4話


 そうして、僕らはそれぞれ住む家に帰ってきた。

 途中で、あまりに溢れ出している千夏を見て、何だか涼夏さんが呆れるようにする一場面もあったものの、僕らは一緒に八王子駅で降り、それぞれ違う方面の電車に乗って家に帰った。


 その後、僕が急にバイトを代わってあげたり、ちょっと溜まっている学校の宿題を片付けたり、ストリートバスケに久々に行って、千夏がカナさんに相談しているところからあっさり真司や、ゲンさん達にバレて僕が何故か全員に祝いという名の手荒いコミュニケーションを受ける一幕はあったものの、今こうして、共に年を越すまでは大きな出来事は無かった。


 


 何故強調したのかというと、今僕と千夏は、共に年を越すということで僕の家に二人でいるのだが、実はいつものリビングではなく、僕の部屋にいるのだった。

 本当に108回だったのかは分からないが、除夜の鐘が、聞こえなくなる。



 千夏が僕の家に泊まるのは、一時的な同棲をしていた時以来。そして、完全に夜、こうして二人きりになるのは、長野の千夏の祖母の家の後は初めてのことだった。


『あのさ、ハジメ。お母さん、お父さんとのことも完全に吹っ切ったからか、年越しはお友達と飲み明かすんだって。だからうちも、ハジメと一緒に年を越して、年明けを共に過ごしたい』


 そう千夏に言われる前から、僕も同様に一緒に年を越したいなとは思っていた。

 ただ、それは涼夏さんと千夏が過ごすのにお邪魔できればな、程度だったのだが、急に二人で夜を、しかも僕の家で過ごすとなって、完全に意識してしまった僕はおそらく、千夏が年末の夕方に家に来た時から、どこか挙動不審だったのではないかと思う。


 は念の為、あらかじめ薬局で買った。

 恥ずかしいので、別の日用品に紛れ込ませるようにしてかごに入れて、しれっとレジのおばさんにそれだけ別扱いで黒い小袋に入れられるのを見て、紛れ込ませることの無駄を知った。

 僕の部屋の机の引き出しの中で、それは静かに出番を待ちながら眠っている。



 ご飯を食べて、お風呂に入って、テレビを見ながらカウントダウンを聞いた。


「明けましておめでとう、今年もよろしく、千夏」


「去年はいっぱい、いっぱいありがとう。今年も一年、よろしくお願いします、ハジメ」


 そう言い合って、そしてこちらに何かを問いかけるようにして潤むような瞳を向けてくる千夏は、冬にしては少し薄着なパジャマに可愛いカーディガンを羽織っていて、僕にはどうしようもなく綺麗で、何故かとても艶めかしく見えた。


「初詣にも行くし、そろそろ寝る時間だけど…………僕の部屋、行く?」


「…………うん」


 奇跡的に理性へたれが発動することも、事故テンプレが起きることも無かった。

 僕の言葉に千夏は頷いて、実は初めて僕は千夏を自分の部屋に迎え入れる。日中の間に、シーツや布団は乾燥機にかけて綺麗にしてあった。

 そして、何となくベッドに二人で腰掛けたところで鐘の音が聞こえて、どちらからともなく黙り込んだのだった。

 あくまで除夜の鐘という、静謐せいひつな音を聞いていたわけであって、急に鐘がなってタイミングを失うという行き場の無いこの思いから、回想に逃げていたわけでは決して無い。



 鐘が終わって少しして、肩にそっと、千夏の頭がのせられる。

 何度見ても綺麗だとも可愛いとも思えてしまう造形と、僕の頭をいつも陶酔させるような匂いが、これ以上ない位に近くにあった。


「………………ん」


 恐る恐る、と言う感じで肩を抱いて、僕は千夏にキスをする。

 一度そっと触れ合わせて、二度目はもう少し、その先を意識するように深く踏み入れる。


 そして、少しだけ離れて息を整えるようにしていると、千夏がもう終わりかと問いかけるようにこちらを向いて。


「……さっきの鐘で、煩悩、無くなっちゃうんだっけ?」


 そう言った後に続けて、うちは全然無くならなかったんだけどさ、と小さい声で、でも甘えたような声で呟くものだから。

 僕は、正面から最愛の人の紅潮した顔と潤んだような瞳を魅入られたように見て、そのままそっと押し倒し――――。



 その日、新しい年が明けると共に、僕は将来魔法使いになる権利を失った。



 ◇◆



 千夏は倦怠感と多幸感に包まれている不思議な感覚を味わっていた。ハジメが頭を撫でてくれるのに身を任せつつ、千夏はぼそりと呟く。


「何か、ただただ幸せだったんだけどどうしよう」


 運良く、というと語弊があるが、血は出なかったし、ほとんど痛みもなかった。ラテックスアレルギーもないし、実際身体に思った以上に変調もない。多分、ハジメがどこまでも優しくて、千夏が緊張することすらないほど嬉しかったからかもしれない。


 ハジメは、そんな千夏の呟きにそっか、とホッとしたようにため息をついて、はにかむようにして言った。


「良かったぁ……僕だけ良かったとかじゃなくて、痛くなくて……その、千夏もいいと思ってくれて」


 することをしたのに、どこか恥ずかしそうに笑うハジメからは、千夏が幸せになるためのオーラが過剰に出ている気がする。

 更に恥ずかしくなって、ハジメにくっつくようにして、顔を隠した。全て見せた後でもなお、羞恥心は変わらないことを知る。


 こうしてハジメの温もりを感じるようにしていると、穏やかに眠りに誘われて、少しずつ不安も消えていくように感じ、いつの間にか千夏は意識を手放していった。


 それはとても幸せな年明けの夜のこと、千夏はハジメとの関係を進めることができたのだった。

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