23 決行
先ほどまで明るかった空はゆっくりと藍色に変化し、いまでは星を瞬かせていた。民宿の土間の外、二階の部屋へと続く階段に座り、僕は先生を待っている。空を見上げると、地元では見たことのないほどの星が空に散りばめられていた。大きい星、小さい星、瞬く星、集まっている星。街灯でもなく蛍光灯でもなく、星あかりで夜が明るく感じるのは初めてだった。
昼間の出来事を、外階段で風に吹かれながら思い出す。いよいよ、夜になった。息が知らぬ間にあらくなっていくのを、深呼吸でおさえる。高鳴る心臓の鼓動を意識し、自分が緊張しているんだ、ということを自覚する。そして、目を閉じる。緊張したときに自分を落ち着かせるための方法を、ひとつずつ実践していく。どれも、陸上の大会でスタート位置に立ったときに行っていたことだった。こんなときに役に立つなんて、人生何があるかわかったもんじゃないな、なんて思っていた。そのとき、頭上で扉が開く音がした。
「お待たせしました」
先生は白いブラウスに、いつも履いている七分丈のデニムパンツ姿で現れた。昼間、相田さんの昼食を食べたあと、先生は泥のように眠っていた。病み上がりに炎天下を歩いて、かなり疲れていたのだろう。それから僕たちは順にシャワーを浴びて、それぞれ支度を整えた。その頃には、先生の顔色もだいぶよくなっているように見えたが、その表情は吊り橋の上にいるような緊張感に満ちていた。たぶんいま、僕も同じような顔をしているだろう。
「行きましょうか」
タン、タン、と音をたてながら先生が階段をおりてくる。その背中に黒いはリュックが背負われている。骨壷を入れて運び出すためのリュックだ。僕は彼女のあとに続きながら土間におりる。先生が、土間の机の上を片付けている相田さんに声をかけた。
「相田さん。ちょっと弟と祭りに行ってきますね」
いつもどおりバンダナとエプロンをつけている彼女は片付けの手を止めて、僕らのほうに駆け寄ってくる。
「わかりました。お夕飯、本当に必要ないですか? もうこんな時間ですし、祭りでも残っているかどうか……。お夜食ならご準備もできますよ?」
相田さんは手をふきんで拭きながらそう提案してくれたが、先生は首を横にふる。
「大丈夫です。お昼もたくさんいただきましたし、私も弟もお腹が空いてなくて。祭りで何か残りものでも適当につまみます。何時になるかわからないので、先にお休みになってください」
先生は笑みをたたえてそう返した。その微笑みは、素直に相田さんの優しさに向けられたものだと思った。相田さんもそれ以上は踏みこまず、「わかりました。楽しんできてください」とだけ言って事務所のほうへ戻っていく。それを見届けて、僕と先生は民宿の前にのびる道を歩きはじめた。
耳を澄ますと、遠くで祭囃子が聞こえる。何かのアナウンスの音、太鼓や金物の楽器で奏でられる音楽、人々のざわめき。それらに重なるように鳴る自分の心臓の鼓動が、からだのなかで大きく響いている。昼間よりも気温が下がり、風も吹いていて暑さはそれほど気にならない。それでも歩いていると、背中にじんわりと汗がにじんできた。
先生と会話することはなかった。ただ、ぽつぽつと広い感覚でならんでいる街灯のあかりを頼りに、二人で道を歩いていく。この道はあまり主要道路ではないようで、夜も人通りはほとんどない。だけど、何かから隠れるように、僕たちは息を潜めるようにしずかに歩き続けた。先生も、暗い足元を見つめたままだ。僕はこの時間がこのままずっと続けばいいのに、と思っていた。
「大丈夫ですか?」
先生が、僕のほうを向かないまま尋ねてきた。何が、だろうか。膝のことか。これから犯罪を手伝うことか。それとも、他の理由か。正直、先生の意図はわからなかったけど、いずれにせよ僕の答えはいっしょだ。
「大丈夫です」
そう、何があっても先生のそばにいる。そう決めたのだ。先生はそれ以上何も言わず、歩みを止めることはなかった。昼間に墓地まで歩いたときより、ずっと時間が長く感じた。夏の夜の草の、青く湿った匂いがする。
視線の先に、橙の小さな光がちらついた。暗いなかで目をこらすと、その光はゆらゆらと揺れる提灯のあかりだった。祭りの広場から提灯を持ち、三叉路を通り過ぎて、山頂にある神社へ続く坂道をのぼっていく人々の姿が見える。父親と母親と思しき人たちが歩く前で、小学生くらいの兄弟が二人、コロコロと笑い転がるように駆け上がっていく。提灯のあかりが四つ、三叉路の向かって右側の道へ消えていった。これから神社へお参りするのだろう。
「まだ、神社に参拝しにいく人たちがちらほらいますね」
前を行く先生の視線は広場から伸びてくる道に向けられている。しばらくして、もういちど提灯のあかりが見えた。先ほどの家族とは別のグループが三叉路にさしかかるところだ。相田さんの話では、提灯を持って神社にお参りする行事は夕方頃から始まるので、この時間はもう少ないだろうと言っていた。聞いていたよりもまだ人通りはあるようだった。墓地はもうすぐそこにある。
「どうします?」
僕の問いかけに先生はすこし考えこんだ様子だったが、淡々と答えた。
「人通りがなくなったタイミングを見計らって実行しましょう。私が墓地の出入口からタイミングを見て合図を出すので、天来くんはお墓の石をどかせて、そこから『あの人』を取り出してもらえますか」
僕は先生の言葉に驚いた。あわてて先生の話に割って入る。
「先生じゃなくてもいいんですか? その……」
墓の下から崇浩さんの骨をとりだすのは、先生の役目ではないだろうか。いちばん最初に会いたいはずだ。それなら、僕が見張りで、先生が墓から骨壷を取り出せばいい。僕はそう考えていたが、先生は髪をかきあげながら、まるで授業の質問に答えるように続ける。
「天来くんは足のこともありますし、動き回らずお墓の前で待機してもらっておいていたほうがいいと思います。墓石をどけるのにも力がいりますし、私より適任です。骨壷をとりだせたら呼んでください。そうしたら、私も墓地に向かって、背負ってるリュックに骨壷を入れますから」
そう言われると僕としてはうなずくしかない。墓地の出入口で僕たちは別れ、僕は昨日の昼間と同じ道をたどり、忍び足で奥にある崇浩さんの墓を探した。
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