幻影より生まれた者
ふる里みやこ@受賞作家
幻影より生まれた者
何が恐ろしいって……そりゃあ、全然全く気づかなかったことなんだよな……。
崩壊して海水の流れ込んでくる天井を見上げながら、全てを諦めて人生を思い返していた。
そもそも、俺はというとどこにでも居そうな探偵だった。
やっていた理由も、向いていると思ったからだ。今から思えば、なんてチープだったのかがよく分かる。
これは、公園のベンチで昼寝をしていたところへ、依頼者 夢島めざめ がやってきたところから始まった。
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「探偵さん! どうにかしてください!」
目をさますような元気な声。眠気は一発で吹っ飛んだ。
ギリギリうるさいとまで言えないレベルなのがまた絶妙で、非常に印象に残る声をしている。
見上げると、髪の長い若い女性が立っていた。高校……いや、大学生くらいだろうか。
「あんたなんで俺が探偵だって……あぁ……」
なにか身分がわかるようなものを持ち歩いていたか? と思って体のあちこちを探って辺りを見渡したところで気がついた。
ベンチの後ろに、持ってきた覚えのない探偵事務所のノボリが置いてあったのだ。
誰だよこんなもの置いたやつ……探偵が探偵ってバレたら駄目じゃねえか。
ため息を一つしてから返事をする。
「はい。こちら
……起きてしまったことは仕方がない。声をかけてきたということは依頼者だ。とりあえずノボリを担ぎ、場所を事務所に移して話を聞くことにした。
「記憶の復元……?」
「はい」
思わず聞き返してしまったが、それが依頼内容だった。
依頼人の名は夢島めざめ。今売り出し中の記憶喪失のヒットアイドル。年齢不詳。多分20以下くらい。
1ヶ月ほど前。記憶がないところを拾ってくれたのが今のプロデューサー。
調べたものの正体がわからないので「いっそ顔を売ってしまって知ってる人に見つけてもらおう」と、口車に乗せられアイドルになったはいいが、今までに知り合いは見つかっていない。
病院にも通ってみたもののお手上げ。警察も事件ではないので動けない。
そんなときに俺を見つけて依頼してきたのだとか。
依頼人に依頼人を調べろと頼まれるのなんて初めてだ。
だが、これは言ってみれば依頼人自身が協力してくれる身辺調査に他ならない。つまり通常よりは楽な仕事だ。なによりコソコソする必要がない。
となれば二つ返事だ。
「受けましょう」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
彼女は光り輝く明るい笑顔でお辞儀をする。
流石はアイドル。眩しい。
顔写真をもらい連絡先の交換をしていると、タイミングよくプロデューサーから連絡が来た。
プロデューサーは実質的に依頼人の保護者だ。電話を代わってもらう。
彼女に大金を持たせているわけでもないようなので、あらましを説明して金の話をする。
もちろんOKが出た。とはいえ、彼は今ここに居ないので手付金は後払いになる。
「はい。それではお返しします」
話が終わったので電話を返すと、彼女はそのまま通話を切った。
悪びれた様子はない。案外いい性格をしている。少し笑ってしまった。
「では、なにか判明したことがあればご連絡しますね」
「はい! あ、でも明日一杯はお仕事なんでそれより後に!」
大きく手を振って彼女は去ってゆく。
若いってすごいなぁ。30のおっさんにはちょっと毒なくらいだ。
……老けたなぁ……漠然とそう思った。
事務所に帰り早速と、咳払いをして受話器を手に取る。相手は知り合いの刑事。
俺は漫画やアニメのような名探偵ではないが、人脈では負けていないつもりだ。
数コールで電話がつながった。
「よう。おつかれさん」
「おう。その声は巻根か。スマホはどうした? 知らない番号からでちょっと迷ったぞ」
「事務所からかけたくなる時もあるんだよ」
なんとなく探偵っぽいとかそんな理由だ。鏡を見れば、我ながらスーツ姿がサマになっている。
「めんどくせえなお前。で、なんだ? まさか下戸なお前が飲みに行こうぜとかでもないだろうに」
「ああ。実はだな……」
包み隠さずに説明する。目的は依頼者の正体。
お互いが回りくどいのは好まない気質なので、物事はストレートに言うのが俺達の間での決まりごとだ。
「あーそれか。それなら話は早いぞ。わからんの一言に尽きる」
「なんだって?」
「実はだな……」
当時、署に話を持って来られた際にはNOを出したのだが、その後にめざめがアイドルデビューしたものだから、部署の暇人……もとい夢島めざめのファン達が職権濫用して個人的に捜査したとのこと……ひどい話だ。
捜査結果としては正体不明。
行方不明の届け出もない上に、顔や、こっそり採取した指紋から検索しても犯罪履歴はナシ。
近隣の学校の卒業生にも該当者が居ない。
他所の署にも問い合わせたが全てハズレ。
「よくもまぁ公でもない捜査でそこまでやったな。割とガチな違法捜査でびっくりしたわ」
「ハハハ。めざめちゃんのためならってやつだ。ファンクラブ会員一桁が二人も居るからな」
「やべえな」
「ま、話としては答えてやったんだ。代わりに俺の言うのも聞いてくれや」
「しかたねえな」
めざめの不明は不明のままだが、そこはもう調べる必要がないので実質進展だ。
情報の代わりにこっちもタダ働きしなくちゃいけなくなったが仕方がない。
「これな、水族館近くで起こったらしい事なんだが……どうも不可解でな」
「というと?」
水族館というのは通称だ。
場所は、俺が寝ていた公園から地下の連絡通路を進んだ先。
防波堤直下、パノラマビューで野生の魚の姿ががっつり見れるこの街一番のデートスポット。
通称、水族館。
営業時間は7時から19時まで。
公園のゲートで払う入場料500円は破格でしかない。
「先々月の終わりに、
「なんだそりゃ。いくらなんでも虚言にしてはチープすぎるな。いたずらか?」
言ったものの、怪物というワードが出てきた時点でいたずら確定だ。
こんなのでも動かなくてはいけないのも大変だなと同情する。
「まったくもって同じ感想なんだが、そいつは嘘でも婦女暴行の自白をするくらいには錯乱してたんだよ……しかも、後で薬物反応検査をしてもシロときた」
「……まさかとは思うが」
珍しく回りくどい。
だが、普通に考えるならこれは……。
「俺達の代わりにそいつを調べてくれ」
「マジかよ。自分らでやれよ。お前ら違法捜査して──」
「上司にバレたんだよ」
食い気味に言われた。
つまり、職権濫用はこれ以上は出来ないから俺にやれということだ……もっとも、これも違法捜査ではあるが、本人が動かない以上バレる可能性は低いだろう。これはひどい。
断っても良さそうだが、交換条件として出されたものだから断れない。ため息一つして引き受ける。
「わかったよ。で、場所は?」
「2丁目のスーパー横のアパート。1-4だ」
「あいよ。それっぽかったらちゃんと事件として上げろよ?」
「もちろんだ。むしろそれが目的だからな」
笑いながら言ってくる。都合のいいヤツだ。
もっとも、その都合の良さを利用しているところもあるので何も言えない。
人相を教えてもらってから電話を切って2丁目へと向かう。歩いて10分かからないくらいかな。
それにしたって、善良な市民に自称強姦魔と合わせようとするかね普通。
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「先輩。今の電話楽しそうでしたけど不味いんじゃないですか? 外部にそういうの漏らすって……相手はOBの方だとかです?」
「いや、探偵だ。
「あぁ、なら大丈夫ですね」
相手はあの巻根だ。二重の意味で大丈夫。なんとかなるだろ。
……それにしても巻根って誰だ?
