第十七話〈鬼の甘言〉


 泰正は、鬼神の意識に引きずられぬよう、結界が張られた部屋の中で白い衣を着込み、胡座をかいて集中していた。


 鬼神はずっと甘言を囁いている。


 “我と同化すれば、あの男はお前のものだぞ”


 ――答えてはならぬ……!


 五芒星の陣の中で、瞳を閉じて“六根清浄急急如律令”を唱え続け、時が満ちるまで鬼神を抑ええつけなければならないのだ。


 甘言に耳を傾ければ、おしまいだ。


 ――英心に、危害を加えるような真似は、決してできぬ……!


「泰正」

「……っ」


 優しい呼び声に、泰正は目を開き、視線を声の方に向けた。

 そこには、狩衣姿の英心が佇み、穏やかな笑みを浮かべている。


 居るはずがない……鬼神が見せている幻だと分かっていても、視線をそらせない。


「……英心」


 名を呼ぶと、彼は静かに歩みよって来て、泰正を囲む陣の前で足を止める。


「この中に入れてくれないか」

「そ、れはできない」

「お前を抱きしめたい」

「……っ」


 泰正は、焦がれる男が求める声に息を呑んだ。

 両手を広げた英心は、口元を緩め、慈しみの目を向けていた。


 泰正の胸はこの上なく高鳴り、今すぐその胸に飛び込みたい衝動に駆られる。


 ――い、いかん!


 視界から幻を消すため、目を閉じるが、愛しい男の幻影は、脳内にまで入り込み、誘惑の言葉を吐き出す。


「泰正、私の泰正……お前の傍に行きたいのだ」


 ――消えろ……頼む……!


 泰正は拳を握りしめ、己の腿を何度も叩く。

 いっそ舌を噛み切りたくなるが、英心の声が意識を引きずり戻す。


「泰正!」

「……っ」


 一際大きな声で呼ばれて、目を開けると、英心が険しい顔つきで見据えていた。

 一歩、近づくその姿に、泰正は自然と立ち上がり、陣の中から外へとふらふらあるき出す。


 ――駄目だ……止まれ……!


 陣から出れば、おしまいだ。

 鬼神に呑まれるのに……。


 だが、あの英心が、焦がれ続けた男が……己を抱きしめたいと、望んでいる……。

 この機を逃せば、永遠にその温もりを知る事はないだろう。


「泰正!」

「英心!」


 泰正は、陣の中から飛び出して、英心に思い切り抱きついた。

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