺に説明させれば、

 それこそ、一秒で終わらせてやる]


[いいか?

 この世界はとっくにーー]


〈……………………………〉


[な、なんだよ…?

 って、うわッ]


『ん?あーー、

 望来みらいちゃんも来たんだ!』


『望来ちゃん、久しぶりだね』

『ってか、どうしたの?

 出て来るの珍しいじゃん』


『って…、あれ?

 望来ちゃん?』


〈………〉


[望来…

 なんだよ?その目は…

 俺が何か悪いのかよ…?

 俺は、ただ事実をー]


〈……………〉


[ッ、ちょッ…

 引っ張るな!]


〈…………………〉


[わかった、わかったって

 もう余計な事言わねぇから…]


〔ふふふ、“相変わらず”

 詩織は望来に弱いのね〕


[は、はぁ?

 な、何言ってんだよ?

 そんな事ねぇし…]


〔あなた達、

 相当仲良かったものねー〕


[だから、

 そんなんじゃねぇって!]


『あ、でもそれわかるかも

 望来ちゃんが一番懐いてたの

 【掃除】の時、常に一緒にいた

 灯じゃなくて、しおりんだったし』


『あ…』



[…灯……]


〔詩織…、まだ、

 灯を許せないの?〕


[………当たり前だ…]


『でもさ、そのお陰で

 私達はこうして今も、会えてるよ?

 穏やかに過ごせてるよ?

 確かに灯の決断は、極端だったけど…

 そうじゃなきゃ、私達は

 今頃もまだ…』


〔そうね…、

 それも、ある意味では事実よね…〕


〔でも、灯が望来を

 そして私達をも【殺した】事も事実なの

 それは…、

 簡単には許される事ではないわ…〕


『でも、それだってー』



[…違う……]


『え?』


[俺が許せないのは

 アイツが望来や

 俺達を殺した事じゃない…]


『しおりん?』


[俺が許せないのは…

 アイツが全てを

 一人で背負い込んだ事だ…]


[だってそうだろ?

 俺達は…]



〔五人…で、

 一つ…〕


『しおりん…、

 “たまに”すごくいい事言うよね』


[“たまに”は余計だ…]


〔そうね…、何だかんだ言っても

 詩織は私達の中でも

 一番仲間想いって言うのか

 誰より、優しいのよね…〕


[ちがッ、そんなんじゃねぇって…]



『ん?って…

 あーー、』


『君の事を

 すっかり、忘れてたよ

 ごめんね…、

 私達だけで盛り上がってしまって

 君を置いてきぼりにしてたね』


〔そういえば、

 そうだったわね

 ごめんなさいね…〕


〈……………〉

[え?]


〈……………〉

[は?俺も?]


〈………………………〉

[痛ッ、痛いって…

 わかった、わかったから]


[ったく…

 …ごめんな…]


[………、

 何だよ、お前ら

 そのニヤケっ面は…]


『べーつにー』


『ねぇ』

〔ねぇ〕


[いいから…、

 さっさと説明してやれよ…

 また【こいつ】置いてきぼりになるぞ?]


