三章【変わる世界】

第一話〈あれから七日後〉


 紫倉宮英心と視素羅木泰正が夫婦になるという事実は、世間に広まり、己の屋敷にこもり荷造りをしていた泰正は気が気ではなかった。


 帝のあらぬ命令から七日経つが、泰正は未だに紫倉宮の屋敷には上がっていない。

 実はもう、荷造りは終えているが、意を決する事ができないでいる。

 千景も悩む師の心情を察しているようで、はっきりとは訊ねて来ない。

 泰正の好物の食事を用意したり、関係ない世間話を口にしていた。


 弟子に気を遣わせてしまう己に恥じた。


 ふと、紙が棚から落ちそうになっているのを見つけて手に取ると、心臓が跳ねた。


 英心を想って書いた恋文の束である。


 以前、処分しようと考えていたが、一部は保管していたのを思い出し、英心の屋敷に向かう前に焼いてしまおうと思い立ち、腕に抱えて庭に降りた。

 その様子を見ていた千景が傍に駆け寄り、腕を掴んだ。

 目を向けると、彼女はゆっくりと顔を振る。

 やめろといいたいらしい。

 泰正は文の束を眺めてため息をつき、疑問を口にした。


「焼くなというのか、何故だ」

「はい。焼くくらいなら英心様にお見せ下さい!」

「な、何をいうか!」


 慌てる泰正から手を離した千景は、淡々と語る。


「私は、泰正様がどれ程英心様を想って過ごされて来たのかを知っております。その想いを分かって頂くには、その恋文は必要です」

「……千景」


 千景は英心の本音を分かっているようだ。

 宴の後、英心からこんな言葉を送られた。


『私は、お前を友として大切にしたいと考えている。だから、お前の想いには答えられぬが……帝の命とあらば、私は生涯をお前と共にすると誓おう』


 真面目な顔をして、泰正の肩を掴む手は震えていた。

 対して泰正は、様々な想いが溢れ、頷く事が精一杯だった。


 ――私に心を預けてくれなどとは言えぬ。


 誰かを想うのは、運命なのだから。


「泰正! 千景!」

「んむ?」


 甲高い明るい声音には聞き覚えがあった、というより、よく知っていた。

 千景が門に小走りで向かって、彼を招き入れる。

 清太呂は土産を手に屋敷にあがった。


「まだ英心のもとには行ってないのか」

「ああ……」

「往生際の悪い……帝の命なのだから、従わざる負えまい?」

「分かっているが」

「清太呂様、泰正様を苛めないでください」


 千景が茶を差し出しながら、清太呂に口を尖らせる。

 清太呂は目をまん丸にして、顔を激しく振った。


「い、いじめてなどいないぞ!? ただ、英心が気にしていて見ていられなくてだなあ~」

「英心が?」


 泰正の問いかけに頷いた清太呂は、持参した土産の菓子を頬張りながら頷く。

 泰正も、ごま油で揚げられている餅を咀嚼して茶で喉を潤すと、幾分心が落ち着いたような気がした。

 ……ただ、このような菓子には苦い思い出もあるので、意識をそらすように努める。


 千景も向かい合う二人の間に座り、茶をすする。

 清太呂が菓子を飲み込んで話を続けた。


「お前が七日も経つのに、まだ来ないのを気にしているぞ。本当は迎えに来たいようだぞ」

「そ、そうなのか」

「こうしていても、埒が明かないだろ? そろそろ顔を出してやらねば」

「分かってはいるのだがな」   

「もう! 清太呂様だって、泰正様が今までどんなに辛い思いをされたのかをご存知でしょ?」


 千景が湯呑を壊しかねない強さで握りしめているのを見て、泰正は焦りを覚えた。


「千景、お前がそのように怒る必要はないのだぞ、落ち着きなさい」

「泰正様は、もっとお怒りになってよいのです! 英心様は、泰正様のお気持ちを知った上で、躊躇もせずに、め、夫婦になるだなんて……!」

「千景は反対なのか?」


 きょとんとした顔つきで訊ねた清太呂に、千景は口をあんぐりと開けたまま固まる。

 泰正は心配して顔を覗き込んだが、千景は無反応なので、眼前で手を振ってみた。


「千景? 大丈夫か?」

「え……あ! は、はい!」


 千景は我に返り、茶を勢いよく飲み干した。

 結局、質問には答えることはなく、黙り込んでしまう。

 困り果てた泰正は、清太呂を部屋の隅に手招き、小声で相談する。


(千景はどうしたのだと思う? 私は、一人になるのが辛いと感じていると思っているのだが) 


 清太呂は肩を竦めて顔を振って否定した。

 ならば、他にどんな理由が……と考え始めたら、笑われたので顔を突きつける。


(何がおかしい?)

(近い近い! いや、わかるだろ? 千景にとっては、親を取られたのと同じなんだぞ!)

(……それは)

(あの子は、英心に嫉妬しているんだろ。まあ、その内納得するだろうが、女子の繊細さはあなどれないぞ)


 あの子の性格は理解している筈なのに、こうして他者に指摘されるとは……親代わり失格だな。

 師としても、劣るというのに。


 泰正は清太呂の肩に静かに手を置くと、千景と話し合うと告げた。

 清太呂はそそくさと屋敷から出て行った。

 その背中を見送り、千景に向き直る。


「千景」

「……はい、あれ。清太呂様は帰られたのですか」

「うむ……なあ、千景よ」

「はい」


 泰正は千景の前に腰を落ち着けると、目を見据えて話を切り出した。


「私は、お前が一人でも生き抜ける力を身につけられる様に、育てて来たと考えている」

「はい」

「……だが、一人は寂しかろう」

「泰正様?」

「千景、天照殿の元に行かぬか?」


 どう答えるかなど、予想はついている。

 だが、どうしても千景をこの屋敷に一人残していく訳には行かない。


 ――それに……。


 これからについて、己の想いを話す。


「私は、英心とは距離を置くべきだと考えている。彼には子をなして幸せな日々を送ってほしいのだ……だから、帝には諦めずに、私だけを罰するようになんどもお話しようと思うのだ」 


 千景が泰正の言葉に瞳を見開き、息を呑む。

 こんな話をすれば、心配させてしまうだろう。

 だが、お互いの仲を考えれば、最善だときっと納得してくれる筈である。

 千景は何か言いたそうに唇を震わせて、俯いた。

 この子なりに泰正を思い、身を案じてくれているのだろう。

 しばしの沈黙の後、ようやく口を開くと、思わぬ意思を告げられた。


「なら、私はここで待ちます」

「待つ?」

「はい。私は、泰正様との思い出が詰まった、この屋敷で待ちます。泰正様とご両親の思い出もありますから」

「……千景」


 どう返事をするべきか分からず、口を閉ざす。

 もし、帝が泰正を別途罰することで、英心が開放された時、果たして泰正は、この屋敷に戻って来れるかどうかはかなり怪しい。


 実際、帝や官人陰陽師達が、鬼憑きの人間をどうしているのか、定かではないのだ。

 都が嵐になった件から、鬼に憑れた者達を野放しにしている筈はない。


 ――探ってはいたが、有耶無耶なままで進展はない。あの天照一族も分からぬとは。


 千景は瞳を潤ませて唇をかみしめている。

 そんな顔をさせるつもりはなかったのに……泰正は、千景の頭を撫でて笑いかけた。

 笑顔を見て、口元を綻ばせたのを見つめて、少しだけ安心する。


 もうそろそろ、英心の元へ行かなくては。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る