17話


 うちの学校の体育館は結構広くて、コートの左右にきちんと観客席のようなものがある。卒業式などの来賓の方用だったり、時には公式試合の会場に使われることもある。


 とはいえ、普段は部活の人間くらいしかいない体育館だが、その日は多くの生徒たちが集まっていた。

 僕と佐藤くんのただの個別の勝負だったはずが、噂が噂を呼び、変な集客効果を生み出してしまっているためだ。


 そのため、僕は事前に佐藤くんとも相談して、始める前に一言喋ることにしていた。噂を止めることはできないし、個別に否定しても意味はない。

 ならばどうするか、変に小細工をするよりも、全員集まった状態で普通に否定するのが効果が一番ある気がした。


 佐藤くんはそんな僕の考えを聞いて、じゃあ、俺も乗っかるよ、とだけ言った。


 少し呼吸を整えて、辺りを見渡す。

 不思議と緊張はしない。千夏の姿は、大勢いる中でもすぐに見つけられた。

 表情までは見えないはずなのに、少し不安そうな顔をしているのがわかった。あれから藤堂さん含めて動いてくれていたようだったが、流れる範囲が多くて噂の否定までは至らず、僕は気にすることは無いよ、大丈夫だから、とだけ告げていた。


(さて、勝負の前にやることをやらないとね)


 そう思って、少しだけバスケのボールの音をあえて響かせる。

 そして、勝負が始まるのか、とざわめきが一瞬止まると同時に、僕は声を張り上げるようにして、話を始めた。



 ◇◆



「あの、勝負はするんですが、その前に、噂で期待してる人達に一つだけ言っておくことがあります」


 千夏が見守っている中で、ハジメは前に出てそう告げる。

 イベントのように辺りが人数の多さからもざわめき立っている中で起きた静寂の中に、その声は妙に響いた。

 千夏にとっては、ただいつも安心をくれる声。


「そもそも、僕とD組の佐藤くんが賭けているのは、千夏……僕の彼女の南野千夏の事じゃありません」


 喧騒が増した。


 そして、勝負の前から逃げんのかよ!、と野次が飛ぶ。

 野次を飛ばしたのは、千夏に告白してきて、断った後に不機嫌そうな顔をしていた先輩だった。それに追随するように何人かがブーイングの声をあげる。


 でも、ハジメは全く動じることはなく堂々としていた。

 野次が言い終わるまで待って、冷静に話し声が届くタイミングで話を続ける。


「何か言っている人がいますけど、普通に考えてみてください。……当たり前でしょう? 勘違いしないで欲しいんですけど、バスケで勝とうが負けようが、僕が千夏と一緒にいるかどうかなんて、他人に決めさせるわけがない。バスケ勝負で勝ったから負けたからって変わるような想いじゃない。大体彼女だからって賭けるような奴は最低だって理解るでしょ?」


 そう言い切る言葉に、千夏の胸は高まる。

 そして、今度は男子からの野次ではなくて、女の子からの歓声が上がった。


「……え、あんなこと一度でいいから言われてみたいんですけど!!」


「まじで千夏の彼氏、いいじゃん。全然知らなかったけど、掘り出し物?」


「まぁ佐藤くんに勝てるとは思わないけどね」


 決してハジメの勝利を信じている声では無い。

 でも、ハジメ自身の言葉で、あっさりと風向きは間違いなく変わり始めていた。

 観客席の人達の反応を眺めるようにして、ハジメは続ける。


「コホン、ただ、それとは別に佐藤くんとはこれから勝負はします。僕らは同じ名前です。なので、比較されるのも仕方ないと思います。それに佐藤くんは本当にカッコいいですからね、入学の時から、別に二番でも良いかなって思っていました…………」


 そこで、ハジメは言葉を切って、千夏の方を見た。


「でも、それじゃ不満だと言ってくれる人達が、この佐藤くん含めて出来て、思ったんです。一度くらいはきちんと勝負してみるのもいいかな、と。今は、そのためだけにここに居ます。なので、噂を鵜呑みにして、女の子の取り合いなんてものを見に来た人は、帰ったほうがいいと思います。勝負の行方とは関係なく、僕は南野千夏の彼氏で、南野千夏は僕の彼女で、誰にも文句を言われる筋合いはありません…………では、僕からはそれだけでした」