『あぁ、そうだったね…』



『んー、とね

 うまい言い回しが見つからないから

 単刀直入に言うとね』



『えっと…、

 この世界はーー』




玄関に辿り着いた灯は

そこに揃えて置いてあった

通学用のローファーに踵を通す



すぐ脇には今も

灯の私室で練っているであろう少年

トワのボロボロのスニーカーが

図らずも目に入り


灯を一層

焦らせた


そして、

その更に横

玄関の隅には


運動用であり

普段私用で出かける時履いていた


使い古されたが、

それでもまだ現役さながらの

スポーツブランドのスニーカーが

薄い埃を纏っている


この時、

灯は多少なりとも

急いでいるのだから


少しでも動きやすいスニーカーを

選ぶべきに思えたが


灯の動きには

迷いすらも、なかった



慣れた様子で爪先を靴へ挿し込み

踵を押し込んで

爪先でトン、トンと軽く地面を突き

靴の中の、足の位置を整える


それは、

その瞬間まで

疑問にすら感じなかった


ごく自然な行動だった


と、次の瞬間

灯は、はっとする


その音は

静まり返った暗い廊下に

思いの外響いてしまったからだ



灯は息を殺して

廊下の奥、私室の変化を

耳で確かめる


そのまま、一分、二分

全神経を耳に集中させる



そして、

三分を数えた所で

漸く胸を撫で下ろす事ができた


どうやら、

先程の音でも


幸いな事に

トワを起こす事は

なかったようだった



灯は改めて

玄関の扉へ向き直る



音が響かないように、慎重に

補助鍵を外し

メインの扉の鍵を解錠する


その後、

ゆっくりとドアノブを回し

そのまま扉を押し開いてゆく


途端、冷たい風が吹き込み

予想以上の肌寒さに

一緒だけ怯んだものの


それでも

ここで外出を止める理由には

到底ならない



こと今回に至っては

理由が理由なのだ



玄関の扉を開けた先

ここも実に見慣れた風景だ


剥き出しのコンクリートの廊下

目の前には同じくコンクリートの

分厚く、灯の胸ほどの高さの柵


その先に見える

疎らな光の灯る町


その先は山、

そして空


黒、と表現されがちだが

よく見れば

限りなく深い藍色の空


一番乗りした星が

キラキラと輝き


私に

声なく“こんばんは”と

挨拶を告げてくる



私は、そんな星に

小さく「こんばんは」と告げると


玄関の鍵を締め

向かっ左、エレベーターホールへと

歩き出した



灯の自宅は、

そのフロア、一番端

エレベーターからは

一番遠い距離に存在している



そうは言っても

このフロアに存在するのは

三世帯分


つまりは

大きなくくりで

三部屋だけということになる


いくら灯が、

平均より少し小さいとは言え

普通の歩幅、歩調に歩けば

二分にも満たないが


灯は道中、

持ち出してきた財布の中身を

確認をした為か、この時ばかりは

普段より、ほんの少しだけ、

時間がかかったかもしれない


灯が歩きながら財布を確認する



さて、

財布の中身は、というと

所々にシワの付いた

一万円札が一枚、


あとは、

これまた、一層深いボロボロで

最早、自動販売機などでは

到底使えそうにないであろうが

一応は紙幣の体の

千円札が二枚


あとは、

有象無象


小銭達の一群だ


灯は、財布の中を一瞥すると

まるで何かを数えるように

一つ二つと指を折る


その指が三つを数えようとして

少し考えてから、

数える事自体を止めてしまった


そうこうしているうちに

エレベーターの前に辿り着く


だが、灯は

ボタンを押す様子も

また、立ち止まる素振りもなく

エレベーターの前を通り過ぎて

すぐ脇の


真っ暗な非常階段を

選択した



一段、一段、と灯が

歩を進め階段を下る



その際に灯が

押したスイッチによって


等間隔に灯った電灯が

申し訳程度に

足元を暗く照らし出す



念のため

繰り返しておくが

灯の自宅は

このマンションでは高層階



その全てを階段で降りるのだから

それには相応の時間がかかり

奪われる体力もそれなりである


それにも関わらず

灯が何故そうした手間を選んだのか?


ここでは敢えて

その疑問は一先ず置いておく事にする



さて、

どれくらい時間が掛かったか

正確な時間は想像に任せるが


一階部に辿り着いた灯は

肩で息をするまではないが

身体を少しだけ火照らせている


辿り着いた場所は

オートロック付きのエントランス

なんて、そんな上等な物ではないが


一応は、

このマンションの顔であり

それなりには手の込んだ造りの場所だ


高い天井

飾られる照明

観音開き、木製調の扉


その全てか

ここに住む住民の為

或いは、その客人を持て成す為のもの



灯は一層歩調を早めて

そこを一気に抜けて



通りへ



立ち並ぶ街路樹に

お洒落な電灯



鮮やかに色付いた銀杏の葉が

風に舞って踊りながら降りてくる


ヨーロッパを模した街灯の、

優しいオレンジ色の光



灯は、この光景が

何より好きだった


いや、その気持ちは

それは今でも

少しも変わらないのだが…



灯の一家が

ここに越して来た当時

ほんの数年前の事



子供達の遊ぶ

無邪気な声

銀杏の木の脇に置かれたベンチで座り

穏やかに互いを気遣う老夫婦の姿



完成したばかりの

このマンションの内見に訪れた

灯と両親


当時まだ小学生

それも低学年生だった

灯にすらも、

この光景の美しさは理解出来たらしく


灯は、

ここの光景を一目で気に入り



また、灯の両親は

この光景に瞳を輝かせる

愛娘の姿を


そして、いつの日かの

成長した灯の姿を

この光景と共に瞼に投影し


灯の両親は、当初の


【転勤の為の

“仕方のない”転居】


というネガティブな理由を

あっさりと捨て去り



ここを終の棲家、或いは

灯の実家として


文字通り、

人生最後となる

転居を決めたのだった



少しだけ語るが

内観時、それに引っ越し後にもだが


灯は、ここの全てを

言葉にならない程に

綺麗だと感じていた



外の光景は今更、

言うまでもないが


凝った造りの

美しいエントランスも、


未だ新品独特の香りのする

エレベーターも


そして、初めて貰った

自分だけの私室も


顔を合わせれば

笑顔で挨拶をしてくる隣人達も



近所で小さな商店を営む

おばさんの優しい声も



その全部が全部

灯のお気に入りだったのだ



そんな人達や物達、

勿論、優しい両親もだが


それらに囲まれて

「私はきっと、

 世界一幸せな女の子だ」

と、


灯は、

それらが決して比喩などではなく

心の底から感じていた



そして、それらが

これからもずっと続いていくのだと

そう信じて止まなかった



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