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言われた住所にまでやって来る。
ボロくはないが安っぽいアパートの1階4号室。
チャイムを鳴らすと、怯え顔の男が縮こまって出てきた。
チャラいから若くみえるけどよく見りゃおっさん……教えられた人相通りだ。
「すみません。少しお話を聞きたいのですが……その、例の件で」
「あ……あぁ」
小陰は、安堵と恐怖を同時に表したような引きつった笑顔を浮かべる。
これは……アタリだ。虚言などでは断じてない……じゃなきゃこんな表情は出てこない。
ごくりとツバを飲み、気合を入れてから家へとお邪魔した。
小陰の部屋は特徴的だった。
ワンルームの中央に鎮座するマットレスとミニテーブル。枕元にはスタンガン。四方の壁には霊験あらたかそうな御札が1枚づつ。
それ以外は生活感あふれる散らかり方をしていた。
「お、押入れの中に座布団があるんで出して座ってくれ……ださい」
常に四方を警戒したかのような目の動きに、恐怖に潰されそうな声。
余程のものだったのだろう。ついさっきまで絵空事だとか虚言だとか思っていたのが消し飛ぶくらいには緊張感あふれる挙動だ。
迫力に飲まれ、言われるがまま、シミとタバコ跡が散見されるフローリングに、おそらく初めて人を乗せるであろう綺麗な座布団を敷いて座る。
大きく一つ深呼吸……小陰が座布団を出さなかったのは、恐らくズボラだとかではないのだろうから……。
「壁……ですか?」
悪霊を恐れて御札をとかというなら盛り塩とかもセットで付いてくるが、あるのは御札だけだとか理由をつければいくらか出てくるが確証めいたものではない。つまりは直感だ。
これに、小陰はマットレスに腰掛けタバコに火を点けてコクリと頷いた。
壁が怖くて仕方がないのだ。怪物とやらが関係しているのだろうが、それはこれから聞いていく。
「では……」
「あ、あぁ……あれは先々月末ごろ……」
小陰は、悪友である
趣味の悪いことに、次なるターゲットはカップルの片割れでもと思い、1人物色しに水族館へ行っていた。
しかし、閉館時間になってもピンとくるターゲットが見つからなかったので、その日は諦めて素直に魚を見ていたそうだ。
ご丁寧にも警備員をやり過ごして閉館時間が過ぎてから……。
日も完全に落ちればガラスの先は完全なる闇だ。
その頃には一通り満足し、公園の入り口付近に居る警備員に叱られるのを覚悟の上で退館しようとしたところ、連絡トンネルにてとんでもない上質の獲物を発見する。
驚いた事に、小陰が言うにはそれは後の夢島めざめだったそうだ。
通路にてボーッと佇む めざめに近づき、スタンガンを一撃。
縛り上げてからすぐに相棒の古間に連絡したところ、近くに居たのか比較的すぐ古間はやってきた。
一緒になって めざめの目を覚まさせると、めざめは能面のような表情のまま古間の方を凝視した後、同じ表情のまま小陰の方を見るが……顔を見るなり発狂。大暴れする。
これだからやめられない。と、思って無理やり事に及ぼうとしようとしたところ、視界の端に古間が見えた。
アレだけ楽しんでいた事に参加せずに、連絡通路の壁に向かって歩いてゆくのに違和感を覚える。
不思議に思い古間の先に目をやると、壁に巨大に蠢く影が見え、あまりのおぞましさと非現実感に叫び声もあげられずにいた。
古間はそっちに吸い寄せられるように歩いてゆき……立体感をまるで感じさせない暗黒の塊のような触手に絡め取られ、瞬く間に干からびていく。
残ったのは、奇妙に輝き蠢く斑点を浮かべる、かつての相棒の姿。
小陰はその場から逃げた。悲鳴もあげず。理解の及ばぬ非現実的な事実から一目散に駆け出した。
相棒を諦めて。めざめを放置して。
警察ならばと考え、我が身可愛さに何もかも話してしまって保護してもらおうとした。
しかし、言ったところで警察は虚言と切って捨てる。死体がなかったからだ。ついでにめざめも居なかった。
そこは、いつもの薄暗いだけの連絡通路でしかなかったのだ。
小陰は相棒を失い、壁と闇を凄まじく恐れるようになった。
いつまた立体感を無視したかのようなあの巨大な黒い塊が現れるんじゃないかと思うと、壁にはとてもじゃないが近づけない。外も怖い。誰も頼れない。
「そうして今まで生きてきた……気が……狂う……狂いたい……狂ってしまいたい……なぜ俺は……俺は生きてるんだ……なぜ」
小陰は肩を震わせ、顔を覆った。泣いているわけではない。
思考が停止している……というより、相棒の死以外の理解が追いつかず思考のループに陥っているのだろう。
この一ヶ月と少し。もう何度これを考えたのか考えが及ばない。
だがそれはそれだ。
アイツから頼まれたのは飽くまでも小陰の言ってることが事実なのかどうか。事実だとしたら証拠を揃えてもってこい。
博愛主義的な観点から言えば気の毒には思うが、冷静に考えてこのゲス野郎に何か配慮する気は起こらない。
「後日、刑事さん同伴で夢島さん本人に合ってもらいたいと思います。もしそれで彼女があなたに対して反応を見せれば、それが証拠ということになって保護してもらえるんじゃないかなと……もっとも、夢島さんが同意すればの話ですけど」
