第2話 ヤゴット村にて(シェスタ幼年編①)

 赤ちゃんって暇なんだな……


 シェスタ洋士は、毎日暇を持て余していた。


 できることといえば、寝ること、ミルクを飲むこと、泣くことの3つだけだ。


 せめて、1日の半分くらいは寝ることができればいいのだが、元々ショートスリーパーだった名残があるのか、シェスタはほとんどの時間、起きている。



 赤ちゃんが寝ていないと、両親が心配するかもしれない――


 シェスタは、0歳児ながら、大人の気遣いを見せて、両親が家にいるときは、極力寝たふりをしていた。


 夜泣きなんてもってのほか、両親の睡眠を妨げてはいけない――


 しかし、前世では超夜型人間だったせいもあり、シェスタは赤ちゃんでありながら、毎日眠れぬ夜を過ごした。


 ある日の夜、珍しくウトウトしていたら、隣のベッドから両親の声が聞こえた。


「なあ、シェーラ、もう1人作らないか? いいだろ?」


「だめよ、あなた、シェスタが起きちゃう」


「大丈夫、シェスタはよく寝る子だ。ほら見ろ、ぐっすり寝てるじゃないか。な、いいだろ?」


「もう、しょうがない人ね、静かに、ね?」


 少しの間の後、布のこすれる音、母親の細かい息づかい、父親の荒い息づかいが聞こえてきた。


 シェスタは慌てて両親とは逆の方向に顔をねじ曲げ、心の中で何度もつぶやいた。


「石だ、俺は赤ちゃんの形をした石だ! 石になれ!」


「思い出せ、部長に2時間叱られたときも、乗り切れたじゃないか! そうだ、こんな時こそ、マジカルバナナだ!」


「バナナといったら黄色、黄色といったら信号、信号と言ったら止まれ、止まれといったら……」


 シェスタのエンドレスマジカルバナナ現実逃避が続くかと思われたが、やがて両親の荒い息づかいがフィニッシュを迎え、しばらくして寝息とイビキに変わった。


 顔を仰向けに戻したシェスタは、言葉になっていない声でつぶやいた。


「来年は、弟か妹がいるのかな……朝型人間にならなきゃな……」



 ―――――――――――――――――――――――


 シェスタは、お腹が空いたら、すぐに泣くようにしていた。


 食事は、今のシェスタにとって一番の娯楽だ。


 シェスタは、初めて母親のおっぱいを吸ったときの、あの衝撃が忘れられなかった。


「母乳、うまっ! えっ、母乳ってこんなに美味いの?」


 シェスタは、牛乳とはひと味違う、そのおいしさの虜になっていた。


「本当にこの子は、よくお乳を飲むわね、慌てないで落ち着いて飲みなさい」


ホンゲッ、オウッ、キャッキャ、キャーイいや美味いっス! もう一口、もう一口!!」


 唯一の娯楽が終わると、前世の悪しき習慣が、ざわざわとよみがえってくる。


「煙草が吸いたい……シケモクでもいい、誰かくれないかな……」


 200%叶うはずのない望みを抱き、食後のシェスタはいつも、苦虫をかみ潰したような、眉間にしわを寄せた、赤ちゃんとは思えない表情をしていた。


「あら、この子はどうしていつもおっぱいのあと不機嫌になるのかしら? ほら、シェスタ、よしよし、ゲップをしなさい」


 背中をトントンと叩かれたシェスタは「ゲフゥ」と26歳のような、おっさんくさいゲップをしながら、思うのだった。


 この世界に煙草はあるのかなぁ……


 煙草は20歳になってから……あと20年かぁ……


 ―――――――――――――――――――――――


 毎日が穏やかに過ぎていった。


 何の不安もなく、安心できる毎日。


 シェスタは1歳の誕生日を迎える頃、少しずつ、この世界がどのようなものなのかを理解していった。


 父親の名前はカニー・ガステル、母親はカニー・シェーラ、カニー家はシェスタを合わせて3人家族であること。


 今のところ、弟や妹ができる予定はないらしい。


 自分が住んでいるヤゴット村以外にも村や町があるらしい。


 父親は、魔法狩人マジックハンターを生業としていて、凄腕らしい。


 もっともシェスタには、魔法狩人マジックハンターという職業が何なのか、まったくわからないままだが。


 母親は、近くの畑で野菜を育てているらしい。


 一度ちらりと母親が持ってきた野菜を見たことがあるが、前世でいう白菜のような野菜だった。


 この世界の食生活は、前世とさほど変わらないのかもしれない。


 この世界では、2歳になるまで、家の外に出てはいけないらしい。


 理由はよくわからないが、昔からそういう決まりなのだそうだ。


 そしてシェスタにとって一番嬉しかった情報がある。


 この世界にも、煙草らしきものがある、ということ。


 一向にニコチン中毒が治る気配のないシェスタにとっては、嬉しすぎる情報だった。


 吸えるときがきたら、思う存分、吸い倒してやろう!


 幼児とは思えない決意を、シェスタは胸に秘めていた。


 ―――――――――――――――――――――――


 シェスタは、舌っ足らずの言葉を話すようになり、両親とも少しずつ会話ができるようになった。


 本当はペラペラと話すことができるのだが、それは不自然だと思い、あえて段階を踏むようにしていた。


 仲良く、自分に限りない愛情を注いでくれる両親の元、穏やかで、平和で、何一つ不満のない(煙草を除いて)環境の中、すくすくとシェスタは成長し、2歳の誕生日を迎えようとしていた――



―――――――――――――――――――――――


2023年3月8日

新しい小説の連載を開始しました。

よろしければ、お読みください。


「俺は宇宙刑事ギルダー! 公務員さ!」


https://kakuyomu.jp/works/16817330654159418326







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る