22 願い

「先生。先生はおととい、僕に『足は動かなくても、できることはある』って言ってくれましたよね」



 ショッピングモールで警察官に声をかけられたとき、自暴自棄になる僕にかけてくれた、先生の言葉。 いまでも膝が軋んで痛むけれど、 その言葉を思い出すと、以前ほど気にならなくなっていた。膝は、僕を支える、僕の一部なんだから。そう思えるようになっていた。



「僕は、足が動かなくても、先生のそばにいます。先生が、遺骨を盗みたいって思ってしまうくらいに崇浩さんのことをまだ愛していることもわかってます。先生は……」



 言葉にするのをためらった。先生に肯定されても否定されても怖かった。だけど、聞かなければ、先生のそばにはいられない。僕は、先生のそばにいたい。



「先生は、崇浩さんの遺骨を盗んで僕を殺して、自分も崇浩さんの元へ行こうとしてるんじゃないんですか?」



 先生は何も言わず、僕の胸で嗚咽をもらし続けた。




 先生、僕、見つけたんです。足が動かない僕にもできること。先生のそばにいること。いまでは死ぬよりも、先生の悲しみを受け止めながら、あなたのそばにいることのほうが大切だと思っているんです。



「僕は先生の言葉に救われたんです。『足が動かなくても、僕にできることがあるかもしれない』って。先生、僕のそばにいてください。先生が走っていってしまうと、僕は追いつけないから。僕は、先生のそばにいます。僕はもう死にたいなんて言いません。だから、先生も死なないでください」



 なんて幼稚な懇願だろう。こどもっぽくて、支離滅裂だ。でも僕の、心の底から出てきた言葉だった。こんなに人に何かを求めたのは、初めてだった。抱き締めた先生のからだは冷たくなんかなくて、燃えるように熱かった。



 先生の腕が、ゆっくりと僕の背中に触れる。全身が粟立つ。先生の手のひらは、弱々しく、けれど確かに僕の背筋をあたたかく覆っている。



「ありがとう」



 僕の胸に埋もれている先生から漏れ出た声。たった五文字なのに、僕の胸をさらに締めつける。




 僕は先生のそばで、先生を救いたい。この数日間、先生が僕のそばにいて僕を救ってくれたように。今度はためらわず、両腕に力をこめた。先生の髪から漂う石鹸の香りが、風に吹かれて坂道を駆け上がっていった。





 先生は「もう大丈夫です」と、僕から離れた。それを名残惜しく感じたが、僕は先生に従う。そのままどちらからともなく、二人ならんで再び歩き出した。
 


 先生と墓地の前に着くと、その場所から夏祭りが行われる広場と神社をつなぐ道との三叉路を眺めることができた。道はそれほど広くなく、車がすれ違えるかどうか、という道だった。神社へ向かうほうの道はのぼり坂になっており、曲がりくねった先は見えなかったが、道端を木が覆い尽くしていた。それとは逆方向、夏祭りが行われる広場へと続く道はなだらかに下っていて、先にはぽつぽつと民家や建物がうかがえる。道の先はいったん見えなくなるが、その先には商店街が広がっているように見えた。おそらく島の中心地に続いていくのだろう。



「この道を人が行き交うことになりますね」



 先生は鼻声だが、すっかりいつもの調子に戻っていた。先生が指をさす三叉路と墓地のあいだには、僕の背丈よりすこし高い石壁が墓地をぐるりと囲むように立っていた。三叉路から数十メートル離れた石壁に切れ目がある。昨日の駐車場からつながっていた入口とは別に、三叉路側の道から入れる歩行者用の出入口のようだ。



「外の道から墓地のなかが見えるか、確認したほうがいいかもしれませんね。先生は三叉路の道に立っていてくれませんか。僕が墓地から見えるか確認してください」



 僕は踵を返し、墓地の入り口からなかへと足を踏み入れた。誰もおらず、昨日の墓地と同じようにしずかだった。奥へと進むと、ひとつの墓が際立って見える。崇浩さんの骨が納められた墓だった。昨日、いつのまにか掃除もされていたのか、墓は綺麗に光っており、手向けられた色とりどりの供花はこの暑さで萎れていた。
墓の前に立ち、三叉路の方向を見る。石壁に阻まれていて、こちらからは先生の姿は見えなかった。崇浩さんのお墓は、外の道からは死角になっていそうだった。



「先生、見えますか」



 声を張り上げて尋ねると、石壁を隔てて、いいえ、と声が聞こえた。そちらに向かいます、とも聞こえたので、僕はそのまま墓の前に立ち尽くしていた。まだら柄の灰色の石に刻まれた文字を見つめる。「先祖代々の墓」の文字にふさわしく、墓は黒ずみ、端がところどころ欠けていた。


 この島から出て、外の世界で先生とともに生きていきたかった崇浩さんが、亡くなってこの島の土地に眠ることになってしまったことを、崇浩さん自身は悔しがっているのだろうか。だから先生をここまで呼んで、この墓の下から逃げ出そうとしているのだろうか。



「まだ『待ってる』んですか? 先生のこと……」



 崇浩さんの最後の言葉。待ち合わせに遅れた先生に送った、『待ってるよ』のメッセージ。まだあなたは待ち続けているのか、先生のことを。心のなかで何度も問うてみたが、答えは返ってこない。



「天来くん?」



 先生が背後に立っていることに、直前まで気づかなかった。ふりむくと、先生は不思議そうに僕の表情をうかがっている。僕は無理やり口角を上げて、「大丈夫です」と答えた。



「今日は夜に動くことになりますから、民宿に戻って昼食をいただいて、休憩してからもういちど外出する流れでいきましょう」



 先生は墓を一瞥したが、拝むでもなく話しかけるでもなく、すぐに踵を返して墓地の出入口のほうに向かった。僕は、はい、と言って先生のあとを追う。去り際、崇浩さんが眠る墓を見て願った。



 崇浩さん。どうか、どうか先生を連れて行かないでください。

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