「わ……わかっ……た」
警察なら裏をとってそうな話だが、小陰が署に駆け込んだ少し後に夢島めざめはデビューしている。
裏を取ろうとした当初は、襲われた被害者が誰かというのが完全にわからなかったのだ。
その後、怪物がどこからかやって来るという強迫観念と、言った事を信じてもらえなかったことから口をふさぎ今に至っているので、この話は警察の預かり知らない事になっている。
もう一度話をするだけで進展した話だったんだなと思うと、人生は神のいたずらとはよく言ったものだと思ってしまう。
礼をして小陰の部屋を後にする。
なぜこんな奴に礼をしているのかわからなくなった……なんとなくでやるのはやめよう。
「それにしても……売れっ子アイドルと怪物……ね」
暗くなった空を見上げて考える事は2つ。
1つは、事実を明かした時の めざめの精神的ショック。
どうも彼女の言動を見るに、小陰の言っていたことは記憶にない様子。
襲われた恐怖からか怪物を見たからかのどちらか、あるいは両方が彼女の記憶喪失の原因と考えるのが妥当。
まぁショックを受けたとしてもファンクラブ一桁の刑事が付いてるんだ。酷かも知れないが大丈夫だろう。
そもそも、それが今回の依頼なんだから存分に協力してもらおう。
これで記憶が戻ってくれればたった2日のスピード解決になる。楽なもんだ……メンタル的には超ヘビィだが……。
もう1つは怪物の事。
正直眉唾ものに思えるが嘘ではないだろう。直感的にだがそう思う。
だが、小陰の話が本当だったとするなら、もっと行方不明者がいるはずだ。
だというのに、俺はそんな話は知らない。聞いたこともない。
テレビでも新聞でも市報でもそんな事は報じていない……やはり虚言? にしては真に迫りすぎている。
だからこそアイツも俺に話を振ったのだろう。理屈が通っていないのに真実味がある……こんなに奇妙な話はない。
となれば裏がある。
「確かめるか……」
正直怖い。お化け屋敷の否じゃないくらい怖い。なにせ仮に真実だったとしたら命がけだ。
しかし動く。30のおっさんの根性の見せ所だ。
やってきたのは水族館に続く連絡通路。
公園側ゲートに居る警備員には、警察に協力している探偵だと言ったらすんなり通してもらえた。当然だな。
……当然か? まぁ実際に通れたんだからそうだろう。
何か小骨が引っかかった気もするが、パッと出てこない以上大したことじゃない。
やたら薄暗い連絡通路は、足音が嫌というほど反響した。
怖い。雰囲気がある。来るんじゃなかった。いやでも依頼と関係あるし。
怖さを紛らわせながら1人歩いていると、コンクリでできていた壁が途中からガラス張りになった。
そこから先は闇の一言。
ガラス壁から見上げると、丁度そこからが海になっているようだ。
野生の魚等に配慮して通路の蛍光灯は途中まで。それも夜間は淡く灯される程度。
通路が薄暗かったのと、この先が闇だというのはこれが原因だ。
「こえぇ……」
人間闇を恐れると言うが……これは怖い。これまでも怖かったがこれはもっと怖い。
ただ暗黒が広がっているだけならともかく、先に怪物の話を聞いているのだ。
この闇自体がそのようなものに思えてしまい、死に直結するかのような恐怖が加わる。
俺はもうこれ以上通路を進む気になれなかった。いや無理だよこれ。
とはいえ、実際にはこの先に進む必要はない。
小陰はコンクリの壁だと言っていたので、用があるのはこっちの薄暗い方だ。暗黒じゃない。
持ってきた懐中電灯を海の方に向けないように注意しながら壁を中心に調べてゆく。
とはいえ、何をどう調べたものか……。
事件の起きたとされるのが1ヶ月と少し前。それ以後もここには人の出入りがある。
比較的治安の良い町ではあるが、夜間、警備員がトイレに行っている隙きに勝手に侵入する輩もいるだろう。小陰のように中でどうにかしてやり過ごす奴だっていたかもしれない
だというのに、これまでに続けて被害は出ていない。一応、ここに来るまでにアイツに確認もとったから間違いない。
それだけの期間、管理運営されていれば何かしらあったら出る。でもそれがない。
つまり調べたところで何も出ない……はずだった。
なんとなくこの辺りかなという場所を一通り見ていたところ、何気なく壁を確かめるように触れてみると……いきなりそこに名状し難き圧倒的な存在感が現れたのだ。
一気に鳥肌が立った。
嫌な予感などという言葉では片付けられない。初めて感じるそれは紛れもない死の気配だと確信できる程度には総毛立った。
咄嗟に壁から手を離し、壁を、辺りを見渡す。
「……………………何も……居ない……」
この瞬間、俺は怪物という存在を確信した。
目視したわけではない。ただ感じただけ。それだけで十分だった。
間もなく気配は消える。
しかし気を抜く気には全くなれなかった。
息を呑み、全神経を尖らせながら後ずさり、一生とも言える程の体感時間を持ってして通路を後にする。
公園に出た瞬間、緊張の糸が切れたかのように仰向けに倒れた。存分に生えた芝生が生の実感を与えてくれた。
「大丈夫ですか!?」
倒れたのを見て、警備員はぎょっとして駆け寄ってくる。
