第十九話〈英心の過ち〉


 怒声が響き渡り、部屋の中に師が入って来た。


「英心! 何をした!!」


 英心は師である忠行に声をかけられて、ようやく現実を見た。


「……っ」

「何があったのか教えよ!」

「私は……鬼に呑まれた泰正を……」

「封じる手立てはあったのだ! 話も聞かず、お前は!」


 今にも噛みつきそうな形相で叱りつける師の目は、怒りと哀しみで満ちている。

 その目に睨まれた英心は、己がとんでもない失態をおかしたのだとわかり、罪に苛まれた。


 ――私は……泰正を……。


「私が、泰正の……命を、奪いました……」

「僕が、もう少し早く来ていれば!」


 男子が泰正の亡骸に触れてつぶやく声が、幻聴のように頭に響いた。


 師が男子と何事かを話し込み、泰正の亡骸を急いで運び出す様子を、呆然と眺め、しばし動けずにいた。


 やがてゆっくりと起き上がり、陣の中で何かが光るのを見つけて拾い上げる。


「鏡?」


 これには見覚えがある。

 泰正が持ち歩いていた魔鏡だ。

 覗き込んだ途端、懐に入れていた魔鏡と共鳴し、頭の中に泰正の意思が流れ込み、世界が一変する。


 気付けば、畳の上に立っていた。


(ここは?) 


 目の前に、誰かが座っている。

 泰正が、背を向けて筆を走らせていた。

 何を書いているのだろう……。


 “こんな文を私はいつまで書いているのだろう……渡せぬ恋文など意味がないというのに”


(恋文?)


 頭の中に、泰正の思いが直接響いてくる。 


 ああそうかと合点がいく。

 泰正は、想い人に恋文をしたためているのだ。

 あの宴の際に見た恋文であろうか。


 “もう二十年間も毎日のように書いてはしまい込んで……犬か私は”


(二十年間!?) 


 英心は、泰正の想いの深さに胸を打たれた。

 渡せない相手に、二十年間も恋文を書き続けているとは……一体どんな娘に焦がれているのだろうか。

 英心は、泰正の想い人が誰なのか気になって仕方がない。


「泰正様、失礼します」

「ち、千景! 少し待て!」


 弟子の千景が師に待てと言われたのに、遠慮せず襖をさっさと開けてしまう。

 泰正は非常に慌てて文を隠そうとするが、千景は肩をすくめるだけで悪びれる様子は皆無だ。

 むしろ呆れたように、ため息をつく。


「私に今更隠しても、仕方がないでしょう」

「そ、それはだな……」

「心配しなくても、私は決して誰にも言いませんよ。とくに英心様には」

「そうだな、すまん」


 その言葉を聞いて、英心は複雑な気持ちになる。

 紛いなりにも幼なじみなのだから、そんなにつらい悩みならば、ひとこと相談してくれれば、力になったのにと。


 泰正は、恋文に目を落として顔を振ると、文をくしゃりと丸めてしまう。


「泰正様?」

「やはり燃やそう。今までの文も……」

「何故ですか?」

「時間がないのだ。それに、後になって万が一英心に見つかったら、あの世で恥ずかしくてのたうち回る!」

「縁起でもない事言わないでください!!」

「……しかしな、千景」

「はい?」


 泰正が庭を見つめながら、つぶやく。


「いっそ、想いを打ち明けてしまおうかと、衝動に駆られそうになるのだ」

「泰正様……」

「打ち明ければ、鬼にのまれる……英心を求める気持ちが強くなればなるほど、危険だというのに……こんな文を書くべきではないのにな」


(!?)


 今、な、なんと言った……!?


(泰正……!!)


 英心は泰正に向かって手を伸ばしたが、すり抜けて、やがてその姿はうすれていく。


(待ってくれ!)


「泰正!!」


 伸ばしたままの手が、宙を彷徨い、世界は元に戻っていた。

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