25 今度は僕が
不意に僕の背中に向かって投げかけられた声に、思わず肩が跳ねた。しわがれた、乾いた男性の声。懐中電灯のあかりが左右に振られ、こちらを見つけようとしているようだ。
「先生、隠れないと」と、先生の腕をつかんで墓地のさらに奥へと向かう。踏み出した際に、膝がツキンと痛んだ。曲げ伸ばしするたびに、じわりと痛みが神経を伝ってくる。なんでこんなときに限って。
先生は僕がひっぱるほうへ、骨壷を抱えながらかろうじてついてくるだけだった。墓地のなかに生えている樹木の陰に隠れて、懐中電灯の光のほうに目をこらす。黄色い蛍光色のベストとベースボールキャップが、懐中電灯のあかりを反射してぼんやりと光り、暗闇に浮かんでいる。祭りの警備の見回りだろうか。壮年男性の「おーい」という声が何度か聞こえる。
僕は先生を抱き寄せたまま、息を潜める。心臓の音が先生に伝わるんじゃないかと思うほど、僕自身の鼓膜にも響いてくる。先生は力なく、僕の腕のなかにおさまったままだ。頼む、来ないでくれ、そのまま行ってくれ。その思いとは裏腹に、男性は懐中電灯で周りを順に照らしながら墓地に足を踏み入れてくる。じゃりじゃりという足音がして、一歩一歩こちらに向かってくるのがわかる。あらくなっていく自分の息遣いがどうか聞こえないようにと願うが、止められない。どうすれば。
「先生、どう……」
どうしましょうか、と尋ねようと抱き寄せていた先生の肩を持って顔をのぞきこんだが、言葉にならなかった。先生の頬は涙に濡れ、その目は僕を見ていなかった。暗闇のなか、先生の瞳に光は灯っていなかった。先生、ともういちど声をかけたが、反応がない。さらに心臓の鼓動が加速していく。
どうしよう、どうしよう。同じ思いが頭のなかを駆けめぐる。墓地への出入口はいま男性が入ってきたから、見回りの男性を避けて出ることはできない。駐車場へと続く出入口も、ここからは距離があり、見つからずに移動するのは無理だろう。なんとか先生を抱えながら走ってなんとか振り切ろうかと考えるが、ジクジクと痛む膝が、僕の浅はかな作戦を嘲笑う。足さえ、足さえ動けば、先生を助けることもできるのに。僕は、こんなときに先生を助けることもできないのか。
僕はすがるような思いで夜空を見上げた。懐中電灯の光が交錯するなかでも、星たちは相変わらず僕たちを照らしていた。先生の言葉が、頭のなかでリフレインする。
『私は走れる天来くんを求めて、昨日の夜、声をかけたんじゃありません。天来くんだからできることがあるはずです』
そうだ。速く走れるから、先生を助けられるんじゃない。僕だから、いまだからできることをやればいい。
考えろ、考えろ。いままで、先生は僕を助けてくれたじゃないか。屋上で死にそうな僕に、警察官に捕まりそうになって死にたくなった僕に、先生は手をさしのべてくれた。今度は、僕が先生を助けたい。
僕は唇をぎゅっと噛んだ。うまくいくかわからないけど、やれることはやらなければ。
「先生、骨壷、貸してください」
先生の胸に抱きかかえられた骨壷に手をかける。先生は抵抗することなく骨壷を手放してくれた。先生に、すみません、と小声で断ってから、先生が背中に背負うリュックのジッパーを開き、準備していたビニル袋で骨壷を覆ってから、リュックにしまう。そして、先生をもういちど抱き締めた。僕の早い鼓動は、先生に伝わっているだろうか。じゃり、と通路の砂を踏み締める音がして、見回りの人がすぐそこまで近づいてきているのがわかる。僕は深呼吸した。落ち着け、落ち着け。遺骨を盗んだところを見られたわけじゃない。要するに、ここで骨を盗んだことが見回りの男性に知られなければいいのだ。やるしかない。
先生を、助けるんだ。
懐中電灯のあかりが、こちらを向いた。僕がまぶしさで思わず目をつむると同時に、「うわっ!」と驚く声が聞こえた。
「あんたら、ここで何しとるんかね?」
銀縁眼鏡の奥でつぶらな目が見開かれており、見回りの男性はひどく驚いた様子だった。樹木の影に息を潜めた男女がいるとは思ってもいなかったのだろう。僕はとっさに先生を背後に隠し、男性と正面から向きあう。
反射的に「あー、えーと」と言葉をにごしながら、顔の筋肉を引き上げて苦笑いを浮かべた。心臓が口から出そうだ。競技大会とは全然違う、背筋がこわばるような緊張のせいで、手のひらにもじわりと汗がにじむ。緊張を悟られないよう、僕は笑みを崩さないように気をつける。
「あんた、ここらへんでは見かけん顔やなあ?」
落ち着いたのか、男性がこちらにゆっくりと近づいてくる。言葉に詰まりながらも、「旅行で来てまして」となんとか答えた。
「で、ここで何しとんの? こんな時間に」
それ以上男性に近づかれると、背中に隠した先生が見つかってしまう。笑顔が引きつりそうになるのを必死でこらえた。男性が僕の背後に視線を向けて、不思議そうな顔をする。先生と、目が合ってしまったようだ。
「どういうこと?」という視線を、男性は僕に投げかけてくる。
「彼女は……えっと……」
ごまかそうとして言葉につまっていると、先生が僕の腕に手をそえてきた。先生の手のひらから熱を感じる。僕は後ろ手で先生の手を力強く握った。
大丈夫。そのまま、僕の後ろにいてください、大丈夫ですから。
言葉で伝えることのできないこの想いが、どうか伝わりますように。
先生の手が、ふいに僕の手を握り返した。その手の震えを止めるように、僕はもういちど先生の手を握る手に力をこめた。
僕たちが黙りこんでいると、目の前の男性は、いちど目を見開いてから、「ああ、そういうこと」と溜息をついた。呆れたようなそぶりでニヤニヤと笑いながら、自分の頬をさすっている。
「いや、今夜は祭りやし君ら若いし、わかるんやけどな? このへんで集まられると、私らが地域の人たちに怒られるんやんか」
「な?」と煙草のヤニで黄色く染まった歯を見せて笑いながら同意を求められた。僕は思わず、はい、とうなずく。どうやらこの見回りの男性は、僕と先生が墓地で人目を忍んで会っているのだと勘違いしているらしい。まさか、男女二人が遺骨を盗みに墓地にいたとは思わなかったのだろう。だとしたら好都合だ。僕は男性の笑みに合わせるように返した。
「ハハハ、すみません。もう行きますから」
先生との関係や、歳が離れていることが知られて不自然に思われてしまうと厄介だ。これ以上話してボロが出るのは避けたい。僕は先生と見回りの男性の間に立つようにして、先生の肩を抱き寄せながら墓地の出入口に向かう。先生は相変わらずすこし頼りなく僕にもたれかかっていたが、足どりはしっかりしている。先生を支えて歩くぶん、その体重も僕の膝にかかってすこし痛むが、大した問題ではない。先生が買ってくれたサポーターと、いままで僕にかけてくれた先生の言葉があれば、大丈夫だ。
僕たちが出入口にさしかかってまさに帰路につこうとしたとき、「おうい」、と見回りの男性が声をかけてきた。思わずからだがこわばったが、それを悟られないように「なんですか?」と叫んだ。
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