俺は弱々しくピースサインを掲げて、そのまま大の字になって眠りに落ちた。
朝。
公園のベンチで、子供たちの騒ぐ声にて目を覚ます。
上には毛布。ポケットには警備員から「倉庫へ返却しておいてください」というメモ。
あの警備員、毛布かけてくれてたのか……優しいな。
思わず涙が出そうになる。おっさんか! おっさんだったわ。
ぐっと伸びてシャキッとしたら、昨日のことを思い出す。
夢などではない。現実だ。寝ぼけてはいない。悪夢を見たというわけではない。しっかり覚えている。
げっそりするが、この体験と めざめの記憶が戻れば晴れて両方の依頼達成だ。張り切っていくしかない。
事務所に帰ってコンビニ飯。まるで初めて食べたかのような味がする。これが生の喜びの味なんだろう。たまらない。
食後、珈琲まで飲んで一息ついてから、パソコンを開いて小陰の言っていた事を思い出して検索してみる。
馬鹿げているようにも思うが、アレを体験してしまっては一切笑うことはできない。
[蠢く 輝く 斑点 触手 怪物]
エロ画像が大量にヒットした。ですよねー。
少し股間に悪いものの検索を続ける……が、似たようなものばかりが出てくるので意味がない。
ふと、エロやアダルトをマイナスキーワードにして検索すればいいなと気づいてしまえば割とスムーズに出てきた。
ページとしてはオカルト、都市伝説話が集中する掲示板。
胡散臭い降霊方法から、陰謀論、UMAはいてる、精霊の作り方……とまぁなんでもござれだ。
その中にあったのが。
「医学会報……」
上げられていたのは、医師が斑点の浮き出ている干からびた死体を検査している白黒写真。
それ自体は、寄生虫か伝染病に侵された患者だろうということで調査が行われた……という、普通に書籍化されているものの写真だった。
普通に見るならばその通りでしかない……だが、この写真はここに上げられている。つまりそういう逸話があるのだ。
これを検査した医師の1人、捜査にあたっていた刑事3人、無関係と思われる市民15名。
これらが不定期に、それでいて全く同じ場所にて死体で発見された……その全てが、輝き蠢く斑点付き。
ごくりと喉が鳴る。冷や汗が吹き出す。呼吸が浅くなる。
間違いない。これは今回のものと同じ事件だ。
事件の起きたのは18世紀中盤。随分昔だが……。
ともあれ、事件というのならば適役が居る。早速問い合わせると調べてもらえた。
こういう警察内部情報は、いくら探偵とはいえ一般人にはどうにもならん。
何かわかったら折返しの連絡をするとのことで待つこと3時間。
「……ソング・オブ・イステ?」
唐突に聞き慣れない曲名? を言われ、流石に何いってんだこいつと思ってしまったが、それは思い過ごしだった。
「そういう名前の迷宮入り事件なんだ。日本語だとイステの歌事件。目撃者は0。被害者はわかっているだけで27名……出た死体は全てあの時小陰の言っていたものと同じ……よく調べたな」
「まぁな……で、その事件どうなったんだ? 明らかに同じタイプのやつだが」
こちらでは死体が一つも出ていない。故に被害者は0と言えてしまうのだが、小陰の相棒の件がある。
「死体が出ていたのがとある建物の屋上の壁の前だったんだが……解決となったとされているのが、そのビルがなんか……」
「なんか?」
歯切れが悪い。珍しいこともある。
「笑うなよ? っていうか聞き返すのはやめてくれ」
「おう」
返事はしたものの、絶対的な約束はできない。とにかく一応聞いてみる。
「……その……な? 地の底から緑色の神の炎が上がってビルごと……消滅したとか……そういう感じの……な? いや当時のを本当そのまま読んでる感じなんだが……」
「……あぁ」
流石に固まる。意味がわからない。
聞き返すのはNGと言っているのは承知しているし、聞いたところでこれ以上に情報は出ないだろう。わかる。わからないのがわかる。
だが、消滅と言うからには消失とか倒壊じゃないのだろう。聞きながら検索する。
当時、地の底より緑の炎の神が吹き出し、触れる全てを消滅させた。
ものの数分でそれは消えてなくなり、現在はそこに空いた大穴ごと埋め立てられ背の低い倉庫があるのみ。
パッと検索するだけでこれ。
そこへ、先の掲示板でも同じように検索をかけると、眉唾な情報が追加されていた。
神の炎ではなく炎自体が神。
神の名前は明かされていないものの、魔導書と呼ばれる人外の知識の詰め込まれた禁書により呼び出されるものであり、とある秘密結社が事を憂いて神を呼び出し"場"を消し去る事により退治した。そこに新しくビルを建てないのはそのため……とまで出てくる。
神かぁ……。
思考停止して無の境地に入りかける……が、逆に神だというのならば、あの得も言えぬ恐怖にも説明がつく……この情報を信じるという大前提があってこそだが……。
要は、この事件は神が人を殺していて、対抗するには出現する場所そのものを消し飛ばさなければいけない……となるわけだ。
今回の場合、それは水族館に続く連絡通路だ。
崩壊させろってか? もしくは同じく神サマ呼び出して消し飛ばす? いやでも被害は続いてないし何もしなくて良いのか?
