19 決意
サアァという水音で、僕は目を覚ました。窓からは白い太陽光が差しこんでいて、部屋が淡く光っているように見える。
隣のベッドに目をやると、先生の姿がなかった。飛び起きて周りを確認する。先生のベッドとのあいだにあるサイドテーブルに走り書きのメモがあった。いつも黒板に板書している筆跡で、「シャワーを浴びてきます」と書いてあった。先ほどから聞こえていた音は、階下の風呂場のシャワーの音だろう。僕は息を深く吐き、先生が戻ってくるまでに着替えて顔でも洗おうと、ベッドからおりた。
着替えと洗面をすませ、籐の椅子に座って外を眺めて待っていると、先生が階段をあがってくる音が聞こえた。僕はどうしたらいいのかわからず、結局気づかないふりをした。扉が開く音がしてから、そちらをふりむく。すこし髪を湿らせたままの先生が、備えつけのスリッパを脱いでいるところだった。
「おはようございます」
僕の挨拶にすこし驚いた様子で、先生も「おはようございます」と答えた。
「天来くん、今日は早起きだったんですね」
「はい。目が覚めてしまって」
先生は淡い水色のTシャツと七分丈のデニムパンツを着ていた。昨日の昼間に着ていたネイビーのワンピースをカバンにしまい、首にかけたバスタオルで髪を拭っている。そのまま僕のほうに近づいてきたので、僕の心臓はどきりと音をたてた。まだ湿っぽい、湯と石鹸の香りが鼻をくすぐった。
「昨日は寝こんでしまってすみませんでした。大丈夫でしたか?」
先生のからだから湿気が漂ってきている気がして、僕は思わずからだをこわばらせる。なんでもないそぶりをしなければと思えば思うほど不自然になってしまいそうで、僕は先生から目を逸らした。声が裏返らないよう、慎重に喉の筋肉を動かそうとする。僕は窓を半分くらい開けた。
「大丈夫でした。先生……は、もう大丈夫なんですか?」
ヘンな間ができてしまって、心のなかでクソ、とつぶやく。普通にしようとすればするほど所作がヘンになりそうだ。先生はそんな僕の焦りもつゆ知らず、机を挟んで向かいにあるもうひとつの籐の椅子に腰かけ、窓の外を眺めながら髪を乾かしている。
「はい。昨夜、天来くんが看病してくださったおかげです。ありがとうございました」
先生はこちらを見て微笑んだ。先生の濡れた黒髪が朝日を反射して海の水面のように光っている。見てはいけないような、でもずっと見ていたい、そういう光だった。僕は何も言わず、先生の見つめる方向と同じほうを見た。気温があがりはじめる前の、爽やかな風が吹いていた。
「今夜……」
先生はぽつりとそう口にした。その声がやけにはっきりと僕の耳に届いた。その次の言葉を、僕はしずかに待っていた。先生はしばらくそうしたまま、しかし右手をきゅっと握り締め、続けた。
「今夜、崇浩さんの骨を盗みにいきます」
僕はこの言葉を待っていたのだろうか。それとも、言ってほしくなかったのだろうか。わからないまま、窓の外に広がる波がたゆたうのを目で追っていた。
「わかりました」
僕はそう答えるしかないことも自分でわかっていた。先生の顔の横の髪から、水滴がぽたりと床に落ちた。
先生と外階段をおりて土間に入ると、すでに相田さんは朝食をならべはじめてくれていた。「おはようございます」と挨拶すると、目尻にシワを寄せて「おはようございます」と返してくれる。席に着くと、食卓には美味しそうな料理がならべられている。
黒や赤の穀物混じりのまだ湯気がたっているごはんに、具だくさんの味噌汁。青菜の胡麻和えに、鮭の塩焼き、だし巻き玉子、明太子に焼き海苔、大根の漬け物。熱く淹れられたお茶。どれひとつとっても丁寧に作られていることがわかる。昨日の夜、本人から語られた相田さんの過去が嘘のように、なんとも食欲をそそる香りが漂っている。
「どうぞ、召し上がってください」
おかわりもありますので、必要でしたら奥にいますから呼んでくださいと事づけてから、相田さんは奥の部屋へと戻っていった。真正面に座る先生は両手をあわせている。僕もそれに倣う。
「いただきます」
「いただきます」
先生はひとくちお茶をすすってから、箸を持った。そのときなぜか、僕は先生を綺麗だな、と思った。僕も湯気がたつ味噌汁にそっと口をつける。味噌汁のなかのじゃがいもが、口のなかでほろりと崩れる。僕たちは一言も交わさずに、ひとくちずつ相田さんの料理を味わった。「いただく」とはこういうことか、と、すとんと腑に落ちた。
ごはんを食べ終わり、お茶のおかわりをもらいたくなって相田さんを呼ぶ。相田さんは大きな使いこんだ銀色のやかんと、一枚のチラシを持って土間に戻ってきた。
先生がすかさず「それは?」と尋ねた。相田さんは机にチラシを置き、先生と僕の湯呑みに順にお茶を注いでいく。
「お二人にお持ちしたんです。今日はこのあたりの地域の夏祭りでして。民宿前の道をもっと先に進むとお寺があるんですが、そのお寺を越えると山頂に続く道があるんです。山の頂上にある神社に、みんなお参りに行くんですよ。あかりの灯った提灯を持ちながら。ほら、コレです」
相田さんは先生が目を通しているチラシを指さす。そこには暗いなか、人々が提灯をさげて山道を歩く写真が大きく載っていた。
「それ以外にも、出店なんかも出ますよ。お寺の前の交差点を右に行けば山頂への道ですが、そこで左に曲がると広場に出るんです、役所前の。その広場に出店がずらっとならぶので、そちらに行かれると楽しいですよ」
会場の地図が掲載されているのか、相田さんはチラシの隅を指さしながら先生に説明する。僕はおかわりしたお茶を飲みながら、先生の眉がすこしひそめられたのを見逃さなかった。
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