第二十一話〈禍々しき陰陽師〉


 蘆屋道満……その名を知らぬ陰陽師はいない。

 そう断言できるのは、安倍晴明の好敵手

 といえる陰陽師だからだ。


 この所姿を見ないが、どこかに潜伏して悪巧みをしているのではと、噂話は絶えない。


 ――まさか、奴が絡んでいるとは。


 何故、大津皇子を利用したのかは当人に聞かねば分からないが、今は、皇子を救う為にも、泰正自身が意思を強く持たねば。


 泰正は皇子に向かい合うと、まっすぐに目を見据えた。

 皇子の抱く負の感情が、泰正の心を貫かんばかりに、黒い靄となって襲いかかる。


「泰正殿、気をしっかり持たれよ」

「言われなくとも……!」



 蘆屋道満に利用された魂は、決して報われない――この話が事実であるなら、逃げるわけにはいかないと、鬼神と対峙すると決意したものの、やはり恐怖心は拭えない。


 ――寒い……からだの震えが止まらぬ。


 いつの間にか金縛りにあい、呼吸さえままならない。


 “泰正殿”


 ――晴明殿……!


 脳内に晴明の声音が直接響いて、神経が刺激される。


 “恐れてはなりませぬ……皇子の声を聞くのです”


 ――声を……。


 泰正は大津皇子の声を聞くため、胸元に手を置くと、呼吸を整える。

 視線を皇子に向ければ、彼には殺気こそ感じられないが、強い憤りの感情を感じて、背筋がぞくりと震えた。


 皇子が口を開き、泰正に吠える。


『あの男に気持ちを伝えろ!』

「英心にか……」

『そうだ! 私のように後悔したくなければ、己の欲望に従うのだ!』


 拳を握りしめた皇子は、恐ろしい鬼神の笑みを浮かべ、泰正の首に手を伸ばす。


 “泰正殿、恐れてはならぬ……! 貴方の本心を、皇子にぶつけると良い”


 ――私の、本心を……。


 首を、無骨で大きな鬼の手に掴まれた瞬間、泰正は声を放つ。



「私は、英心に想いを伝えるつもりはない」


 その言葉に、鬼神の姿のまま、皇子は頬をピクリとさせて、血走る目を見開いた。


『我の言葉が聞こえなかったのか!』

「私は、想い人の性格は理解しているつもりだ。もし、私の想いを彼が知れば、責任を取ると言いだしかねない……彼には苦しんで欲しくないのだ。私が勝手に奴を想っているだけの事……大津皇子、貴方なら分かって頂けるのではないか」

『……っ』 


 皇子は鬼神の姿で押し黙ると、泰正から手を放す。

 頭を抱えて呻く姿は、人に戻っていた。

 呻きながらブツブツと呟いている。


「ならば、お前も私とおなじように、想いをとじこめ、後悔しながら世を去るというのか!」

「皇子、貴方が姉上に気持ちを話さなかったのは、姉上の立場やその想いを慮っての事ではないのか」


 泰正は話かけながら、蹲る皇子に歩を進めた。


 ――でも、貴方と私は徹底的に違う。


 尚も語りかける。


「貴方が羨ましい」

「……何?」


 顔を上げた皇子に、心の底からの言葉をかける。


「貴方は、愛した人に愛されていたのだから」


 皇子は、目と口を大きく開くと、はらはらと涙を流し、やがてゆっくりと起き上がり、泰正の手を握りしめた。


 何も言わず、無言で見つめ合う。


 泰正は瞳を細めて、口元を緩めた。

 皇子は瞳を伏せると、泰正の手を放し、ひとこと囁いた。


「お前の愛には敵わない」


 その言葉と共に、皇子の姿は、光に飲まれて、消えていった。

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