20 崇浩
「今夜、崇浩さんの骨を盗む」と先生は宣言していたが、なんとタイミングの悪いことだろうか。相田さんの説明をよくよく聞くと、昨日訪れた墓地のある寺の前は、神社に参拝する人たちや広場に向かう人たちの往来が激しそうだ。そんなときに墓地で遺骨を盗むなど、人目についてしまうのではないだろうか。先生もそう考えたのだろう、眉間にシワが寄ったままだ。
しかし、先生の反応は意外なものだった。
「そうですか。いいですね、このあと祭りへ行こうか、満」
不意に名前を呼ばれて驚いた僕は、あわててお茶を飲みこんでから「う、うん」と答えた。先生は僕に向かって微笑んだ。その微笑みが心からのものではなく演技であることを、僕はわかるようになっていた。
朝食を終え、先生と僕は徒歩で夏祭りの会場に向かうことにした。夜、お骨を盗みにいく際の下見のためだ。墓地がある寺までは徒歩二十分ほどだそうだ。先生は車で行こうと言ったが、祭りが本格的に始まる昼前には周辺の道路に交通規制がかかり、車で移動できないと相田さんが教えてくれた。
それなら歩いて道を確かめたほうがいいんじゃないか、と僕は提案する。夜、骨を盗むときも車を使えないのなら、実際に歩いてどういうルートをたどればいいのか体感したほうが確実だ。そう話したとき、先生が僕の膝を一瞥したのを見逃さなかったが、僕は何も言わなかった。僕は大丈夫だということをわかってほしかった。先生はすこしの間を空けて、「じゃあ徒歩で行きましょう」と折れた。
舗装された道路には歩道がなく、白線の外側を二人、縦にならんで歩く。昨日よりも気温は高く、太陽の照りも強い。車が通らないアスファルトには、先生の華奢な影がくっきりと映し出されている。僕の前を歩く先生の、ひとつにくくられた髪の毛先が、こちらの気持ちも知らずに左、右、と楽しそうに踊っているのが見える。蝉の声はかすかにしか聞こえない。熱気で、鼻の穴の奥が詰まるような、焼けるような感覚を覚える。道を進むにつれて、海の音も遠ざかっていくようだ。かわりに、青々と茂る道端の野草が空に夏空に向かって伸びている。
膝のサポーターの内側が汗で湿っていくのがわかる。陸上を始めてから夏も冬も関係なく走りこんでいたので、暑く感じるものの、それほど苦には思わなかった。山道と聞いていたので覚悟していたが、息が切れるほどではない。いちばん心配していた膝も、サポーターの内側にしっかりとテーピングを巻いてきたので固定されており、いまのところ問題なかった。リハビリのとき、理学療法士さんの話を聞いておいてよかったと、いまになって思う。
それよりも、前を歩く先生のほうが心配だった。ポニーテールから漏れた後れ毛は汗で湿って首筋に張りついている。民宿を出発したときよりも、明らかにペースが落ちていた。はあ、はあ、と先生の吐息が後ろにいても聞こえる。
「大丈夫ですか、先生」
一晩じゅう寝て回復したとはいえ、昨夜は発熱していた人だ。悪化して倒れでもしたら、いちばん浮かばれないのは先生だ。彼女は呼吸が荒れたままふりむかず、「大丈夫です」とだけ答える。その肩が一瞬ぐらついたような気がして、僕は思わず左手を伸ばして先生の腕をつかんだ。
「どうかしましたか?」
ふりむいてそう言った先生は、いつもの先生だった。倒れるのではないかと思ったのは僕の気のせいだったことが恥ずかしくなり、あわてて先生の腕から手を離す。先生の腕は僕の指がかるく余るくらい細かった。何か会話を、と脳内の引き出しを開け続ける。
「崇浩さんって、どんな人だったんですか」
口にしてから、しまった、と思った。先生の目がすこし見開かれたからだ。先生からすれば、崇浩さんとのことは僕には関係のない話だ。先生にとって僕は、生徒のひとりで、ただ遺骨をいっしょに盗み、あとで殺せばいい人間。たったそれだけだ。崇浩さんとのあいだに踏みこむべきではない。すかさず、「すみません」と頭を下げた。先生にとって決して楽しい思い出ではないのだから話さなくてもいい、という意味だった。しかし先生は違うように意味をとったのか、再び歩き出してから口を開いた。僕は先生の後ろではなく、今度は隣の車道側にならんで歩きながら耳を傾けた。
「彼とは、大学時代に出会いました。大学の研究室では、研究室をとりしきる一人の教授を師事しながら、学生が集まっていっしょに研究するんです。彼は私と同じ研究室の、ひとつ先輩でした」
先生にも学生時代があったのだと、不思議な気持ちになる。先生も、高校生の夏休み前、進路調査票を配られたのだろうか。そして、その大学に行きたいと思い、大学名を書いたのだろうか。僕の進路調査票は、何も書かず学生カバンに放りこんだままになっていることを思い出した。隣を歩く先生の頬は赤く染まっていて、それが暑さのせいなのか、昨日打たれた跡なのか、別の理由なのか、一目ではわからなかった。
「彼はこの島出身で、父親は地元の名士でした。名士って、わかりますか?」
僕はうなずく。確か、よく名の知れた人のことで、ずっと地元にいて貢献しているとか、政治に関わっているとか、そういう人が名士と言われるはずだ。崇浩さんの父親は、この島では有名な人なのかもしれない。そう言われてみると、昨日会った彼の母親も年齢は感じるものの、身なりが整っていた。
「でも彼は島で一生を終えるつもりはなくて、やりたいことがあって東京に出てきていました。私自身も家庭環境が良くなくて地元から出てきていたので、ふたりとも親を頼れないという点でいつのまにか意気投合していたんです。親密になるのに、それほど時間はかかりませんでした」
先生は息を荒くして、目の前に伸びる道を見つめていた。いや、もしかしたら崇浩さんとの思い出を見ているのかもしれなかった。僕は相づちを打つことなく、先生の言葉に耳を傾け続ける。
「彼は先に卒業して、とある研究職に就きました。一年後、彼に続いて私も卒業し、就職するのをきっかけに、いっしょに暮らし始めました。二人とも社会人になりたてですし、決して豊かな暮らしではなかったんですけど、今日の夕飯を何にしようかとか、次の休みは映画を観に行こうかとか、そんなどうでもいい会話ができることが心地よかったんです。結婚の約束も、していました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます