第十五〈英心の迷い〉


 宴の準備が整った頃、英心は、どこかの部屋で休んでいる筈の泰正を探し回り、屋敷中を歩いていた。

 ふと、空に浮かぶ月を見上げて息をつく。


 帝にしたためた文の内容を思い浮かべていた。


 ――私の思いを、帝は汲んでくださった。


 文に書いたのは、泰正の持ちを偶然知り、己のせいで苦しめていた事実と、泰正とその弟子に寛大な処置を懇願した。

 文を書いている間、泰正への気持ちがはっきりしてきたのを自覚していた。 


 ――夫婦になれと言われて、悪い気はしなかった。


 ならば、私は、泰正を……。


「英心よ」

「……!」


 背後からの呼び声に振り向けば、帝が手招いている。

 ふくよかな体躯に小さな目は、影に半分かくされて不気味さを感じた。

 英心は静かに歩み寄り、頭をたれる。


「はい、何か」

「分かっておるな? 己の役目を」

「……は?」


 不穏さを感じて、身構えて帝を見た。 

 帝は厳しい目つきで英心を睨んでいる。


 その様に、心臓が脈打つ。


「お前をあやつと夫婦にさせたのは、監視役じゃ。少しでも不穏な動きを見せれば、息の根をとめよ……お前は罪悪感をいだいているだけで、よもややつを愛してなどおらぬだろうな?」

「……っ」 


 息を呑み、英心は思いを巡らせる。


 ――帝ははじめから、私に泰正の監視役をさせようとお考えだったのか……!?


 帝は己の手を汚さずに、泰正を葬りたいのだ。

 ……思えば、祭りの時も、泰正の監視を命じられた。

 あの時は、はっきりと意図は申されなかったが……。


 ――しかし、何故、このような手のかかる真似を……? 刺客を使う手もあろうに。


「……私は、どのように振る舞えば良いのですか」

「はっきりと申せ。お前と夫婦になったのは、帝の命だからであり、お前を愛してなどおらぬと……まあ、お前はあやつを愛してなどおらぬとはおもうがな」

「……っ」

「いつでもお前達を見張っているのを、忘れるでないぞ」

「……は」


 返事をするのが精一杯だった。


 一人になり、庭に降りたった英心は、しばし夜風にあたり頭を冷やす。


 帝のあの態度、妙であると思案する。


 ――まさか、帝は、何か企んでいるのか。


 鬼憑きの者を回りくどいやり方で、殺める理由がわからぬ。

 だいたい、道満や久遠のような輩を野放しにしているのも解せぬ。


 ――鬼憑きを利用しようとしているのか。


 数年前の都が荒れた件も、晴明がいうには、鬼神が絡んでいたと話していた。

 鬼神は人の怨念に深い繋がりがある。

 関わった者を殺めよと命を下さず、ただ陰陽師達に、人々を守れと告げただけなのには、ひっかかっていた。


 ――帝、私は泰正を見捨てる事はできませぬ!


 冷淡に接すれば、泰正は不安定になるかもしれない。

 だが、見張られている以上、命に従わねば危険だ。


 ――帝の目論見を暴き阻止するまでは、想いは告げられぬ!


「皮肉なものだ……やっと、己の気持ちを知れたのに、伝えられぬとはな」


 落胆し、月を見据えて呟いた。




 宴に呼ばれた泰正は、明るい歌声で盛り上がる場に、己は似つかわしくないと感じて縮こまっていた。

 隣に座る英心は、まっすぐに前を見据えて酒を呑んでいる。


「そなたたちの祝の場じゃ、遠慮する必要はないぞ」

「は、はあ、ありがとうございます」

「有難きお言葉です」


 泰正はまだ納得していなかったが、英心の有無を言わせぬ迫力に負けて、大人しくすると決めた。


 夫婦などと、まさか英心とそんな仲になれるとは、夢を見ているのではないかと、信じられない。


 ――英心をまともに見れん!


 馬鹿みたいに歌う和泉を睨みつけると、そっぽをむく。


 ――やはり久遠のことを、帝に告げ口をしていたのだな。


 先程から帝は上機嫌で酒を呑み、手拍子までしている。

 こうして帝が目の前で和やかに食事をしている様は、めずらしく感じてため息をついた。


「そうじゃ、あの男子二人、道満については、今後は朕が預かるでの」

「……さようですか」


 英心があっさりと認めるので、泰正は口を挟んだ。


「どのような処遇を……?」

「案ずるな。悪いようにはせん。道満と、あやつとつるんでいた男子は、何かしらの罰を与えねばならぬがな……」


 蓮とは今後、自由にあえないだろう。

 魔鏡師の主は、帝と直に言葉を交える間柄。

 主を信じるしかあるまい。


「晴明はこれからも異空間の監視をつづけてもらう。そなたたちも、引き続きこの都を陰陽師として守るよう精進するのじゃ」

「「はい」」


 同時に返事をすると、妙な気分になった。

 英心と目があって顔が熱くなる。

 泰正はすぐに瞳を伏せた。 


 ――英心は、帝の命だから私と夫婦になる事を受け入れたのだ! 期待などするな!


 泰正の態度をみた帝が、扇子を振って高笑いする。


「なんとも初いのう! 泰正よ! ハハハッ」

「泰正殿は女子と手も繋いだことがないだとか……なんともかわいらしいですな!」


 和泉まで帝の機嫌をとるために、わざとらしく大笑いした。


 ――か、からかいおって! 


 ふと英心を見やると、宙を見つめてぼんやりとしていた。


 ――英心?


 何を考えているのだ……?


「もっともっと歌え! 酒じゃ酒じゃ!」


 帝の興奮した声と、和泉が歌う馬鹿みたいに明るい歌声が響く中で、泰正と英心の周りだけが、重苦しい空気に包まれていた。

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