頭が痛くなってきた。とりあえず疑問に思ったところだけ聞いてしまおう。
「イステの歌ってどっから来てるんだ?」
「そういう名前の書物があるらしいんだが……えーっと……魔導書? 今は日本語翻訳もされててウチの図書館に寄贈されてるらしいな。詳細は知らん」
「は?」
言葉とともに口が開きっぱなしになった。
偶然か? 二の句が出てこない。
いくらなんでもトントン拍子すぎる。まるでご都合演劇を踊らされている操り人形の気分だ。
だが、あると言うからにはあるんだろう。コイツは適当だが嘘はつかない。
「……助かった。切る……また何かわかったら連絡する」
「おう。じゃあな」
若干片言になりながら切って、何も考えずにテレビをつける。頭を休めたかったんだ。
ザッピングしていると、夢島めざめが生放送に出ているのが目に入った。
場所は近くのショッピングモール。買い物客の買ったおすすめ商品を紹介するという企画だ。
今日は一日仕事って言ってたもんな。
元気そうな笑顔の絶やさぬ明るいキャラクター性。アイドルである以上そういうものとも思えるが、心の底から人に元気を振りまこうという意思が見て取れ、それがそのまま反映されている感じがする。見ているだけで元気になってくる程だ。
気がつけば口角が上がってしまっているのに気づくくらいには陰鬱な気が晴れていった。
結局、番組が終わるまでがっつり見てしまった。これは人気が沸騰するのもわかる。
というか、こんなローカル放送だけじゃなくて全国に行けるレベルの逸材だと思う。それこそもう羽ばたいていてもおかしくない。
一ヶ月そこらで気が早いだろうか? いやでも早い奴は早いから時間の問題な気もする。
と、そこまで考えて頭を振るう。
「いやいや。違う違う。事件のこと調べないと……絶対無関係じゃないからな」
小陰は現場から逃げたものの、夢島めざめと古間の死体はその場に居たのは確かだ。
これがイステの歌事件と同じだというのなら、死体は勝手に消えたりしない……となれば、古間の死体は怪物がどうにかした……あるいは、夢島めざめかそのプロデューサーが処分したに違いない。
今の夢島めざめはそんな事をするとは思えないので、やったのは怪物、記憶の消える前の夢島めざめ、プロデューサーのいずれかになる。
これで知らない第三者がやったとかでない限りでは──という前提はいるけども。
そんな事を考えつつ、テレビを見ていたせいで閉館間近になった図書館へ向かい、急いで貸し出し手続きをして目的の本を借りた。
急いでいた反動で疲れてしまい、ふらっと喫茶店に立ち寄り、そこで本を取り出す。
イステの歌。
軽い装飾の施された革の表紙で、少し敷居の高さを感じさせるアンティーク調の本だ。宗教書ジャンルの棚に置かれていた。
アイツは魔導書と言っていたが……さて。
注文した珈琲を一口飲んでから、好奇心半分にページを捲っていった。
がっつり2時間。
書かれていた内容は一神教の否定……というよりは、多神教である方が正しいという主張のものだった。
ざっくり言えば、実際あちこちの地方で神様祀られてるでしょ? それがそのまま真実だよ。といった内容。
つまり話にならない。狐につままれているのだろうかと思うほどだ。
と、ある既視感を感じた。錬金術のレシピの話だ。
一見ただのお料理レシピに見えるが、ちゃんと読み方を知っていれば全然違った内容の書物だと気付かされる……というやつ。
つまり暗号文のようなもの。これもそうなんじゃないかと思ったのだ。
今度は読むのではなく文章の中の違和感を探してゆこう。そう思って再び本を開いた時、突然吐き気を催した。
意図せず、ごっそりと体中の力が吸い取られたような、そんな反応だ。ショック症状に似ている。
突然の出来事に、冷や汗をかきながら拳を握って吐き気を我慢している中、ブレていた焦点が、まるで吸い込まれるように本へと合わさる。
理由があると言えば、数あるページの中の一枚が光って見えたのがそうだ。が、それはこの吐き気を無視してでも読みたいと思わせるものではない。あるわけがない。
だが、実際には俺の手はページを捲り、俺の目は文字の上に浮かぶ別の文字を映し出していた。
読めば次の光るページへ。それを読めばまた違う光るページへ。
ありえない出来事。ありえない経験。
頭のおかしい奴の頭はきっとこうなっているんだろう。という妙な感想を抱きつつ、光るページが、浮かび上がって見える文字がなくなるまで読破していった。
「……なんてこった」
大きくため息を吐き、椅子からずり落ちる。
とんでもない内容に力が入らない。
書かれていたのは4つ。
1つはこの事件の主犯の事。
名はアドゥムブラリ。根源的恐怖を纏う立体的な影。二次元生命体とでも言えるような……人間の認識の及ばない異次元に巣食う吸血種族だということ。
種族だ。個体ではない。つまり、下手をすればその数はごまんと居るということだ。
今回のこれは、その内の1体が今回たまたまここに現れただけ。
動けるのは壁の中のみ。だが、サポートがあればその限りではない様子。
対処方法としては、影そのものへの次元を超えた魔法による攻撃。もしくは、活動できる部分を除去してしまう事。
1つは
姿はターゲットの種族と違わない。
人の精神に干渉して現実を書き換える魔法を持ち、それらを駆使して主人の元へと獲物を送る。
アドゥムブラリはシーカーを通すことによってしか次元を超えたターゲットを捕食できない。
どう精神に作用したら現実が書き換わるのかなどというの事もわからないが、明らかにぶっ壊れた能力を持つこれがただの1つの駒であるという点がもっとわからない。
だが、今回は最初を除き被害者が出ていない理由が判明した。
つまり、夢島めざめがシーカーなのだ。
この世界に現れて人間をターゲットに設定された以上、その見た目や特徴は人間のようになる。そんなところへ突然のスタンガンと緊縛。しかも気絶から覚めても悪夢はまだそこに居たのだ。
できたてほやほやの幼稚な精神が自己を手放すには十分だっただろう。
そんなわけで、最初の犠牲者である古間を最後に、夢島めざめはシーカーであることを忘れ、記憶喪失になった人間として人間の社会に紛れて生きているのだ。
おかげで被害者は続いていないのである意味で小陰は英雄とも言える。最低だ。
1つは魔法。
詠唱とともに大量の、具体的には30人分の魔力を消費して発動させる粉砕魔法と、それを可能にするための魔力的な連結法。
要は壁を壊すためのものだ。あの強固な連絡通路を崩壊させて埋めようとすればこれくらいが最低限必要になる。やっている間に襲われるかも知れないということを考えればもっとだ。
1つは同じく魔法。
追尾呪文とでも言おうか。棒状の物に、投げれば必中するという特性を付与するもの。
それ自体は次元を超えないが、魔力だけがアドゥムブラリに命中するという仕様になるようだ。
こちらの方が現実的なような気がするが、どちらにせよ数を揃えなくてはいけないので一日二日では無理。
しかも俺は探偵だ。ヒットマンとかハンターじゃないんだ。殺して解決なんて手段はありえない。
力なく本を閉じる。
恐らくだがイステの歌とは、所有者のエネルギー……恐らく魔力と呼ばれるものを引き換えに人外の知識を与える書物なのだろう。
知識欲に任せて魔力を与えれば与えるほど、人外の知識に触れ、溺れ、狂ってゆく。
なるほど魔導書というだけはある。
俺に与えられたのは、つまるところ事件の解決方法だ。
炎の神の事は書いていなかったので、そもそもこの魔導書では扱っていないのか魔力不足だろう。
解決策代替案として粉砕魔法が出てきている感じか。
……にしても心が重い。
言ってみれば、依頼してきたのが人類の敵の尖兵なのだ。
守るべき対象を人間にすると、尖兵と親玉を倒さなくてはいけない。
尖兵は親玉の能力だ。親玉が死ねばきっと消える。つまり、俺からしたら依頼者を殺す事と変わらない。
無理だそんなの。
だって俺は探偵だ。依頼者をないがしろにするとかないだろ。しかもあんなにいい子だぞ?
