14 墓地
「何にも言われませんでしたね。家族かなにかと伝えているんですか?」
「相田さんには姉弟だと伝えています。なので天来くんも、ここでは『葉山満』と名乗っていただければ」
先生は何くわぬ顔で淡々と述べた。そういうことは早く言ってくれないと困る。僕が遠回しに軽く文句を言うと、先生は荷物を整理しながらつぶやいた。
「天来くんなら、大丈夫だと思ったので」
しれっと言い放たれたその言葉に、僕は何も返せなかった。先生は僕の何を見て大丈夫だと判断したのかわからなかったが、心のどこかで僕のことを信頼してくれているのだろうか。そう考えるとどこかむずがゆくなって、「もういいです」としか言えなかった。
「そういえば、天来くん。制服を着替えていただけますか?」
「は? 制服ですか?」
脈絡のない先生の言葉に、僕は聞き返す。
「はい。学校の制服です。昨日の夜、ホテルのランドリーで洗っていましたよね?」
確かに、昨晩寝る前に、カッターシャツやインナーシャツは洗って乾燥させていた。アイロンをかけていないのでシワになってしまっているが、畳んでカバンに入れていたので、そのまま着てもそれほど目立つことはないだろう。それにしても、民宿に着いたところだというのに。制服を着なければならない理由がわからなかった。
「ありますけど……着替えて、これからどこへ行くんですか?」
「行けばわかりますよ」
先生は僕に理由を話すつもりはないようで、自身もカバンのなかから着替えを取り出していた。僕は先生に逆らうことはせず、とりあえず部屋についているトイレのなかで制服に着替えた。ついおとといまで制服を着ていたはずなのに、いまはやけに窮屈に感じた。トイレから出ると、先生は「すこし待っていてください」と入れ違いにトイレに入る。
僕はベランダの近くに置かれた籐の椅子に腰かけた。ぎしりと音をたてたが、背もたれの曲線が長時間の移動で疲れている背中を優しく支えてくれた。
窓の外には、海が広がっている。この民宿まですこし港から道がのぼっていたせいか、小高い丘のようになっており、窓に切り取られた景色には手前に見える森と、その奥に広がる海しか見えなかった。完全な和室でもない、おしゃれな洋室でもないこの部屋は、ちぐはぐな関係の僕たちにぴったりだな、と思った。背もたれに体重を預け、両足を放り出す。移動で固まった膝が伸び、痛みがすこし和らいだ気がした。窓の外は穏やかで、静けさが僕を包んでいる。
「お待たせしました」
先生の声にふりかえると、そこにはネイビーのワンピースを着た先生がいた。髪を緩くハーフアップにし、先ほどまでのラフな格好と違ってすこしフォーマルな装いだ。生物教師でもない、運転中の先生でもないまた新たな先生の姿に、僕の心臓がちいさく跳ねる。先生はうすく化粧を施していて、唇が紅く光っていた。
「では、行きましょうか」
先生は鎖骨にかかる髪を背中へと流す。僕は籐の椅子からゆっくりと立ち上がった。
部屋に鍵をかけ、もういちど僕たちは車に乗った。民宿からさらに山のほうへと続く道を走っていく。いつしか海は見えなくなり、車道の両端に草木が生い茂るようになる。港から民宿の道まではかろうじて舗装されていたものの、途中からは舗装されていない砂利道になり、この小さな車はダイレクトにその揺れを僕たちが座るシートに還元した。
車に乗っている時間はとても短かかった。雑木林を抜けるとぽっかりと開けた土地があり、車が二台ほど停まっている。どうやらだだっ広い駐車場のようだ。白線は引かれておらず、黄色と黒の縞模様のロープが不恰好に打ちつけてあるだけだ。先生は広い土地の片隅に車を停め、おりるように僕に言った。
駐車場の隅から大きな石段が上に伸びており、その先には大きな木工建築があった。門扉には古びた木でできた看板のようなものが掲げられている。
「寺、ですか?」
「用があるのは向こうです」
先生はキーで車を施錠し、僕の目の前を横切って歩き出した。僕は膝のサポーターをもういちど締め直してから、先生のあとを急いで追う。足元はでこぼことした土と砂利が混じる小道だった。先生は立派な寺を囲むように伸びている横道を進み、ちょうど駐車場から寺を挟んで反対側までぐるりと蛇行する道を歩いていった。日が当たらない道には苔がむしていて、すこしカビのような、湿っぽい独特の匂いがした。寺を囲む石壁が途切れたところから外に出て、顔をあげると、そこには灰色のまだら模様の石が所狭しとならんでいた。石には、さまざまな名字が刻まれており、花や卒塔婆が添えられている。墓地だった。
「墓参りでもするんですか?」
先生が立ち止まったので、ここが目的地ではあるようだ。先生はあたりを見回して、何かを探しているようなそぶりを見せる。
「いえ、すこし待ちます。奥にベンチがあるので、そこで座って待ちましょう」
その言葉に、先生はここに来たことがあるのだとわかった。ここからはベンチなど見えなかったからだ。奥へ進むと、確かに古いベンチがひとつ設置されていた。青いプラスチックでできた簡易なもので、座面の端が劣化して割れている。僕はそれ以上壊さないように、ゆっくりと慎重に腰をかける。ちょうど木陰になっているので直射日光は当たらないが、昼過ぎに外でじっと座っていると、制服のカッターシャツはすぐに汗で湿っていった。
墓地に備えられた東屋はトイレになっており、そばにはひとつ自動販売機があった。最近では見ない種類の飲み物がならんでいる。一応冷えているらしく、僕は先生と僕の分の飲み物を買った。先生はアイスコーヒー、僕はアイスティーだった。
「このお墓に来たことがあるんですか?」
「ええ。大切な場所なんです」
先生も暑いのか、こめかみから垂れる後れ毛が汗で首に張り付いている。僕は何か見てはいけないものを見た気がして、ごまかすようにアイスティーをあおぎ飲む。制服を着ろといった理由はわかった。が、先生は「すこし待ちます」と答えた。墓参りもせず、何を、誰を待っているのか。
もしかして。昨日の夜の先生の言葉が、僕の脳裏によぎった。「タカヒロ」。誰かわからない、男の人の名前。先生は、タカヒロさんのことを待っているのだろうか? たとえそうだとしても、タカヒロさんとどういう関係で、何のために会うのだろうか。これから先生は、罪を犯して僕を殺そうとしているのに。それと何か関係があるのだろうか。次々と心のなかで問うても答えは出ず、ただ蝉の爽やかな鳴き声が聞こえるだけだった。
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