第二十話〈悲恋と怨念〉


 泰正は、暗闇の中にいた。

 かすかに息遣いが聞こえている。

 誰かが、傍にいるようだ。


「泰正殿」


 身体を揺さぶられて、名を呼ばれる。

 泰正はうめきながら目を開けた。

 全身がだるくて動けそうもなく、仕方なく視線だけ声の方へと向ければ、予想外の人物が目の前にいたので、声を上げてしまう。


 白い狩衣姿に、狐のようにつりあがった目、だが、気品がある彼は――安倍晴明その人である。


 泰正は、震える唇を開いて話かけた。


「安倍晴明……!」

「久しいな、泰正殿」

「な、なぜ貴方が」


 自分の身に起こっている現実が把握できず、頭が真っ白で、なんと問いかけるべきなのかも思いつかない。


 晴明は頷くと、泰正の手を握りしめて笑みを浮かべた。


「何があったのか話せば、長くなる。その前に、貴方に巣食う闇を払わねば……」

「闇を、払う?」

「泰正殿、力を抜いて」

「は、はあ……」


 何をするつもりなのかと、晴明を見据えたが、額に指を添えられると、再び意識が沈んだ。



 泰正は、見知らぬ地に立っていた。

 目の前に、大きな鳥居があるのが見える。


 その下では男女が向かい合って、悲愴な表情で見つめあっていた。

 女の格好からするに、斎宮のようだ。

 男はがっしりした体格だが、品のある顔立ちをしていて、着込んだ衣も上等に見えるが、薄汚れていて、所々擦り切れていた。


『姉上! なぜ、このような時にも、本当の事をおっしゃって頂けない!』

『私は、貴方を大切に想っているわ』

『死を前にして、今更ながら後悔している……! こんな事なら、いっそ貴女の命を……私のものに……!』


 ――い、いかん!


「その言葉、本当に貴方のお言葉か」


 泰正は偉丈夫に手を伸ばしたが、ふいにどこからか声が聞こえてきて、周りを見渡す。


 いつの間にか、安倍晴明が泰正の隣に佇んでいた。

 泰正は息を呑み、晴明の行動を見守る。


 晴明は泰正に微笑んでから、男に向き直った。

 急にあたり一面が明るくなり、斎宮は消えて、三人のまわりだけが朝日に照らされている。


『私の言葉ではないなら、なんだというのだ!』

「大津皇子……貴方は、本当は己を責めているのでは……?」

「大津皇子……?」


 その名を泰正は知っていた。

 謀反の疑いをかけられ、若くして命を落とした悲劇の皇子……だが、彼が気になった理由は、別にある。


 “悲恋”にまつわる話を知り、興味を惹かれたのだ。

 皇子の姉は、伊勢神宮の斎宮であったが、独身を貫いた彼女は、弟を異性として想っていたのでは、とも言われている。


 ――だが、何故、大津皇子が、この場に。


 晴明に目を向けると、頷かれ、答えを返される。


「彼が、泰正殿に憑いていた鬼神だ」

「そ、そんな馬鹿な!」


 あの岩に、何故大津皇子の御魂が封印されていたのだろうか。


 ――ありえない! 皇子の墓は、別の場所にある筈だ!


 泰正は、大津皇子を見つめながら、確かめたい気持ちを抑え込む。

 気持ちを傾ければ、また、心を飲まれてしまうと恐れた。


 晴明がため息をついて顔を振り、呆れた声で吐き出す。


「これは、大津皇子の魂の怨念そのもの……岩に封印し、誘われた者に災いをもたらす……己の腕を試したのだろう……」

「試す? 一体誰が……!」

 

 泰正の問いかけに、晴明は一拍おくと言い捨てた。


「蘆屋道満」

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