……ただ、記憶が戻ればただの尖兵だと考えると、完全に人混みの中に紛れ込んだ爆弾でしかない。
考える。
考える。
考えてみたが、結局依頼人を、夢島めざめをアドゥムブラリから解放するという答えにしかたどり着かない。
つまり、どうにかしてあの連絡通路をぶっ壊す。
あそこさえ埋まってしまえばアドゥムブラリは出てこられないので諦めて帰るはずなのだ。
それでシーカーである夢島めざめがどうなるかは完全な賭けなのだがこれしかない。
ぶっちゃけ俺のわがままだ。
だけど、人間これくらい傲慢でないとやってられない。
無理を通してやる! 俺はやるぞ!
まずは夢島めざめの依頼達成からだ!
この時、俺は燃えに燃えていた。気づかなくてはいけない何かに全く気づかない程に……。
めざめに電話をかける。
「……というわけでして、ショック療法気味になりますが、後日、小陰という男と合っていただけないかなと……刑事も付きますので安全は保証します」
伝えたのは、記憶を戻すために当時の再現をしようという話。
依頼内容は記憶の復元であって、復元先の正体を明かすことではないのでこうなった。
しばらく無言が返ってくる。当然だろう。自分を犯そうとした男と会えと言われているのだ。
それでも、これは他の誰でもない自身の依頼したこと。少しすれば、覚悟を決めたように「はい!」と力強い声が返ってきた。
と、通話相手がプロデューサーに変わる。
「……当時、そこへ駆けつけた者として参加させてください」
小声で放たれたのは衝撃の言葉だった。
この男、あの事件の直後に現場に居たのだ。それを今の今まで言わなかったのはつまり……。
「
まるで自分が自分じゃないかのような声が出た。この男の勝手に怒りを覚えたのだ。
このカマかけにプロデューサーは狼狽えた。
黒だ。プロデューサーは何か知って暗躍している。
「……め、めざめは私の夢なんです。彼女は……彼女のままでいなくてはいけない。人類のためにも。彼女自身のためにもっ!」
本人に聞こえないように配慮しているものの力のこもった声。プロデューサーの信念が伺える。
ともあれ確定だ。規模と目的が判明した。
つまり、暗躍していたのはプロデューサーは1人。目的は、夢島めざめをシーカーと知った上で、最強のアイドルとして育成、もしくは教祖にでも仕立て上げようとしているのだろう。
「参加を楽しみにしております。では」
そう言って電話を切った。
決行当日。
無理矢理気味に刑事と小陰とを引き連れて公園へ。
時間は夜の8時。辺りは事情を知らない めざめのファンがたくさん。
再現するにあたって雰囲気がでなければどうしようもないのだが、暗くなるにつれて小陰の精神に余裕がどんどんなくなっていくのが見て取れた。
暴行相手がめざめだと知った、熱烈なファンの刑事に凄まじい形相で睨まれ続けているせいもあるだろう。
少々遅れて夢島めざめと、そのプロデューサーがやって来る。
片や緊張の面持ち。片や敵意むき出しだ。
何か対策しているのかも知れないが、そんなもの
何故なら……。
…………何故だ?
うまくいくだなんて何の根拠もないのに? 何故俺は自分の方がうまくいくだなんて思っ──
「ではとりあえず顔合わせから。ダメそうなら日を改めましょう」
言いながら、俺の後ろに隠れている小陰を前に出す。
夢島めざめには一応事前に自身がどういう目に合っていたのかという説明はしたが、その加害者である小陰の顔を見せるのは初めてになる。
これで錯乱でもされようものなら事だが……ひとまず、お互い強張った表情になっただけで終わった。記憶が戻った様子もない。
「じゃ、行きましょうか。お二人とも大丈夫そうですし」
「おい本当に大丈夫なんだろうな? いくらお前の頼みだからといって、かなり無茶だと思うぞ」
「大丈夫だ。俺を信じろよ」
不安そうにする刑事の胸に軽く拳を突きつけて軽口をたたく。
信用してくれというのが無茶だというのはわかるが、なんだかんだで付いてきてくれるのは本当に都合がいい。
そんな不安そうな4人を連れて事件現場へと向かう。俺一人だけが自信をもって。
大丈夫だ。何もかもうまくいく。
淡い蛍光灯が薄暗い通路。コツンコツンと靴の音が響く。
音が反響しているだけ。薄暗いだけ。だというのに一歩進むごとに、入る前に持っていた自信なんてかき消えてしまうくらい不安が、危機感が、根源的恐怖が襲ってくる。
自分達は、火に誘われて燃え尽きる運命にある羽虫だという錯覚すら覚える程だ。
向こうから這い寄ってくるのではない。こちらから飛び込んでいくのだ。
……あれ? 実際そうじゃないか。俺達は今その影の化け物の元にわざわざ向かっているんだからこの表現は何もおかしくはない。おかしいのはどう考えたって俺達の方だ…………なにかまずい……引き返──
俺でさえこうなんだから当事者の2人はもっとだろうと思って振り返ると、心配とは裏腹に表情はごくごく普通だった。
めざめに至っては軽く笑顔を浮かべているくらい……。
2人共現実感がない……そう、どこか他人事と感じているかのような表情にすら思えた。
顔をひきつらせているのはプロデューサーくらいだ。
違和感を感じつつも現場に到着する。
ガラス張りに移行する少し手前。あるのは何の変哲もない通路。
だというのに、ありえない程の存在感を発揮する壁という矛盾……ここに居るだけで気が狂うという錯覚すら覚える。呼吸が乱れる。鼓動が早くなる。
……いや、俺の都合なんてどうでもいい。彼女の記憶を戻すのが俺の仕事だ。存在意義だ。
頭を振るい、荒くなった呼吸をねじ伏せて宣言する。
「では、当時の状況を再現しましょう」
宣言に続き、小陰がとんでもない事を口にする。
「……じゃあそいつには脱いでもらう」
「はぁ!?」
何言ってるんだコイツと思って軽蔑の眼差しを向けると、小陰は何もおかしいことは言っていないと反論する。
「いや、そいつは元から裸だったんだ。この場で壁を背にしてボーッと全裸で。そもそもそこらに服が見当たらなかった……嘘じゃねえぞ。その証拠に腹のところに焦げ目があるはずだ」
めざめの方を見ると、驚いた顔をしつつではあるが頭を縦に振っていた。火傷があるのは事実なのだろう。
というか、スタンガンによる火傷痕から襲われたであろうことは予測はできていたのだ。
つまり、それを察していてなお依頼してきたということになる。道理で強姦魔と聞いた時に驚かなかったはずだ。
「わかりました。脱ぎます」
そう言い、間髪入れず めざめは脱ぎだした。
……それにしたって思い切りが良すぎる。羞恥心は無いんだろうか? いや再現には必要だが……いや必要か?