 その言葉には、淡々とした、でも誰にも否定できない想いが乗っている気がした。だからだろうか、途中から、誰もがその言葉を聞いていた。

 千夏もまた、誇らしさと、同時に何故か胸の内に訪れた幾分かの切なさと共に、それを黙って聞いていた。


 そうして話を終えたハジメは頭を下げて、向き直り、今度は隣の佐藤くんを見る。

 佐藤くんは同じ様に観客を見渡すようにして言った。


「……ども、もう一人の佐藤一です。バスケ部です。俺は正直、こっちの佐藤みたいにかっこいい事は言えないんすけど、一つだけはっきりさせておきます。俺には好きな人がいます」


 唐突な独白に、ハジメの時とは比べ物にならないくらいに、悲鳴とでも言うべき声が上がった。

 早紀もまた、え? というような顔をしてこちらを見るから、千夏はううん、と首を振る。ただ、横目にその隣で、優子がビクっとしたのも千夏には見えていた。


「あ、ごめん! ちょっと緊張して変な順番になった! えっと、それは南野さんじゃないです! だから、佐藤と取り合ってるわけじゃないって言いたかったんだよね」


 そう言って慌てるように笑う佐藤くんに、ハジメも隣で笑いを堪えきれないように口元を押さえている。

 これを見て、揉めている二人だと思うことはどう邪推しても無いだろう。前に一度会った時から思ったけれど、あの二人、意外と仲が良いのだ。

 そして、完全に野次もなくなり、何だか和やかな空気が流れ始める。


「まぁそれが誰かは、公開告白をする趣味はないのでやめます! で、何で勝負するっていう事になったかっていうと…………一番は俺自身とバスケ部のためです」


 佐藤くんがそう言うと、好きな子発言のざわめきから、聞いている人達が少し無言になった。

 バスケ部のため?と声が聞こえる。


 元々ハジメからは、佐藤くんが相澤とハジメをバスケ部に勧誘していたと聞いてはいたが、噂が先行したため、やはり、元の目的はあまり知られていなかったようだった。


「正直、うちのバスケ部ってあまり強くないんですよね。ただ、これからの勝負を見てもらえればわかるんですけど、佐藤ってマジで上手いんです。後、更にもう一人当てもあって、俺がこの勝負に勝ったら、二人共入部してくれる話になってます!」


 おお、と言う声と、バスケ部が弱くてすまんーという先輩らしき人の声に、後輩たちの笑い声が聞こえる。

 それで、体育館の中には、和やかなムードでの、バスケ部のイベントなのかという空気が流れはじめた。


「ってことで、俺は本気でやります! むしろこっちが挑戦者のつもり。でも佐藤が言ってた通り、俺と佐藤が1ON1するってだけの話だったんで、興味ない人はお帰りくださいー! …………あ、後これ大事! もしも、こっちの佐藤のこと二番とか呼んでるやつ居たら、そいつは……俺が直々に文句言いに行くんで、よろしくお願いしますね!」


 そして、佐藤くんが締めた時、みんなの興味は、あの南野千夏の彼氏でもあり、この主人公然とした好青年の佐藤くんがそこまで言う、もう一人の佐藤一とはどういうヤツなのか、に移っていった。


 そのため、ここまでの話の後に、退場するものはいなかった。当初ヤジを飛ばしていた人間は、このままハジメが負けるところを見るために。その他の大勢は、せっかく来たのだから見ていこうかくらいの気持ちだろうか。


 もう、南野千夏という少女を賭けて同じ名前の男が勝負をするとか、そういうゴシップのようなネタではなくなったものの、結局皆、勝負の結果が気になってしまっていたのだ。

 

 そんな中で千夏は、目の前の勝負を見届けるべく、じっと、一つの動きも見逃さないように、コートに立つハジメを見ていた。

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