第十六話〈蓮がすべき事〉


 千景は、賀茂忠行の屋敷に向かおうとするのを英心に止められ、結局泰正の私物も預ける事になり、主人のいない屋敷に一人残された。

 しばし呆然と畳の上で座り込んだが、ふと思い立ち、外出した。


 屋敷近くにある祠にやって来ると、いつものように祈りを捧げる。


「どうか、あの時の泰正様を助けて」


 祠は何の反応もしない。

 だが、過去に一度だけ、光が溢れたことがあった。

 今思えば、夢だったのだろう。

 それでも、あの光が忘れられなくて、もしかしたらと期待してしまうのだ。


 祈り終わり、顔をあげると、地を踏みしめる音が聞こえて振り返る。

 祠に向かうための細道の入口の前に、誰かが立っているのが見えた。


「誰!?」


 ――まさか、英心様をつけていた人間!?


 千景は懐から一枚の呪符を取り出し、臨戦態勢を取るが、ゆっくり歩いてくる姿を見て、その正体に驚いて声をかける。


「あなた、蓮じゃないの」


 名前を呼べば、童顔の男子は、頭の後ろに手を当てながら微笑を浮かべた。


「はい、すみません。泰正さんと千景さんが心配で」

「じゃ、じゃあ、英心様の後をつけてたのって」

「はい。僕です……そろそろ主の元に帰らないと、怒られちゃう」

「……全くもう! 危ないから出歩かないでって行ったのに……! いくら平民の格好をしていても、貴方が異人だっていうのは、英心様は見抜くわ」

「すみません……あの、その祠は」

「ああ。この神様は、時を司ると言われてるのだけど、どんな神様なのかも、名前もわからないわ」

「祈りを?」

「……ちょっとね」


 瞳を逸らして空を見上げると、夕焼けが目に眩しくて俯いた。

 首元で結んだ髪の毛が、強い風に揺れて衣を叩く。


 蓮が祠に歩み寄り、じっくりと観察している。

 考え込んでいる様子だが、やがて顔を上げると、千景に向き直った。

 

「かなり古い祠ですね」

「祠が気になるの?」

「変わった祠ですから」

「そう?」

「あの、泰正さんはどうしてますか」

「……貴方に話した所で何も……だから、神様に祈ってるのよ」


 千景はため息をついて祠から離れていく。



 蓮は祠の前に屈み、懐から鏡を取り出すと、祠に翳して瞳を閉じた。

 意識を集中させて――目を開ける。


「蓮! もう行きましょう!」

「はい!」


 蓮は千景に呼ばれて、彼女の元へ駆け寄ると、隣に並んで歩きながら、忠告した。


「千景さん、泰正さんはきっと大丈夫ですから、暫くは泰正さんに会いに行かないで下さい」

「え?」

「それと、英心さんにも。英心さんが泰正さんに近づかないように、僕が主に力を借りてどうにかします」

「どういう意味? まさか、貴方……どこまで知ってるの?」

「……大丈夫ですから。泰正さんを助ける為です」

「……分かったわ」


 少しの沈黙の後、渋々と頷いた千景に、蓮はホッとして胸を撫で下ろした。


 ――あの祠に棲む神様は、ちゃんと千景さんの願いを聞いてくれていた。


 彼女の希望通りにはいかないが、蓮がやるべき事が何なのか、ようやく理解した。


 蓮は千景と別れた後、早速、賀茂忠行の屋敷へと向かった。

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