プロデューサーも苦い顔してるけど止めないし……皆、この異常な場に居ることでおかしくなっているんじゃないか?
皆は正気か? 俺は正常か? 正常だったとして、異常だったとして誰がそれを認めてくれるんだ?
……いや、ここには人に見えるだけの人ならざるものがいるんだ。皆おかしいくらいで丁度いいんだろう。
そう自らを納得させ、めざめが脱ぎ終わるのを待つ。ここがカオスだ。
目の前に現れたのは人気絶頂中のアイドルの一糸まとわぬ姿。だが、状況が状況だ。そこにエロスはない。
異常だ。どう考えてもおかしい。
記憶を戻したいと考えるのはともかくとして、その手段にこんなトラウマを刺激するような事を提案した俺。乗ってきた当事者2名。それに許可を出したプロデューサーと刑事。
皆狂っている。
どこでだ? どこからおかしくなった? 誰かの意思を感じずにはいられない。ここにいる全員が操り人形だ。
これに今の今まで気づけなかったっていうのすらおかしい……ここは危険だ。とにかく逃げ────るわけにはいかないな。ちゃんと依頼を果たさないと。
「では、小陰さんよろしく」
「おう……」
小陰がガラス張りの通路の闇に隠れたあたりで再現が始まった。
俺達に離れて見られている中、それをまるで意に介していないかのように壁を背にして めざめはボーッと突っ立っている。
普段の明るい雰囲気なぞ微塵も感じさせない。魂が入っていないようにすら見えた。
堂に入っているなんてもんじゃない。女優としてもやっていけるだろう。トップスター間違いなしだ。
と、そこへ小陰がへらへらふらふらとやってくる。
こいつもこいつですごい。取り繕うだなんていう不自然さがまるでないゲスな顔をしていた。
再現すると言ったからには徹底的なのかも知れない。
そして、めざめが小陰に気づいたという動きをしたとき、小陰は徐にスタンガンを取り出し、一気に凶悪な顔に変わり……めざめに駆け寄ってスタンガンを……。
耳をつんざく めざめの声に、呆気にとられた顔をする小陰。
俺はと言うと、スタンガンを取り上げて小陰を睨みつけていた。
いや、睨みつけるというんじゃない。これは……そう。魔法。相手の精神をコントロールして、自らアドゥムブラリに食われに行くように仕向けるという一種の催眠術のような………………なんだって?
気がつけば、小陰は空虚な笑みを浮かべて壁に向いていた。
……まて……まてまてまて! 今俺は何をした!? 何故小陰を止めた!?
スタンガンを見ただけでこれほどに取り乱す程のトラウマだったから? めざめを守れと俺の中の何かが強く警告したから? ……いやそんな中二病的なアレじゃなくてそれ以前に……。
横を見る。
俺の行動に眉をひそめる刑事とプロデューサーの居る位置まで5メートルそこら。
とてもじゃないが、瞬時に割って入れる距離ではない。だというのに、俺はここに居る。
わけがわからない。
俺が瞬間移動している事。俺が知らない魔法を使った事。俺が小陰に取り返しのつかない魔法をかけたこと。俺が怪物に、アドゥムブラリに協力している事……。
なんだ? 何が起こっている……俺は……俺は操られている!
俺の……いや俺達の、場の混乱に呼応するように状況は加速してゆく。壁から例の怪物が姿を表したのだ。
通路の壁では収まりきらないくらい巨大で、絶えず変化する触手の塊のような、影より深くおぞましい暗黒。
そこには、不思議なものを見た時に思う「不思議だ」という素直な感想はない。
あるのは終焉。生命の諦め。絶対的な死。
これが異次元の吸血鬼アドゥムブラリ。
イステの歌には下級の種族だと書いてあった。つまり、人間にとっての蛭くらいなものだ。
これが? これが下級? これが蛭? この圧倒的な死の概念が? 嘘だろ?
この圧倒的存在の更に先があるという事実に目眩がする。
混乱する頭ではこれ以上先に進むことが出来なかったのは、幸いだったかもしれないし不幸だったかもしれない。
どちらにせよ俺はここまでだ。
誰も動けなかった。
壁の中に居るはずの触手に絡め取られているのに、薄ら笑いを浮かべながら干からびていく小陰の姿を見ていることしか出来なかったのだ。
やがて、奇妙に輝き蠢く斑点の浮かんだ干物が触手から開放され、通路にドサリと落ちた。
それとほぼ同時に、壁に、ガラスに、天井にヒビが入ってゆき、海水が漏れ入ってくる。
終わりだ。ここで俺達は死ぬんだ。
こいつの存在は、そしてこの出来事はそう思わせてくれるに十分だ。
思えば短い人生だった。
見ているだけで狂気に染まりそうな醜悪に蠢く暗黒を見ながら、未だ自体を把握できていない めざめの悲鳴をBGMに、生まれてからのことを思い返す。
初めての記憶は公園のベンチの上。子供連れの家族がワイワイとしている中で、暖かな日差しを受けて昼寝をしていたときから始ま……。
状況が状況ではあるが、ありえない記憶に笑いがこみ上げ軽く笑ってしまった。
全て理解した。俺はピエロだ。
刑事に目をやり叫ぶ。
「めざめを連れて逃げろぉ!」
刑事は俺の声にハッとしたのか、瞬時に行動に移した。
泣き叫び硬直する めざめを抱きかかえると、崩落の前兆と死の香りで充満する通路から遠のいていく。おまけにプロデューサーも。
後者はともかくとして流石は刑事だ。アイツはやるときはやってくれる。名前は知らないがそうだと知っている。奇妙なことだ。
俺は何も知らない。
俺はめざめの記憶を戻す舞台装置として作られた幻影……言ってみれば、めざめの力の、魔法の一端だ。
必要なこと以外は何も知らないが、必要なことは知っているし、物事は俺の……いや、めざめの都合のいいように動く。
探偵事務所のノボリが側においてあった。めざめが俺を見つけるためだ。
刑事と知り合いだった。俺がめざめの依頼達成に必要だった故だ。
刑事が探偵に全面協力する。同じだ。認識が書き換わっている。
俺達は疑問を抱かずにここまで来た。今こう認識できている以上、幾度も思考は修正されているだろう。
きっと古間の死体だってそうだ。見えていないだけかもしれないし、完全に消えてなくなっているかもしれない。
それこそが めざめの魔法……つまり全部茶番だ。三文芝居だ。
遠ざかってゆく悲鳴。これは、めざめの記憶が戻っているが故のもの。
記憶のある今の めざめはアドゥムブラリのシーカーだが、記憶を失っている間は無意識に能力を使いつつだが完全に人間として振る舞っていた。
つまり、主人であるアドゥムブラリを裏切るような行動ができたわけだ。
めざめは今トラウマにより行動不能。発狂している。だから今はアドゥムブラリのことなど微塵も考えていないし、なんならその姿を見てすらいない。
なので、主人を守ることは出来ない。
おまけにここはもう崩落直前だ。意識がしっかりしていたところで守ることが出来ないという大義名分すらある。
そしてこの崩落は偶然じゃない。俺が外の めざめのファンを操って起こさせた粉砕魔法だ。
自分でやったはずなのに知らない出来事……本当に都合がいい……めざめにとって。
さて……ここが崩れてしまえばアドゥムブラリはもう出てこれないはずだ。
そう理解した時、俺の両手両足が、まるで蜃気楼かのごとくかき消えてゆくのに気づいた。
そう認識したとはいえ、実際に自分自身が虚像だと突きつけられるのはなかなかに辛いもんだ……泣きそうになる。
役目を終えた俺はここで消えてしまう。そうなると知っている。
いよいよ耐えきれなくなった壁が、天井が、ガラスが倒壊し、それらを巻き込んで俺の方へとなだれ込んで来た。
が、俺の消滅の方が早かったので、それは俺の元へはたどり着かなかった。
……最後が死じゃなかったのはもしかしたら救いだったかもな……。
───────────────
病院のベッドの上。意識の戻った私を出迎えてくれたのはあの時の刑事さん。周りには他に居ない。個室みたい。
まだ頭がぼんやりしている中、刑事さんは事のあらましを説明してくれる。
おまけにワイドショーの時間帯だったので、テレビを付けると丁度そのニュースが流れていて、現地にレポーターが行って取材していた。
「水族館へと続く通路が倒壊した模様です。夜遅くだったこともあり、被害者は居なかったのは救いでしょうか。現場に目立った混乱は見られませんが、今後、工事を行ったRD建設や、その後の管理体制の杜撰さが問われていくことになりそうです。現場からは異常です」
そういうことになったらしい。
あとはスタジオにカメラが戻って出演者たちがごちゃごちゃ言っていく。ローカル放送でもワイドショーはこんなもの。
放心気味にテレビを見ていた私は、小さくガッツポーズして生の喜びを実感する。
生きている……消えてない!
思わず涙が零れ落ちる。もちろん感涙だ。
先々月のあの時、裸で倒れている私を介抱してくれたプロデューサーに感謝した時も出たけど、流石に命云々には敵わない。感動が段違いだもん。
死んでいたとしたら私はここには居ない。
刑事さんは私が混乱しているのかと思っているのか横から心配そうに見てくる。いい人だ。自然に笑顔を返す。
刑事さんはそれを見て安心したのか、お医者さん呼んでくるよと言って病室を出ていった。
それを見送ってしまえば1人になる。
病院の窓から、空きテナントに戻っている巻根探偵事務所を見下ろし考えてゆく。
これから何をしよう? そうだな……お仕事は続けつつ、ちょっとずつ好きなことを見つけていこうかな。
いろんなもの食べたいし、いろんなところに行きたい。
ウキウキワクワクが溢れ出る。
なんたって人生100年だったらあと80年強もあるんだから!
うふふ……楽しみで仕方ないなぁ。
世界は私のものになったんだから楽しまなくっちゃ損だよ。
───────────────
人ひとりの意識を操るには、人ひとり分の魔力が。10人を操るなら10人分の魔力が必要。
めざめの持つ魔力は人ひとり分。人間と変わらない。
しかし、めざめは操ってみせる。人を、現実を……魔法そのものを。
動かすのは他人の魔力。それを対価に他の誰かを魅了する。
魅了すればしただけ誰かは自分を見る。見られればそれだけ魅了する対象が、扱える魔力が増える。魔力が増えればより強く操れるようになる。
アイドルという肩書と、プロデューサーという傀儡に、テレビという媒介は アドゥムブラリから開放された めざめにとっては非常に都合の良いものだった。
自由になった
この世には、そんな自身すら軽く凌駕する恐るべき存在がひしめいているだなどと夢にも思わず……。
幻影より生まれた者 ふる里みやこ@受賞作家 @bagbag
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